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7 氷刃のイゾルデ

 ◆


 ――時は、僅かばかり遡る。


 風が吹き、雲が月を隠す。晩秋の夜に揺れる野原の草が、不穏の音を響かせていた。


 豪奢な馬車に、付き従う騎士が六騎。そのうち五騎は全身を漆黒の鎧で覆っている。

 彼等はウィリス・ミラーを付かず離れず、見守っていた。

 任務は彼が国境の外に出たら、即座に抹殺すること。命令を下したのは、ロウ・サム・ゲートリンゲン元帥である。


 騎士は面頬を上げ、欠伸を一つした。黒甲を纏わぬ、ただ一人の騎士だ。

 彼はつい先ほどウィリス・ミラーが狼の集団に囲まれた時、「このまま殺されてくれれば、仕事が楽になるのに」と思っていた。

 奇妙なところで、ウィリスと意見が一致している。


 しかし狼は騎士やウィリスの期待に応えることなく、去ってしまう。当のウィリス・ミラーは再び薪を集め、せっせと焚き火を作っていた。

 この分なら今日はもう動かないだろう――そう思って騎士は主に今後の提案をするべく、馬車の窓に顔を寄せる。


「閣下、今宵はもう動かないでしょう。我らも休むべきかと」

 

 窓から覗く主の目が、僅かに揺れる。一瞬だけ、視線が騎士に注がれた。その瞳は、蒼く澄んでいる。ある者が見れば超然として動じないと言われ、また別の者が見れば蠱惑的だと評される瞳だ。

 騎士は、どちらかと問われれば、超然としている――と答えただろう。

 到底、彼女が身体で将軍位を買った女――などと云う噂を信じる気にはなれない。


 騎士の名はジョセフ・アーサー。彼にとって馬車に乗る人物は、上官に当たる。

 彼女の瞳は今もまだ、ウィリス・ミラーに注がれていた。きっと、一挙一動を見逃すまいとしているのだろう。

 しかし――物憂気な表情だ。いったい何を考えているのだろうか。


「閣下――う○こでも我慢なさっているので?」


 急に扉が開く。馬と共に蹌踉けたジョセフは、「あわわっ」と情けない声を上げた。


 その時だ、下方の村で火の手が上がった。ほぼ同時に、ウィリス・ミラーが駆けて行く。

 ジョセフは慌てた。慌て過ぎて面頬を上下に動かすという、無意味な動作を繰り返している。

 これでイゾルデ・ブルーム軍にその人ありと謳われる騎士なのだから、失笑ものだ。


 とはいえ、彼の一騎打ちに於ける戦績は、八勝〇敗。全ての敵を討ち取ってのことである。

 また、ジョセフは体格こそウィリスよりも二周りほど小さいが、槍を繰り出す速度であれば、彼に勝っている。彼の珍しい緑の髪色から「緑槍ジョセフ」と呼び、恐れる敵もいるほどだ。

 しかしまあ、上官であるイゾルデ・ブルームは、「馬鹿でさえなければ……」と苦虫を噛み潰している……。


 ともあれ、ジョセフはウィリス・ミラーが他者と接触する場合を、想定していなかった。

 なにもこれは、彼が馬鹿だからではない。

 常識的に判断した場合、ここ、旧ドレストス領で馬車から降ろされたなら、すぐにもソドム王国へ抜けると考えられたからだ。


 それにウィリスの性格上、短時間で他者と交流することも考えられない。見失うことなく後を付ければ、機会はすぐにやってくると皆の意見も一致している。


 もっとも――なぜソドムに入ってから殺さなければならないのか――その理由が当初、ジョセフには分からなかった。これは彼が馬鹿だからだ。

 もちろん、彼の上官は簡潔に答えている。


「そんなもの――ゲートリンゲンがソドムと戦争をしたいからに決まっているだろう」


 ジョセフはポンと手を打ち、上官の慧眼を褒め讃えた。

 

 しかし今は、それ所ではない。ウィリスの行動を上官に報告し、指示を仰がなければ。

 

