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70 酒場の誓い

 ◆


 涙に塗れた顔を見られたくなくて、ローザリアはすぐに部屋を飛び出した。

 ウィリスはしばし呆然としていたが、ナディアの柔らかなキスでハッとする。

 今もナディアは、ウィリスの首筋に舌を這わせていたのだ。


 もちろんナディアも状況は分かっている。だからウィリスには、ローザリアを追わないで欲しいと切に願っていた。


 しかし、それは詮無い願いだ。

 ウィリスはきっとローザリアを追うし、それは即ち自分を選ばなかったという事実へと繋がってしまうだろう。

 無様な現実を突き付けられることに、ナディアは恐怖した。だからこそ彼女はウィリスの巨体を押しのけて、顔を強ばらせたのだ。


「ウィリスさま……追って」


 ウィリスの首筋から離れた柔らかな唇から、か細い声が漏れ出した。

 本心とは裏腹の言葉なのだろう、ナディアの震える声には微かな嗚咽が混じっている。

 しかし、今のウィリスがその事に気付くはずも無い。力強く頷き、視線を玄関へと向けているのだから。


「う、うむ」


 焦りによって生じた汗を頬に滴らせ、ウィリスは駆け出した。

 ウィリスにとって今やローザリアは、絶対の主君であり最愛の女性だ。

 ミシェルという身重の妻が存在する為、それを声に出しては言えないが――。

 

「はぁ……――」


 ウィリスの大きな背中を見送りながら、ナディアは額に手を当てる。 

 桜色の髪が僅かばかり持ち上がっていた。

 

「慌てる事は……ない」


 ナディアは自分に言い聞かせる。

 何しろウィリスは、必ずここへ帰って来るのだ。

 そう確信すればこそ、ナディアはウィリスにローザリアの後を追わせたのである。

 

 もちろん、自分が「ローザリアを追え」ということには重大な意味があった。

 自分が追わせた以上、捨てられたと思わずに済む――という意味が……。

 我ながら情けないと思いながら、ナディアはまたも重たい溜め息を吐く。

 

「はぁ……」


 夕闇の迫る室内に、悲し気なナディアの溜め息だけが響き……。


 帰ってくるとしても、きっとウィリスは遅くなるだろう。

 もしかしたらローザリアと仲直りして、色んなことをするのかも知れない。

 

「色んな事って?」


 そんなことは大人の男女だ――決まっている。

 想像したら、ナディアは胸が苦しくて苦しくて仕方が無くなった。

 ミシェルが妊娠した時も、喜びよりも悔しさが先に立ったものだ。

 あの時と同じ様な嫉妬と羨望が、ナディアの心をギュウギュウと締め付けている。


「辛い、辛いよ……お父さま……」


 呼んでも声は届かない。父はもう、この世の何処にもいないのだ。

 手が届きそうだと思ったら、夢か幻のように去っていくウィリス。それが辛くて、悲しくて……。


 ナディアはもう、起きている気力も無くなった。

 彼女はまたも部屋の隅へ行き、何も考えない様にと微睡みの中へと逃避する。 

 夕空を舞う烏も儚気に、「カァー、カァー」と宮殿の上空を旋回するのだった。


 ――――


 宮殿の長い廊下の片隅で、ウィリスはローザリアの腕を捕まえた。

 横から刺し込む夕日のせいで二人の影が長く伸び、床と壁を黒く染めている。


「い、痛い! 放せッ!」


 左腕をウィリスに掴まれたローザリアは、右腕で目の下を擦りながら叫んでいる。時々「ずずっ」と鼻を啜っているから、まだ泣き止んでいないのだろう。


「わ、悪かった……」


 腕の力を緩めながら、ウィリスがローザリアに頭を下げる。

 ローザリアは真っ赤になった目でウィリスを見上げ、頭を左右に振っていた。


「な、なぜ謝るのだ? わ、私は別に怒っておらぬ!」

「では、なぜ飛び出した?」

「そ、そんなの、夫婦の営みを邪魔しては悪いと……」

「夫婦と言っても、俺達は……」


 ウィリスが言い終わる前に、ローザリアの平手が彼の頬をバチンと叩く。

 目を丸くして唖然としたウィリス――一方叩いたローザリアも、口を開けてポカンとした。


「言い訳は、聞きたく無い」

「――済まない」


 謝るウィリスに対し、許すと言えないローザリア。

 というより本来ならばローザリアに、ウィリスを責めるいかなる権利も無い。

 仮にもしも彼女がミシェルであれば、百歩譲って怒る権利があるだろう。

 それでも――ナディアだって同じくウィリスの妻なのだ。怒り方というモノがある。「まだ昼間だ」とか「寝室へ行け」とか……。


 となると逆にナディアの方が、自分を怒る権利があるんじゃあないか? なんてローザリアは思ってしまった。

 だってナディアこそウィリスの妻なのに、今の状況は何であろう。まるで妻から夫を奪った姦婦ではないか――私は!

