11‐ 兄への想い
リッカの瞳が大きく見開かれ口が横に大きく広がる。笑顔というより稲荷を見つけた狐の様な口の開き方だ。
『これは! スゴい!! アイリー、第一資源管理局でポジティ部ってセクション開設できる勢い。うおおおおほほほほほおほほほ』
アイリーの脳裏に自分自身の過去が蘇った。
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まだ10代の頃。管楽器に興味を持った事があった。名手の演奏を聞き込み、自分で探した教室に通い、気の合う仲間と出会い、研鑽を積んで学生コンクールに出場し見事に入賞を果たした。
アイリー一人の力ではない。仲間のそれぞれが突出した才能の持ち主だった事も大きい。その縁すらアイリーには誇らしかった。
入賞のトロフィーを手にしたアイリーに兄のライアンは駆け寄って強く抱きしめてアイリーを褒め讃えた。
「やっぱりアイリーには音楽の才能があった!俺が見込んだ通りだ!」
そこでアイリーは知ったのだ。興味を持ったのは兄にそう仕組まれたから。練習に没頭できた環境は兄が整えたもので仲間はアイリーと出会う前から兄と親交のある者ばかり。元々から実力のある者が親友の弟に手を貸したに過ぎない。
誰を恨む筋合いでもない。そこに悪意はないからだ。
怒りを覚えた事もない。楽しかったからだ。
だが心の中でこの成功体験は敗北感にまみれた記憶へと変質していった。
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その記憶がいま、アイリーの脳裏に蘇ってきている。
思い出す度に感じていた肺の中が鉱物の混じった苦汁で満たされた様な息苦しい痛みが今は消えている事に気づく。
…そうか。
アイリーはイノリの顔を見つめる。
俺は今、兄さんの一番大事なものを奪ったんだ。
ようやく。
思考に一瞬の空白が訪れる。本音が浮かび上がってくる。
ようやく、兄さんと対等になれた気がする。
ようやく、当たり前の兄弟として兄さんを好きだと言える。兄さんに怒りを持てる。兄さんに恨まれたら臆せずに自分の言いたい事を言える自信がある。
兄さんと同じ才能を持たなかった事に勝手に卑屈になって兄さんにわだかまりを持っていた。一度も本音を語ろうとしなかった。ごめん。
アイリーはイノリの顔を見つめる。
ごめん。俺はこの人が好きなんだ。兄さんが好きになるより前から好きだったんだ。
寝ている兄さんが悪いんだよ。ごめん。
「イノリは最低なんかじゃない。俺が保証する。イノリの存在は俺と兄さんを今、この場でも救ってくれている。感謝しかない。 ……ありがとう」
リッカは大きな瞳でイノリの表情を見つめている。アイリーには伝えないままリッカは複数の解析プログラムを起動している。
年齢別にアーカイブされた表情からの感情解析。民族固有の倫理観アーカイブ。居住地域別の思考傾向アーカイブ。そしてイノリ個人を見つめて収集しつづけた個人サンプル。
それぞれを連結しリッカはイノリの表情から彼女の真意を推察している。
‟倫理観に影響された自己嫌悪は本物。告白に対する過剰な緊張も本当。でもイノリはアイリーから拒絶される事は全く想定していない。勝ちを確信して最強のカードを切ってきている。しっ…したたかなヤツだぜ!”
油揚げを手に入れた狐の笑顔のままでリッカはアイリーのパラメーターも確認する。
‟イノリはアイリーを操縦するのが本当に上手い。エレメンタリストに対する無力感を覚え始めていたアイリーに自分を賞品として与える事で強烈な生存欲求を引っ張りだした。このタイミングでここまで踏み込んで告白したのは絶対ワザとだ。アイリーはもうイノリを死守したい自分の財産として認識し始めている”
『うめーえなあ』
声に出してそう言ったがアイリーはその真意をリッカに尋ねることはしなかった。
それどころではない、のだろう。
ばーか。とリッカは思う。
でもバカでいい。今のアイリーを護る一番強力な盾となるのは概念ではなく欲望として死守したい自分の宝の存在だ。
イノリが俯いた。耳まで赤くなっている。
ソファから立ち上がり一歩、アイリーに近づいた。
ソファに座ったままのアイリーが下から覗き込む様な角度でイノリの顔を見つめる。




