59 遠く離れて……
◆
敵の上将軍達に不審の目で見られていたウルド軍は、一万の兵員を使い森林を伐採していた。
切った木は手で運べる大きさにして、一カ所に積み上げている。その数は見る間に膨れ上がっていった。
「そろそろ、十分……」
本陣から積み上げられた木々を眺め、ナディアが頷いている。
彼女の考えた作戦は、酷く単純だった。
堀が深く、壁が高くて登れないのなら、そこにモノを積み上げれば良い。
積み上げるべきモノは何か? 考えたとき目についたのは、背後に広がる森林だった。
けれど積み上げた先に罠が待ち構えているなら、積み上げた木々は無駄になるのだろうか?
否――無駄にはしない。
積み上げた木々に火を放てば、要塞は煙に飲まれるだろう。
煙は大量であれば、人の命を奪う。
ましてや、この時期の風は東から西へ流れるのだから、味方に損害が出ることも無い。
それに――とナディアは考えていた。
要塞の一方を無効化すれば、それだけで状況は変わる。
重要なのは、あくまでも渓谷の両端に要塞があること。
一方だけなら、どうとでも落とせるのだ。
その状況を作り上げれば……。
ゲディミナスの動き次第で、敵は戦わずとも退くだろう。
少なくともミリタニアに王都を防衛する意思があり、一つになった要塞を捨てる気概があるのなら。
もちろんウルド公は、それを予測しているはずだ。
彼女の意図を汲むのは癪だけれど、ナディアはそれでも、戦局の盤面を正確に見据えていた。
五日後――ナディアは風向きを見て、エンツォに進言をする。
「頃合い……今日から明日に掛けて、東から西への風が強まる。いま火を掛ければ、敵は煙に飲まれます」
「承知した」
こうしてウルド軍に、世にも奇妙な命令が下ることになったのである。
「百人隊単位で、薪を堀へ投げ入れよ。必ず盾を持つ者と、薪を持つ者は二人一組だ。無駄な損害は出さないでくれよ。魔導師達は全力で投石機とバリスタの攻撃を防ぎ、兵達を援護しよう」
兵はエンツォの指示に従い、ビクつきながらも東側の堀を伐採した木々で満たしていく。
――――
一方ルクソー要塞の側も、この事態に慌てていた。
兵士一人一人が運ぶ木の束は、さして多くは無い。けれど徐々に堀が埋められていくのだから、恐ろしくなってくる。
「敵はもしかして、足場を作っているんじゃ……」
守備部隊の隊長は、このようにして恐れた。そしてそれを、上官に報告する。
報告を受けるまでもなく、ラシードも望楼から様子を眺めていた。しかし、大した対策が打てるはずもなく……。
「矢を放て! これ以上、堀を埋めさせるなッ!」
代わり映えのしない命令を下すのが、せいぜいであった。
とうぜん二人一組で、必ず大盾を構えて進むウルド軍に対し、大した損害を与えることは出来ない。
ラシードとしては、ひたすら苦虫を噛み潰すほか無かった。
亀のように要塞に籠って耐えるくらいなら、敵を蹴散らしに出かけたい。
けれど門の正面には、五つの方形陣が敷かれている。一隊が凡そ千だから、五千の軍団が待ち構えているということだ。
ルクソーの守備兵よりも多くの数を正面に据えられては、どうにも出来なかった。
もちろん事態を打開する為に、ラシードはあらゆる手を打っている。
魔導師を呼び、眠りの雲や雷、果ては目くらましなどを仕掛けてみた。
しかし相手の魔導師達が強力で、どうにもならない。
それも、そのはずであった。
ウルド軍の魔導師は雷帝エンツォ・カノープスを始め、エルフのシェリルに悪魔のミスティなど、後世、歴史に名を残す者が多く存在したのだから。
ここに至り、ラシードも覚悟を決めた。
敵が突入してくる段に備え、順次、要塞の内壁側に弓兵を下げるよう命令を下す。
難攻不落の真骨頂を見せてやろうと、むしろ手ぐすねを引いて待つ事にしたのだ。
しかし、ラシードの予想は外れたらしい。
彼はウルド軍が積み上げた木々を足場に、いよいよ内部へと攻め込んでくると思ったのだが……。
しかし二日が過ぎ、三日を過ぎ、いよいよ四日目の日が傾いても敵はやって来ない。
ギリギリと歯を食いしばりながら、ラシードは頭を悩ませていた。
突入すると思われた敵が、一向にやって来ない。
どうしたものかとラシードは、再び望楼に登った。すると、敵は陣替えをしている。
いよいよ騎兵を前面に出して、突撃を敢行してくるのかと考えた。
「ようし……来い。皆殺しにしてやる」
