65 不思議な意図の作戦計画
◆
ミスティがスカイハイに潜入する、少し前の事……。
ローザリアがエンツォに提案した策とは、敵を内部から揺さぶり虚を衝く――というものであった。
皆が「おお」と声を揃えたものの、ウィリスは釈然としない。
敵の『虚』を衝く事に関しては、さんざん話し合った。しかし『揺さぶる』とは何であろう?
ウィリスはローザリアと、そんなことを話した記憶など無い。
しかし軍議の席上において、ウィリスはこのことに言及しなかった。
どうあれローザリアは功績を立てなければならないし、その為にはこの案が最も有効だろうから。
実際、この案のお陰でスカイハイ攻略作戦の指揮権をローザリアは得た。
これで大きな失敗もなく都市を手に入れることが出来れば、ネイの意図を無視したことなど、不問にして有り余る程の功績となるのだ。
しかし、だからといってウィリスが納得した訳では無い。
軍議が終ると西門側の自陣へ戻る途上、ウィリスはローザリアに真意を訪ねた。
要するに作戦の根幹――前提条件における『揺さぶり』――の部分である。
「敵を内側から攪乱する策は確かに有効だと思うが、しかしな……誰がどうやって内部へ侵入するのだ?」
「……何とかなる」
「何も、考えていないのか?」
「そ、そそそ、そんなことはない」
「じゃあ、どうするんだ?」
「わ、私にはフレイヤがいる。夜中にこっそり忍び込んで……王宮に炎を浴びせて……だな」
「一人で行くつもりか?」
下唇を噛んだローザリアが、自分の馬をウィリスの馬に寄せる。白馬と黒馬が近づいた。
チラリと視線をウィリスの横顔に這わせ、すぐに彼女はそっぽを向く。
ローザリアは照れていた。目を合わせることが出来ない。
今まで幾度も見つめ合っていたが、喧嘩したのは初めてだ。
だからこそ、仲直りの仕方が分からない。
しかもローザリアは、何も悪く無いのだ。悪くも無いのに謝ってたまるか――と思っている。
だけどやっぱり、仲直りはしたい。本当に自分のことなんて、どうでもいいのか? と思う。
そんなことをつらつら考えていたら、彼の気持ちを確かめる術を、ついにローザリアは見つけた……ような気がした。
そうだ!
二人で危険な場所に行けば、ウィリスがどう動くか。
もしも自分のことを大切に想っているなら、きっと守ってくれるだろう。
つまりローザリアは、今回のことでウィリスを試すつもりになったのだ。
けれど、どうやって彼に来いと伝えようか?
「一緒に来てくれ」と素直に言う?
無理だ。仲違いしているのに、一緒に来いというのは照れ臭い。
だったら懇願? 違う。 哀願? もっと違う。 命令? 近いが、何かが違う。
そうして悩んだ結果、ローザリアは一つの結論に達して……。
結局、怒った様に……ぶっきらぼうな口調で言うのだった。
「ウィルも……私と一緒に来い! それですべて上手くいく!」
ウィリスは頬を指で掻き、苦笑を浮かべている。
無茶苦茶な話であった。
ウィリスには、ローザリアが自暴自棄になったとしか思えない。
たった二人で防備の整ったスカイハイへ攻め込むなど、自殺行為である。
まさか冗談で言っているのか? と思い、ローザリアの顔を覗き込むも――そっぽを向いたままである。
途方に暮れたウィリスは、天を仰いで溜め息を吐く。
「何を考えているんだ」
「何って、中で存分に暴れ、民衆を煽動する。それだけだ」
「まあ、無茶だな」
ローザリアはムッとした。
いつものウィリスなら、言下に否定などしない。
やっぱり自分のことなど、もうどうでもいいのだなと――絶望に胸を締め付けられた。
そのせいか、余計に反発心がムクムクと大きくなる。
「む、無茶なものか! 夜の闇に紛れて宮殿を炎で包むのだ! 敵も焦るだろう! それを見た民衆は、圧政者からの解放だと、諸手を打って我らを歓迎するであろうッ!」
「どこに圧政者がいて、誰が解放されたいと思っている民衆なのだ? 少なくとも東ミリタニアの政治は、そこまで劣悪では無かった」
「むむむっ! でもっ!」
「でも、ではない。やれというなら、俺だけで行こう。フレイヤで中まで送ってくれれば、それでいい」
「何を言っている、ウィル! 二人で行かなきゃ意味がないのだッ!」
「お前を危険な目に遭わせる訳には、いかない」
ウィリスの決意に満ちた横顔が、ローザリアの視界に入った。
思わず背けていた顔を、戻してしまったのだ。
途端――ローザリアが両頬を膨らまして涙目になる。
