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69 揺れる想いは小舟のように……

 ◆


 スカイハイを制圧しても、ローザリア達に休む暇など無かった。

 すぐにもドレストスを奪還すべく、軍を移動させなければならない。

 その為には補給の手配や傷ついた将兵の治療など、やるべき事はいくらでもある。


 もっとも――そんなカラード軍の様子とはうってかわり、ウルド軍の幕舎は連日のお祭り騒ぎだ。

 彼等は遠征を成功させた喜びを爆発させて、毎日の酒盛りを楽しんでいる。

 ウルド軍の将など陽動の為の攻撃命令を下しただけだと言うのに、大した浮かれようであった。


 とはいえエンツォだけは、そんな配下の将を見て頭を抱えている。

 

 そもそもウルドの方針は宗主国としてミリタニアを支配下に置く――というものだ。

 しかしながら今回の戦さで力を示したのはミリタニアの属国たるカラードであり、ローザリア・ドレストスである。

 もちろんローザリアはウルド公ネイの配下であるから、この戦勝は翻ってウルドに帰することは当然。

 なのだが……流石にこれではローザリアの功績が巨大過ぎる、というものであった。


 そもそもローザリアは去年、カラードを制圧している。

 これだけでもウルド軍中にあっては、最大の功績と言えた。

 その上ミリタニア戦役にも参戦し、破竹の快進撃を見せたのだ。

 

 まず彼女の配下であるナディア・リュドミール・ミラーががルクソー砦を無力化すると、ローザリア本人はゲディミナス侯を説得し、シラク軍を動かした。

 最終的に彼女はスカイハイ陥落に大きく貢献し、ミリタニア王アルギルダスを降伏させている。


「やれやれ。これではどちらが援軍か分からないね……」


 論功行賞を考えれば、間違い無く筆頭はローザリア・ドレストスだ。

 そして彼女の配下たるナディアとウィリスが、これに次ぐこととなろう。

 当然のこととはいえ、これでは旧来からのウルド軍の幹部が臍を曲げる。


 加えて今後のミリタニアに関して、方針を定めねばならない。

 本来なら急ぎアルギルダスからイサークに禅譲して貰わねばならないのだが――ゲディミナスはウルドの全軍が駐留している状態では執り行いたく無いと言う。


 当のアルギルダスはローザリアに降伏したのだから彼女の意に従いたいとの意向を示しており、厄介な事だが、そのローザリアがゲディミナスに賛成しているのだった。


 十中八九、ローザリア・ドレストスとゲディミナスの間には、ウルド公国を介さない何らかの同盟関係が存在する。しかしだからといってそれを暴き、責め立てることも出来なかった。


 そうしてエンツォが頭を抱えていると、ウルド軍の総司令部と化したミリタニアの王宮の一角にローザリアが現れて……。


「エンツォどの――お願いがあります」


 ここはかつて、大臣の一人が執務室として使っていた部屋だ。

 瀟酒な黒檀の机があり、背後に大きな窓が広がっている。

 以前は重厚な椅子の背後、その左右にミリタニアの国旗とグラニアの国旗が据えられていたようだ。

 しかし今ではグラニアの国旗が破棄されて、ウルドの国旗に入れ替わっていた。


 そんな室内を眺めてから、ローザリアは一息に言った。


「我らカラード軍を、このままドレストス領へ侵攻させて下さい。冬までに奪還を果たしますので、それまでの間――補給をお願い致したく存じます!」


 白銀の鎧で完全武装をしたローザリアは、許可を貰えれば今すぐにも出て行きそうだ。

 エンツォとしても願ったりなローザリアの申し出であった。


 恩賞に関することで時間を掛ければ、カラード軍とウルド軍の間に亀裂が生じることは間違い無い。

 そこでローザリアが再び出征すれば、少なくとも彼等が顔を会わせることは無くなるのだ。


 しかし大きな問題があった。

 

 もしもローザリアがドレストスを手に入れたなら、その功績はますます比類無きモノとなる。

 これに報いるなら現在の領地は当然の事、奪還したドレストスも与えねばならないだろう。

 だとすれば、その領土はウルド公国を凌ぐこととなる。

 これを宗主国としてウルドは、果たして認められるだろうか……分からない。


 だからこの日、エンツォは答えを保留にした。


 だが――数日してローザリアは再びエンツォの下を訪れ、自ら妥協案を口にする。

 彼女も領土問題の歪さに気がついていたらしい。

 そして今回はウィリス・ミラーも、彼女は側に伴っていた。


「ドレストス奪還は私の悲願――これが叶えば、カラードの領地はウルド公に返上致したく存じます」


 エンツォは顎に指を当て、「むぅ」と唸る。

 有り難い申し出には違いない。

 

