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62 ましゅ、マシュ?

 ◆


 曇天の中、シラク軍はミリタニア王都スカイハイを三方から囲んでいる。ローザリアもウィリスを副将として一軍を率い、包囲に参加していた。

 穴の空いた一方とは北側であり、そちらにはエンツォ率いるウルド軍の本隊が到着する予定だ。


 といって現状は、まったくと言って良いほど動きが無い。

 ウィリスとローザリアが予測した通りだ。

 こうして街に籠ったミリタニア軍は、まるで突つかれた亀のようである。


 一方でウィリス達も、積極的に攻撃しようとは思わない。何しろ兵数が足りないのだ。迂闊に攻めればボロが出る。

 だから陣を敷いてからこれまで、ただ一度として干戈を交えていなかった。


 そうして過ごした四日目のこと、ようやくエンツォ軍到着の報が齎された。当初の予定より、二日ほど遅れている。


「司令官閣下に伝令!」


 未だ夜の明けきらぬ早朝、伝令騎兵が慌ただしく天幕に飛び込んできた。

 もとより眠りの浅いウィリスが、むっくりと身を起こす。それから入り口に行くと、伝令に声を掛けた。


「なにか?」


 すると、そこにいたのは見覚えのあるカラードの伝令騎兵だ。彼もウィリスを見て、顔を綻ばせた。


「あ! ミラー将軍! ウルド軍本隊が、間もなく到着いたします!」

「ああ、お前は……先触れか?」

「はい!」

「ブルーム将軍の命で、ここへ?」


 ウィリスは頷き、従兵に白湯を持ってくるよう伝えた。

 伝令は夜通し駆けたのであろう、顔に疲労の色が滲んでいる。

 喉も乾いているはずだ、声が掠れていた。

 本当ならば伝令は水を飲みたいだろうが、こんな時は温い白湯の方が身体に良い――というウィリスの経験則である。


「はい! なるべく早く本営に顔を出された方が良いと、そう申されていました!」

「ふむ――まあ、そうか。そうだな――ドレストス伯には、私から伝えておこう。お前は少し休むと良い」


 ウィリスはイゾルデの配慮に感謝しつつ、伝令を労った。ちょうど白湯が運ばれたタイミングだったので、それを伝令に渡して下がらせる。


 どうやらイゾルデは、ローザリアがネイの意図を反故にしたことに気付いたらしい。

 だからこれ以上、心証を悪くしない為にも早く来い、と言っているのか。


「まったく……余計な気を回して」


 ウィリスは女将軍の気遣いに苦笑しつつ、甲冑を身に纏うことにした。

 別に慌てる用件ではない――自分が鎧を身に着ける時間くらい、ローザリアが寝坊したって構わないだろう。

 間もなく到着すると言ったところで、夜通し進軍する訳も無い。朝から動き出すのであろうから、到着は早くても昼近くになるはずだ。


 ――――


 一方ウィリスに気遣われたローザリアは、硬い木の板に毛布を敷いただけの寝台で、鎖帷子を身に着けたまま眠っていた。

 もちろん、そんな状態だから寝心地が良いはずも無く、悪夢にうなされている。


 どんな悪夢かと言えば、それはネイの意図を知りながらも無視してみせたローザリアのこと。柳眉を吊り上げたネイに、こっぴどく叱られる夢であった。

 しかも同じ夢を二日連続で見てしまったから、彼女の精神はズタズタである。


「ローズも偉くなったわねぇ……で、どういうつもり?」


 夢の中でも、こうして追求されれば、ローザリアとしては平身低頭である。


「て、ててて、敵を包囲する方が安全かと思いました。そういうことでありましゅ!」


 慌てふためき言葉を噛んで、挙げ句の果てに夢の中でまで「ましゅ――ってなによ?」とネイに言われたローザリア。しかも情けない寝言をウィリスに聞かれる、というオマケ付きだ。


 丁度ウィリスがエンツォ到着の報を持って、ローザリアの寝所へ訪れたタイミングであった。

 もともと二人は同じ天幕で眠っていたが、間仕切りというか――ローザリアだけは垂れ布で区切られた場所にいたのだ。

 ウィリスは「ましゅ?」と首を傾げ、青い顔をして目覚めたローザリアの顔を覗き込む。


「ふぁ? ウィ……ル? な、何か聞こえたか?」


 ローザリアが半開きの口のまま、瞼を手の甲でゴシゴシ擦っている。


(寝言か)


