8 不死兵
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ローザリアは剣を大きく掲げ、一気に振り下ろす。
「射よッ!」
言うや、「ビュッ!」と矢が風を切る音が聞こえた。
前方で「キン」と鏃を弾く音が聞こえる。それを合図にローザリアは、馬腹を蹴って駆け出した。
ウィリスはやむなく後方へ下がり、柵の中の兵達と合流する。
「アリシア、サリフ――私に続けッ!」
剣を構えて突進するローザリアに続き、二人の騎兵が彼女を追った。
アリシアというのは盗賊の頭目を捕まえた女で、頭に白い布を巻いている。背負った弓の色も白い。
サリフは盗賊から金を奪った褐色肌の剣士で、曲刀をクルクルと回しながら相手を挑発している。
「右ッ!」
ローザリアが叫んだ。
三人は不死隊に突撃するかと思えたが、直前で方向を変え、右に逸れた。
同時に三人共、剣から弓に持ち替え、矢を射ている。至近距離からの騎射だ。こんなことは、相当な練度が無ければ出来ない。少なくとも、ただの傭兵が成せる技ではなかった。
ウィリスは驚き、ローザリアの出自に想いを馳せる。
「彼女はドレストスの没落貴族なのか?」
これは、ドレストス王国軽騎兵の騎射戦術だった。
かつてこの戦い方に、ウィリスは散々苦しめられたのだ。
「これに魔術師が加わると、手がつけられないんだよな……」
ウィリスは頭をポリポリと掻いて、過去の苦い思い出を振り返っている。
平原における会戦を想定して創設された帝国の各兵科にとって、この戦術は鬼門だ。
どれほど試行錯誤して陣形を構築しても、至近まで迫られ矢を射られる。こちらが反撃に移ろうとしたら、すでに敵は射程外という戦い方だ。一方的に削られる。対抗して重装備にしたら、今度は騎兵の馬だけを狙われた。
これには帝国の指揮官達も、こぞって「卑怯だ」と喚き立てたものだ。
戦さに卑怯も正々堂々も無いが、訓練をして一人前になった騎士や戦馬をいっぺんに失うことは、帝国にとって非常に由々しきことである。
じつのところ、人よりも馬の方が問題だった。
重装備にも耐える大きな馬を揃えるには、時間が掛かる。交配し、育て、調教する手間があるのだ。当時イラペトラも、「まいったなぁ」と頭を抱えていた。
そこでウィリスが対抗策を考案したのだが――あの時はイラペトラに酷く怒られた。
それもそうだろう。ウィリスは不死隊の特性を最大限活かし、防御せずに弓矢での反撃に出たのだ。
騎射に対し、立ち止まっての射撃である。恐怖を感じない不死兵の射撃は、確実に当たった。一人が二人か三人は殺せる計算だ。
ただし当然、不死隊にも被害が出た。二人か三人を殺せば、確実に一人が死んでいる。まったく命を無視した、相討ち戦法なのだ。
その後、確かに戦さに勝ったが、この戦法に激怒したイラペトラ帝は不死隊そのものを廃止してしまった。ウィリスも、こっぴどく叱られている。
「お前というヤツは! どうして自分の命を顧みぬのだッ!」
「私は不死隊を率いる身。命など、いつでも投げ出しましょう」
「ならば、そんな隊など要らぬッ! ウィル、お前は今日より俺の直属だ! 俺の許可無く、勝手に死ぬ事など決して許さぬッ!」
「えっ……」
――という次第だ。
とはいえ、既にその時点で新たな不死兵の量産は終っていたから、生粋の不死兵も、彼以外には残り二人となっていた。
だが今の不死隊は、このような対策があることを知らないであろう。
知っていたとして、対抗できる武装が今の彼等には無い。
あとはローザリアたち三人が敵に補足されず、走り回って矢を射れば勝負は着くだろう。
むろん、柵の中から弓兵が援護するという前提条件も付くが。
ローザリア達に狙われた一騎は、三本の矢を受け落馬した。それでも立ち上がり、歩いて柵へと迫る。どうやら弓兵を攻撃する構えだ。
残りの四騎もローザリア達を追わず、弓を構える歩兵に突撃した。柵など、戦馬の蹄に掛かれば簡単に打ち破れる。
確かに動き回る騎馬を追っても、捕まえがたい。それならば、先に動きの遅い歩兵を狙った方が良いだろう。効率よく数を減らせる。
しかし、その判断は諸刃の剣。走り回る騎兵を放置すれば、自らが射られる可能性が格段に上がるのだ。
ウィリスは考えた。
このような状況判断をする場合、どのような命令を下されているのだろうか?
