57 ローザリアの試練
◆
ローザリアの我が侭により、火竜ソテルの洞窟へ向かう護衛はウィリス一人となった。
確かに彼であれば、一人で百人以上の働きもするだろう。しかし、これでは伯爵の体裁を保てない。だからウィリスは道中、非常に説教臭くなっていた。
「いいか、ローズ。お前も今や伯爵、つまりは上級貴族なのだ――そもそも――元を正せばドレストス王家の姫君だろう。それが俺一人を供としてフラフラ出歩くなど、少しは立場を弁えろ」
「そうは言うが、シラクに私の部下は貴様とハンス、それからリリーだけなのだ。仮にゲディミナス卿に人を借りたとして、それが必ず信用に足ると言えるのか?」
「屁理屈を言うな。ゲディミナスどのは、信頼の出来る御仁だ」
「……だが、その部下までも信頼出来るとは限らんだろう」
「まったく」
馬上で口論をする二人は、それでも心が浮き立っていた。
何しろ久しぶりの二人きりだ。自然、距離も近くなる。
「とまあ――そんなことは建前で……正直に言えば、ウィルと二人きりになりたかった」
ローザリアが手で日差しを作り、蒼穹を眺めた。視線の先をウィリスも目で追い、苦笑する。
「……ずるいぞ、ローズ。そう言えば、俺が黙ると思っているのだろう」
「でも、黙るのだろう?」
「うむ」
無言になったウィリスの横顔を見つめつつ、ローザリアが唇を尖らせた。
「――ウィルはリディアと親しくし過ぎだ。それがいけない」
「そうか?」
「そうだ! 国に帰ればミシェルが居るし、戦場へ戻ればナディアがいる。それなのに、他の女に色目を使うなど不届きだッ!」
「色目など使っていない」
「だ、だったら……あの親しさは何だッ!? イサークまで懐いているッ! まるで仲の良い家族みたいだぞッ!」
「家族か……そう見えるか? 俺は親の顔も知らんのだが、家族というものは、やはり、ああいったものなのか?」
「……すまん、そうだったな。気が回らなかった……私は、嫌な女だな……」
ウィリスは苦笑して、頭を掻いた。
「いや――いい。俺も家族が何であるのか、実のところ知りたいのだ」
「何だと?」
「――ミシェルが子を産めば、俺は父親となる。だが、父の顔すら知らん俺が、父親の役など出来るのか――と不安になるのだ。それで二人と接し、望まれるものだから父親の真似事などしてみたが……」
「出来るだろう。子供は良い事をしたら褒めて、悪い事をしたら叱る――それで良いのだ」
「ローズは随分と簡単に、断言する」
「そりゃあ私は父母に――と言っても血は繋がっていなかったが――そう育てられたからな。そしてそれが、間違っているとは決して思わぬ」
「良し悪しは、どうやって決めるのだ?」
「親が己の信ずる所に従うしか、あるまい」
「それは独善であろう。親子と言えど他人、価値観を押し付けるべきではない」
「だとして、幼い子供に何の判断が出来る? 大人になって反発するなら、それも仕方あるまいよ」
「ふむ……ローズは反発したのか?」
「する前に生みの親も育ての親も、死んだ――だから私は両親に、恩も仇も返しておらん……」
乾いた山間の細道を二頭の馬が、パカラ、パカラと蹄の音を響かせて進む。馬上にある二人は一方が闇、一方が光の化身のようであった。けれど当人達は、それとまだ気付いていない。
「恩返し――それは、何に対してだ? 育ててくれた事か?」
ウィリスの問いに、ローザリアは首を捻る。
「そうだな……強いて言えば、愛してくれたことだろうか。誇り高い騎士であった父、優しく髪を梳いてくれた母――色々と不満はあったけれど、彼等との日々は正しく幸せであったからな」