「ウィリス・ミラーが村に向かいました。如何いたしましょう?」


 ジョセフは馬車に寄り添い、上官に問うた。

 やはり超然として見える瞳のまま、上官は答える。


「ふむ……村が賊に襲われたとみえるな」

「はっ。恐らくは助けに入ったのかと……」

「相変わらず、無駄な正義感を持ち合わせている」

「そのようで……ご指示を頂けますか?」

「ふふ、だが、好都合ではないか。暫く経った後、不死隊アタナトイを突入させよ。賊もろともウィリス・ミラーを始末するのだ。無論、村人も殺すのだぞ」

「村人も……ですか?」

「仕方がなかろう、全てを賊の仕業に仕立てるのだ。村人が生きていては、証言される恐れがあろう」

「……ぎ、御意。しかしそれでは、元帥閣下の策が成りませぬが?」

「構わぬ。あの男の下世話な野心に付き合わされて、犬死にした兵のいかに多いことか。無意味な戦さなら、避けるべきであろうが」

「村人の命と引き換えにしても、でありましょうか?」

「簡単な数の問題だ。戦さになれば、万の命が失われる。ここであれば、二百にも満たぬであろうよ」

「そ、そのようなものでありましょうか……?」

「そのようなものである――まあ、あの男は怒るであろうが……」

「か、閣下……?」

「ん? ああ、これは失言であったな」


 暫し、馬車の中にいる人物は顔を伏せた。再び顔を上げると、ジョセフに命令を下す。


「頃合いだ、ジョセフ――不死兵アタナトイ共に命じよ」

「御意ッ!」


 ジョセフは馬車から離れ、黒甲を纏った五人を集めて言う。


「村に居る者を全て殺せ」

「……家畜に至るまで、でしょうか?」


 くぐもった声が聞こえる。冷酷な、まったく情の無い声だ。


「人だけでいい」

「では、順番は如何いたしましょう?」


 別の声も、くぐもっている。

 黒甲の騎士達は、全員が面頬を下ろしていた。

 ジョセフは威圧を覚えたのか、寒風が吹いているにも関わらず、冷や汗を額に浮かべている。


 戦さが近づいた途端、黒甲の全員から漏れ出す気配が変わった。

 ジョセフですら全員と戦ったら、怪我くらいしちゃう――と感じている。

 これが不死隊アタナトイかと思えば、流石の彼も冷や汗程度は出るのだろう。

 というかジョセフは戦場に出て、毛程の傷も付けられたことが無い。それが自慢である。

 そしてそれは一切の恐怖を排して前進し、傷を負っても止まらないウィリス・ミラーの対極でもあった。

 

