06- 三人の博士
アイリーがイノリから目を逸らした。
意見の対立を避けたのではない。自分の中の疑問に向き合い始めたのだ。
「俺がハリストスと指名された理由が分からない。俺はエレメンタリストとの接点なんて一度もないままに生きてきた。憎まれる理由もない」
テレサはアイリーとイノリの会話が上司と部下ではなく相棒として対等な言葉づかいに変化している事に気づいた。
これほどに現実離れした状況を読み解いている間、二人の意見は常に一致し続けている。二つの個性を保ったまま、通信回路も介さずに二人の思考が同調を始めている。
テレサの目が好奇心に輝いた。
アイリーの疑問にイノリが答える。
「あなた個人を敵視しているという事はないと思うわ。探しているのはハリストスという存在よ。これは神話に暗喩を込めたエレメンタリストから人類へのメッセージよ。虐殺の予告か、告解か、それは分からない。なぜ暗喩を用いるのか、その意図もまだ分からない。でもキリスト教神話になぞらえれば、アイリーが何故ハリストスに指名されたのかは簡単に推察できるわ。あなたには迷惑な話だけれども」
『マジっすか?イノリはアイリーの記憶を見ただけでハリストスにされた理由が分かったの?アイリーは見当ついた?』
不意にリッカがアイリーの思考を遮った。
邪魔にはならない。アイリー自身の思考は空転を起こし始めていたのだ。
『心当たりなんてある訳ないだろ』
『イノリに相談してよかったね』
『なあ、イノリが想定したあと二つの最悪って何だ?』
『うるせーよバカ黙れよ。イノリの話きけよ』
リッカの罵倒に少し悲しくなりながらアイリーはイノリへと意識を戻した。
「聞かせて欲しい」
「イエスを最初にキリストと認めたのは誕生の祝福に訪れた三人の博士よ。メルキオール博士が黄金を、バルサザール博士が乳香を、カスパール博士が没薬をイエスに贈ったとされている。それぞれの贈り物には当然に意味が込められている」
人を代表して神に努める者に相応しい権威として黄金を。
神との繋がりがある証として他者に強い安静作用を与える乳香を。
人として限りある命を受け入れた証として遺体に塗る香であった没薬を。
「権威という主張する力、人知を超えた神性、人間の可能性の具現。この3つの特性を博士から福音、良い報せとして受け取った者がキリストとなる」
イノリの言葉を聞いて初めて、アイリーが両手で頭を抱え込んだ。
「それは俺の意志じゃない」
「でもアンチクライストとしてキリストを待ちわびていたエレメンタリストはその瞬間を目撃してしまった。あなたは現代のハリストスと目されたのよ」
「待って、意味が分からない。アイリーは何に気づいたの?」
テレサが割って入った。テレサ自身も何故アイリーがハリストスと指名されたのか、その理由には見当も付けられずにいたのだ。
アイリーが口を開いた。自分自身の深刻な病状を理解した医師の様な声だった。
「連邦捜査局テロ対策チームの攻撃力とカイマナイナに支援を受けたエレメント・アクティビティに対する防御力。事故原因調査官という立場に育てられた分析力を得て、人間の身でありながら青い衣のエレメンタリストを退けた。そう誤解された」
「誤解じゃないわ。事実よ。エドワードチームの装備は現代科学の最先端を集結させている。でも彼らだけでは青い衣の男を退ける事は出来なかった。あの場でカイマナイナが守ったのはエドワードではなくアイリー。そして彼らの協力を得る事が出来たのはあなたの分析力と判断力が優れていたから。あなたは人間としてエレメンタリストを退ける力を示したのよ」
『今一瞬、俺ってスゴくね?って思った、その気持ちが大事だよアイリー』
『勘弁してくれリッカ。何が大事なんだよ。俺はこんな展開を望んでない』
『そこは諦めようよ』