「そうか。イサークどのは遠い未来、現在のことを、そうやって振り返ることが出来るだろうか?」
「どうだろうな? 少なくともイサークには父が居ない。ゲディミナスが多少の穴は埋めようが、歪な思い出になるかも知れぬ。しかしそれも、王侯の務めだろう」
「そういうものか?」
「……ったく……いつまでもグチグチと聞くなッ! ――知るかっ! 私は年下なのだぞッ!」
何故かローザリアが怒った。それはウィリスの深層が想像以上に空虚であり、それを自分に埋められるのか? という不安からだったのだろう。
今すぐウィリスを抱きしめて、不遇だった彼の少年時代を温かな思い出で埋めてあげたい。けれどそれは、永遠に出来ないことなのだ。
そして彼の空虚を最初に埋めたのが、イラペトラとミシェルであった。
やはりローザリアは、自分が後からやってきた新参者に過ぎない事を自覚する。
しかし今更、そんなことは認めたく無かった。
銀色の髪を振り乱して怒るローザリアに肩を竦めて、ウィリスは顎に手を当てている。
「――そうだな、すまん」
「いや、いい、謝るな。私はただ、あと十年ほど早く生まれて、お前の側で過ごしたかったと、そう思っただけだ。そうしたら、無性に自分に腹が立った」
「無茶を言うな。生まれる時も場所も――人は選べない」
ローザリアの気持ちが、ウィリスにも伝わった。それが柔らかな喜びとなって、ウィリスの穴を埋めていく。
ローザリアが頭を左右に振って、「それよりも――」と言った。話を戻すつもりのようだ。
「だいたい貴様が、そんな気持ちで接しているからイサークが懐くのだぞ! これで婚姻を迫られたら、一体どうするつもりなのだッ! ゲディミナス卿とて言っておったわ! ミラーどのの妻にリディアを、などとッ!」
「はは……まあ、そんな話が持ち上がっても、リディアさまがお断り下さろう。何せ彼女には、ミシェルのこともナディアのことも話してある。当然、近く子が生まれることも……な」
「そ、そうか。で――私のことは?」
「ん? 敬愛すべき最良の君主だと、そう申し上げたが?」
馬上で、ローザリアの頭がカクリと垂れた。
どうしてきちんと「最愛の女性」と言ってくれないのか、そこはかと無い不満である。
とはいえ仮に話したとしたら、その方が問題だろう。経緯を知らぬ者なら、領主と騎士の道ならぬ恋だと思うのがオチだ。
仮に思わなかったとしても、「騎士の妾になる領主」となれば笑い話にしかならない。ローザリアの立場が悪くなるだけだ。今となっては、他者に言える事では無かった。
「だが、そのわりにリディアどのは――その、近づき過ぎではないか? ウィルの気持ちはともかく、彼女が燃え上がっているのやも?」
「いや。リディアさまが俺に近づくのは、そういった意味では無かろう」
ウィリスの言葉に、ローザリアの柳眉が開く。ウィリスはそのまま、言葉を続けた。
「彼女は息子を守ろうと、必至なのだ。彼女は俺が、カラードの権力者だと考えている。或はローズよりも上の、な。それで近づくのだろう」
「だったら尚の事、リディアは貴様を籠絡しようとするかもしれんぞ」
「まさか……母親だぞ?」
「そのまさかだ。女とは、母になった者の方が恐い」
ローザリアがそう思うのは、ネイを見ていた実感である。
といって彼女は、ネイが子供を産む前の事など知らないが……。
一方でウィリスは、笑みを浮かべた。
まだ二十歳にならぬ身が、随分と知った風な口を利く――と思ったのだ。
「小娘が、女を語るのか?」
ウィリスは笑みを浮かべたまま、ローザリアに言った。
「お、おい……ウィル、私を小娘だと……!?」
「実際、そうだろう?」
「き、貴様が、私に手を付けぬからだッ! 私はいつだって、小娘など卒業するつもりだぞッ!」