このままでは、ウィリスだけを危険な目に遭わせてしまう。
そんなことは、断じて嫌だ。
ローザリアの胸に罪悪感と、ウィリスに対する愛しさが込み上げてきた。
「やだ!」
「我が侭を言うな」
「やだ、やだ、やだ、やだ、やだッ!」
幼児化したローザリアが、馬上で駄々っ子に。
ウィリスが困り果てていると、グスンと鼻水を啜り、ローザリアは言った。
「好きにしろと言ったのは貴様だ、ウィルッ! だから好きにする! 私も一緒に行くからなッ!」
「そ……そういう意味の『好きにしろ』ではない」
「お前は……それ程までに、私と一緒にいたくないのか……?」
「意味が分からんが……」
ローザリアは「ウィルのわからずや!」と泣きながら、一人で走り去ってしまった。
走りながらローザリアは、「どうしよう、どうしよう」と呪文のように呟いている。
幸い護衛の小隊と距離があったため、二人の会話は聞かれていない。
それにしても――泣きたいのはウィリスの方であった。
マシュとかいう男が出来たと思ったら、途端にキレられて……。
せめて臣下として、絶対の忠誠を誓おうと思っているだけなのに、それすら許されないのであろうか、と……。
◆◆
相変わらず、ウィリスと仲直り出来ないローザリア。代わりに彼女は、精力的に仕事を行っていた。その手始めは、全軍の再編成である。
ローザリアはまず、カラード軍五千を手元に呼び寄せた。
次に民兵隊の五千を放出すると、それを二千五百ずつに分ける。
分けた二千五百ずつの民兵隊は、ゲディミナスが指揮する南と東の部隊に吸収させた。
すると――――
北がウルド軍一万。
西がローザリアの混成部隊一万五千。
南がゲディミナスの六千。
東がゲディミナスの別働隊六千。
――――となる。
敵を揺さぶる――という意味では、見事な布陣だ。
ミリタニア側は北か西、どちらがウルド軍の主力か迷うであろう。
だからといって南と東の六千も無視出来ない。
となるとミリタニア全軍一万八千も、分散せざるを得ないというものだ。
実際この時のミリタニア軍は、東と南に二千ずつを配置し、北に七千、西に七千の兵を置いている。
守将は北門がトゥース、西門がラシード、南と東がそれぞれラザールとクレメントだ。
要するに現時点においてミリタニア軍は、迷っていた。
北か西――どちらがウルドの主力か分からないのだ。
つまりローザリアの軍団再編成は、一定の成果を上げたのである。
――――
ちなみにウィリスとローザリアが当初に考えていた案は、西門を攻める自分達が囮として苛烈な攻撃を仕掛け、敵の兵力を集中させる。その隙に北門を攻める主力がスカイハイ内部へ突入し、陥落せしめる――というものであった。
しかしウィリスと仲違いしたローザリアは、さらに思考を進めたのだ。
もちろん、最大の目的が変わっている。
ローザリアは「ウィリスの気持ちを確かめる」という点を最重要視して、作戦を立てることにした。
そこで重要なのが、ナディアの存在である。
彼女は遠ざけておけば良い、というモノではない。自分とナディアに対するウィリスの態度を比べる為にも、側に置いた方が良いだろう、とローザリアは考えた。
もちろん副次的な理由として、カラード軍をエンツォの下へ置いておけば、北門攻めの先鋒に使われるかも知れない――これを嫌った、という点もあるが。
つまり、だからこそローザリアは軍団を再編成したのだ。
これをエンツォが止め得なかったのは、目的がどうあれ、これが敵に一定の脅威を与えたからである……。
そうして軍の再編成を進めるうちにローザリアの頭は、絶望と希望の入り交じったサイケデリックなお花畑になっていた。
何と言うか、これを起点として更にウィリスとの仲を深められるのでは? と希望を抱き……。
同時に、あんなにモテるウィリスが、自分のことを好きなんてある訳が無いと絶望した。
最初は「ウィリスの気持ちを確かめたい」だったものが、大した変化である。
ただ、ローザリアは元来が楽天的。
従って希望を優先し、思考を進める事にした。
となると……。
例えば危険な状況でウィリスと二人きりになるなど、実戦の現場に出ないミシェルやナディアでは不可能である。
ならば、今こそ二人に差をつける絶好の機会と考えたローザリアは、『二人でスカイハイを攻めたら、キャーッって言ってしがみつこう!』と固く決意。これぞ私の価値! 私だけの特権! と鼻息を荒くした。
つまり彼女は当初の予定を変えず、「吊り橋効果」を狙うことにしたのだ。