 

 しかし、そこまで考えてローザリアはハッとした。

 私、悪く無い。怒る権利、やっぱりある! と思ったのだ。

 怒りにかまけて忘れていたが、以前ローザリアはウィリスとある約束をした。


 そう――ウィリスはナディアに手を出さないと断言をしたのだ。

 それなのに何だ――彼女を押し倒していたじゃあないか。首筋にキ、キ、キキキキ、キスまでされて!

 どうだまいったか! ローザリアはここに、正義の剣を手に入れたのである。よって怒りが爆発した。


「き さ ま と い う や つ はッ!」


 ギロリ――伝説の剣もかくやという程の恐るべき眼光で、ローザリアがウィリスを射竦める。

 だがローザリアはウィリスを睨むと、それ以上は何も言わなかった。言えなかったのだ。

 

 睨んでいたら、だんだんと悲しくなってきて。

 約束を破られたら、そりゃあ頭にくる。だけど、それ以前の問題だった。


 考えてみたら自分は幾度も幾度も、それこそ数えきれないくらいウィリスに好きだと言っている。

 なのにウィリスときたら、キチンと好きだと言ってくれた事が無い。

 この前聞いた時も、結局はぐらかされてしまったじゃあないか。

 

 そりゃあ時と場所が少し悪かったかも知れないけれど、そのあといくらでも時間はあったのだ。

 つまりそれでも言わないということは――私のことなどどうでもいいと思っている――ということだろう。


 しかも肉体関係を女である自分が望んでも、今まで成就した事が無かった。よってローザリア、未だに処女である。屈辱過ぎて、もう何も言えない。

 だいたい婚姻前の女が肉体関係を望む覚悟を、この朴念仁は分かっていないのだ! などと怒りを脳内で爆発させてみたが……しかし……。


 あれ? これってもしかして……。

 ローザリアは今、衝撃の真実に至ってしまった。


 だってウィリスはミシェルやナディアを押し倒したよね?

 でも、私のことは押し倒さない。こっちが誘っても、なんだかんだで無視している。

 なのにミシェルなんか、妊娠しちゃったし。子供、年内に生まれちゃうし。

 だけど私は処女のまま。その理由? あ〜あ、そんなの簡単だ。

 

 ――――ウィリスは私のことが、好きじゃあないの。


 終わった……ローザリア、失恋しました。

 父上、母上、ローザリアは生きる意味を失いました。

 今後、どうすれば良いのでしょうか……。


 そう思うとローザリアは情けないやら悲しいやらで、またも涙が溢れ出してしまう。

「ぐしっ――」と涙を拭い、腕を掴まれたままローザリアがもう一度ウィリスを見上げて……。

 そこには向こう傷のある凛々しい顔に、困り果てた表情が浮かんでいた。


「ひっぐ、ひっぐ……」


 この人にフラれたのだと思ったら、ローザリアは何も言えず、ただ嗚咽を漏らすのみ。

 けれど確かにウィリスの表情からは、愛情が伝わってくる。


 なんで?

 ああ、そうか……わかった。


 きっとウィリスは自分の事を家臣として「愛して」くれているのだ。 

 だから「好き」という気持ちに答えてくれないし、将来を誓っていても、手を出そうとしない。何しろ君臣だ、当然であろう。

 きっと私がグラニアを倒すなんて、夢物語だと思っているに違いない。それで「好きにしろ」なんて言ったんだ……ひっく、ひっく。


「ローズ……泣かないでくれ」


 困った様にウィリスがローザリアを見つめている。

 ローザリアは下唇を噛み締め、それからもう一度言った。「な、泣いてなど……」

 ようやくウィリスはローザリアの腕を放すと、「済まなかった」ともう一度謝った。


「だから、謝罪などいい――ナディアは魅力的だし、貴様の妻だ。ああいったことも、あって当然だろう。ましてや……あそこは……お前の部屋だ。ノックしたとはいえ、勝手に入った私の方が悪いのだ」

「いや――俺はお前を裏切った。ナディアには手を出さないと言っておきながら、つい――」

「だから――もういいッ! 貴様は私の剣だ……それ以上のことを、もう求めたりしないから……私では、その……女としてダメなのだろうから……ぐすんっ……もういいんだ、もう、好きなんて言わない……から……」


