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58 ナディアの案

 ◆


 ローザリアが火竜と対峙している頃、五千のドレストス軍を率いるイゾルデは漸くエンツォ率いる一万のウルド軍と合流した。

 こうして一万五千となった軍勢は、ウルドとカラード両国の旗旌を翻し、ミリタニアの要塞を三方から包囲している。


 エンツォは小高い丘の上に本陣を敷いて、下方に見える要塞を指差した。新たに到着したカラード軍の諸将に状況を説明する為だ。

 

「要塞の三方は見ての通り乾燥した平原でね……当然、身を隠す場所なんて無い。かといって後方は断崖だ。こっちに至っては、兵を置く場所も無くてね」

「で……ありましょうな」


 顎に指を当てて、イゾルデが頷いた。

 彼女はここに至るまで、およそ平坦な道を通っていない。深い森に囲まれた獣道や一方が断崖となった山道など、ウルドからミリタニアへの道程は、その殆どが人間の往来を拒むものであった。


 とはいえ、それも当然。元よりミリタニアの東側はグラニア派が占めていたのだ。

 従って両国に国交など有ろうはずもなく、よってウルドの公都ノイタールとミリタニアの王都スカイハイを結ぶ街道は、劣化の一途を辿ったのである。


 ただ、それでも街道は街道。軍を進めるには、最短のルートである。

 だからこそウルド軍もカラード軍もノイタールから南下するのに、これを利用した。

 また、スカイハイへ至る為には、この街道に連なる橋を渡らなければ、ひどく大回りをしなければならないのだから、通らざるを得ないという実情もある。

 そして、その橋の両端にこそ、ミリタニアが誇る要塞があるのだった。


「ふむ。これがミリタニアの誇る難攻不落の姉妹要塞、“ルクソー=カルナ”か……」

「おや。ブルーム将軍は、名前まで知っていたのかい?」

「はい。急流の渓谷を挟んだ天険の要塞と言えば、グラニアでも有名です。これを攻略する為の、机上模擬戦も幾度かやりました」


 青い目を細めて、眼下の要塞をイゾルデは見つめている。

 難攻不落を謳った要塞はごまんとあるが、この要塞は本物だ。

 現にエンツォも身動き出来ないのだから、イゾルデとしても心穏やかではいられない。

 といって、撤退の進言も出来なかった。ミリタニアの攻略は、ウルド公国の至上命題なのだから。


「それは、穏やかじゃないね。グラニアとミリタニア――当時の東側は、同盟を結んでいたのだろう?」

「はい……ですが、イラペトラ帝は苛烈なお方でしたから。たとえ同盟者でも、敵対すれば滅ぼします。だからこそミリタニアがウルドと同盟を締結した場合の想定もして、机上模擬戦を行っていたのですよ」

「まったく――恐ろしい国だね、グラニア帝国というのは。しかし――だとすると、だ……イゾルデ・ブルームには、勝算があるのかな?」


 内心はともかく外面的には期待感を込めて、エンツォ・カノープスは言う。

 しかしイゾルデの答えは、にべも無いものであった。


「そうですね――当時イラペトラ帝が出した答えは、この要塞には手を出さず、ミリタニアとウルドを壊滅させる――というものでしたよ」

「確かに両国を滅ぼせば要塞は孤立せざるを得ないし、意味も消え失せる――しかしそれは、何とも笑えない話だね」

「ええ――そんな攻略方法は、イラペトラ帝にしか出来ません」

「はは……そりゃあね……」

 

 二人は同時に、長い溜め息を吐く。


 ウルド軍を悩ませる要塞は、半円形の防壁を備えている。防壁の直下には空堀があり、深さは約三メートル、壁の高さも三メートル程だ。防壁の無い背後は、断崖と繋がった要塞の壁面である。


 前方の防壁を越えると広場があるのだが、それすら壁で三つの区画に区切られている。であるから単に防壁を突破しても、次は部隊ごと狭所で包囲殲滅の憂き目に遭う。

 そうした犠牲を覚悟の上で総攻撃を仕掛けるなら、せめて敵軍の五倍は戦力が欲しいところであった。


 対魔法防御も特筆すべきもので、五重に張った結界は、エンツォの雷撃すら弾く。

 加えて大型のバリスタを十以上も備え、竜騎士ドラグーンさえ寄せ付けない。

 とはいえ竜騎士ドラグーンの部隊があるのなら、最初から王都を狙えるのだが……。


 ともあれ、これだけでも十分に難攻不落を謳える要素が揃っている。

 しかし本当に重要なことは、次の点であった。それは前方の要塞と後方の要塞を繋ぐ、一本の木橋だ。

 形勢が不利になれば、後方の要塞から援軍が派遣される。

 また――たとえ要塞を陥落させたとしても橋を落とされてしまえば、先へ進む事が出来ない。

 これこそ、姉妹要塞と呼ばれる所以であった。

 

