60 錯綜
◆
ミシェルに父親失格だと喚かれてしまったウィリスは現在、小型の火竜と戦うローザリアを見守っていた。
実際、ウィリスだってミシェルのことは心配だ。しかし目下の危機は、ローザリアの方が上だと思っている。
「ローズ、右だッ!」
「分かっているッ!」
体を開き、寸での所で火竜の鉤爪を躱す。
火竜は時折、無駄に地面を転がっていた。たぶんこれは、遊んでいるのだろう。火竜にはどこか、ローザリアの動きを真似しているような節がある。
「ピギャア!」
「またゴロゴロと……集え、巡りくる水よッ!」
ローザリアが魔法を唱えた。
両手を開き、その中心に球形の水を作り出す。
氷刃の異名を持つイゾルデを配下に持つローザリアだ。彼女から魔法の手解きを受け、水系統の魔法もある程度は扱えるようになっている。
小さな火竜は小首を傾げ、彼女の手の中で揺れる水を眺めていた。
ローザリアはニコリと笑って、「来い」と竜に言う。
竜は頭を左右に振って、目を見開いている。
突如現れた水の球に、驚いているのかも知れない。
あるいは陽光を受けて鈍色に輝くそれを、美しいと感じたのか……。
どちらにしろ、ゆっくりと竜が近づいてくる。
「ようし、良い子だ……」
刹那――ローザリアは水の球を竜の頭に被せてしまった。
「ゴポポ――ガポ」
頭を左右に振って、火竜がもがいている。尻尾も上下左右に揺らし、暴れ始めた。
しかしそれでも、頭を覆う水の膜は取れない。
竜はもがき、苦しんでいる。やがて身体ごと壁にぶつかった。
だが――頭を覆う水に変化は無い。まだ柔らかい鱗が傷つき、血が零れただけである。
暫くして竜は大人しくなり、その場にしゃがんだ。
ソテルは自分の分身とも言える小さな竜が、少し心配になる。上空を飛んでいたが、僅かに高度を落としていた。
が――。
小さな火竜は急に頭を持ち上げると、「ごぽん、ごぽん」と水を飲み始め、そして飲み干してしまった。水滴を付けた顔の表面が、キラキラと輝いている。
金色の粉が舞い上がる様な現象が起きたかと思うと、傷ついた鱗も元通りになってしまった。属性竜が扱う無言の魔法であろう。
「うげっ! 回復魔法だとッ!?」
これには、流石のローザリアも驚いた。一般に「神の奇跡」と呼ばれるような現象だ。あるいは悪魔の呪いと言い換えてもいい。
(属性竜が貴重とされる訳だ……)
逆に言えば、そんな属性竜を死の淵に追い込んだウィリスは、神や悪魔と同等以上に強いということにもなるのだが……。
今のローザリアに、そんなことを考えている余裕はない。
もっともローザリアとしては、竜を殺す気など無かった。
苦しみ、耐えきれないと見れば、適度な所で解除してやるつもりだったのだ。
それがまさか、まるっと飲み干されるとは思わなかった。
優位に立ったと思ったが、まったくの思い違いをしていたらしい。
(怒ったかな? 困ったな……次はどうしよう?)
ローザリアが考えていると、竜が長い舌を出して、顔の周りをペロリと舐めている。
(あれ……コイツもしかして、水が飲みたいのか?)