何しろスカイハイの中枢に二人で攻め込めば、間違い無く互いの命を預け合う事となる。
そうなれば、二人の間には絶対の絆が生まれるはずだ。
男とは危機的状況にあれば、本能で女を求めるという。
完璧だ。これならイケる――とローザリアは考えた。
だが――彼女は間違えている。
吊り橋効果とは、危地に動じずに対処する男性を頼もしく思い、女性が恋に落ちるもの。
ということは上手く行った場合、ローザリアが更にウィリスを好きになってしまうだけのことであり……つまりは本末転倒なのである。
はっきり言ってローザリアは、ウィリスが絡むと狂ってしまうようだ。
ましてやミシェルが妊娠中、ナディアが第二夫人の地位を確固たるモノにしたとあっては、いかなローザリアといえども冷静ではいられない。
もっとも彼女自身はまだ、これが嫉妬による狂気だと気付いていないのだけれど。
さて、そのローザリア。軍団の再編成が終ると、いよいよ自らの作戦をカラードの諸将へ相談することにした。
先日ウィリスだけに語ったところ、言下に「俺だけで行く」などと言われてしまった為、外堀を埋めることにしたのだ。
もちろんあの時は、「ウィリスの気持ちを確かめる」目的であった。
けれど今回は、「ウィリスとの仲を深める」のが目的だ。
要するにローザリアはウィリスの気持ちを諦めた、ともいえる。
だからこそ、これからが勝負だと思ったのだ。
一方カラードの諸将はローザリアがどのように敵を攻めるのか、期待と不安を胸に秘めて本陣の天幕へと集まった。
もちろんローザリアは、ウィリスと共にスカイハイへ乗り込む案を、皆に承認させようと思っているだけだ。諸将にしてみれば、不安的中といったところか。
「敵を混乱させようと思ってな。私とウィルで、ちょっとスカイハイの中を攻めてくる」
天幕の中、カラード軍の諸将は首を傾げた。
確かに堅城を破るには、古来より内部から崩すのが上策と言われている。
しかしこれは、どう考えても下策であった。
何より言い方が酷い。これではまるで、「身体が臭うのでな。二人で、ちょっと近所の浴場へ行ってくる」みたいな感じだ。
「えと……ローズ……いいえ、ドレストス伯。あなたって、バカなのかな?」
目を瞬き、長い睫毛を上下させて、残念エルフのサラが言う。
当然ながらローザリアは、ムッとする。しかし答えない。他の意見を待ってみる。
「浜辺で作った砂城じゃあ……ないんだから……ウィルを危険な目に……遭わせないで」
次はウィリスの巨体越しに、桜色の髪が揺れた。ナディアだ。
フードなど被っていない方が綺麗だと、ウィリスが言ったらしい。
以来――彼女は鮮やかに華やいだ美しい髪を、決して隠さなくなったという。
ああ、イライラする。とローザリアは目を細めた。
今、もしもローザリアの頭に水が入っていたならば、瞬間的に熱湯が出来上がったはずだ。
「なんだとッ、ナディア! だったら、お前が案を出せッ!」
「いいけれど……」
言われて、即座に緑の目を逸らすローザリア。今度は思考が急速冷凍だ。
天幕の中って、暑いなぁ〜〜……。
そうだ、アイツ、軍師皇女と呼ばれてた。私より軍略、優れてたっけ。作戦がこのままじゃ覆る、やばい、やばい、やばい。
そこに都合良く助け舟がやってきて……。
「その……閣下が単騎で向かう目的は、何でしょうか? 確かに竜騎士と不死兵ならば、一定の成果が得られるかも知れない。ですが、いたずらに攻め入れば、逆に敵が堅く扉を閉ざす恐れもありましょう」
イゾルデの青い瞳が、ローザリアの心まで見透かす様に揺れている。
実際イゾルデはローザリアの中に、軍事目的以外の何かがある事を見抜いていた。
一方ローザリアも、イゾルデの美貌を見てブルリと身震いしている。考えてみれば、彼女もライバルであった。
正直言って、何一つイゾルデに勝っているところが見つからない。
せめて胸の大きさを強調する鎧を着るのは止めてくれ――と言いたいローザリアであった。
そんなことを考えていたから、いつの間にかローザリアの声は力を失っている。
「……目的は、敵を揺さぶること。とくに目の前の西門から、敵兵の数を減らしたい。損害を出さずに勝つ為には、門を破らねば話にならないのだ」
嘘ではない、今、彼女は勝つ為の方策も考えていた。
思えば目的の主と従が逆転していたことに、イゾルデの視線が気付かせてくれたから。
そうだ――私の目的は、ここで勝ってドレストスに進むこと。
何にかまけておったのだ……くそッ!
