74 誇りを胸に……
◆
ローザリアは愛竜フレイヤに跨がり、瞬く間に大空へと舞い上がった。
眼下では整然と並んだ麾下の部隊が、ドレストスの旗を翻している。
声を嗄して叫ぶグラハムの姿が見えて、ローザリアは少し口元を綻ばせた。
グラハムにとってもドレストスは故郷なのだ。
彼とて同胞を相手に戦うのは嫌である。となれば声を嗄すくらい、どうという事も無い。だから今回の作戦には賛成であった。
「ローザリアさまのお戻りだー!」
グラハムは叫び、盾を打ち鳴らす。部下達もそれに倣い、盾に槍を打ち当ててガチャガチャと鳴らしていた。青空のもと、その音は遠くジャーハントの町中まで響いていく。
「「ローザリアさまのお戻りだー!」」
グラハムの言葉を兵達が復唱する。大気が震えるほどの大音声となった。
鉄血騎兵時代から付き従っているグラハムにとっては、今という一瞬がとても感慨深い。
もともと彼はドレストスの兵士。だから敗戦の後、国軍が解体されて職を失ったのだ。といっても彼ほど武勇に優れた男――グラニア軍への士官であれば可能であったのだが。
とはいえグラハムはグラニアに仕える気など毛頭無かった。
生まれた国を守りたくて軍へ入ったのに力及ばず敗北して――どうして敵に頭を下げることなどできようか。
だからグラハムはヤケになって敗戦直後、ミシガンコードの酒場でうらぶれた。
けれど結局はやることが無いからと、そのまま用心棒のような体で、とある酒場に居座ってしまう。
用心棒は良かった。タダ酒が飲めるし、仕事と言えば揉め事の際に双方を叩きのめすだけ。
これなら考える必要もなく、しかも相手の大半は当時駐留していたグラニア軍の兵士というのだから、一石二鳥というものである。
そんな風に数年を過ごしたある日――ローザリアがアリシアとサリフを引き連れ酒場にやって来たのだ。
確か当時のローザリアは革の胸甲と簡素な剣を身に着けただけの、まるで少年のような容姿であったと記憶している。
しかし銀髪で覆われた卵形の顔には確かな気品もあって、グラハムはどこかの没落貴族の倅か? と思ったものだ。
そんなことを考えながら酒場の隅で酒を飲んでいたグラハムに、ローザリアは悠然と近づいてきた。
眼光鋭く射抜く様な視線でグラハムの大きな身体を、頭のてっぺんから足の先まで見つめながら彼女は言ったのだ。
「大きな身体だ。引き締まってもいる。だというのに酒ばかり飲んでいては、いささか勿体ないな」
ジロリ――グラハムはローザリアを見下ろした。
見ればきめ細やかな肌からは、少女の甘酸っぱさが漂っている。「なんだ、小娘か」――と思った。
「うるせぇ……ここはてめぇのような子供が来るところじゃあねぇぜ……」
グラハムが言った瞬間、酒場の扉が開き鎖帷子を身に着けたグラニア兵が三人ほど入ってきて……。
彼等は席に着くと大声で叫び、剣で他の客を威嚇し始めた。
ローザリアと共にやってきたアリシアとサリフはさっとマントで武器を隠し、肩を竦めている。
だからグラハムは「気概のねぇヤツ等だ」と思い、再び酒を飲んで……。
客の大半はグラニア兵に恐れを為して、店主に金を払うと店を出た。
「悪いな……関わりたくねぇ……」
客達の言うことは尤もだ。
今までここで、何人が難癖を付けられたか数えきれない程だ。
その度にグラハムが解決していたが、それでも被害は免れない。
だとするならば酒場に居続け金を払った挙げ句に怪我をして帰りたいなど、誰も思わないのである。
「おい、女――酒だ! 酒を持って来い! 持って来たらここに居ろ! 酌をしてもらおうか!」
実際、客の大半が店を出ると三人のグラニア兵は給仕の女を呼びつけ、好きな様に身体を触り始めた。