そう思ったローザリアは、もう一度、水の球を作り出した。
今度は両手の上に乗せて、そっと火竜へ近づいていく。
すると火竜の方も歩み寄り、鼻先を水の球に付けて「ごくり」。
「美味いか?」
火竜は小さく頷いて、また「ごくり」。
今度は水の球を宙に浮かせたまま、ローザリアは火竜の横に立つ。そっと手を伸ばし、水を舐める火竜の頭を撫でてみた。それから、まだ小さい角を「ちょん、ちょん」と触る。
どうやら角はまだ柔らかく、しっかりとした形ではないようだ。火竜はくすぐったそうに身体を揺すり、ローザリアに軽くぶつかってくる。戯れているようだ。
「ふはっ!」
ローザリアは笑った。火竜の背中を撫でて、声を掛ける。
「喉が渇いていたのだな!」
竜は一度だけローザリアと目を合わせ、コクンと首を縦に振った。そのまま宙に浮いた水を、また舐める。
「なあ、背に乗っても良いか? 乗るぞ? ――怒るなよ?」
今度は何も応えず、竜は水を舐め続けていた。
ピョイとローザリアが飛び乗ると、翼をバサリと火竜が開く。驚いたのだろう。首をぐりんと巡らせ、背中に乗った人間を睨む。
「うわっ……とと」
翼につられて、ローザリアの足が大きく開いた。が、身体が柔らかかったせいで、落ちずに済んだらしい。
竜は更に幾度か羽ばたいて――やがて大人しくなった。
「ここじゃ、ないんだな……足の位置は……ええと」
ローザリアは少しお尻の位置を動かしてから、足を前に出してみる。多少は良くなったが、いまいち安定しない。手綱が無いのだから当然だが、ではどうしよう――と考えて、そのまま火竜の首筋を抱いてみた。
すると竜は「ぴぃ」と一声、再び翼を広げて見せる。
小さな火竜が舞い上がった――けれど驚く程に安定している。羽ばたくたび、ローザリアの視線がグングン上がっていく。
「うわあああぁ」ローザリアは感嘆とも恐怖とも言えぬ声を発し、地面を見下ろした。
見る間にウィリスの身体が小さくなる――気付けば真横に、火竜ソテルの大きな身体があった。
「ソ、ソテル――私は認められたのか?」
「うむ。竜は友以外、背に乗せぬからのぅ」
「そ、そうか! この子の名は?」
「其もまた我であるから、ソテルであろう」
「それでは、呼ぶ時に分かりにくい」
「なんだ、我が侭な娘だのぅ。だったら、好きに名をつけよ。もともと我が名も、ゲディミナスが付けたものゆえ」
風に靡く銀髪を片手で抑え、ローザリアが満面に笑みを浮かべている。
「では――シグムントでどうだッ!」
シグムントとは、ローザリアの父であるドレストス先王の名だ。
しかし不満なのか、小さな火竜は頭を左右に振っていた。
「男の名は嫌であろう。なにせ我も、その子も女子であるゆえ……」
「はぁ!? こんなに厳つい顔で、女とはッ!?」
ローザリアの素っ頓狂な声が響く。
「失礼であろう――女子に向かって」
「いや――なんか……」
余りにもソテルが歯をむき出して怒るから、名付けは一先ず保留となった。
しかし――とローザリアは思う。考えてみれば卵を産んだのだから、雌である道理だ。
してみれば、卵を見た時に気付くべきであったと、ローザリアは苦笑した。
◆◆
季節は移り変わって、盛夏である。
一年を通じて雨量の少ないミリタニアだが、夏は雨期であった。
つまりこの時期のミリタニアは本来、神の恩恵を享受すべき大切な季節なのである。
しかしながら、今年は雨が少ない。
ともすると凶事の前兆ではないかと、政治に無関心な神官があらぬ噂を立てる。
これに乗せられた農民達が、戦さを止めろと騒ぎ始めていた。
「そういう文句は、ウルドに言え」
陳情に来た農民達を追い返したあと、ゲディミナスは吐き捨てるように言ったものだ。
けれど彼は、ミリタニア西方における守護神のような男。兵を集めるに際して、これらのことを問題にもしていない。
そう言った話をリディアに聞くと、ウィリスは苦笑するほか無かった。
「――それでね、聞いて下さいまし、ウィリスさま。お義父さまは、むしろ戦さの前の吉事だと言って、皆を納得させてしまったのですよ」
「それは……大変なご迷惑を、お掛けしているようだ。ゲディミナス侯は何も言わぬから……」
「いいえ。全ては勝利の為でございます。ですから、どうかウィリスさまは、ご無事で……」
「むろんです。必ずやイサーク殿下に王位を齎す事、お約束いたしましょう」
「そのように他人行儀な……わたくしもイサークも、ただウィリスさまのご無事を祈っていますのに」
「お心遣い、ありがとうございます」
「ただね、こうも思うのです。もしも勝利の後、ウィリスさまがこのミリタニアに留まってくれたなら……なんて」
「リディアさま……そればかりは……」
「ふふ……冗談ですわ。ウィリスさまには奥さまがいて、お子もお生まれになる。それになにより――」