 とはいえ、その程度のことは誰の目にも明らか。

 実際に戦うとなれば、人は要塞を攻略する為に、あらゆる手段を使うものだ。

 例えば過去には橋の下――つまり渓谷に降りてから崖を登り、攻め上るという手段が用いられたこともあるのだが――。


 しかし前方の要塞を攻めようとすれば後方の要塞から矢の雨が降り、後方の要塞を攻めようとすれば前方から矢の雨が降る――といった具合で、二つの要塞がそれぞれに死角を補い合っていた。


 他にも味方を装って内部から切り崩そうとしたり、穴を掘って地下から侵入を試みた者もいたようだが、その全てが悉く失敗に終ったのだ。

 この様なことから、難攻不落の名を轟かせるようになったのである。


「まったく――これなら迂回して、どこかに橋を架けた方がマシってものでしょうな」


 ジョセフ・アーサーが頭をガリガリと掻いて、苛立たし気に言う。


「同感、と言いたいところだが――既に試した」

「へえ……結果は?」

「陣を移動しようとしたところで、後背を衝かれた。地の利は敵にある、ということだ。それに敵の指揮官も、中々やる」


 ウルド軍の幹部が、肩を竦めている。続けて言った言葉は「幸いカノープス閣下の采配よろしく、損害は軽微だったがね……」であった。


 今、この地で要塞を眺めているのはエンツォ以下ウルド公国軍の幕僚が五名と、カラード軍からはイゾルデ、ジョセフ、グラハム、ナディアの四名だ。

 サラ、シェリル、ミスティ等は純粋な人族ではない為、遠慮している。別にウルド軍に差別意識があるという訳でも無いが、いらぬ波風は立てたく無い――というイゾルデの意向であった。


 一頻り敵の要塞を見ると、彼等は一際大きな天幕へ入る。到着したカラード軍の幹部達が、より詳しい状況説明を聞く為であった。

 折りたたみ式の長卓に置いた地図を睨みつつ、全員がエンツォの見解に耳を傾ける。


「前方の要塞を指揮しているのは、ラシード。奥の要塞がトゥース――どちらもミリタニアの上将軍だ。要塞内の兵力は片方につき、およそ三千程度と見積もっている」


 言葉を切ると、エンツォは卓の上にある地図を指差し、動かしていく。


「しかし両要塞が橋で繋がっている以上、攻め込めば援軍が出ることは必至。つまり前方の要塞に六千の兵がいるのと同様だ」


 奥の要塞から指を這わせて、手前の要塞へ。


「だからといって、一方を空にはしないでしょう」


 グラハムが、じっと地図を睨みながら言う。彼はこの場にいる誰よりも重装備で、身動きする度にガチャガチャと金属音を響かせていた。

 