ラシードはメキリと拳を握り込んだ。
しかし実際ウルド軍が前面に出したのは、弓兵であった。
変化があったのは、夜半のことである。
天高く光の魔法が放たれ、辺りが昼の様に明るくなった。敵魔導師達による、光の呪文だ。
慌ててラシードが望楼に登ると同時に、敵の号令が響く。
「射てッ!」
その後すぐに、無数の矢が放たれた。
「パリン、パリン」と何かが割れる音がして、妙な匂いが漂ってくる。
――油の匂いだった。
ラシードは、直感的に悟る。
「まずい、水をッ!」
「水?」
部下が怪訝そうに、首を傾げている。
「ありったけの水を、東側へ運べッ!」
「何故でしょう?」
「いいから早くしろッ! 火攻めだッ! 火矢がくるぞッ! 復唱しろッ!」
「えっ? あっ……はっ! 備蓄してある水を、東側の通路へと運びますッ!」
「よし、行けッ!」
再び敵の号令が響いた。
「射てッ!」
まるで空を炎で覆われたかのごとく、無数の火矢が降り注ぐ。
むろん魔法で消火を命じたが――ウルド側の魔力に勝る魔導師など居るはずも無く……。
煙に覆われたルクソー要塞は、瞬く間に怒号と悲鳴の飛び交う、阿鼻叫喚の地獄となったのである。
「撤収だ……無念だが、ルクソーは放棄して、カルナ要塞へ退く」
「し、しかし将軍! それではここで、敵を迎え撃つ事が出来ませぬッ!」
「馬鹿がッ! このまま煙に巻かれてみろッ! 戦うことも出来ず、あの世へ行く羽目になるぞッ!」
こうしてラシードは早々にルクソー要塞を放棄し、後方のカルナ要塞へと下がる。むろん同僚のトゥース将軍に嫌味の一つも言われるだろうが――先々で戦う機会を失うよりは、まだマシと言うものであった。
――――
ナディアは前方で燃え盛る炎に顔を照らされている。
難攻不落の要塞を、瞬く間に無力化した女。
けれどそれを誇るでもなく、彼女は辿々しい口調でエンツォに言った。相変わらず、人と話すことは苦手である。
「部隊は、まだ動かさないで下さい。て、敵が逃げ出せば……無傷で要塞が手に入る」
「分かっているよ、軍師皇女。それに今こちらの兵を突入させれば、敵と共倒れになるだろう?」
「そう……あと、皇女では、ない、ので」
「これは失礼」
エンツォは頷き、ナディアの横顔を見る。
彼女は今、何を思っているのだろう――遠く離れたウィリス・ミラーの事であろうか。
ウィリス・ミラー。
当代きっての猛将である彼の下に、二つの大国の姫君が嫁いだ。
その彼が絶対の忠誠を捧げるのが、ローザリア・ドレストス。
エンツォは夜空を見上げ、自らの星を見る。
大きな星の横に、そっと寄り添う蒼い星。それが自分だ。
そして大きな星がネイであることを、疑った事は無い。
けれど、近くで新たな星が輝きを増している。そして周囲に集い始めた幾つもの星々。
今という時代は、いったい誰を勝者とするのだろう。願わくば、ネイであらんことを……。
エンツォは頭を振って、衣服の胸元を扇ぐ。
夜になったとはいえ、軽装鎧の上にローブを羽織っていては熱くて当然であった。ましてや眼前では、積み上げた木々が轟々と燃えているのだから。
炎が生み出す灰色の煙は、西へ西へと流れていく。
煙はやがて要塞の全てを包み込み、炎は、朝まで消えることが無かった。
翌朝、エンツォが総攻撃を命じると、砦からの抵抗は一切無い。
容易く城門を破ると、煤に塗れた要塞の中は蛻の殻であった。
要塞が煙に飲まれつつあることを悟ったラシードが、いち早く退去したらしい。
「それにしても……」
ナディアのお陰で奪取した難攻不落の要塞に入り、エンツォは小さな溜め息を吐く。
「ナディア・リュドミールの知略とウィリス・ミラーの武力。上手く使う事を覚えたら、ローザリアは誰よりも強くなるねぇ……」
◆◆
旧カラード公国の都ラエンカの政庁で、ローザリアの代わりに政務を取り仕切るのはミシェル・ララフィ・ミラーであった。彼女は少し膨らんだお腹に手をあて、微笑を浮かべている。
天候は生憎の雨だし夫であるミラーは出征しているけれど、身体の中に彼の一部が宿っていると思えば、勇気が湧いてくるというものだ。
といって――それがいつもの事ではない。考え方を変えると、つい怒りで我を失いそうにもなる。
「……なんでナディアは付いていくのよッ! 私はお留守番なのにッ!」
こう言って喚きながら、執務机に乗った書類をまき散らしたことだって一度や二度ではない。