給仕の女は酌をさせられ、代わる代わるに胸や尻を触れている。だが――もはや止める者は居なかった。
そのときローザリアは眉をピクリと動かし、グラハムに聞いている。
「なぁ、助けぬのか?」
「勝手には動けねぇよ……」
グラハムは酒をグビリ……。
痺れを切らしたローザリアがアリシアとサリフへ目配せをすると、二人はニヤリと笑う。彼等が椅子から立ち上がろうかというところで、店主の男がグラハムの所へ来て小声で言った。
「……悪いけど、頼めるかい?」
「おう――その言葉を待ってたぜぇ」
こうしてグラハムがグラニア兵を殴り飛ばしたところで、ローザリアは言ったのだ。
「うむ――やはり思った通りだ、良い腕をしている! よし、合格! 我が傭兵団に入るが良い!」
当時――グラハムは酔っていた。だからたぶん、こう言ったのだろう。
「なんだぁ? 毛も生えそろわねぇ小娘が、俺を何に誘ってやがる? ああん? でもまあいいか――一発ヤらせてくれたら考えてやるぜ」
酔っていなければきっと――「一昨日きやがれ」とでも言って取り合わなかったに違いない。
だが、とにかく当時は酔っていた。だからつい、こう言ってしまったのだ……。
一方、言われた側のローザリアも、当時は「一発」などと言われても意味が分からない。だからとりあえず髪の毛がキチンと生えていることを確認し、腕組みをしてこう言った。
「むっ! 毛なら生えている!」
「ほう、そうかい? だったら一発、いいだろ? それで傭兵団とやらに入ってやるよ」
グラハムはローザリアの股間に視線を動かし、卑下た笑みを浮かべて言う。
だがローザリア、相変わらず「一発」の意味が分からないから当てずっぽうで言ってみた。多分これだと思っている。
「ふむ。そうか……一発か。私は構わぬが、しかし貴様……死ぬなよ?」
「死ぬ? は? てめぇ一体何を言って『パンッ!』……――」
言うなりローザリアは拳を握りしめ、グラハムの鼻ッ面にバンッと拳を叩き込んだのである。
そして恐ろしいことにグラハムは、そのままパタリと後ろへ倒れてしまったのだ。
三人のグラニア兵を素手で倒し表へ投げ捨てた男を、胸の小さな少女がぶん殴って倒した。この衝撃をどう表現すれば良いのか分からず、グラハムはしばし鼻を摩って首を傾げ……。
「どうだ、一発ヤッたぞ。だが――本当にこんなことで良いのか? 例えば報酬とか、そういった話の方が大事だと思うのだがなぁ……」
眉を顰めて覗き込むローザリアに、グラハムはこめかみをヒクつかせて言う。
「い、痛てぇな! そ、そ、そういう事じゃ、ねぇんだよッ!」
ローザリアの後ろでは、アリシアとサリフがクスクスと笑っていた。
「ぬ? ではどういうことだ? まあどちらにしろ、これで我が団に入るのだから、さっそく給料の説明をするぞ――なに、食うに困らぬ様にはしてやるから……――」
腰に手を当て、「こほん」と咳払いをしてローザリアが給料の説明を始め……。
グラハムの酔いは、もう冷めていた。
たったの一撃で自分を倒す小娘に興味が湧いたから。
「基本的には日当だが、戦さに参加した日は特別に危険手当を出す。それから大将首を獲ったら報賞をやろう。役職手当もあるが……――まあその辺はおいおい、だな」
「いやいや、俺は考えると言っただけで……――いや、言ったか? 言ったな……だったら……いいぜ、その条件でよ。それよりよ――その傭兵団ってなぁ、どんなとこだ?」
「どんなと言われてもな、うーん……普通の傭兵団だとしか言えんが……」
グラハムは考えた。目の前の小娘は、ともあれ腕はいい。となれば大きな傭兵団の小隊長ていど、務めているのかもしれない。