「順番とはなんだ?」

「殺す順番にございます……」

「そんなもの、どうでも構わん」

「ですが、ウィリス・ミラーを殺すことが任務と心得ておりましたので……」

「全員殺すなら、同じ事であろうッ! それとも臆したかッ!?」


 ジョセフが全員を見据え、吠える。並の兵なら縮み上がる所だ。しかし不死隊アタナトイは平然としている。ジョセフは、ちょっぴり自信を無くした。


「いえ――臆しませぬが、相手はウィリス・ミラー。順番を間違えれば、全滅の恐れもあろうかと」

「何をバカなッ! 貴様等とて不死隊アタナトイであろうがッ!」

「はっ」

「――武器を手にした者から殺せ。脅威を感じる者からだ。まさか貴様等、素手のウィリス・ミラーが脅威とは言わんだろう!?」

「さて……やってみなければ……」


 ジョセフは頭を振り、五人に「さっさと行け」と促した。「もうこんな部下、イヤ」と思っている。


 一方、黒尽くめの五騎は横一列に並び、整然と胸に左手を当て、一斉に駆け出した。瞬く間に、目標の村へと迫っている。


 馬車の中で女は満足げに頷き、微笑を浮かべていた。


「私も状況を確認する」

「御意」


 ジョセフは頷き、御者を呼んだ。

 御者が馬車の扉を開き、恭しく頭を垂れる。


「閣下、足下にお気を付け下さい」

「分かっておる。老婆ではないぞ」


 馬車から降りた人物――ジョセフの上官とは即ち、帝国に八名いる将軍の一人、イゾルデ・ブルーム。

 かつて筆頭将軍であったウィリス・ミラーの副将を幾度となく務め、最後に裏切った――“氷刃のイゾルデ”の異名を持つ、美貌の女将軍である。


「本当に、よろしかったのでしょうか?」


 ジョセフが下馬して、イゾルデの側に侍った。


「ああ……構わん。混戦の中であれば、ヤツとて生きる道もあろう……」


 遠くで交わされる剣戟を見つめながら、イゾルデは長い黒髪を掻き上げる。その蒼い瞳には、遠くでぶつかる剣と剣が放つ火花が映り、弾けていた。


 それにしてもイゾルデの衣服は、将軍というには程遠い。彼女の憂いを含んだ美貌と、身に着けた緑と白のドレスが相まって、伯爵夫人とでも言った方が信憑性がある。

 それに彼女の右目の下にある泣き黒子が、何とも言えない大人の色香を放っていた。

 もっとも――腰に吊るした剣が異彩を放っているし、何より羽織った紫のマントが、彼女の地位を雄弁に語っていたが……。


 ジョセフがまたも、面頬を上下に揺らしている。

 これは、彼が動揺した時の癖だった。


「閣下は――ウィリス・ミラーを逃がすおつもりですか!?」

「いかんか?」

「――とは申しませぬが、そのような事になれば、元帥にどのような申し開きをなさるおつもりですかッ!?」

「さあな」

「さあな――とはッ!?」

「知ったことか――という意味だ」

「そんなことは、分かっておりますッ!」


 イゾルデは手の甲を口元に当て、カラカラと笑った。


「元帥閣下より預かりし兵を損ねますれば、厄介なことにもなりましょう。ましてや実験段階の不死隊アタナトイであれば、尚更……」

「ふん――お前が心配することでもあるまい」

「そうおっしゃいますが、今や元帥の権力ちからは絶大です」

「私の身に危険が及ぶとでも?」

「……憚りながら」

「――心配するな。自分の力で戦争が出来るようなら、ヤツも私のような者を飼ってはおるまい。だからな――」

「だから?」

「こんな言葉を知っておるか?  狡兎死して走狗烹らる――」

「仰る意味は分かりますが……」

「ならば、良いではないか。走狗である私としては、なるべく兎を残しておかねばな。ふはははっ!」


 再びカラカラと笑うイゾルデは、腰にぶら下げた剣を抜いて夜空に翳した。

 刀身が黒く輝いている。彼女には長過ぎる剣だ。


「閣下、その剣は?」

「ああ……昔な……ウィリスから貰った」


 剣の平に指を当て、イゾルデは剣を貰った当時を思い出していた。優し気な微笑を浮かべている。

 稽古をして、互いを高め合って――友情の証として剣を贈り合ったのだ。

 あの頃はお互いに、まだ若かった。どちらもまだ平民で、百人長になったばかりだったはずだ。


 イゾルデは奴隷の身から成り上がったウィリスを、敬慕していた。

 ウィリスもまた、平民から成り上がった自分を敬慕していると思っていたのに……。

 しかしウィリスは、皇族の女と婚約をした。それも、嬉々として。


「ウィリス・ミラー、私が欲しかったものは……」


 ジョセフはウィリスの名を呼びながら剣を見つめるイゾルデを見て、首を傾げた。

 この顔は、まるで恋する乙女だ。おかしいだろう――と思う。


 イゾルデ・ブルームは身体で将軍位を買ったと云われる半面、“恋をしない女”とも言われている。その彼女が、この表情だ。

 ジョセフはイゾルデの副官になって久しいが、こんな風に物憂い彼女は初めて見た。男として、少し悔しくすら思う。

 だから問うた。馬鹿だから、空気など読まない。忖度など論外である。

 

「閣下ってミラー将軍のこと、好きですよね? なのに何故、裏切ったのですか?」


 ジョセフは、己の問いをすぐに後悔した。その答えが、思いの外激しいモノだったからだ。

 

「……たとえ皇妹と云えども、あの男を誰かに渡す気など無い。渡してしまう位なら、殺した方がマシだ……」


 イゾルデもまた、驚いている。口にしてみて、初めて己の本心に気付いてしまったのだから。

 しかし――すぐに表情を崩し、いつもの通りカラカラと笑う。


「――などと言うと思ったか? 時代の流れだ。私は常に強者に付く。処世術だよ、他意はない」

「ですよね〜ははっ」


 ジョセフは苦笑したが、しかしイゾルデ・ブルームという人の底に、僅かばかり触れた気がする。

 やっぱりこの人は、凄く恐い――と結論づけたジョセフは、ビシッと村の方を指差した。


「おっと、閣下! 大変ですぞッ!」


 ジョセフは目の前の恐怖を逃れる為にこそ、現実の問題を直視するのだ。軽薄な最強が、彼のモットーである。


「閣下、不死隊アタナトイが崩れ始めていますッ! あの賊共、中々に強いッ!」

「ほう? アレはただの盗賊ではないな……傭兵か。不死隊アタナトイが全滅したとなれば、流石の私も言い訳ができんッ! 行くぞ、ジョセフッ!」

「御意ッ!」 


 このとき、イゾルデの動きは素早かった。ジョセフの馬に飛び乗ると、颯爽と駆けて行く。

 ジョセフはすぐに後を追おうとしたが、馬を奪われてはどうにもならない。

 仕方なく予備の馬に跨り、彼は夜の闇を斬り裂き疾駆した。


「閣下ぁ〜! 置いてかないでくださ〜いッ!」

ハイファンタジー、日刊ランキング入りしました。

ありがとうございます!


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作者のやる気が上がります!

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