63 五里霧中
◆
ウルド軍の本陣にある一際大きな天幕に入ると、エンツォがにこやかに二人を迎えてくれた。
「やあ、ローザリア。よく援軍を連れてきてくれたね。ウィリスも久しぶりだ」
ローザリアの手を握り、それからウィリスの巨躯に抱きついて、エンツォは笑みを絶やさない。
とはいえ彼は敏感な男。ウィリスとローザリアの二人が何だか、ギクシャクしていることに気が付いた。
ただ、エンツォが想像した理由は見当外れである。
ローザリアがネイの意向に反したことで、二人の間に意見の対立があったのだろうと予測したのだから。
そのせいでエンツォは、余計なことをちくりと言った。
「ウルド公のご命令通り、随分と急いでくれたようだね。お陰で私達の方が、遅い到着となってしまった」
しかしローザリアは、朝からウィリスと気まずくなったことで、ネイのことなどどうでも良くなっている。だからエンツォの皮肉にも肩を竦めて見せただけで、素知らぬ顔をする事が出来た。
これを怪我の功名と云うのなら、ローザリアは結構な重傷を負っていた。
――――
ウルド=シラク連合軍の本陣は、ミリタニアの王都スカイハイの北側に置かれた。エンツォ率いるウルド軍が到着し、陣を敷いた場所である。
そこにはカラード軍を含む一万五千の兵が集結し、大小の天幕が並んでいた。到着早々、兵達が忙しく働いた成果だ。無数の旌旗が風に靡き、誇らし気に見える。
指揮官級の天幕同士は幔幕で繋がり、さながら大地に廊下が出来たかのようだ。
その通路を伝令騎兵が引っ切り無しに行き交い、スカイハイの四方を囲む陣と連絡を取り合っている。
ウィリスとローザリアが通されたのは本陣の最も奥まった区画にある、深紅の天幕であった。
これは烈火の異名を持つネイ専用の天幕であったが――今は代理でエンツォが使用している。
つまり彼こそがウルド全軍の総司令官たる、その証しでもあった。
紅く巨大な天幕の中には、ミリタニア攻めの主な将達が揃っている。
まず、ウルド公直属の幕僚が、エンツォ以下の七名。
カラード領からはローザリアを筆頭に、ウィリス、イゾルデ、ナディア、ジョセフ、グラハムの六名。
そして、シラク領からはゲディミナス以下の三名であった。
彼等が総勢三万七千に及ぶ大軍の指揮を担い、これから戦っていくのだが……。
とはいえ、この中で二万を超える軍を指揮した経験があるのは、ウィリスとイゾルデだけである。
そもそもウルドの常備軍は近頃まで一万と少しだったのだ――経験の積みようも無い。
だからウルド軍の幹部達はエンツォ含め、誰もが浮き足立っている。
このような状況だからウルドの将の大半は、グラニアの元将軍であるウィリスとイゾルデに対して、敵愾心を剥き出しにしていた。
もちろん総司令官たるエンツォに他意は無い――彼の幕僚達が――だが。
特にその中でも急先鋒であるライオネルが、軍議が始まるや、途端に口角泡を飛ばして吠え始めた。
「ミリタニアの王、アルギルダスは臆病だと聞く。ここは一気呵成に総攻撃を仕掛け、早期に決着を付けるべきである!」
野戦卓を前にして、椅子から立ち上がったライオネルが拳を握る。彼に同調するのも皆、彼の横に並んだウルドの将ばかりであった。
ただ、かつてローザリアと共にクレイモアを守った将――モートンだけは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
面子だけの為に大声を出す男が同僚などと、情けないと思っていた。
もちろんエンツォも、モートンと同じ気持ちだ。
しかし――彼の場合は立場があった。言下に部下の発言を否定出来ないし、かといって賛同も出来ない。何しろモートンとエンツォは少数派である。
だから微笑を浮かべて、「その意気やよし――だがしかし」と首を左右に振る。
「敵は臆病だからこそ様々な策を弄するし、防備を固めているんじゃあないかな? そう思わないかい、ライオネル」
そう言って片目を瞑り、エンツォが部下を煙に巻く。彼は苦労人なのだ。
「堅固な城塞とあらば……確かに……」
ライオネルも、モゴモゴと大人しくなる。
「……ところでウィリス」
それからローザリアの隣に座るウィリスに目をやり、エンツォが彼の意見を求めた。