そう思ったグラハムは、だったら大きな戦場へも行く機会があるだろう。例えばトラキスタンに雇われ、グラニアと戦うことになる可能性だってあるかもしれない。
だったら傭兵団に入るのも、悪くは無いか……――。
「規模は? 傭兵っつーなら、誰を相手に戦うんだよ? 要するにそういうことを聞いてんだ、俺ぁよ……」
するとローザリアは、しれっとした顔で言うではないか――。
「ああ、規模はな……貴様を入れて、四人目だ」と。
そしてローザリアは、さらに驚くべき事を言ったのだ。
「戦う相手はグラニアだ。まあ、稼がねばならんから、場合によっては盗賊などとも事を構えることはあろうが……ともかくッ! 共にドレストスを取り戻そうッ! ああ、そうだ、自己紹介がまだであったな! 私の名は、ローザリア・ドレストス。先の王シグムント陛下の娘だ!」
頭をブルンと振ってから、グラハムは大笑いした。
別にローザリアの正体が偽物でも、理想がまやかしでも構わない。
傭兵団の規模も――まあいい。小さいなら、これから大きくすればいいのだから。
笑っていたら、知らず涙がこぼれていた。
――グラハムは驚いた。
どうやら俺は、まだ燃え尽きていなかったらしい。
誰かの為に戦いたい――そう思ったから兵士になったのに、誰の為にもなれずに負けた。
死ぬのが恐くて反乱軍にもなれず――けれどこれじゃあ終れないと、心のどこかが叫んでいたのだ。
だからグラハムはローザリアの部下となった。
そして今、紛い物とも嘘っぱちとも思えた当時の理想が、現実のものになりつつある……――。
「我らはドレストス軍であるッ! グラニアに一矢報いんと思う者は、この門を開けよッ!」
誇りを胸に、グラハムが叫ぶ。
「「我らはドレストス軍であるッ! グラニアに一矢報いんと思う者は、この門を開けよッ!」」
いまや二〇〇〇を数える彼の部下達が、その言葉を復唱した。そして盾に槍を打ち付け――ガンガンと叩く。
凄まじい迫力だ。グラハムの心に、ふつふつと沸き立つものがある。
このとき、何本かの矢が降ってきた。
「味方に矢を射るとは何事だッ! 俺達はドレストス軍だぞッ! 同胞だッ!」
頭上に掲げた盾に刺さった矢を引き抜き、グラハムが怒声を張り上げる。
すると程なく城壁から悲鳴が上がり、一人の兵がドサリと落ちて来た。兜に房飾りを付けているところから、上級士官であろう。
ついに彼の気合いが城壁内の兵に伝わった。
間髪入れずグラハムは兵に前進を命じ、城壁内にいるであろう味方の後押しをする。
「前進ッ! 前、二〇ッ!」
グラハムの号令一下、重装兵達が歩幅を合わせて前進を開始。
再び止まって隊列を整えると、グラハムは城壁を見上げて声を張り上げ……。
「同胞たちよ! ローザリア殿下のご下命であるッ! グラニア人どもを我らの土地から叩き出せッ!」
城壁は相変わらず無言である。
だがスルスルとグラニアの旗が引き下ろされて、剣戟の音が聞こえてきた。
恐らくは内部で反乱が始まったのだろう。
(あの時の小娘が、本物の王となる――いやまぁ、俺にとっては最初から王だったわけだが……)
グラハムは上空を舞う黒い影――もちろんローザリアの火竜だ――に手を振り、頃合いだと告げる。
深紅の竜は大きく右に旋回して、翼を軽く振ってみせた。
つまりローザリアは状況を了解したと、グラハムへ伝えたのである。
(でもまぁ女としちゃあ……ぜんぜん報われねぇよなぁ……あいつ)
グラハムもようやく面頬を降ろし、隷下の部隊に命令を下す。
「全軍前進ッ! 目標、ジャーハント北門の解放ッ!」
面白いと感じたら、評価、ブクマ、感想、宜しくお願い致します。
作者のやる気が上がります!
※評価ボタンは下の方にあります。