「それならば、構わないよ」


 そう――言いそうになった。

 しかし駄目なのだ。簡単には了承出来ない。

 これを認めてしまえばウルドはローザリアの功績に対し、これ以上報いることが出来ないと認めるようなものだからだ。


 信賞必罰こそ戦時、武門の依って立つところ。

 勲功に対し報いるところが少ないと思われれば、以降――ウルドに味方する諸侯はいなくなるだろう。


「うーん」


 なおもエンツォが唸っていると、ついにローザロアは地団駄を踏んだ。まるで兎のストンピングである。


「グラニアがムスラーやゴードと戦っている今が、絶好の機会なのです! 今行かねばドレストスをいつ取り戻せるかッ! だいたいドレストスがウルド側に付けば、それだけネイさまだってやり易くなるでしょう! エンツォどの、悩んでいる場合ですかッ!」


 至極もっともな意見で、エンツォはぐぅの音も出ない。

 ローザリアの横に立つウィリスが、肩を竦めて言った。


「カノープス子爵。俺はローザリアさまの意見に賛成だ――付け加えるのなら、援軍を賜りたい。そうすればカラードをウルド公にお返しするにあたり、そういうこと(・・・・・・)に出来るのではないかな?」


 エンツォは立ち上がって、ボンヤリと窓の外を見た。

 

「そういうこと、か……」


 エンツォが苦笑している。

 言葉の意味を理解したとき、彼は呆れるよりも先に納得したのだ。

 彼等は最初から、これが狙いだったのだと。


「ウィリス――君が策士だとは知らなかったよ」

「人間、三十年近くも生きていれば、多少は知恵も付く」

「そうか。まして苦渋の連続であれば……尚更だね」


 エンツォが頷いている。

 実際「そういうこと」にしてしまえば、実に都合が良かった。

 そもそもウルド公ネイは最初からローザリアのドレストス奪還を支援していたのだから、ここで僅かでも援軍を送れば、体裁は整う。

 となればローザリアがドレストスを取り戻した後、ウルドにカラードが返却されても当然だ。世間からの誹りも無いだろう。

 ただ問題は――ローザリアが根拠地となったカラードを素直に返すかどうか――だが。


 とはいえ激変する世界情勢を考えたとき、自らの影響下にある国家を多く持つ事は有利になるだろう。

 ましてやウルド公国としては、次の目標をトラキスタンの制圧に置いている。


 制圧と言ってもトラキスタンを併合するなど、無謀なことを考えている訳では無い。

 相手は自国の何倍も広い国土をもち、数倍の人口を擁する国家。迂闊な併合は、自らの喪失に繋がりかねないのだ。

 となれば方策は一つ。ウルド王となりトラキスタン帝国の宰相位に就く――これしか無い。


 だからまずはトラキスタンに対しグラニアの策略を持ち込んだレオニードと、彼と組む第二皇子を排除する。

 その際、第一皇子に手を貸してトラキスタンを再統一すれば、ウルド公国のトラキスタン帝国に対する影響力は絶大なものとなろう。

 まずはこれを足がかりとする――それがウルド公の狙いであり、次の目標だった。


 特に帝国の実権を得てウルドが欲しているのは航空兵力の指揮権、及び編成の権利である。

 ネイはトラキスタンの獣飛兵グリフォンを、喉から手が出る程に欲していた。


 獣飛兵グリフォンさえあれば、グラニアの竜騎兵ドラグーンにも対抗出来る。

 というより獣飛兵グリフォンなくして、グラニア帝国に攻め込むことは出来ないだろう。

 ネイは、そのように考えていた。


 ムスラーやゴードのような北西の公国ですら持つ航空兵力を、大陸中部の中小国家群は持っていないのだ。

 それは偏にグラニアとトラキスタンの密約のせいだと言われているが、どちらにしろ、この軛から抜け出さねばウルドに独立独歩の未来は無いのである。


 要するにネイはグラニアがムスラー=ゴード連合軍を国外へ叩き出す前に、トラキスタンの内戦の決着を付けたいのだ。

 欲を言えば自前の獣飛隊グリフォンを編成して、グラニアに対しウルド一国でも対処出来る程の軍事力も身に着けたいのだった。


 だがローザリアがドレストス奪還に手間取った場合はどうなる?