結局――部下よりも、経験豊富な友人を信用しようということだ。
もちろんライオネルは、顔を真っ赤にして不快感を示していた。
しかし当のウィリスは、ぼんやりと視線を宙に彷徨わせている。その先をエンツォも目で追うと、天幕の天辺を支える柱に行き当たった。
何か不思議なところでもあるのかな? と思ったエンツォだが――実際は違う。単にウィリスはローザリアの事を考えて、上の空だっただけである。
(ローズ……これほど近くにいるのに……遠い……)
「ウィリス? かつて十万の軍を率いた君に、意見を聞きたいのだけれど?」
もう一度、エンツォがウィリスに問う。
しかしウィリスの心の中は、ローザリアの事ばかり。
そうだ――俺はローズの理想実現と幸福を願っているのだ。
つまり、俺が彼女の恋人である必要など無い。
だからあれだもしもマシュとかいう年若い男に彼女が恋をしているならば応援するとして……。
しかしミシェルは大切で裏切りは俺の方だから俺などというゴミは世界から隔離して廃棄処分が妥当だと思うのだが死ねばローズの理想実現に手を貸せないぞ困る悩む悩む困る……。
――などと取り留めの無いことを考えていた。
要するにウィリスは、話を聞いていない。
だが皆の視線に気が付くと、何故か鋭い視線をぐるりと巡らし……。
「堅陣を破るには、虚を付くしかあるまい」
軍議は聞いていないが、もっともらしい事をウィリスが言う。
長年将軍をやっていた風格と威圧感であろうか――適当な兵法を述べても、一同は「ふむ……」と唸っていた。
とはいえ、その「虚」を作る方法こそ、ローザリアと幾度も吟味した「策」である。
つまりローザリアはスカイハイを獲るにあたって、勲功第一を狙っていた――はずだ。
勲功第一になることによって再びネイの信頼を回復し、バランスを獲ろうと考えていた――はずだ。
だからウィリスが「虚を付く」というワードを出したら、丁度良いタイミングで策を披露する予定になっていたのだが――。
残念ながらローザリアも宙を見つめ、惚けている。
こちらはウィリスよりも酷かった。
口を半分ほど開けて――涎が垂れそうなほどだ。
そんな有様だから、またもウルドの将が立ち上がり大きな声を出した。
「その、虚を衝く策が重要ではないかッ! かつてはグラニアの将軍だったか知らんが、いまはウルド公の陪臣に過ぎぬ身で、偉そうにッ!」
蔑んだ目で、先ほどの将――ライオネルがウィリスを見下ろしている。
彼はウルド軍中、最強の武将と評判の男だ。
実際その体躯は堂々としていて、戦場で振るう巨大な戦斧は幾人もの首を刎ね、戦士達の肉体を両断している。
年齢もウィリスより上なのだろう、寄せた眉の間に深い皺が刻まれていた。だから特に、負けたく無いという気持ちが強いのだろう。
しかしウィリスは、またもボンヤリとして聞いていない。
代わりに怒ったのは、カラードの将達とゲディミナスである。
特にゲディミナスが怒っていた。
何しろウィリスは愛竜ソテルに勝ったほどの男。それを愚弄するなど、聞き捨てならないことである。
それだけでは無く――ゲディミナスにとっては軍議の席順からして不満があった。
上座にエンツォが座るのは良いとして、左手にローザリア以下、カラードの臣。右手にウルドの直臣達が並んでいる。ではゲディミナスの席がどこかと云えば、エンツォの対面だ。
本来――形式的とはいえ、これが西ミリタニアとウルド公国の同盟であるならば、ゲディミナスもエンツォと同じく上座であるべきであろう。
にも拘らず、ゲディミナスの席は主将から最も遠い。
これはつまり、ウルド公国が西ミリタニアを優遇していない――という事実を物語っている。
だからこそ、余計にゲディミナスは思ったのだ。
「ウルド、何するものぞ」と。
「おうおう、ウルドの小僧が言いよるわ。そもそも儂が退治してくれと頼んでおった竜を、ウルドの直臣とやらが倒してくれたのか? はるばるやって来て、属性竜を倒してくれたのは、ほれ――そこのウィリス・ミラーどのなのだが?」
ニタリと笑って、ゲディミナスがライオネルを睨む。
「何を!?」と睨み返すライオネルを、エンツォが窘めた。