 ウィリスの唇が、わなわなと震えていた。何を言えばいいのか、正解が分からない。

 自分が情けなくて、泣きたい気分だ。泣いて済むなら、いくらでも泣くだろう。

 自制心の無さがローザリアを傷つけたと思えば、壁に頭を打ち付けて死んでしまいたかった。

 しかし、それよりも何よりもローザリアの言葉がウィリスの心を深く抉っている。


『もういい、もう好きなんて言わない』


 これの意味するところはつまり――失恋だ。

  

 ウィリスの脳内で、先ほどの言葉がグルグルと回っていた。

 思えばウィリスは人を好きになることが少なかった分、失恋の衝撃も大きいのだ。

 これはもはや、ゲートリンゲンとミシェルのキスを見た衝撃にも匹敵するだろう。

 というか厳密に言えば失恋ではないのだが、二人とも互いにフラれたと誤解しているのでこうなってしまった――。


 とにかく、そんな訳なので失恋の衝撃が常人よりも大きいウィリスである。

 ウィリスは巨体をグラリと揺らし、片膝を付きそうになっていた。


 一方ローザリアも失恋のダメージから、よろけるウィリスに気が回らず、まるで感情のこもらない瞳を彼に向けていた。それから、思い出した様に伝達事項を述べ始める。


「……そんなことより用事があったのだ。ドレストスへの侵攻は三日後より開始とする。だからそれまでに兵を再編成して、休暇を与えてやって欲しい。

 本来ならば私がやるべきことだが、少し忙しくてな……これを任せたかったのだ」

「そうか。それは別に構わんが……」

「うむ。では宜しく頼む。そろじゃあ、また明日……」


 ローザリアは言うだけ言い、スタスタと歩き出した。

 調子が良い時のローザリアなら「チュウ、チュウー!」などとキスくらいせがみそうな、雰囲気のある夕暮れ時だというのに……。


「おい、ローズ」

「……戻れよ、ウィル。ナディアが待っているのだろう?」


 慌てて呼び止めたウィリスに、ローザリアは振り返って言う。その表情は虚無だった。

 怒りと悲しみと絶望がない交ぜになると、人間に齎されるのは虚無らしい。

 ローザリアは空虚になった胸を押さえ、ヨロヨロと自室へと戻って行く。

 もはや全てが虚しくて――ローザリアはドレストスの奪還すら、もうどうでもよくなりかけていた。


 同じく、ウィリス・ミラーの心に去来したのも虚無である。

 ローザリアにフラれたという現実が、巨大なハンマーのように彼の頭蓋を粉砕した。

 しかし……同時に理性がこう言うのだ。

 二人も妻を持った身で、ローザリアまでも望むのは虫が良過ぎるぞ。これで良かったのだろうよ……と。


 ◆◆


 ウィリスは去って行くローザリアの背中を見つめ、しばし呆然としていた。

 これ以上は引き止める事も出来ず、かといってナディアが待つ部屋へ帰ろうとも思えない。

 夕日を浴びて赤く背中を染めたローザリアを見送ると、ウィリスは中庭の方へと足を向けた。


 特に目的があった訳では無い。

 ただ、どうしてこうなってしまったのかと反省がしたかった。

 太い指で頭を掻き回し、頭蓋に直接響くガリガリという音を聞く。

  

 自分の頭の中とローザリアの頭の中は、果たして同じモノが入っているのだろうか?