 エンツォは脳内で計算した。

 もともとトラキスタンの内戦を集結させる為の兵力としても、ローザリアの軍は必要だ。

 それがドレストス奪還に手間取れば、ウルドの兵さえ割くような事態ともなりかねない。


 しかし……その様な悩みを見透かしたかのように、ローザリアが笑みを浮かべて言った。


「エンツォどの! 心配しなくても大丈夫です! 我らが五千の兵で入り軍旗を掲げて行進すれば、ドレストスの民は皆たちどころに我らへ靡きましょう! 三月で奪還してみせると――ここにお約束致します!」


 小さな胸を張り、ドンと叩くローザリア。

 その姿は妙に勇ましく、エンツォは思わず頷いてしまったが……。


 実際、ドレストスでは未だに先王を慕う者も多い。

 ローザリアが五千の兵で帰還を果たせば、馳せ参じる者も多いだろう。


 だがそれは、あくまでも楽観的な推測である。

 最悪の場合、五千でドレストスを取り戻す戦いを強いられるのだ。

 その辺りのことをローザリアとウィリスは、軽く考えていないか? とエンツォは思った。

 だから心を鬼にして首を左右に振り、苦言を呈そうとしたところ――。


「まあ――移動に二月ふたつき、戦さに一月ひとつきといったところか。その後、トラキスタンの内戦に駆け付ければギリギリ間に合うだろう?」


 顎に指を当て、呑気な口調でウィリスが言った。

 どうやら彼は全てを見通した上で、ドレストス奪還を口にしていたらしい。

 考えてみれば彼はグラニア最強と呼ばれた将軍で、軍師皇女と名高いナディアを妻にした男。

 となれば見通されて当然か――再び苦笑したエンツォは、ついに諦めて両手を上げた。

 

「やれやれ――本当に君は策士になったらしい。わかった、ウィリス――私の負けだ。ただし軍事行動は三月みつきまでだ。それ以上掛かるようなら、一度諦めて撤退を。ムスラー=ゴード連合軍が敗れた場合も同様だ。

 こちらもいい加減ケリを付けないと、トラキスタンという国が本当に二分するからね」


 不貞腐れたような口調で言い、エンツォは肩を竦めている。もっとも仕草や口調ほど、彼は気分を害してはいないようだった。


「やった! 分かりました!」


 ローザリアは満面に笑みを浮かべ――それからウィリスを見ると――慌てて目を逸らす。

 それはウィリスも同様で、愛し気にローザリアを見た後、何故か慌てて目を逸らしている。

 エンツォは首を傾げ、「何だ、また仲違いでもしているのか?」と不思議に思うのだった。

 

 ◆◆


 エンツォに対する意見具申が終わり、その後の用事も済ませたウィリスは与えられた部屋へ戻った。

 ダイニングには二人分の食事が置かれたままなのに、人の気配がしない。

 ここにはナディアがいるはずだが――と辺りを見回してみる。

 すると広い部屋の隅っこで、小さく丸まった生き物を見つけた。どうやらこれがナディアらしい。


 ウィリスは部屋の隅に同化しつつ、ボンヤリと本のページを捲るナディアに声を掛けた。

 

「ナディア、昼食はいらないのか?」


 今食べれば、夕食にはギリギリ胃袋の空間を確保出来るであろう。いらないのなら、捨てるしかない……。


「ううん、食べるの待ってた」


 パタリと本を閉じて、ウィリスの側に寄ってくるナディア。

 彼女は明晰な頭脳を持ちながらも、積極的にそれを使おうとしない。

 だからスカイハイを占領して以降、ウィリスと共に与えられた部屋へ引き蘢り、彼の帰りをひたすら待つだけであった。

 

 ナディアとしては、そんな日々でも幸せなのだ。

 ここにはミシェルがいない。

 となれば愛する人を、少なくとも家庭においては独占出来るから。

 

 一方ウィリスは朴念仁なので、そんなナディアの気持ちに気付かない。

 今日も悠々とローザリアと昼食を摂っている。

 挙げ句の果てが、この台詞だった。


「いや――昼間は軍務があるからな。だいたいローズと摂るから、俺のことは待たなくていいぞ」


 衝撃のナディアだ。

 ウィリスのローザリアに対する気持ちは気付いている。

 逆にローザリアのウィリスに対する気持ちも知っていた。

 