 察したウィリスは一呼吸おき、用件を口にした。


「いや、何も。あー……エンツォが到着するそうだ……」

「……そうであり……ましゅ……う……うあ! そ、そうか」


 どうやらまだ、ローザリアの頭は夢の中らしい。

 とはいえ――用件が用件なだけに、きちんと聞いて貰わなければ困る。


「マシュ? ……それは誰だ? 聞いていたのか?」

「んっ!? な、何でも無い! エンツォどのが到着するのだろ! 分かってる!」

「……まあいい……理解できたのなら」


 それだけ言うと、ウィリスはローザリアから目を逸らす。

 寝言でも言っていた“マシュ”という名は気になるが――それよりも寝起きのローザリアを見て、ウィリスはばつが悪くなっていた。

 戦場の常として、彼女は鎖帷子を着たまま寝たのだろう。しかし、それが捲れ上がって、素肌が露になっていた。白く細い身体だ。けれど良く引き締まっていて、その内側には相応の強靭さが隠されている。

 

 それだけならば、美しい――で済んだかもしれない。


 ただ、ウィリスの目には彼女の胸を覆う、白い布も見えていた。

 そこに内包された肉は、決して強さやしなやかさを示すモノではない。

 つまり、なんというか――ローザリアが女性であることの証左だ。

 決して大きく無いが、ウィリスにとってそれは、何よりも神聖なモノである。

 それだけではない。ローザリアに女性としての魅力を感じることが、ミシェルに対する罪悪感を増大させるのだ。


 目を逸らしたウィリスを見て、ローザリアが訝しむ。 

 思えば、お腹がスースーとした。ハッ――として、鎖帷子を降ろす。そしてウィリスを涙目で睨んだ。

 いや――見られてもいいし、むしろ見てもらいたいが――しかし今ではない。


 今ではないが、何で目を逸らす必要があるのかな?

 私のことが好きなら、チラチラと見たりするものでは?

 そんなことを思っていたら、目に涙が溜まってくる。


「すんっ……」


 やっぱりウィリスは、もう私のことなんて……という悲しい気持ちが心を満たす。

 二日続けて嫌な夢を見たせいで、ローザリアの心は最初からどんよりとしていた。


 そんなローザリアの姿を見て、ウィリスの胸が高鳴った。単純に、彼女が可愛いと思うからだ。同時に、素肌を見てしまい、傷つけたかな? と妙な誤解をする。


「す、すまん……リリーに伝言を頼めば良かったな……」


 ウィリスは謝り、すぐに仕切りの外に出た。ポリポリと頭を掻き、顎に指を当てる。


「あ、いや、いいんだ。別に……ただ、ネイさまの夢を見たから……」


 仕切りの内側から、ローザリアの声が聞こえた。


「恐いのか?」

「いや――覚悟は決まっているし、対策も立てた。問題ない」


 布一枚で仕切られた天幕の中、ごそごそとローザリアが着替えを始めた。

 侍女達が洗面器や下着などを慌ただしく運び入れ、彼女の身支度を手伝っている。

 中にはリリーの姿もあった。彼女は、ローザリアが鎧を着る手伝いするのだろう。暫くすると、ウィリスの耳にはカチャカチャという金属音が聞こえてきた。

 

「ふむ……」


 黒い全身鎧をガチャリと鳴らし、ウィリスは天幕の外へ出る。

 考えてみれば、女性の着替え中であった。

 いくらローザリアの気持ちが自分に向いているとはいえ――いや、向いていると思えばこそ、あのような場に居るべきではない。少なくとも男女の仲であると、公に認められるまでは……。


 ◆◆


 正午を回る頃には、雲間から太陽が覗き始めていた。やがてぬかるんだ地面も乾き、馬も歩兵も常と変わらず走ることが出来るようになるだろう。


 時間も丁度よい頃合いだ。

 ローザリアとウィリスは、二十人程度の小部隊を率いてエンツォの陣へと向かうことにした。

 

 ローザリアが真に恐れていることは、どれほど自分がウルド軍、つまりはネイの信用を損ねたか――という点である。

 もともと自身の無謀と無茶を好んでくれたネイの引き立てが有ればこそ、現在の自分がある。そう思っているから、ローザリアとしては何とも言えない気持ちであった。


 もちろん最終的に君主同士で優劣を付けるとしたら、負ける気は無い。

 だが――理屈ではなくローザリアはネイが好きなのだ。

 好きな人物に嫌われる、というのはいたたまれない気持ちになる。


 もちろん、対策はウィリスと相談して用意した。

 それは、スカイハイを鮮やかに落とす――というものだ。


 結局のところネイが望みローザリアが容認出来なかったのは、シラク軍の減少である。

 それを補って余り有ること――となれば、ウルド軍に所属するローザリアの赫々たる戦果だけだ。

 これを成す事も今のローザリアが持つ戦力ならば、決して不可能ではない。何故なら最強の武将であるウィリスがいて、属性竜たるフレイヤもいるのだから……。


 だが――エンツォの陣へ向かう途中、ローザリアは肝心なウィリスと馬を並べながらも、少し気まずい空気であった。

 不思議なもので、いっそミシェルが間に居てくれた方が上手くいく。そんな気さえするローザリアだ。何と言うか、近頃は妙に距離を置かれている気がする。

 そう思っていた所で、ウィリスが咳払いをした。

 

「おほん……」

「な、何だ、ウィル?」

「堂々としていろ。落ち着きが無い」

「だ、だって……それは貴様が……! 今朝だって!」

「あ、その――朝はすまん。見るつもりでは無かったのだが……」


 そういって頬を指で掻くウィリスを見て、ローザリアはもどかしい気持ちになった。

 見るつもりでは無かったなんて……自分の身体など、見たくも無いということだろうか?