 まるで別の生き物ではないかと思える程、今やローザリアの存在はウィリスから遠のいている。


 足場がすっかり悪くなった中庭を、ウィリスは一人進んでいた。

 夕日に照らされた芝生が、黄金色に輝いている。だがそれもごく一部で、未だ血の跡が滲む箇所もあった。


 流石に制圧された宮殿だ――無傷という訳にはいかない。

 かつて花壇であった場所が踏み荒らされ、噴水だった大理石も破壊されている。

 それでもこの程度の損害で済んだのは、王がいち早く降伏の決断をしたからだろう。 

 少なくとも中庭で死んだ者は、決してウルド=シラク連合軍の手には掛かっていないはずだ。


 ウィリスは中庭の中程にある四阿あずまやに入った。

 白い石材で作られた、五メートル四方の小さな小屋だ。

 中央に椅子とテーブルがあり、かつては王族がここで優雅に茶でも飲んだのだろう。


 ウィリスは椅子に座り、テーブルに肘を付いて手に顎を乗せた。


「はぁ……」


 眉を八の字にして大きな溜め息を吐く――これが十代の乙女であれば、さぞや絵になったことであろう。

 しかし顔に向こう傷のある大男が失恋の傷を癒すには、いささか場違いだったかも知れない。

 お陰でウィリスの姿は、遠目からも目立ったようだ。「うわはははは! 似合わねぇ!」と大笑する声と共に、さきほどウィリスがいた廊下から一人の男が近づいてきた。


「よう、でかいの! こんな所で何してるんだ!?」


 陽気な声に振り向けば、のっしのっしと大男が近づいてくるではないか。彼はパイナップルの房のような金髪の男――グラハム・ジードであった。

 鉄血騎兵時代から考えれば先輩に当たるが、今ではウィリスの気の置けない友人の一人である。

 身長はだいたい十センチ差くらいであろうか――ウィリスの方がもちろん大きいが、それでもグラハムだって十分に大男の部類に入る存在であった。


 そんなグラハムを横目でチラリ――ウィリスは無視を決め込んでいる。

 失恋したのだから、こんな日くらいは放っておいて欲しい。


「なんだよ、つれないな」

「放っておいてくれ」

「どうせ我らが伯爵閣下と喧嘩でもしたんだろ? さっき廊下で揉めてたって聞いたぜ?」

「喧嘩ではない」

「じゃあ、何だってんだ?」

「何だと言われれば……そうだな……」

「おう、聞くぜ!」

「ナディアに抱きつかれているところを、ローズに見られた」

「……裸……だったのか?」

「いや――だがナディアが俺のここ――うん――ここだな――ここにキスをしていてな……それを見られた」


 ウィリスが黒い衣服の襟を捲って指し示すと、見事に吸い跡が赤く残っている。

 グラハムは一瞬ニヤリとした後、首を左右に振り言った。


「そりゃ……ローザリアは怒ったろうなぁ……」

「怒っただけなら良かったが……」


 グラハムはウィリスの頬に残る掌の跡を見て、腰に手を当てた。


「ああ、こりゃまた派手にやられたな。どうだ、これから一杯いかねぇか? 一人で悶々としているより、ちったぁ気が晴れると思うんだが?」


 仏頂面のウィリスの前で、グラハムが杯を傾ける仕草をして見せた。

 こんなとき、男は深くを聞いたりしない。

 ただ酒を飲んで――なんと無く寂しさを紛らわすのだ。

 グラハムの気遣いが嬉しくて、ウィリスはゆっくりと頷き席を立つ。


「ああ、そうかも知れんな」

「決まりだ――今夜は俺のおごりだ、な、でかいの!」


 ――――


「――まあ、俺が悪いのだ。それは分かっている」

「と――言うがなぁ……抱いてやらんとナディアさまが立たず、かといってローザリアはあの性格だ。しかも国へ帰ればミシェルさまが待っているんだから、でかぶつも苦労するよなぁ〜」


 しみじみ答えるのはグラハムだが、心なしか羨ましそうな口調である。


 街に繰り出した大男二人の姿は今、大衆的な酒場にあった。

 串焼き肉を頬張りながら、麦酒エールの木杯を傾ける。

 現代日本で例えるならば、ガード下の焼き鳥屋――といった雰囲気であろうか。


 いくら戦渦の後だとしても、庶民や兵が憂さを晴らすのは酒だと太古から相場が決まっていた。

 酒場とて、どの店も閉まっていたのは占領後の二日程度。三日目ともなれば恐る恐るに店を開け、その後は平常運転という状態である。


 ウィリスやグラハムといった軍幹部が繰り出せば治安も良くなるという理由から、酒場の店主達は彼等を挙って歓迎した。そのようなことからグラハムは、既にこの店の常連となっている。


「おう、親父! 麦酒エールのお代わりをくれッ!」


 盛大に手を挙げるまでも無く、大男二人はこの場で目立つ。

 すぐに給仕の少女が駆け寄ってきて、二人に大きな木の杯を渡してくれた。


「ナディアを抱こうとか、そういったことは考えていないのだが……」

「いやでもよ、自分からキスしてきたってこたぁナディアさまは、その気なんだろう? 良くわからねぇが第二夫人ってヤツなんだし――抱いてやるのも仕事の一つなんじゃあねぇのか? いやまあ俺なら絶対に抱くね、あんな美人! チクショウ! 羨ましいぞ、この野郎ッ!」