「やめよ――事実であろう。それに、ウィリスを悪く言うな――彼は私の友人だ」
「なっ! 倍臣如きの肩を持つのですかッ!?」
「そもそも、だ。ドレストス伯もウルド公も、共にトラキスタン貴族。それは私も同様であって、ウルド公の臣下ではない――その前提を忘れたか? ライオネル男爵」
この言葉は、エンツォなりのローザリアに対する皮肉でもあった。
しかしボンヤリとしていたローザリアは、またも気にしない。
もしもウィリスとのことが無ければ、ここできっと彼女は酷く狼狽していただろう。
その意味では、ある意味で助かったと言えるのだが……。
「内輪揉めしていても、仕方があるまい。負けて仲良くあの世へ行こうというのなら、そうして親睦を深めても良かろうがな。
……さて、そんなことよりゲディミナス侯。このスカイハイに関して、ご存知のことを教えて頂けまいか?」
場の状況を見かねたイゾルデが、ひらりと手を伸ばして卓上に乗った図面を指差した。
図面はスカイハイの見取り図である。
少なくとも、この場の全員が共通しているのは、「負けたら全ての苦労が水の泡」ということだ。そのことをサラリと思い出させる辺り、彼女も非凡な将である。
イゾルデの問い掛けに答えつつゲディミナスは、ウルドの将に冷笑を見せた。
彼は、ローザリアと結んで良かった――と確信する。
ウィリスだけではなく、あのような将まで……そう思えば、いよいよ未来が明るいというものだ。
「ウルド軍に聞く気があるのなら――語るに吝かではないが……」
「よろしく頼みます……」
軽く胃を押さえて、エンツォが言う。
ローザリアの配下に対して、ウルドの将の何と格の落ちることか……。
そう思うと、エンツォの胃は痛んだ。
「うむ――一言で申し上げれば、スカイハイは硬城と申せましょう」
一同を見回し、ゲディミナスが言う。それから言葉を続けて……。
「城壁は高く、下の堀は鰐が無数に放たれておる。また城壁には多くの矢狭間が設けられ、同時に投石機などの大型兵器も多数揃っています。
とはいえ先ほど硬城と申したが――つまり難攻不落と言う程ではなく、実際に幾度か落とされてもいます」
ここで一同が、「ほう」とやや明るい声を出した。
が、だからこそゲディミナスは声を低くして、再び皆を見回していく。
「直近で攻略したのはグラニア軍――包囲した兵力は、実に二十万でしたかな……」
イゾルデが「二十二万」とささやかな訂正をして、一同から溜め息が漏れる。
現状の兵力との差が、余りにも大きかった為だ。
「実際、攻略に際してこれほどの兵力は必要ないでしょう……ですから」
ここで言葉を切ると、ゲディミナスは図面にあるスカイハイの外周をぐるりと指でなぞった。
「まあ、ウルド軍の皆様で総攻撃というのなら止めませんぞ――落とせるかも知れませんからな。
とはいえ――勝ったとしても、足下には死屍累々……という有様になるでしょう。そんなモノに付き合わされるだけならば、我らは引き上げさせて頂くが?」
「ゲディミナス侯! ここまで来ておきながら、臆したかッ!?」
総攻撃を主張したウルドの将――ライオネルが、ゲディミナスに食って掛かる。
「黙れ! ミラーどのさえ陪臣と蔑む貴公と一緒では、我らなど、どう扱われるか知れたものではないわッ!」
ゲディミナスが一喝した。
これでようやくウィリスとローザリアが、肩をピクリと震わせる。
(あ――軍議が始まっておった)
半開きの口を閉じ、ローザリアが隣のウィリスをチラリと見た。
(ローズ……そんなに潤んだ目で、このゴミを見ないでくれ……)
ウィリスはあえて目を逸らし、良く聞いていなかった軍議に集中しようと、改めて咳払いをした。
◆◆
ウィリスはボンヤリとしていた過去の出来事を正確にトレースして、最適解を言葉にする。
というか、まともな思考なら誰でも思う事だ。何なら先ほど、イゾルデが同じ意味のことを言った。
「身内で争っていては、敵を利するだけだ」
しかし真っ当過ぎる言葉なだけに、皆も文句を言う事が出来ない。
ただ、争う原因の一角は間違い無くウィリスの存在なのだが……ローザリアとの現実を逃避し、軍議に集中し始めた彼の覇気は、他の追求を許さなかった。
