表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

72/74

72 剣だから 2

 ◆


 結局ウィリスは食の細いナディアの料理を半分ほど、ミリタニア産の麦酒エールで胃袋の中へ強引に流し込んだ。

 ウィリスは身体が大きいだけで、別に大食漢という訳では無い。あくまでも身体に見合った量を摂るだけなので、流石に今日は食べ過ぎであった。


 食事が終ると、すでに夜も遅い。

 では寝ようか――という話になって、二人はその前に身体を拭く事にした。

 流石に夏場だ、汗で身体がべとついている。といっていつものナディアなら気にせず寝台に入っただろう。もともと王侯の出でありながら、ナディアの風呂嫌いは徹底しているのだ。


 なにせ彼女は普段なら一週間でも十日でも身体を拭かないし洗わないので、とても臭い。美人でありながらも非常にマイナスなポイントであった。

 ローザリアをして「薄汚れた皇女」、などと言わしめた程である。

 

 しかしこのときナディアは不平も言わず桶に張った水で布を湿らせ、せっせと身体を拭いていた。じつに珍しいことだ。

 ウィリスも自身の背中越しに身体を拭くナディアをチラリと見て、素直になったものだと感心している。

 

 しかしこれには裏があったのだ。

 何せこの時のナディアは、期待に胸を膨らませてドキドキとしていた。


 今夜のナディアは軟化した態度のウィリスを見て、あることを夢想していたのだ。

 つまり――今夜、愛されてしまうかも! という胸の高鳴りと共に、ナディアは自身の大切な場所を入念に磨いている。でもなんか磨き過ぎて、ヒリヒリしてきたらしい。


「あう……痛い……擦り過ぎた」


 ローザリアとは違う意味で男性と縁のなかったナディアは、やはり変なところで暴走してしまう。

 そんなナディアである。今日は頑張って臭いを落とし、使い慣れない香油を身体に塗った。そしてウィリスと同じ寝台に滑り込んだまでは良かったのだが……。


 しかし――残念なことに今夜もナディアの期待は裏切られた。

 

 まずは小手調べとばかりにウィリスの左腕を枕にして昼間と同様、首筋へとキスをする。

 それから徐にウィリスの衣服に手を掛けたのだが……、そこでウィリスの悲し気な瞳を見た。


「ナディア――カラードではミシェルが俺の子を腹の中で育ててくれている。それは女性にしてみれば、命懸けのことなのだと俺は思うのだ。

 だというのに俺は彼女の下を離れて、今ここであなたと、その――なんだ……楽しんだりしたら、駄目なのではないか?

 ナディア、もしもあなたがミシェルの立場であったなら――そんな俺を許すだろうか?」


 ナディアは一瞬目を見開き、ミシェルの事を考えた。

 もしも逆の立場であったなら相当に嫌だ、ぐうの音も出ない。

 ましてナディアはミシェルに対して友情めいた気持ちを抱き始めていたから、余計にウィリスの言葉が身に沁みる。

 

「わかった……」

「ありがとう。俺も我慢しているのだ……」


 とはいえナディア、ウィリスの言葉に身体が震えてしまう。今まで生きていて良かった。

 彼の言う「我慢」とは、きっと自分を抱きたいけど我慢する――という意味なのだろう。

 心の中でウィリス大好き! と念じ、ナディアはウィリスの腕枕に満足して眠る。

 こんな風にミシェルを大切にするウィリスなら、自分のこともきっと大切にしてくれるはず……と信じられるから。

 

 そのとき、ウィリスの背筋に電流が走った。

 微笑みを浮かべて自身の左腕に身を寄せ眠る桜色の髪の乙女……。

 彼女のきめ細やかな肌は、ローザリアやミシェルにも負けない程の美しさだ。


 見つめていたらナディアが薄らと目を開いた。潤んだ瞳でウィリスをウットリと見つめている。

 長い睫毛に覆われた茶色の瞳が、夜の闇を映して幽玄の美を漂わせていた。


 視線を下げれば薄衣に覆われた見事な身体が見える。

 ツルペタなローザリアとは比べようも無い程の女らしさを誇り、絶世の美女ミシェルと比べても肉体の均整という意味においてナディアは、どうやら一歩だけ勝っていた。


 なぜなら……。


 ミシェル、少しお尻が大きいな。

 ウィリスはそう思っていた。

 元気な子が産めそうだ。それはいい。

 いやいや、それは美点だぞウィリス――とも思う。


 しかしウィリス――男としての本音は少し違った。

 やはりそれが少しだけ不満なのだ。完璧に思えるミシェルの、唯一と言えるウィリスが納得出来ない点である。

 となるといっそローザリアの方が、お尻という点においては好みかもしれない。

 いや――断然好みである。細い身体に張りのあるキュッとしたお尻。それがローザリアだ。

 

 しかしナディア……まさかのダークホースである。

 ここにきてナディアのお尻の素晴らしさに、ウィリスは気付いてしまった。


 なにせナディアの肉体は一辺の曇りが無い程の芸術品。

 身体さえ洗って臭いを除去すれば、それはまさに埃を払った完璧なる彫刻の如き肉体美が露となるのだ。

 ナディアの肉体と比べてしまえばローザリアのお尻といえども、一歩譲る。

 例えて言うならローザリアは繊細。されどナディアは繊細にして優美であった。


 なんということだ! 