「今の様な状況で、手を付けて良いとは思えん。大切な者ほど、手が出せないというのは本当かもな……」
「大切? 私のことがか?」
「他に、誰がいる」
ボンッ! とローザリアの顔が破裂した――そう思えるほど彼女は真っ赤になって、馬腹を蹴る。
「ば、ばばばばッ、バカも休み休み言えッ! 私なんて、どこにでもいる小娘なんだからなッ!」
彼女は見る間にウィリスの前を行き、横に広い、あの洞窟に辿り着いた。
◆◆
二人が洞窟の深部に到達すると、火竜ソテルがゆっくりと頭を持ち上げる。
竜の頭上は相変わらず、青空の天蓋だ。洞窟の深部にも関わらず、燦々と太陽が照っている。
ソテルが「ブォォ――」と荒々しい鼻息を吐く。珍しい客の到来に歓喜したものであろうか――乾燥した砂が巻き上がり、砂嵐のようになった。
ウィリスはローザリアを抱く様に庇い、砂嵐を背中に受けている。またもローザリアの顔が、真っ赤になった。
「ソテル――悪戯は止めろ」
「いや、すまん。近頃は暇でな。人が来たのが嬉しくて、つい……」
ウィリスの苦情に、ソテルが頭を下げている。ついでに尻尾が上下に揺れて、ビタン、ビタンと地面を打ちつけていた。
やはり悪い竜では無いようだ。
「今日は、どうしたのだ――人間ども」
「うむ……」
ウィリスは少し考えてローザリアの横に立ち、彼女を促した。
訓練に付き合えというのは簡単だが、その前にローザリアと話をさせた方が良いだろう。
何しろ戦いの訓練だ。始まれば、まともに会話をする余裕など無い。
「私はローザリア・ドレストス……ソテルどの――先日は無礼なことを申した」
「駄竜――と申したことか? ならば良い、気にしてはおらん」
「そうか、寛大なのだな」
「当然。竜とは雄々しく大きく、然して流麗なる生き物であるからして」
ソテルが口を大きく開けて、笑ったように見える。
竜の目は、まるで巨大な翡翠であった。陽光によって煌めき、虹のように輝いている。
一方ローザリアも大きな緑色の瞳だから、どことなく火竜に親近感が湧いていた。
「ところでソテル。実は貴殿に頼みがあって、ここへ来たのだ」
一歩前に進み出て、ローザリアが両手を腰に当てている。
到底、何者かに物事を頼む態度ではない――とウィリスは思った。
しかし竜もローザリアも、そんなことは気にしていないようだ。
どちらも何かが少しずつ、ズレている。
そのような所からか、火竜もローザリアに対して親近感を抱いたらしい。
「頼み?」
「うむ――実は、私に力を貸して欲しい。出来れば、私の騎竜になってくれたらと思っているのだが」
「ほう、それはそれは……ゲディミナスは、何と申した?」
「あの御仁は、ソテルさえ良ければ――自分はもう、ソテルを駆ることが出来ぬ故、と」
「なるほどのぅ……それなれば、力を貸してやりたいのも山々だが……」
「駄目なのか?」
「うむ――生憎と我の命も、もう長くは無い」
「なぜ……?」
ローザリアの問いに、言いよどむソテル。大きな瞳が、チラリとウィリスを捉えていた。
ウィリスは頭を左右に振って、「やれやれ」と呟く。
「あの時の傷が、原因か?」
「あのようなモノ――と笑い飛ばしたい所だが、そうなのだ」
ソテルは大きく頷いて、そのあと天を仰ぎ見る。
このような状況では、ウィリスの目的は果たせそうも無かった。
死に瀕した竜と戦闘訓練をしても、意味は無い。どころか、ソテルの死を早めるだけだろう。
「それは……何と言えば良いのか……」
「良いのだ、ウィリス・ミラーよ。それにな、我としては、生涯をゲディミナスの竜として終えたくもある」