「とはいえ、我らは後方の要塞を攻めることが出来ない。となれば、中には五百も残しておけば良いでしょうな」


 ウルド軍の武将が溜め息交じりに言う。

 イゾルデが後を引き継ぐように、口を開いた。


「となると今までは、五千五百の要塞守備兵に対し、一万で戦っていたということか――落とせないのも道理だ」

「そう。だからネイ――ウルド公に泣きついて、君達に来てもらったという訳さ」


 肩を竦めるエンツォの言葉で、場が和む。

 ウルドの将軍が、すかさずエンツォの真似をして言った。


「要塞攻略は私に任せて、君は元気な子を産んでくれ――などと言っていたクセに、この体たらく。戻ったら尻に敷かれますぞ」

「手厳しいねぇ……だけどもう、尻には敷かれているよ」

「「ははは」」


 笑いながら、ウルドの将軍がエンツォの肩を小突く。その雰囲気は屈託が無く、ウルド軍が風通しの良い組織であることを思わせた。


 ナディアはそんな彼等をチラリと見て、ボンヤリとしている。

 心ここにあらず、といった雰囲気だ。

 しかしエンツォは、彼女が何事かを考えていると勘違いしたらしい。

 それに軍師皇女と名高い彼女のことだ、意見を聞かなければ損であろう。


「ところで軍師皇女ナディアさま――」

「……」

「ナディアさま?」

「え……あっ……何でしょう? ……ああ……今はウィリス・ミラーの妻なので……敬称は……いりません」

「これは、逆に失礼した。要塞攻略に関して、見解を伺おうと思ってね」


 エンツォに質問をされても、まだナディアはボンヤリとしていた。それでも、一応は考えを口にする。


「それなら、崖の方から、攻めてみるのは……?」

「ナディアさま――あの断崖を降りて登れってのは、いくら何でも兵に酷でしょう」


 ジョセフが冷や汗を拭く仕草をして、ナディアを嗜める。

 イゾルデもジョセフに賛成のようだ。


「そうだな、双方の要塞が死角を補い合っている。これを突破するのは難しいだろう」

「やるなら夜襲だから、そもそも見えない」

「なに?」


 ナディアの意見に、カノープスが驚いて目を丸くしている。


「しかし、それでは夜襲を行う兵の質に頼ることになるが――」

「問題無い――だって……」


 と言って、ナディアはボンヤリと辺りを見回した。

 そう――ナディアが心ここに有らずといった様子だったのは、ウィリスがいないから。 

 それなのに、ウィリスありきの作戦を考えてしまった。

 目深にかぶったローブのフードを掴み、ナディアは俯いてしまう。


 ジョセフはこの状況に、嫌な予感がしている。

 現状で、そんな事が可能なのは自分くらいだ。

 もう一人いるとするなら、それはグラハムだろう。だから彼にも目配せをする。


(ヤバいぞ、グラハム。この任務を任されたら、死ぬかもしれない。断固拒否しよう!)


 しかしグラハムは、ジョセフの目配せを誤解した。


「ようし、分かった! だったらその任務、俺とジョセフに任せてくれいッ!」


 胸甲をガインと叩き、ニヤリと笑う。そんなグラハムはジョセフと肩を組んだ。

 二人ともウィリスには及ばないが、大きな体格である。見た限りでは、とても頼もしい。

 しかしジョセフの口からは、魂が抜けていた。緑の髪も真っ白になりそうな勢いだ。


 そこでナディアは「はっ」と息を吸い、周りを見回す。

 自分の意見が取り入れられそうな空気に、恐怖すら感じる。

 だから彼女は勇気を振り絞って、頭を左右に振った。その拍子にフードがずれて、桜色の髪が露になる。


「ごめんなさい……ウィリスさまも、ハンスもリリーもいなかった。不死兵アアナトイ以外に、この作戦は実行出来ない。死ぬから……やめて」


 ジョセフは安堵した。同時に憤慨した。結果、グラハムと同じ気持ちになって、ションボリとする。


「俺達じゃ、頼りにならねぇのかい? ナディアの姫さんよぉ〜〜……」


 悲し気なグラハムの声であった。

 

「ま、まあ――ドレストス伯の成果を待ちましょう。そうすれば、状況も変わるはずですからね」


 一方ジョセフは安堵したこともあって、多少は饒舌になっている。

 エンツォは苦笑して、小さく息を吐いた。


「もちろんドレストス伯がシラクのゲディミナス侯さえ動かしてくれれば、状況は変わる……しかしね、我々がここを突破するのは、大前提なのだよ」

「確かに――我らがここで足止めされたまま、ゲディミナス侯だけでスカイハイを落とす――などと云う事態になれば、笑えませんな」


 イゾルデはローザリアとウィリスに想いを馳せて、苦笑した。

 現時点で既にローザリアはゲディミナスの説得に成功しているのだが、まだ使者が到着していない。従ってイゾルデは状況を知らなかった。

 といってローザリアが失敗するとは夢にも思わないイゾルデだから、今はその「笑えない事態」に関して考えている。


(そうなると、ミリタニアがウルドに従属しない可能性も有る――か。困るな……)