そういって、リディアがチラリとローザリアに視線を送る。意味深な視線であった。
「大切なご主君が、いらっしゃいますものね」
ローザリアは友となった小さな火竜と、あれやこれやの戦闘訓練に励んでいる。
とはいえ――ローザリアも先方の光景が見えていない訳では無い。
淡い黄色のワンピースドレスを着たリディアと、黒い戦闘服姿のウィリス。側にいるのは幼いイサークで、明らかに平穏な家族といった雰囲気を醸し出している。
戦闘訓練をやっているように見えて、何だか仲間はずれにされている気分のローザリアだった。
「どしタ、ローズ? 隙だらけダゾ」
頭を火竜に噛まれながら、ローザリアが涙目になっている。
「う、五月蝿い! というかフレイヤ、頭を噛むなッ!」
「そう……カ? あまがみ……ダガ?」
「そうだとしても、涎がベットリ付くのだ! 隙があったなら、突つくだけでいいだろッ!」
「そうダナ」
ローザリアは小さな火竜に“フレイヤ”と言う名を与えた。
それは神話の女神の名で、自身が駆る竜に相応しいと思えたからだ。
当のフレイヤも、それで満足している。
また、火竜の頭脳は人間よりも上等だったらしく、すでに言葉を覚え始めていた。
だからこうして、カタコトであってもローザリアと意思の疎通を可能にしているのだ。
これがスカイハイへの出陣を明日に控えた、穏やかな午後のことであった。
――――
翌朝、夜が明ける前にゲディミナスは七千の軍勢を率いてシラクを出立した。
シラクからスカイハイへ向かう途中で、各地の軍と合流する予定である。
出立してから一週間もすると、全ての軍が合流した。
総軍で二万二千。中々の数である。
しかし兵卒の大部分――一万五千ほどは、民兵であった。
彼等は装備も疎らで、訓練も不足している。だから野戦において陣形を素早く変えることも出来なければ、複雑な機動も不可能だ。
しかし防壁を囲んだり、密集体型で前進し、敵に圧力を与えることなら出来るだろう。要は、使い所と使い方の問題である。
とはいえ――これを率いるのはローザリア・ドレストスとウィリス・ミラーだ。
その役目を彼等自身が買って出てくれたとはいえ、ゲディミナスとしては申し訳ない気持ちになっている。
夜――行軍を止めて、大型の天幕にゲディミナスを始めとしたシラク軍の幹部達が顔を揃えた。当然ウィリス達も顔を出している。
ウィリスはローザリアを伴って、天幕の垂れ布を捲った。目の前には折りたたみ式の方卓を囲むようにして、シラク軍の幹部達が顔を揃えている。
ウィリスの後に続いてローザリアが入ると、全員が立ち上がった。
表立って忠誠を示す礼をする者はいなかったが、それはどこに耳目があるか分からない為だ。
今や彼女は属性竜を操る竜騎士であり、ゲディミナスの同盟者――どころか未来の主君ですらある。であれば彼の配下がローザリアに屈するのも、当然の流れであった。
ローザリアが上座に座ると向かって右にウィリス、左にゲディミナスが腰を下ろした。彼等の横にシラクの武将達が並び、同じく腰を下ろす。
皆が座るのは戦時用の小さな椅子だ。日本風に言えば床几であろう。
「民兵達の指揮をお任せして、申し訳ない」
「――いや、構わぬ。それよりもどうした、何か動きでもあったのか?」
ローザリアは鷹揚に手を挙げて、ゲディミナスの謝罪を受け取った。
何しろシラクには、上級指揮官が不足している。
そもそも常備軍が五千であったのだから、万の単位を指揮する将などゲディミナス以外にいなかったのだ。
だからローザリアを主将としてウィリスが副将となり、民兵一万五千を取りまとめている。
また、新たに集まった戦士階級の二千と彼等を混ぜないのは、戦闘力に差がありすぎるからだ。
要するに民兵が戦士達の足を引っ張らないよう分けた、という次第だった。
この分けられた民兵の指揮をローザリアが買って出たのだから、ゲディミナスとしては余計に頭が上がらない、といった所だ。
とはいえ民兵達が、それで不貞腐れるということも無い。
何しろ指揮をする二人が、素晴らしかった。
白銀の鎧を身に纏ったローザリアは天上の戦女神もかくやと云う程に美しく、補佐役は勇名を馳せた猛将ウィリス・ミラーなのだ。
そんな二人が指揮する自分達を、まさか精鋭から切り離された数合わせの部隊などとは、誰も思わなかったのである。
さらには分隊を率いる将も一騎当千だ。
一人はロマンスグレーの頭髪をオールバックに纏めた、紳士然とした無敵の剣士。
いま一人は侍女服に身を包み、両腕に巨大な手甲を煌めかす破壊の女神である。
彼等と共に王都を解放し、自分たちの新たな王――イサーク・レイゼンを迎えるのだと、むしろ民兵達の士気は天を衝くばかりの勢いであった。
優れた君主には、絶対的なカリスマ性があるとゲディミナスは考えている。
ならばこれは、ローザリア・ドレストスのカリスマ性の発露であろう。
