01‐ エレメンタリストとの邂逅
アイリーは自分の両目を見開いた。視えているのは現実の自分が横たわっている病室。
目の前に来客用のソファがある。イノリはそこに腰をかけていたはずだ。
だが今アイリーの目の前にいるのは赤毛の女。
ここから40キロ離れたパターソン病院でたった今、クラリッサとドロシアによる挟撃を受けているはずの女。
病室にイノリの姿はない。
入れ替わったのだ。
ソファに深く腰掛けた姿勢のままで女が両腕を広げた。その腕の中に眠ったままのライアンが現れ、女に抱かれる形でソファに痩せた四肢を伸ばす。意識がないのは明らかだった。
女が病室の中を見回した。
「豪華な部屋ね。お兄さんよりも立派な部屋に入院する人なのね」
肋骨の内側にある全ての内臓筋が一度に収縮しアイリーの気道を絞り上げる。動きを阻害された心臓が強い痛みを発する。
『アイリー』
アイリーは背後から二本の細い腕が伸びてきて自分の首に巻き付くのを見た。アイリーの頬に自分の頬を密着させる姿勢でリッカがアイリーを背後から抱き留めたのだ。
『呼吸に集中して。これは交渉戦だよ。向こうもアイリーの情報を取りたがっている。不用意な受け答えは後で致命的な不利を呼び込む。呼吸に集中して』
リッカの声はアイリーの精神に劇的な鎮静作用をもたらす。
『リッカ、判断してくれ。あれはライアンか? ダミーのヒューマノイドの可能性は?』
『着ている服の細部までパターソン病院にいたライアンと一致。本人に間違いない』
『そうか…』
リッカがアイリーのメンタルパラメーターを確認する。終末期再生調査中の、自分の死を目前にした時と同じ数値が並ぶ。集中力を極限まで研ぎ澄ましている。
『交渉に集中したい。リッカ以外のアドバイスを俺の耳から遮断してくれ』
アイリーの視界の中でいくつかのアイコンが光を失い回転を止めた。アイリーは目の前に座る女性に意識を集中させる。
「…俺がいる部屋、この場所をどうやって特定できた?」
どれだけの会話の応酬が許されるかは未知数だ。知るべき事に優先順位をつけなければならない。
アイリーの問いに女が薄く笑い、まだ同席しているテレサへと視線を向けた。
「初めまして。あなたはだあれ?」
「はじめまして!」
テレサが甘みの強い声で答えた。状況をまるで理解していない子供の声だ。
「私の名前はマノラ! ご主人さまの身の回りをお世話するメイドロイドです!」
女の顔が不快げに歪んだ。
「そんな幼い体で?」
マノラ、と名乗ったテレサが顔を赤らめて肩を右、左交互に前後にゆする。
「ご主人さまが一番悦んでくださる姿を与えられて幸せです!」
「いい趣味ね」
吐き捨てる様に言ってから女はアイリーへと視線を戻した。
もうテレサには興味を失っている様だ。テレサはじっと女の姿を凝視している。
『リッカちゃん』
テレサから通信が入った。アイリーの意識へは届かない。回路は遮断されている。
『この女、変装用の生体素材マスクをつけている。外見から断定できる情報はないわ。ご丁寧にもマスクの内側にX線とミリ波の阻害ラインを仕込んでいる。素顔の骨格検索も出来ないわ』
『構わないよ。わたしの方で虹彩と歯牙の鑑定をしてみる。テレサはそのまま女の観察を続けていて』
『推測だけれどこの女は初代アンチクライストの情報をかなり詳しく知っている可能性があるわ。マノラ、というのは初代が周囲から呼ばれていた愛称よ。記録には載せていない。今の時代ではほとんど名付けられる事がない古い時代の名前』
『オケ。マノラという名前を聞いた時の女の表情を解析してみる』
アイリーが大きく深呼吸をした。