 その場合はウィリスの構想が実現しない。

 彼はこのまま南下して、カラード軍だけでドレストスを解放する――という腹案を持っていた。

 この千載一遇の好機に、それを逃すのは余りに惜しい。無論この件はナディアも知っている。

 だからなのか、ナディアが静かに口を開いた。ようやく頭脳が回転を始めたのであろう。


「……なら、火攻めで」

「「火攻め?」」


 皆がナディアに注目する。フワリとした桜色の髪の下で、眠そうな目が全員を見返した。


「軍師皇女と名高きお方でも、夫を持てば知恵の泉も枯れると見える。あの要塞は石造りですし、燃やせたとしても、馬小屋がせいぜいでしょうよ……」


 ウルド軍の将が、あからさまな悪態をつく。しかし気にした素振りも見せず、ナディアは言葉を続けていた。

 

「火で攻めるのは、城じゃないから……」

「面白そうだね、ナディア・リュドミール・ミラー。その話、ぜひ詳しく聞かせてくれないかな」


 エンツォが微笑んで見せた。

 これを切っ掛けとして、皆がナディアの言葉に耳を傾ける。


 ◆◆


 上将軍ラシードは今年三十五になる、男盛りと言って良い年齢だ。

 彼は沈着冷静にして剛勇を誇り、次代のミリタニア軍を担う人物と目されていた。

 その彼が要塞の望楼に登り、額に手を翳して前方に展開したウルド軍を眺めている。


「距離を保っての包囲は、変わらんか……」

「はっ」


 独り言のようなラシードに答えるのは、彼の忠実な副官だ。

 

 五日程前、敵に援軍が到着した。ざっと見た所、四千から五千といったところか。

 そう目算したラシードは、後方の要塞に控える同僚のトゥース将軍に使者を送った。

 むろん橋の両端に、それほど距離がある訳でもない。トゥースも敵の援軍は把握している。

 要するに使者を送ったのは、確認の為。双方の見解に差異が無ければ、それで良いのだ。

 

 序列としては、ラシードよりも五十代に入ったトゥースの方が上である。

 しかし、何かにつけて提案をするのは、まだ若いラシードの方であった。

 二人はこの事態に際し、会合を開く。もちろん場所は、敵軍が包囲するルクソー城塞でだ。

 

 トゥースを応接間に迎えたラシードは、攻勢に出る事を提案した。


「兵力差が大きい。敵に打撃を与え、心胆寒からしめることが必要だ」

「具体的には、どうするのだ?」


 質問で返したトゥースは眉間に皺を寄せていたから、根本的に反対なのだろう。

 事実、現状の敵は決定打に欠いている。無理して追い返さなくとも、敵の物資が尽きるのを待てば良いのだから。

 しかしラシードは目を血走らせて、二人の間に横たわる卓に手を付き身を乗り出して言う。


「地の利は我らにあるのだ。トゥース将軍には我がルクソー要塞に入って頂き、私は夜陰に乗じて後背より城を出る。しかる後に敵の背後へ迫り――一撃を加えたく存ずる」

「ふむ……崖を一旦降りると申されるか?」

「訓練なら、幾度もやっている!」

「ふむ……」


 トゥース将軍は考える素振りを見せたものの、しかし結局は首を縦に振らなかった。


「それを、やらざるを得ぬ理由が分からぬ。心胆寒からしめたところで、敵の警戒心が増すだけではないのか? 貴公の逸る功名心で、兵を危地に送る訳にはゆかぬよ」


 トゥースにも一理ある――とは思った。

 しかしラシードは武勲を立てたい。

 ただ籠っていただけでは、難攻不落の要塞なのだから、守れて当然と揶揄されるだけのことである。


「それよりもラシード将軍。さきほど望楼に登った時、ちらと見たのだが――敵はいったい何をしておるのだ?」

「さあ? 部下どもの話では、木を切り倒しておるのだとか。冬営に備えて、砦でも作るつもりですかな?」

「いやいや――まだ夏にもならぬのに、それは奇妙なことであろう。もう一度、確認させてくれぬか?」

「はっ……それは構いませぬが――では、お供しましょう」


 こうしてラシードとトゥースは共に望楼へと上り、ウルド軍の奇行を見た。


「随分と多くの木を、切っておるな……」

「そのようですな」


 望楼の上で、二人は首を捻っている。理由が分からなかった。 

 むろん彼等の背後に控える幕僚達も、理由など分からない。

 そうして暫く見ている間にも、二本、三本と木が切り倒されていく。

 良く晴れた空のもと、メキメキ、ズゥゥゥウン――といった音が、ルクソー要塞にまで届いてくるのだった。

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作者のやる気が上がります!


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