まさに彼女は今、太陽になろうとしているのではないか。
だとすればイサークは、彼女の目映い光を反射する月となる。
月とは、決して自らが輝く事は無いが……しかし、それでいい。
いたずらに輝こうとする者は、より大きな炎に焼かれる事となるのが宿命なのだ。
ゲディミナスは天幕内の照明に照らされて、キラキラと輝くローザリアの銀髪に目を細めながら言った。
「動き、というか――ウルド公から使者が来てな。それをどう判断すべきかと思い、皆に集まって貰ったのだ」
「ああ、あれか……」
ゲディミナスの言葉に、ローザリアが頷いている。
当然ローザリアの下にも、ネイからの使者は来ていた。だから先に彼女が内容を言う。
「敵がカルナ要塞を放棄して、王都へ退いた――という話だろう?」
「さよう――だから急げ、とのお達しだ」
ウィリスは二人の会話を聞きながら、顎に指を当てていた。
「急げ、とは曖昧な」
「ネイさまは、ゲディミナス卿の忠誠を試すつもりなのだろう」
腕組みをしたローザリアが、一同を見回して言う。そして言葉を続けた。
「急げとは、二通りの意味がある。一つは単純に王都スカイハイへ急げ――というもの。今ひとつはカルナ要塞から逃げた敵の進路を塞ぎ、食い止めよ、という意味を持たせたものだろう。当然ネイさまの眼鏡に叶う選択は、後者だがな」
このとき、ミリタニア王都スカイハイの兵力は一万二千であった。
ミリタニア王アルギルダスは、臆病なことで有名な王である。
ゲディミナスが五万の軍勢を擁して攻め上がってくる――との報に接し、彼は早々にカルナ要塞のトゥースへ伝令を送ったのだ。
曰く――「橋を落とした後、カルナ要塞を放棄。即時後退して、スカイハイ防衛のため参集せよ」と。
もちろん五万を号するシラク軍だが、実数は二万二千である。
その数を正確に見抜く程度の力は、ミリタニア軍にもあった。だからこそ王はトゥース達を呼び戻すことを決めたのだろう。
ましてや、ルクソー要塞は陥落済みだ。一万五千のエンツォ軍を支えきれるものではない――となれば、躊躇うことは無かった。
まさにここまでは、ウルド公ネイの目算通り――といったところか。
もちろんミリタニア王はシラク軍とウルド軍が合流し、三万七千の大軍となることも考慮している。
その上で六千を戻し、スカイハイで決戦を挑む腹づもりになったのだ。
スカイハイの防備が有れば、一万八千でも三万七千の軍に負けない――と考えたのだろう。
対してネイは、とにかく敵兵を減らしたい。となれば城壁に囲まれていない六千は、恰好の的だ。
しかも主力はあくまでウルド、カラード両軍だから、シラク軍がどれほど数を減らしても構わない。
だからこそ彼等を急がせ、ミリタニア軍の精鋭六千を潰してしまいたいのだ。
さらに戦後のことを考えれば、シラクの兵力も減らしておきたい――というのがネイの本音のだろう。
ローザリアは、それと知った上で次の言葉を発した。
「むろん、兵力は二万二千対六千――カルナ要塞から撤退する軍と戦っても、勝利は疑いない。しかし」
ローザリアが目を瞑る。
これを言うのは、自分でなければならない。
本音を言わなければ、彼等との同盟が壊れてしまうだろう。
しかし言えば――今までと同じくネイの信頼を得られるとは思えない。
目を開くと同時に、ローザリアは覚悟を決めた。
「しかし、敵は精鋭である――軍を急行させ、野戦を挑めば、こちらの民兵に甚大な被害が出ることだろう。そうならない為といって、こちらも精鋭をぶつければ――主力が疲弊する。結局のところ、戦後ウルド軍の駐留を許す事に繋がろう。
……だからこそ私は当初の予定通り、“スカイハイへ急ぐ”ことを提案する。むろんウルドの軍監として」
こうしてシラク軍は速度を速め、東進した。
彼等がスカイハイに到着したとき、空はどんよりとした雲に覆われていて……。
暫くしてパラパラとした雨が降りだし、遠くからはゴロゴロと雷鳴が響いていた。
兵達が恵みの雨だと浮かれている。
しかしローザリアには、これが雷帝エンツォの怒りではないかと、気が気では無かった。
そんなローザリアの横に馬を並べ、ウィリスが笑う。
「大降りになる前に、陣を敷こう。なに、ウルド公も本音など言えんのだ。まさか同盟者の兵を減らす算段をしていた、などとは口が裂けても――な」
「分かっている。この上は、スカイハイを出来るだけ少ない損耗で獲るだけだ」
「ああ――そうすれば、大義も立つ」
「だな」
二人は顔を見合わせて頷き合い、コンと拳を合わせるのだった。
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作者のやる気が上がります!
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