もちろん、これに安堵したのはエンツォである。
「ウィリスの言う通りだ。ライオネルは少し落ち着け。ゲディミナス侯はどうか、部下の非礼を許して欲しい。こう見えても、あなたの参陣を心より歓迎しているのです」
「ふん」
ゲディミナスは鼻を鳴らし、エンツォから目を逸らす。元よりウルド公国と仲良くする気など、彼には無かった。
エンツォは司令官として、ゲディミナスの態度に頭を悩ませる。確かに三万七千の大軍にはなったが、このままでは分解しかねない。
(これは、どちらにしろ長期戦は無理だね……)
エンツォが、このような覚悟を決めるのに、長い時間は掛からなかった。
そうとなれば、エンツォは最高の味方に頼るほか無い。先日、難攻不落の要塞を無血で開城せしめたナディアの知恵を、再び借りようと思った。
「ナディア・ミラー。ルクソー要塞を攻略した鮮やかな手際を、このスカイハイでも見せて頂けないだろうか?」
ウィリスの横で肩をビクンと揺らし、ナディアが顔を上げる。頭を左右に振ってから、「ずずっ」と涎を啜った。どうやらナディアは眠っていたらしい。
近頃はウィリスが側に居なくても眠れるようになったナディアだが、しかし日々の眠りは浅かった。だから彼が側にいる今――安心しきっていたのだろう。日頃の疲労が爆発したのである。
「やれやれ――我らが勝利の女神は、やる気が無いと見えるね」
「すまない」
ナディアの代わりにウィリスが頭を下げたので、エンツォが苦笑する。
一方、ナディア・ミラーという名に反応した人物が、もう一人いた。
状況は右にローザリア、左にナディアといった形でウィリスが挟まれている。
(ミラー、ミラー……そうだ……ミシェル・ララフィ・ミラー、ナディア・リュドミール・ミラー。なのに私だけ、ローザリア・ドレストス……くすん)
チラリとウィリスを見て、再び俯くローザリア。
もはや悲しみで、視界がぼやけている。溜まった涙が目の中で揺れていた。
そんな彼女を取り残し、軍議は進んでいく……。
「いいさ――君の奥方には、すでに随分と助けられた。これ以上頼るのも、男の面目が立たないからね」
時間の惜しいエンツォは、無理にナディアの策を聞き出そうともしなかった。
その代わり「さて」と一同を見回し、手を叩いて名案を募る作戦に出たようだ。
「だからといって、長く時間をかける訳にもいかないのでね。グラニアの戦さとトラキスタンの内戦が終る前に、こちらも決着を付けないと……」
エンツォの言は、道理である。だからこそウィリスは、再び言う。
「――やはり虚を衝くしか、ないのではないか?」
当然ウィリスは、ここでローザリアが予ての策を披露するものだと考えた。
しかしローザリアは、自らの思考に埋没している。
そりゃあ……ミシェルは絶世の美女で皇妹だし、ナディアは究極の美女で皇女だ。そんな中じゃ私なんてゴミ虫以下の雑草かも知れないけれど……だからって、いきなり「好きにしろ」なんて。
だいたい、マシュっていったい誰なのだ……今じゃ目も合わせてくれないし……。
そもそも私がウィル以外を好きになる訳がないのに、何故それが分からん――このボンクラでかぶつおたんこなす!
考え続けていると、ローザリアの中で悲しみよりも怒りが膨れ上がってきた。
最終的に……ああいいさ、だったら好きにしてやる! と結論を出すまで数秒間。
そこでついに、ローザリアは言った。
前後の脈絡さえ関係ない言葉であったが、この時は奇跡的に辻褄が合っている。
「エンツォどの――私に考えがあるのだが……スカイハイ攻略を、私に任せて貰えないだろうか」
結局、他に案を持つ者がいなかった為、ローザリアの意見は通る事となった。
ただこのとき、ウィリスは些細な違和感を覚えている。
(あれ……一緒に考えた時と、少し計画が違うぞ?)
が――ウィリスがそう思ったところで、もう遅い。
何しろローザリアは、「好きにする」ことにしたのだから。
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作者のやる気が上がります!
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