ウィリスとローザリアは目を合わせ、頷いた。
ソテルの気持ちも理解出来るし、命尽きようとしている竜を引っ張り出す気にもなれない。
となれば目的は果たせそうも無いが、戻るしか無いだろう。
せめて飛竜の居所でも――と思っていたが、それも失礼な話だ。
二人が背を向けると、ソテルが慌てた様に翼をバサリと開いた。
「え、ちょっと……もう帰っちゃうのかな……?」
様子がおかしい、口調も変だ。
二人が振り返ると、ソテルは取り繕ったように長い首を擡げ、威厳を出して低い声音で言った。
「たとえ我が命尽きるとも、竜とは永遠である。だからそこ、新たなる生命が生まれた」
再び、盛大な鼻息を吹いた。砂煙が舞う。ソテルは、ゆっくりと身体を動かした。
その腕の下から、小さな赤い竜がヒョッコリと顔を出す。小さいと言っても、巨馬と同程度の大きさだ――「ピギャア、ピギャア」と鳴いている。
「可愛かろ?」
目を細めて、ソテルが小さな竜を見つめていた。
「それは?」
「我の子であり、新たなる我である」
「えっ!?」
驚きの声を上げつつ、ローザリアが三歩ほど前に出る。その先では、白い骨の様なモノが散乱していた。どうやら、卵の殻のようだ。
「ローザリア・ドレストスよ。竜の力を得たければ、この子ではどうかな? 小さくとも属性竜であるし、やがては強力な友となろう」
「お、おお! では、その小さき竜を友としたいッ!」
ローザリアが駆け寄ると、ソテルが目を吊り上げて牙を剥き出した。
「しかぁぁし――試練が必要だ。あらゆる竜騎士が皆、そうするようにッ!」
ソテルがローザリアを見下ろし、フンと鼻で息をする。
「よかろう。試練とは、何だ?」
「簡単だ。いと小さき竜に、認められれば良い」
「ふむ」
惹き付けられる様に、ローザリアが足を前に進めた。
巨大な竜の腹の下で、彼女は小さな竜を真正面から見つめる。
ローザリアは、竜のざらついた頬を撫でた。一人と一頭の双眸が交差する。それが合図となった。
瞬間、小さな竜が口をパカリと開き、炎を吹く。ローザリアは横に飛び、それを避ける。
炎を合図に、大きなソテルが上空に舞った。
ローザリアは、剣を抜かない。中腰に立って、生まれたばかりの火竜を睨んでいる。
「貴様、名は?」
「ピギャアッ!」
「まだ、言葉は喋れんか……」
ローザリアはジリと足を広げ、竜の背後に回ろうとしていた。
小さな竜はやたらと炎を吐く。単にそれが、嬉しいかのようであった。
決して攻撃的ではなく、ただ単に自らの力を試すかのようだ。
少なくともローザリアは今、そう思っていた。
ウィリスが剣を抜き、前に出る。
いかに小さいとはいえ、属性竜を相手に出来るほどローザリアは強く無い。守らねばならないと、彼は考えていた。
しかし上空を舞う巨大な火竜が、冷や水のように声を発する。
「やめよ、ウィリス・ミラー。ここで手を貸せば、小さき我は永遠に、ローザリア・ドレストスの竜にならぬぞ」
「ちっ! ……ローズッ、大丈夫なのかッ!?」
「大丈夫だ、ウィル! この程度の試練、越えてみせねばッ!」
炎の攻撃を躱しながら、右へ左へと移動するローザリア。そして徐々に、小さな火竜へと彼女は迫っていた。
仕方なく剣を納めたウィリスは、そのまま見守っている。
本当に危なくなれば、もちろん助けるつもりだが……。
しかし、この程度の試練を乗り越えられなければ、大陸を平定することなど夢物語であろう。
そう思うとウィリスは拳を握りしめ、ローザリアが火竜を制することを祈るしか無いのであった。
面白いと感じたら、評価、ブクマ、感想、宜しくお願い致します。
作者のやる気が上がります!
※評価ボタンは下の方にあります。