 再びウィリスの背中に電流が走った。


「ゴックン」


 ウィリス、まさに生唾を飲む。

 今までこれ程の女性を腕に抱き、自分は眠っていたのか……。

 己の愚かさに、ウィリスは煩悶し続けていた。

 そんな中「くーくー」と、いつに無く安らかな寝息が聞こえてきて……。

 ウィリスはもはや、おあずけ中の犬も同様の状態であった。


 ◆◆


 結局ウィリスは朝方まで眠れず、この際だから眠らないことにした。

 ナディアを起こさないようにそっと寝台を抜け出し、中庭へ行って剣を振る。

 すると同じく眠れなかったらしい銀髪の美女が現れて、やはり同じ様に剣を振り始めた。


「……おはよう、ウィル。昨日はすまん」


 剣を振りつつ銀髪の美女がボソリと言う。

 もちろんこれは、目の下に大きな隈を作ったローザリアである。

 

「いいさ――あながち無実という訳でも無い」


 正確無比な素振りをしつつ、ウィリスが答える。

 そんな彼の顔を覗き込み、ローザリアは目の下をピクピクと痙攣させていた。


「なあ、ウィル。それはどういう意味だ? だいたいこの時間――昨日は眠らなかったのか?」

「ん――ああ……まあな」

「な、な、ななななな、なんでだ?」


 ローザリアの鼻息が荒い。

 聞かれて、ウィリスの素振りが止まる。

 左手で頬をポリポリと掻いて、彼の頬が赤く染まった。

  

 ローザリアの両頬が、ぷっくりと膨れ上がる。

 彼女は想像したのだ、昨夜ウィリスとナディアが何をしていたかを。

 だが自分で戻れと言ったので、文句を言う事が出来ない。

 ああ、なんで自分はあんなことを言ったのか――と後悔ばかりが募ってきた。


 だがウィリスの答えはローザリアの予測に反し、彼女を納得させたらしい。


「ミシェルのことを考えていた。大変な時に側に居てやれないなど、夫失格だなぁと……」

「おぉ……そうか」


 ローザリア、大きく頷いた。剣は地面に刺している。もう、素振りをする気は失せていた。


 一方ウィリスは……嘘ではない。嘘ではないぞと己に言い聞かせ……。

 というかウィリスにしてみたところで、ナディアのお尻を見たら悶々とした――などと言えるものか。

 ましてや比較したのは、今目の前にあるローザリアの引き締まったお尻なのである。

 ウィリスが白々しく目を逸らすと、気付かないローザリアは“むふん”と胸を反らし腰に手を添えた。

 

「そ、それに関しては、私のせいだ。戻ったら一緒に謝ってやる。お前の大切な夫を……け、け、けけけ……」

「けけ?」

「剣だ! 剣にしてすまん――とな。だって剣なれば、どこに行くにも一緒であろう? たとえばお風呂とかも……」


 ローザリア、災い転じて福と為す作戦だ。

 今だってウィリスの事が大好きなのに、昨日は好きなんて言わないと言ってしまった。

 だけど今更、「あれは無し!」なんて言えない。

 となれば、『ウィリスが自分の剣』であることを最大限利用するほか無かった。


 なので今後は、「剣をお風呂にも持って行く」ことに決めたのだ。

 いくらなんでも私の裸を見れば、「好きだ、ローズ!」と言ってくるに決まってる!

 これでもローザリア、自分の美貌にそれなりの自信は持っていた。

 ちょっとミシェルやナディアに見た目は敵わないかも知れないけれど、裸になってしまえばこっちのものだ。

 

 よってローザリアは本作戦をこのように名付け、実行する所存。

 つまり『くらえ、必殺女の魅力大作戦』――であった。


「え、風呂は違うだろう?」


 けれどウィリス、残念ながら乗り気じゃあ無い。

 当然だ。何しろウィリスは今、己の煩悩を払う為にこそ剣を振っていたのだから。

 だが納得出来ないローザリアは、涙目になってウィリスを見上げている。

 

 それから彼女はプルプルと震えながらウィリスに言った。


「何でだ! だ、だって、お前は私の剣なのだぞ! だから常に一緒なのだ! 富める時も病める時も、常に共にあらねばならんのだ!」


 腰に手を当て喚くローザリアは、顔を真っ赤にしている。

 もうこれでは、ほとんど夫婦の誓いではないか。

 ウィリスは軽く溜め息を吐いて、小さく頷いた。


「ああ……死ぬまで離れぬよ」


 ローザリアをホッとしたような、悲しいような気持ちでウィリスを見上げている。

 もしかしたら彼は、最後まで自分のことを「好きだ」と言ってくれないのではないか……そんな不安が心の隅に、靄のごとく蟠っていた。


 だとしたらやはりウィリスは、あくまでも自分の臣下であろうとするのだろうか。

 それは自分がドレストスの王になろうとしているから?

 だったら結局自分は、ウィリスの妻になれないのであろうか。


 そう思うとローザリアの胸は張り裂けんばかりに苦しく、何もかも投げ出してウィリスと共に、どこか別の世界へと行きたくなるのであった。

面白いと感じたら、評価、ブクマ、感想、宜しくお願い致します。

作者のやる気が上がります!


※評価ボタンは下の方にあります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