 けれどナディアだって日々、努力しているのだ。

 少なくとも胸はローザリアよりも大きいし、頑張って着飾れば容姿だって互角だろう。

 性格は確かにちょっと根暗だけど、その位の方が男性には評判が良いと侍女は言っていたはず……。

 なのにウィリスが一向に振り向いてくれないのは、どうしてだろうかとナディアは少し悲しくなっていた。


 一方ウィリスは、ローザリアに対する負い目のようなものがある。

 だから余計にナディアのことを、考えてやる余裕が無いのかも知れない。


 スカイハイ攻略戦の折、火竜から降下する際ローザリアに聞かれたことに、ウィリスは未だ答えていないのだ。質問の内容はたしか、「私のことが、どのくらい好き?」だったか。


 もちろん当初はローザリアに会う度、質問の答えを言おうとしていたのだが――いきなり言ったら変だろう、などと余計な気を回したりもして。


 だんだん「そんなもの、答える必要があるのか? 誰よりも好きに決まっているだろう」――とウィリスは腹が立ってきた。そうしたら、言うタイミングを完全に逃してしまったのだ。

 

 そうこうしているうち、日々顔を合わせながらも互いに忙しいものだから、別々の方向へと去って行く。

 例えば今日のウィリスはトゥースと引見する為、宮殿内にある牢へと移動して。

 ローザリアの方は全軍の補給物資を公正に分配する為、執務室へ籠るなどして。

 とにかく今の二人には、やる事が山の様にあるのだから……。


 このように忙しくしていたら、ウィリスとローザリアの間に妙な距離感が生まれてしまった。


 話したいのに話せない――もしかして避けられている?


 お互いが相手に抱いた感覚が、これであった。

 その結果ウィリスもローザリアも、毎日モヤモヤとして過ごしている。

 とくにローザリアはウィリスとナディアが同じ部屋で暮らしているので、そのモヤモヤがとんでもなく肥大化していったのだ。

 

 そんな中でナディアは、彼等の微妙な空気を察していた。

 彼女だってウィリスが大好きなのだ。何なら彼の一番になりたいと思っている。

 だからこそ今はチャンスとばかりに彼の側へ侍っているのだが……さきほどの発言「待たなくていいぞ」によって心に大ダメージを負ってしまった。


(ミシェルさまは大切な妻で、子供の母親になる人。だからウィリスさまにとって、掛け替えの無い存在。ローザリアさまも敬愛する主君で、やっぱりウィリスさまにとっては掛け替えの無い存在……だけど私なんて……)


 ナディアの胸は張り裂けそうだった。

 ミシェルとウィリスの出会いは運命的。

 ローザリアとウィリスの出会いだって運命的。


 なのに自分ときたら、ウィリスを遠くから見つめていただけ。

 この差はなんだろう?

 いや――この差があるから、自分は愛されないのではないか。

 

 愛されない?

 それどころか自分はもしかして、厄介者に過ぎないのかも知れない。

 大切にされず、愛されず――これでは居候以下じゃないか。


 結局私を理解してくれるのは、死んだ父さまだけだったのかな……。

 ウィリスさまに見放されたら、本当に一人ぼっち。

 でも私なんて、あの日あの時に死んでいてもおかしくないのだから、一人ぼっちでいいのかもね。


 ナディアはポロリと涙を零し、食事の置かれたテーブルの前に座った。


「そう……分かった。じゃあ、一人で食べる……ね」


 俯いて、じっと冷めたスープを見つめるナディアの姿。

 桃色の髪さえくすんで見えて、ウィリスも流石に少し申し訳ない気持ちになった。

 なんだか今のナディアは、ずぶ濡れの子猫のようだ。放っておけない。

 確かにテーブルの上には二人分の食事が乗っていて、ナディアは本当に待っていたのだろう。


 ガリガリと頭を掻いて、ウィリスはナディアの前に座った。


「食べてきたのだが……なんだか腹が減ったな……身体が大きいと、無駄に腹ばかり減る……」


 バレバレの嘘である。

 それからウィリスは冷めたスープを飲み、パンを手に取り齧った。


「ナディアもほら、食べないのか?」


 そんなウィリスを見上げ、ナディアがこくりと頷いて。

 はにかんだ様な笑顔が浮かび、ウィリスはハッとした。

 正面から見たナディアの笑顔は、桃の花が咲いたかの様に美しい。

 今まであえてウィリスは、ナディアの美しさを見ない様にしていたのかも知れない。

 ウィリスは少しだけ上気した。


(まだ……ここにいても、いいのかな?)