 酔いも手伝っているのだろうが、グラハムは会話の趣旨が時々逸れて行く。


「――だから何度も言っているが、ナディアに関しては形だけのことだ。トラキスタンの皇位継承権を放棄したと見せねば、彼女が争いに巻き込まれるからな」

「ああ、いや――だからよ。それはでかぶつ、お前がそう思っているだけだろう? 話を聞いてるとナディアさまは、どう考えてもお前のことが好きだと思うんだが?」

「いや、しかし」

「しかしじゃねぇよ。抱いてやれって」

「だが、俺はローズに約束をした。それは形だけのことなのだと、だから手を出さぬと!」

「だけどキスされてるとこ、見られちまった訳だろ? もう駄目じゃねぇか」

「それは、そうだが……」

「じゃあ、ローザリアの方を抱いてやれよ」

「それは駄目だ! 今の状態で主君を穢す訳にはいかん!」

「おう、そうか。だがそうなると、今のローザリアは悲しい訳だ。そこに付け込む男が出てこないとも限らんが……」

「そ、それは、困る……彼女がドレストス王になる以上、相応の身分の者が相手でなければならんし……だいいち……ええと……」

「ああ、オイ! 煮えきらねぇな、てめぇも! ローザリアには手を出してやらねぇ、ナディアさまも一緒に暮らしていながら放置――まあ、ミシェルさまとはやることやったようだけどよ……お前、ホントは誰が一番好きなんだ!?」

「そ、それは……」

「お、もう空じゃねぇか。おーい、お代わり!」


 再び木の杯が二つ運ばれると、グラハムは言った。


「まあ、なんだな――話だけ聞いてると、お前さんの気持ちはともかくとして、ナディアさまが一番可哀想だぁな」

「そうか?」

「だって考えてもみろ――父親を殺され、兄弟で国を分けての戦争の最中だ。遠い異国で寂しい思いをしているだろうよ」

「それを言ったら、ローズだって……」

「アイツにゃ“鉄血騎兵”……じゃなくてだな……ああ、まあ……要するに俺達が付いてるだろ、とにかく心配ねぇ」

「では、ミシェルも……」

「あの姫さまにゃ、イゾルデってぇ頼もしい将軍がいるだろ? だいたいお前さんの子供を身籠ってんだ――女としちゃ、まあ勝ちだろう。だから、ナディアさまなんだよ。あの人にゃあ、お前さんしかいないんだって。だからよぉ、優しくしてやれよ」

「しかし、それではローズが……」

「なあ、でかぶつ。男は星の数ほどいるんだぜ? ローザリアがお前さん以外を選んだって、俺は良いと思うがね。

 もちろん二人の気持ちってヤツが一番大切だとは思うが、お前の手は何本だ? ナニは何本付いてやがる? だいたい団長――じゃあねえ……ローザリアは、お前が幸せにしてやらなきゃならねぇ程度の女かよ? ――俺には、そうは思えねぇな! アイツは勝手にでかくなって、勝手に幸せになる――俺達の屍を越えてでもよッ! うわはははッ!」

「そうかも……な」


 ウィリスはぐびりと麦酒エールを飲み下し、小さく頭を振った。

 確かにローザリアを幸せにするのは、自らの理想であり目標のはずだ。

 自分はそれを助けることが幸福で、だからこそ彼女の為なら命も惜しくは無い。

 

 しかし、その逆はあってはならないことであろう。

 だからローザリアが自分に目が眩み、その目標を見失うようなことがあれば本末転倒だ。

 そう――なりかけていたような気さえする。

 自分はローザリアが居ればそれでよく、ローザリアもまたそうなったら……。

 

 ウィリスの背筋に悪寒が走る。 

 ローザリアの大義が自分への愛に負けるなど、考えるだに恐ろしかった。

 ただ、そうなったとき自分はどうなるだろう。

 歓喜にうち震えるのだろうか? 

 そうして国を捨て、民を捨て、グラニアの暴政に目を瞑って何処へ行く?


 俺の大義は、その程度のものか? 

 ゲートリンゲンやブラスハルトに対する恨みは?

 忘れるものか。あの日の屈辱は、何倍にもして返してやらねば……。


 何とは無しにグラハムともう一度乾杯をして、ウィリスは店を後にする。

 日も暮れていた。けれどナディアが、まだ夕食を食べていないような気がして……。


 きっとナディアのことだから、またも部屋の隅で小さくなって、自分を待っていることだろう。

 彼女に寂しい思いをさせるのは、もう止めだ。

 その代わりローザリアへの忠誠を新たにし、彼女に対する劣情を封印しようと誓うウィリスなのであった。

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作者のやる気が上がります!


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