後にローザリアは軍事的天才と評され、その華麗なる戦績の一つにスカイハイ攻略戦も含まれるのだが……その端緒が、この言葉に現れていた。
「損害を出さずに勝つ」
実際に今のローザリアは、本当に勝つ方法を計算し――導き出しているのだ。
皆がガヤガヤと騒ぐ中、ローザリアは立ち上がり、真剣な眼差しでスカイハイの見取り図を睨んでいる。
ええと……そうだな……西門の兵を四千――いや、せめて五千には減らしたい。
そうすれば私とウィルで閂を開けて、跳ね橋を落とす事が出来るはず……。
うん、門が開けばあとはハンスとリリーを先頭にして、うん……いける。
ボソボソと言うローザリアの姿に、皆が思い思いに考え始めて。
だがそのとき、ローザリアが「あっ!?」と額を押さえた。
ローザリア、一生の不覚。
「やっぱり駄目だ。勝つには、内部に侵入するのは別の者がやらねば。どうにか西門の兵を五千に出来れば、私とウィルで門も跳ね橋も破壊出来るのだが……」
そんなときミスティが、何かの干物をモグモグしながら口を開いた。
「内部工作でふか? ……我なら出来るやも……知れませぬ……何これ、かったいなぁ……駱駝肉……」
ギンッ――とローザリアがミスティを睨む。
ローザリアは「ウィリスに好かれよう計画」を軸に置きつつも、いかに人的犠牲を抑えてスカイハイを獲るか、凄まじい集中力で考えている。
何だかかんだで、ローザリアは何処までもローザリアなのだ。
「ミスティ、詳しく」
ローザリアが口元に手を当て、身を乗り出して問う。鬼気迫るモノがあった。
周囲の空気が冷えた様な、そんな錯覚さえある。今の緊張感は、エンツォの軍議より遥かに勝っていた。
流石にミスティも干物を懐に仕舞い、威儀を正して口を開く。
「……はい。中に入るなど、コウモリになれる我なら雑作も無く――ましてサキュバスである利点を生かせば、王なり重臣なりに取り入って、兵を動かせるのではないかと」
ローザリアが「むぅ」と唸る。激しく巡っていた勝つ為の思考が、完結したらしい。
今度は「ふんふん」と首を縦に振り、ニンマリと笑う。
これなら計画に、大幅な変更は必要ない。
要するにウィリスと二人きりになることも、この策ならば可能だと判断した。
ただ――ローザリアはミスティが心配だった。
彼女は「サキュバス」という種族の意味が、よく分かっていない。
だから彼女が女性であることを武器に、敵を籠絡するのではないか――と思った。
そんな辛いことは、させたくない。
「ミスティ――貴様も女だ。その身は好きな男に捧げるべきであるから――その――いくら我らの為とはいえ、身体の安売りなどするなよ? もし、そのようなことをしてまで敵を操るというのなら、それは許可できぬ」
ローザリアは恋に狂っているがゆえ、その大切さを誰より知っている。
今、自分はとても辛いけれど、ウィリスがいるから頑張れるとも思っていた。
同時に、ウィリス以外の男に自分が奪われるなど、死んでも嫌だ。
もしもミスティに愛する男がいるならば――或は将来、愛する男が出来たなら……この作戦がトラウマになるのではないか、と思ったのだ。
しかしミスティは恭しく頭を垂れると、微笑んで見せた。
「大丈夫です、ドレストス伯。我は夢魔。ゆえに――夢にて操り、西門より兵を下げさせまする。下げる兵は、二千で構いませぬか?」
「うむ、それで頼む……ああ、そうだ。出来れば無用に人を傷つけるなよ? ミリタニア人は、後に我らの友となるゆえ」
「もちろんです。むやみに人を殺すなど、我の本意ではありませぬから」
サラはジットリと目を細めて、「フーン、夢魔デスカー」などと言っている。
彼女はサキュバスの特性を知っているから、二人のやり取りが茶番に見えていた。
面白いと感じたら、評価、ブクマ、感想、宜しくお願い致します。
作者のやる気が上がります!
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