 ミシェルが子供を生むから、自分との約束など、どうでもよくなったのだろうか?

 それとも、エンツォの陣に行けばナディアがいるから――私なんて用済み?

 そんな風に、嫌な感情が心の中を蝕んでいく。


「どうせ私の身体はミシェルと違って、貧相だからな……ナディアのように隠れ巨乳でもないし……見る価値も無いのだろうよ……ふん」


 俯き加減で手綱を握り、前方の景色を三白眼で睨む。ローザリアは怒っていた。

 しかしウィリスは、彼女の怒りの原因が分からない。

 恐らくネイの意向に叛いたことが、不安でたまらないのだろう――と考え、見当違いなアドバイスを語り出す。


「なあ、ローズ。友好国とは、いったい何だと思う?」

「なんだ、いきなり?」

「俺は思うのだが――国と国が心底から友情など育むことは出来ない。どちらが優位であるか、征服は可能か、征服したとして、その国の人口が我が国の人口の半分も居た場合、どうるする――奴隷にするには多過ぎるが、といって平民にも出来ない――君主というのはな、常にそういったことを考えているのだ」

「いきなり、何を言い出すのだ……」

「つまりだ、ローズが真の君主たらんと欲するならば、ウルド公との衝突も、避けては通れぬ――ということだ」

「意味が……分からんぞ?」


 ローザリアは首を左右に振って、ジットリとウィリスを睨んだ。


「それを――なぜ今、私に言う必要がある?」

「なに――悩んでいるように見えたからだ。今後ウルド公と、どのように付き合うべきか、とな」

「それは、そうだが……今の私の悩みは、もっと別のものだ。海よりも深く、天よりも高い……」

 

 ウィリスは苦笑して、言った。


「ウルド公に関する悩みよりも、大変なものか?」

「ああ、そうだ。人生に関わる」

「ドレストスのことか?」

「そうだが――その後のことだ」

「グラニアを倒すのだろう?」

「だから、もっと後だ!」


 眉根を寄せたローザリアの言葉で、ウィリスが少しゾッとする。

 その後と言えば、ローザリアを妻にすると約束をしていた。

 それを今、彼女が悩んでいるというのなら、約束を反故にしたいのでは無いか――と思える。

 ウィリスは泣きそうになった。朝の寝言が思い出される。『マシュ』と言っていた。それが男の名だとしたら……。

 しかし、黒甲が彼を弱気にさせない。勇猛果敢な不死兵アタナトイであることが、今は災いした。


「なんだ、ローズ。俺以外に誰か……好きな男でも出来たのか?」


 パチパチと目を瞬いて、ローザリアはウィリスを見た。


「は?」

「まあいいさ……先のことは、お前の好きにしろ。俺は既に妻が二人もいる……その上ローズまで縛ろうとは……思わんからな」

「何を……言っているんだ?」

「朝の寝言……聞かなかったフリをしていたが……マシュとか言ったな……だから、あの約束は無かったことにしてくれていいと、そう言っているのだ」

「なっ!? ……マシュ? なんだ、それは!? そ、そうか、わかったぞ。貴様は……もう……私のことなど……」


 ローザリアは、つくづく自分は運が無い――ついでに言えば、女としても魅力も無い……とへこたれる。

 こんなにウィルのことが好きなのに、ちっとも見てくれない。

 一緒に寝たら、自分を抑えられないなんて言っておいて、結局どうでもいいんじゃないか――と悲しかった。


 しかも存在しない「マシュ」などという男の名前を出して……なんなのだ……そうまでして関係を絶ちたいのか――キスまでしたのに! あ、いや――キスは私が強引にしたんだっけ……。

 とにかくローザリアは、辛かった。もう、なにも考えたく無い。だから口を噤んだ。

 

 ローザリアは鼻水を啜った――啜っても啜っても、鼻水が止まらない。気がつけば、泣いていた。

 こんな顔を見せたく無くて、馬の腹を蹴る。そして振り返らずに、ウィリスに言った。


「わ……かった……好きにするッ!」


 ウィリスは兜の面を降ろした。その内側で、世界最強の猛将が泣いている。

 

(ローズ……俺は……俺はッ! ああああ……俺はローズを、マシュに奪われてしまうのか……! しかし、しかし、これで良いのだ……それでローズが幸せになるのならばッ! 耐えろ、ウィリス!)

 

 こうして二人が些細な勘違いから煩悶しているうち、いつの間にかエンツォの陣へ到着した。

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作者のやる気が上がります!


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