18‐ ニナの目的
「なんてことを…」
アイリーの脳裏にエレメンタリストの能力に感染した人々の姿が蘇る。
彼らの人生にこの死に方でなければ赦されない罪などあろうはずもない。
こんな死に方をして当然という過失もない。
原因があるとするならば…俺だ。俺があのエレメンタリストと遭遇した時に翻意させる事が出来ていたなら。
『アイリー!』
リッカの叱咤が遠くに聞こえる。
この悲劇は俺が呼び起こした。アイリーには容易に想像がつく。犠牲者にはその数に数倍する遺族がいる。
遺された者はやがてアイリーの存在を知る事になるだろう。アイリーの名は殺人の共犯者と同じ意味を持つようになる。
お前が虐殺を止められなかったから。お前さえいなければ。
何万人もの見知らぬ者から殺人者と唾棄される人生を送る事になるのだろう。その不名誉にも恐怖を覚える。だが思考は遺族の心そのものへと向かってしまう。
俺が不甲斐ないせいで何万人の人が生涯忘れ得ぬ深い傷を負ってしまったのか?
「アイリー」
イノリの声がアイリーの視線を強制的に彼女へとむけさせた。イノリの表情は調査室長のそれへと変わっている。
「思考を中断して聞きなさい。人生の不運と悲劇を乗り越えて生きる成熟した大人の見識を貴方自身の物差しで測るのは止めなさい。貴方を恨み憎むより貴方を支援する遺族の方が圧倒的に多くなる。人間の理性を信じなさい」
イノリは俺の考えを見抜いているのか。アイリーは茫洋と考える。
いつもそうだった。
そしてイノリの助言が嘘や慰めだけで積み上げたものであった事は一度もなかった。
「この場に私を呼びだした理由を再確認しなさい。あのエレメンタリスト、ニナの意図を読み解き彼女の暴挙を止める為に必要な事を考えなさい」
『…やっぱりイノリはアイリーの操縦がうまい』
リッカがアイリーにも聞こえる声でつぶやいた。
ようやく自分の方をみたアイリーと目が合う。リッカはジットリと睨み返した。
『誉めてねーし。アイリー? あの糞エレは存在がクソだけど場当たり的な動きはないと思うよ? 全部に意味がある。 その意味が理解できないなら疑問点を見直すべき』
リッカの言葉にアイリーが頷いた。同じ事をイノリとエドワード達に口頭で伝える。クソエレという表現は避けた。
「テロリストと警察官をアクティビティで殺した事件の時、現場に残された囮は私がヒューマノイドと知って‟作戦は失敗だ”と言っていたわ。その意図が分からない」
アンジェラの言葉に続けてクラリッサが続けて発言する。
「レストランコート襲撃の時にニナは‟花が香るように名誉を求めて悪を為す”と言っていた。首都襲撃の時にも‟世に悪を示す”と言っている。頭がおかしいとも思えない」
「虐殺対象が分析できません。レストランコート、病院、警察署、そして首都。犠牲となった人たちの間に関連性がありません。特定民族や宗教、社会的階層を狙ったものではないとしたら共通項は人間であるという事だけです」
ドロシアの声にも戸惑いが見られる。
「悪を為す……。 悪を示す……。 悪というのは手段であって目的にはなり得ないわ」
イノリの呟きに全員が注目した。視線に気づいてイノリが補足する。
「悪というのは極論すれば経済活動よ。 利益を目的としない悪は成立しない。 悪は正義の対義語ではないわ。 正義は相手がいなくても自分自身の規律や理想として存在しうる概念だけれど相手がいない悪は存在理由がない……。 ニナは自分が口にする言葉に慎重よ。この程度の認識も持っていないとは考えづらい……。 ニナの目的は別にある……。 そしてその達成方法に悪という概念が不可欠な存在となっている……」
「研究者としての彼女の活動歴に悪と指摘されるような他害行動は認められません。動機がまったく不明です」
ドロシアの問いにも答えはない。
『……。 アイリー? あのね?』
アイリーの横、イノリの反対側にわざわざ自前のエッグチェアまで描き出して収まっていたリッカがアイリーへと声を掛けた。アイリーがリッカの顔を見る。
『わたしは森林形成科学を深く読み解く連想連鎖アルゴリズムをまだ持っていないけど…… ニナが過去に発表している論文に不自然なところがある……。 すごく気になる』




