04‐ パターソン病院の壊滅
「古い言い回し。貴方のご両親でさえ知らない様な古い台詞を貴方が引用した。会話から私をプロファイリングしていたのね?」
女の言葉遣いが改まった。怒りを納めている。感情が凪いでいる。
相手の心を乱して本心を読み取るというアイリーの狙いは見破られた。その事についてアイリーに動揺はない。もう十分な手がかりを得ている。
だがアイリーの心には違和感が拡がった。
殺人者は偏執的に正当化した自分を語りたがるものだ。誰かを殺しておいて周囲の意見に耳を傾けるだけの思考の余裕を残す者などいない。
……。 この女は理性と感情のバランスが…… 取れすぎている。
もはや落ち着きを取り戻した女は微笑みすら浮かべている。そしてアイリーに優しく問いかける。
「殺人者に人質を取られているさなかだというのに豪胆なこと。貴方はイノリ・カンバルを心配する素振りを見せていないけれど…… 彼女は無事なのかしら?」
「パターソン病院で連邦捜査局の強襲チームに保護されています。今、この部屋にいるよりは余程安全でしょう」
アイリーも演技を捨てて本来の口調に戻った。ジューリアの最後の姿が蘇る。イノリの顔が重なる。自分の肺の周辺に張り巡らされている内臓筋がストレスで蠕動を始め呼吸を乱す。
だが意志の力で無表情を崩さずに堪える。
アイリーの様子を見つめて女の笑顔が深まる。
「本当に?」
『アイリー……。 現状を確認したから聞いて。イノリはクラリッサと一緒に気密室に移動して保護されている。無事。でも院内は2分前からレストランコートと同じ感染と発症が全域で同時発生している。隣接病棟から遮断されている呼吸器科や放射線科のエリア内でも感染が始まっている。ドロシアは病院内の人間はあと数分で全滅と予測している』
リッカの報告にアイリーの顔が強張る。
「あら? アイリー? 表情が硬くなったわ? どうかした?」
女が首を傾げて微笑みかけた。
「……病院で何人くらいを感染させたんだ?」
「さあ? 数なんて数えていないわ。感染は範囲内に生命体がいなくなるまで勝手に拡大していくから途中で人数を数える事にも意味はないし。後で分かるんじゃない?」
「…自分が何をやったか分かっているのか?」
「貴方こそ自分が誰と向き合っているのか分かっていないわ。まさか楽しいおしゃべりだけで事態を収められると思っていたの?」
女の言葉は生来に自責の念が強すぎるアイリーの精神を切り刻んだ。
自責の念が強い者は責任転嫁や自己逃避が出来ない者が多い。アイリーもそうだ。
俺が。俺が無為に死なせた。
『違う!』
『違わない。予測できた事だ、リッカ』
意識が目の前の女から逸れる。意識せず、アイリーの眼球が痙攣した様に左右に振れた。全身が筋肉ごと暴れる様に震える。
「自分一人が生き残った施設の中を避難するイノリは何を思うかしら?」
女の言葉に驚いた反応を示したのはリッカだった。
リッカは知っている。犠牲者すべてが死に絶えた現場で一人生き残ったアイリーが感じた深い罪悪感。これから長い年月、アイリーを幾たびも苦しめるだろう悪夢の記憶。
だが、なぜ女がその感覚を知っている?
微笑みを消さないまま女はアイリーを注視し続ける。
「……。 貴方達は似ているわ。自分より他人が死ぬ事の方が重大事の様に振舞う。イノリは自分も感染していると知ったら生き残った事をさらに悔いるでしょうね」
アイリーが女を睨みつける。言葉が出ない。
呪いの言葉や怒りの言葉を誰にもぶつけた事がないアイリーは、怒りや憎悪の感情が暴走した時に口にする言葉を選べなくなる。思考が渋滞を起こすのだ。
言葉にならない叫びは自己逃避にしかならないと理性がさらに誤った判断をする。
結果、アイリーの心は轢殺され続ける不死者に等しい苦痛を感じ続ける。
自責の念を隠しきれずに顔を歪めるアイリーを女は見つめ続けている。




