03- 出国
「アンチクライスト…… という呼び名を俺は聞いた事がない。憚りながらも軍事を生業にしている俺が、だ。その呼び名を知るエレメンタリストは非常に少ないと思う」
ミサキの言葉はアイリーにとってもエドワード達にとっても驚きだった。
「……アイリーさん。あんたの身の安全についてだが正直ノープランで問題ないと断言できる。一目みて分かったが今のあんたはエレメンタリストと同等に不死だ」
「意味が分かりません。カイマナイナというエレメンタリストが俺の体に何らかの干渉をしている事は知っていますがその実際を俺は知らされていない」
アイリーの言葉を聞いてミサキが苦笑を浮かべながら言った。
「試すのは勇気がいるだろうから言葉で説明しよう。今のあんたに物理攻撃は一切通じない。俺レベルのエレメンタリストが実力の全てをつぎ込んだ攻撃を仕掛けてもアイリーさん、あんたには届かない」
銃声が響いた。
呆然となったアイリーが自分の背後を振り返る。クラリッサが自分に銃口を向けているのが見えた。その銃口からは硝煙が漏れ出ている。
「お、本当だ」
アイリーは大きく息を吸い込んだ。胸にためてゆっくりと酸素を補給する。肩の力を抜きながら息を吐き出してミサキへと向き直った。
「確認できました」
「カイマナイナがあんたに掛けているのは‟因果の置き換え”というクラスの能力だ。最初に詫びるが俺では使えない。俺が使えるのはその下、‟法則の置き換え”というところまで。あんたに向けられた攻撃は全てカイマナイナが引き受けている。慢性の病気以外で今のあんたが死ぬ事はないよ」
ミサキが苦笑を交えてそう説明した。苦笑はアイリーの豪胆さというか大雑把な反応に対するものだろう。説明に驚いたのはアイリーの方だった。
「なぜ彼女はそんな危険な事を?」
「危険じゃないからさ。面識はないが治安介入部のカイマナイナは有名人だ。彼女の特質的な能力は周囲のあらゆる存在を自分の能力と融合させた上で吸収する事。栄養補給と変わらん。断言するが彼女にあんたを保護するつもりはないだろう。自分に新しい蜜を運んでくれる働き蜂が手に入った程度にしか考えていない」
青い衣のエレメンタリストが放った火炎を嬉々として受け止めていた姿をアイリーは思い出した。
「……ここにアンチクライストの能力に感染している女性がいます。彼女の感染を解く事は可能ですか?」
ミサキがアイリーを直視した。慎重に言葉を選んでいる。
「カイマナイナならば、あるいは。ただし取引材料なしに動く女じゃないと思う。アイリーさん、あんたはどの問題を優先する?」
『取引材料ね?』
リッカの声がアイリーを勇気づける。アイリーにもイノリにもこれまでの生き方に矜持がある。
「俺を東フィリピン海洋自治国に連れて行ってくれ。俺が望む結果は一つ。虐殺の阻止だ。貴方の実力を判断する基準を俺は持ち合わせていない。だからどんな作戦であれ、俺をニナの前に連れて行く事を前提としてくれ。それが協力の条件だ」
ミサキにそう告げた後にアイリーはエドワードとドロシアへと顔を向けた。
「貴方たちに失礼な思い込みで発言する事をお詫びします……。 ドロシア? 当然の話で東フィリピン海洋自治国は連邦捜査局が自由に動ける場所ではない。電源とメンテナンスの確保が出来ない……。 チームの物理的な支援は受けられない」
ドロシアが頷いた。アイリーが笑顔を見せる。
「情報支援とイノリの安全をお願いします」
『まあアイリーにはわたしがいれば大丈夫だよ』
リッカの声には喜びの感情しかない。 そうだな、とアイリーは考えた。
今まで姿を見せなかったアンジェラがダイニングに現れた。アイリーを非難する様な目をしている。
「イノリはお腹が痛くて起き上がれないそうよ。ちょっとこっちへいらっしゃい」
アイリーの顔が青ざめるのをミサキが驚きの表情で見つめた。
※ アイリーがアンジェラに呼ばれてどうなったかは第七章19話「経験不足が原因の失敗」で紹介しています。併せてお読み頂けたら幸いです。