その度にアリシアが纏めてくれて、ミシェルの肩に手を乗せてくれるのだ。
しかしこれも、ミシェルの怒りの根源では無かった。
本当は、ローザリアだ。
彼女は出征前、ミシェルにこう言った。
「アリシアやサリフに政治は無理だから、ミシェルに頼みたい。ああ、もちろん優先すべきは子を産むことだぞ。だから無理は、しないでくれよ?」
「無理よ、私に政治なんて……」
もともとミシェルは、箱入りの皇女である。政治とは無縁であった。
しかし彼女がローザリアの頼みを引き受けた理由は、彼女に先んじてウィリスの子を授かった優越感と罪悪感からであろうか……。
お陰でミシェルは常に補佐官を側に置き、日々勉強をしつつ政務を執っている。
その苦労は、傍目からもありありと分かるものであった。
ミシェル自身、水の中で溺れるような感覚を味わっている。
それなのにローザリアやナディアはウィリスと共にあって、幸せなのだろうな――と思うと、怒りが沸き上がってくるのだ。
「これは、私からウィリスを引き離す為の罠だったのだわ!」
もちろん、「そうではない」と頭では理解している。
或は妊娠しているから、情緒が少し不安定になっているのかも知れない――とも思う。
今はちょうど妊娠三ヶ月目で、匂いにも敏感になっている。あまり酷い悪阻こそ無いが――彼女は今、とてもナイーブな時期なのだ。
しかし――と周りの者は思う。
もともとミシェルの情緒は、けっこう不安定。なので、通常と変わらないような気もしていた。
それでも彼女は、与えられた仕事に対して誠実だ。
朝は必ず五時に起きて身嗜みを整え、八時には政庁に入る。
それから昨日上がった報告書などに目を通し、分からない点は官吏を呼んで聞く。
一頻り報告書を読み終えると住民達の訴えを聞き、裁判官のようなことまでをやっていた。
「夫婦喧嘩? モノを勝手に売った? そんなもの、全部夫が悪いに決まっているじゃないの! 次ッ!」
「は、はいっ! ミシェルさま、ありがとうございますッ!」
「えっ! ちょっと待って下さい! 私の甲冑人形、この女が全部勝手に売ったのですよッ!?」
「夫婦のモノは共通の財産です。それを売ったお金で家庭のモノを買ったのなら、罪には問えません」
「し、しかし! 十年掛けて集めたものを……!」
「そんなに不満なら、離婚なさいッ! 話はそれからですッ!」
「いや――それは……!」
「だったら、我慢なさいッ! 私だってウィルの鎧――何だったかしら? ローズが買ったものだけど、勝手に売ったわッ! でも彼、文句も不満も言わなかったのよッ!」
「それは……ミシェルさまが恐いからでは……」
「あ”あ”ん”?」
とはいえ――男性陣には不評な裁きも多かったようだ。
しかし以前のカラードでは罪に対する罰の軽重も、金次第で変動したという。
これに対して、いささか妙なところで不公平ではあるものの――あくまで公正であろうとするミシェルの裁判は、カラード公国の風通しを良くしている。
それにミシェルは尊大でありながらも、類稀なる気品によって全てが許される節があった。
生まれついての支配者の貫禄、というものであろうか。
そういったもののお陰でローザリアとは別の人気が彼女には、確かにあった。
裁判が終わると、ミシェルは昼食を摂る。なるべく軽いものだ。
始めての妊娠だし、全てが恐ろしい。とにかくお腹の子供に栄養を――と考えてのことだ。
ウィリスと共に雇い入れた老年の侍女が、近頃は付きっきりで世話をしてくれている。
「奥様の身を思えば、お仕事などなさっている場合ではないのですが……」というのが侍女の口癖になりつつあり、ミシェルはよく苦笑を浮かべていた。今もそうである。
「そうは言っても、仕方が無いのよ。ローザリアが国を起こそうというのだから……少しでも助けてあげないと」
食事が終るとミシェルは窓辺に立ち、降りしきる雨を見つめながら呟いた。
結局――ローザリアを憎みきれないミシェルである。
丁度そのとき、雨に濡れた使者が執務室に通された。彼を伴っているのは、伊達男のサリフである。
「シラクから使者が来たぜ、ミラー夫人」
「まぁ」
ミラー夫人と呼ばれる事に、ミシェルは無上の喜びを覚える。
だからこそ近頃不機嫌な彼女をサリフはあえて、こう呼んだ。
「おそらくは、伯爵閣下からの手紙を携えているだろう。アリシアもここに呼んでいる」
「手際の良いことだわ」
振り返り、ミシェルはゆっくりと執務机の前に腰を下ろす。