自分だけを狙っているならば、不死隊は真っ先に狙ってくるはず。
けれど、この判断はおかしい。より多く殺すことが命令に含まれていなければ、こうはならない。
納得出来る命令があるとすれば、それは「皆殺し」だ。
ウィリスは奥歯をギリリと噛み締める。
「誰だ――こんな命令を出した者は。俺一人で済むものを、他人を巻き添えにして……!」
ローザリアが馬首を返し、叫ぶ。不死隊を背後から追っていた。
「歩兵は散れッ! 散って三人一組で敵に当たれッ!」
まさかローザリアも、自らが無視されるとは思っていなかった。一人でも味方が倒されれば、多少は動揺するだろう。少なくとも倒した敵を無視など、出来はしない。そう考えていた。
だが、それをやってのけるのだから、不死隊には恐怖心が無いという話を、ローザリアも信じる他無かった。
歩兵達はローザリアの指示に従い、散りつつ障害物を利用して迎撃した。確かに鉄血騎兵は不死隊に負けていない。
騎兵の槍を、傭兵の一人が盾で防ぐ。その間に別の傭兵が、騎馬の足を槍で狙った。
嘶き竿立ちになった馬を御しきれず、不死隊がもう一人落馬する。
斧使いのグラハムが、落馬した不死兵に斧を振り下ろした。
間一髪で、黒甲の騎士は右に転がりそれをかわす。
刹那、矢が騎士の鎧に突き立った。頭と肩だ。
落馬程度で怯むなら、誰も不死隊を恐れはしないだろう。二本の矢如きで死ぬのなら、不死兵が戦場の伝説になることも無かったはずだ。
起き上がって槍を頭上で振り回すと、不死兵は暴れる馬にトドメを刺す。
隙と見て背後に回った傭兵を、すかさず槍の柄で突いた。黒甲の騎士に隙は無い。
吹き飛ばされた傭兵は、気を失った。
だが、反動で騎士の槍が折れる。すぐに腰の剣を抜き、中段に構えていた。まるで冷静な狂戦士である。
騎士が構える黒い剣の刀身が、僅かに揺らめいた。刹那、グラハムに撃ち掛かる。
「つ、強ぇ……!」
斬撃を斧で受けたグラハムの巨体が、たたらを踏む。
冷や汗を拭いながらも、鉄血騎兵の面々は不死隊を相手に良く戦っていた。
ウィリスは皆が考え無しに突撃するかと思っていたのだが、そうではない。
数こそ少ないが、統制の取れた部隊だ。軍隊の系譜を感じる。それもドレストス軍の系譜だ。
しかし、それでも不死隊は強い。例え致命傷を受けても立ち上がり、彼等は死ぬまで戦うのだ。
三本の矢を受け落馬した不死兵も、起き上がり今は戦闘に加わっている。
斧使いの戦士――グラハムと刃を交わしている不死兵は負傷していてもなお、彼を圧倒していた。三人一組だったはずの兵も、不死兵の凄まじい剣技に近づくことが出来ない。
だがウィリスは違った。
不死兵の剣をかいくぐり、背後に回る。
後ろから羽交い締めにして、グラハムに叫んだ。
「今だ、やれっ! 胸を抉れッ! 魔石を壊せば、コイツ等は止まるッ!」
直接敵と対峙しなければ、恐怖心も膨らまない。今のウィリスにも、この程度は出来るのだ。
ウィリスの叫びに、グラハムが頷く。
斧を振り上げ、不死兵の胸を目指して一気に振り下ろす。
動きを押さえ込まれた不死兵が暴れ、うなり声を上げていた。
「ウガアアアアァァアッ!」
もちろん恐怖の叫びではない、怒りの咆哮だ。
斧が、不死兵の胸甲にめり込む。金属を断ち、骨を砕き肉を抉った。そして魔石に到達する。
それでも尚、不死兵は闘争の炎を瞳に宿したままだ。
しかし血が湯気とともに流れ出し、その命を急速に奪ってゆく。
「リィィィィ……――」
咆哮が呟きに代わり、やがて空気が漏れるような音となった。不死兵が絶命する。
これで、ようやく一人目だった。
だが、一人倒せば残りは四人だ。鉄血騎兵の士気が上がる。
「胸を狙えぇぇ!」
グラハムが叫んだ。皆が「おう!」と声を上げる。