 そんなウィリスを見て、ナディアは嬉しかった。

 ナディアの幸せは、ウィリスと一緒にいること。

 ただそれだけで、ナディアは良かったのだ。

 そんな一点集中型だからこそ、ウィリスの心を少しずつでも動かせたのかも知れない。


 ナディアは小さな口を動かして、モグモグとパンを噛みスープを飲む。 

 口の中一杯に、幸せが広がった。

 はにかんだ様に笑みを見せるナディアを見て、ウィリスの頬にも微笑が浮かぶ。

 

「ねえ。このあと今日は、ずっと居るの?」

「うむ、呼ばれなければ……今日はこのまま、ここで過ごすつもりだ」


 食事を終えると、ウィリスはリビングのソファに座った。


 部屋の調度は豪奢だが、決してゴテゴテとしたものではない。

 三階という場所と窓辺から望む美しい景色から考えるに、王族が暮らした部屋であろう。

 もっとも――接収した当初は床一面に血の跡が広がっていた。

 その事はナディアに伏せて、ウィリスがこの部屋を所望したのである。

 ナディアが知れば、きっと怖がるだろうな――と人並みに思ったのだ。


 ナディアがウィリスの隣に腰を下ろした。

 纏めていた長い髪を解き、ウィリスの大きな肩に頭を寄せる。


「ナディア?」

「私も、子供が欲しい……だって……妻だもの」

「妻と言っても、それは世を欺く為のもので……あなたはトラキスタンの皇女だ」

「それはウィリス……あなたの建前……でしょ?」

「しかし……」

「私を抱いても……浮気には……ならない……から」


 茶色の瞳に決意を込めて、ナディアがウィリスを見上げている。


「い、一番じゃなくて、いい……少しでいい……から……好きになって……欲しい」


 ごくりと唾を飲んで、ウィリスはナディアの瞳を覗き込んだ。

 視線を下方に向けると、彼女は衣服の胸元を開けていた。


 いつの間にか窓の外の世界が、赤紫色へと変わっている。

 ナディアの深い胸の谷間も、濃い影を作っていた。

 それはミシェルと違う気品を漂わせて、ウィリスを迎え入れようとして……。

 

 ウィリスは頭を振って、誘惑を払いのけようと理性を総動員。

 しかし夕闇の迫る室内、ナディアの熱い吐息が首筋を撫でれば、否応無しにウィリスの脳内で火花が散るのだ。

 

 さらにナディアが衣服を開けていく……。

 夏の熱気で、ナディアの瑞々しい身体は熟れていた。

 

 ミシェルとは違う――あまやかで艶かしい女性の匂いがウィリスの鼻孔をくすぐって……。

 もちろんローザリアの汗を含んだ甘酸っぱい匂いとも違う――これは……。

 いつの間にかウィリスとナディアは足を絡めて抱き合い、見事なまでに密着していた。


 ウィリスとて不死兵アタナトイであっても、健全な男である。

 ましてや今、ウィリスはローザリアと上手く行っていない。

 もしかしたら、このままローザリアとの関係は終るかもしれないのだ。

 いや――そもそも始まってもいないのだから、終りようもないのだが……。


 ともあれ、そんな状況でこれだ。

 ウィリスでなければ即座に頂きます――だったであろう。


 ともかく今のナディアは、どこまでも魅力的だった。

 小さな唇を上に向けて、何かをせがむようにウィリスを見つめている。 

 応えなければ男ではない――なんていう言葉がウィリスの頭蓋の中で反芻していた。


 金色の夕日が輝く中、ウィリスはナディアを長いソファへと押し倒す。

 と、同時に扉が開く音がして――。


「ウィル――ウィルー? 居ないのかー?」


 咄嗟に顔を横へ向け、ウィリスは闖入者の顔を見る。

 ナディアはウィリスの顔がそらされても、もう止まらない。

 彼の首筋に唇を押し付け、チュッチュッとキスの嵐が始まった。


 見る間に憤怒の形相と化す――ローザリア・ドレストス。

 ウィリスは言った。


「ノックは?」

「した! 返事が無いから入った!」


 憤怒から半べそへ――それからポロポロとローザリアが涙を零すのに、二秒と掛かりはしなかった。

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作者のやる気が上がります!


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