サリフとアリシアはローザリア直属の鉄血騎士団に所属する、隊長達だ。
このカラードを防衛するという任務を帯びており、政務を司るミシェルとはあくまでも対等である。
「そりゃ、こんなご時世だからね。何かあったら、ここを守らなきゃならねぇし」
「そうですわね……ご苦労様」
傭兵時代と変わらないサリフの物言いにも、ミシェルは怒る事無く頷いた。
しかしグラニア皇族の常であろうか――ミシェルの美貌は絶対零度の冷たさを持って、周囲を圧している。
だから馴れているサリフは大丈夫だが使者は直立不動で、眼前のミシェルに目を合わせることさえ出来ないでいた。
暫くして、外の衛兵からアリシアの来訪を告げられる。
「アリシアさまが、ご到着されました!」
「いいよ、いちいち言わなくても」
スタスタと執務室へ足を運ぶアリシアは、茶色の髪をかなり短くしていた。
衣服も軽装の鎧を身に纏い、あまり女性であることが分からないような恰好だ。
サリフとの仲が皆に知れ渡って以降、ことさら彼女は男装をするようになっていた。
それがサリフの趣味なのか、何かに気を使っての事なのかは分からない。
サリフの横にアリシアが並んだ。その奥で机を挟み、ミシェルが座っている。
これでカラードに残った幹部達が、全て揃った。
ようやく使者が、口を開く。
「私はゲディミナス侯爵が臣、ナラトと申します」
ナラトの衣服は、何処にでもいる商人風の物であった。麻の短衣の上に、袖の無い赤の衣服を羽織っている。下は大きく膨らんだズボンだ。彼は顔一杯に、黒い髭を生やしていた。
騎士が商人に変装しているのだから、使者と言っても内容は、あまり公に出来ないものであろう。
「遠路、ご苦労様でした。私がカラードを預かる行政官、ミシェル・ララフィ・ミラーです」
ミシェルは黄金の髪を揺らして、鈴を転がしたような声で応える。
ナラトはしばし見蕩れ、すぐに頭を振った。ミシェルが言葉を続けたからだ。
「して――ゲディミナス侯の臣と申す其方が、何の故あってドレストス伯の治め給う地に来たのか?」
ナラトは目を瞬き、唾をごくりと飲む。
まるで大国の皇族と接見しているかの如き威圧感がある。
それ程に目の前の女性は優美で、それでいて冷たかった。
「はっ……実は我が主とドレストス伯の間で同盟が結ばれまして、その旨を本国カラードの方にも、お伝えするようにとのこと。ドレストス閣下より、手紙もお預かり致しております」
使者の口上を聞き、アリシアとサリフが顔を見合わせている。状況が読めないのだ。
一同を代表して、アリシアが口を開いた。
「ちょっと待ってくれ、ゲディミナス侯はウルド公と交渉をしていたんだろう? それなのに何で、ウチの大将と同盟なんだ?」
「さて――その件に付きましては、こちらをご覧頂ければ……」
使者が蜜蝋で封のされた手紙を懐から取り出し、アリシアに渡した。アリシアはそのまま封を切ろうとしたが、固くて開かない。
「魔法の封だわ」
ミシェルが立ち上がって、手を伸ばした。アリシアが彼女の手に手紙を渡し、「ちぇっ」と小さく舌打ちをする。
ミシェルは魔法を解除すると、手紙を読んだ。「ふむ……」と頷いている。
「ご苦労でありましたね。今日はお部屋を用意致しますので、ごゆるりと休まれるが良いでしょう」
優し気な口調であったが、ミシェルの頬は引き攣っている。
ローザリアとゲディミナス、そしてネイの思惑がそれぞれ違うことは理解した。
しかし――だからといって、「そのままドレストスへ攻め込むつもり」というのはどういう事か。
使者が下がるとミシェルは手紙を真っ二つに引き千切り、大声で吠えた。
「そんなに遠くへ行ったら、その間に子供が生まれちゃうじゃないのよッ! ウィル! 父親失格ねッ! 絶対、絶対、許さないのだわッ!」
アリシアとサリフは手紙の残骸を広い集め、内容を読む。
二人も遠く、この地に残されることが不満だったのか――肩を竦めていた。
「この手紙が偽物ってことは?」
アリシアの問いに、「ぐぎぎ」と奥歯を鳴らすミシェルが答える。
「本物よ。だって封じる為の魔力が、ウィルのものだったから」
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作者のやる気が上がります!
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