グラハムはウィリスの腹を軽く小突き、感謝の言葉を口にした。
「助かったぜ、デカイの! しかし何なんだ、コイツら?」
「不死兵です……」
「コイツ等が……そうか。そりゃ、厄介だな」
斧使いは「俺ぁグラハム、借りはいつか返すぜ」と言い残し、別の敵に向かった。
彼は頭頂部にだけ金色の髪を残した、パイナップルのような髪型をしている。体格も傭兵団の中では随一で、ウィリスが見ても「大きいな」と思える程だ。
といっても百九十センチには届かないだろう、ウィリスと比べれば男女程の差はあった。
だが極太の首と盛り上がった肩の筋肉は、決してウィリスにも見劣りするものでは無い。
ウィリスは、再び周囲を見回した。状況は、傭兵団が圧倒しつつある。
傭兵団の中でも、ローザリア、アリシア、サリフ、グラハムの四人は傑出した戦士だ。決して不死隊にも引けは取らない。
その彼等を他の兵が手助けすれば、どうやら勝てそうだ。
「何とかなりそうだ」
そう思ってウィリスがホッとしたのも束の間、すぐに状況が一変する。
武装した馬に跨がる貴婦人が、黒光りする剣を翳してローザリアを襲ったのだ。
しかもその女は不死兵ではなく、不死兵の誰よりも強い。
「はぁっ!」
「うぐっ!」
横に払った敵の剣を、ローザリアが受ける。
凄まじい斬撃だった――閃光となって蒼い火花が弾け飛ぶ。
馬上で上体のぶれたローザリアは、そのまま落馬した。
女の駆る馬が、前足を振り上げローザリアを狙った。馬の蹄は戦場において武器になる。
あんなもので踏まれれば、彼女の頭など生卵のよりも簡単に割れてしまうだろう。
初撃は何とか、転がって避けたようだ。しかし、そう何度も避け続けることは出来ない。
ウィリスの心に、怒りと恐怖が去来する。
あの敵は強い。このまま戦えば、間違い無くローザリアが負けるだろう。
だが、自分ならば勝てるはずだ。この恐怖心さえ、克服出来るならば……。
ウィリスはガチリと奥歯を噛んで、震える自分を叱咤する。
目の前では不死兵が、剣を握ったまま果てていた。
黒い剣を手にすれば、自分は戦える。
ウィリスはローザリアを助けたいと願った。
そして彼女を助ける力が、自分にはある。そしてあの女は、間違い無い。嘗て友と呼んだ女だ――。
ウィリスは死体から黒剣を奪い、ローザリアの下へ走る。
そして、かつて友と呼んだ女の名を叫んだ。
「イゾルデ・ブルームッ!」
彼の咆哮に、イゾルデが振り向いた。
「ウィリス・ミラー……」
僅かに目を細め、イゾルデが微笑する。
だがウィリスは憤怒の炎を瞳に宿し、イゾルデを睨む。
イゾルデの事情を察する事も、ウィリスには出来た。
しかし黒剣を持ち、彼女を目にすれば、殺意だけが湧き上がる。
自身の中の怯懦が黒い剣によって抑制され、かわりに憤怒が体中を駆け巡るのだ。
闘争の喜びが、腹の底から鎌首を擡げてきた。
「よくも俺の前に現れたな、嬉しいぞ。戦場で散った五万の弔いだ……イゾルデ・ブルーム、死んで償えッ!」
全身の筋肉が膨張する。
大胸筋から三角筋へと血が滾り、憎悪が炎となって全身から吹き出しそうだ。
【コロセ! コロセ! コロセ!】
今やウィリスの体内を駆け巡る血は、どす黒い殺意となっている。それは剣を握る掌を駆け巡り、心臓を通して脳へと伝わった。その脳内で溢れるのは、破壊衝動と言う名の脳内麻薬だ。
だが同時に彼我の戦力差を冷静に分析し、敵を打ち倒すべく完璧な計算も行っている。
そうしてイゾルデ・ブルームに注がれた彼の目は、彼女をズタズタに斬り裂く未来しか見据えていない。
これこそが戦場にある不死兵の、本来あるべき姿なのである。
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