56 嫉妬に燃えるローザリア
◆
シラクの政庁に戻ったウィリス達は、ゲディミナスに随分と歓待された。
味方になると決すれば、彼は裏表の無い、武人らしいサッパリとした性格だったのである。
改めて開かれたローザリアをもてなす宴には、先王の娘であるリディア・レイゼン、その息子であるイサーク・レイゼンも出席した。
リディアは母といっても、未だ二十七歳。ミリタニア王家の特色である紫色の髪も美しく、その微笑みは妖艶であった。
火竜ソテルを寸での所まで追いつめたというウィリスに、彼女は特別な興味を覚えたようだ。夫のフランツも偉丈夫であったから、体格の近しいウィリスに親近感を抱いたのかも知れない。
彼女は数多の客人をもてなしながらも、彼の杯に酒を満たすことが最も多かった。
「ミラー閣下はグラニアの将軍様で、あられたのでございましょう?」
「はい。リディアさまは、先のミリタリア王陛下のご息女とか……」
「そうですわね……といっても、もはや父も夫も失いましたけれど」
「それは、何と申し上げれば良いやら……」
「お気になさらず。今はイサークがおりますから」
杯に酒を注ぐごと、リディアとウィリスは二言、三言と会話を交わす。
もちろん、他意など無い。けれど周囲は、そんな二人を微笑ましく見守っていた。
宴は、政庁一階にある大広間で行われている。
立食形式なので、黒衣長身のウィリスはどうしたって目立つのだ。
といって、どこにも椅子が無い訳では無い。
部屋の隅には休憩用の長椅子があるし、上座とでも言えば良いのか――部屋の奥には三脚の椅子が並んでいる。
奥に並べられた椅子は、中央に領主であるゲディミナスが座り、向かって右にローザリア・ドレストス。左側にイサーク・レイゼンが座っていた。
中でもイサークは退屈なのか、卓の下に見え隠れする足をブラブラと揺らしている。その目は天井から鎖で吊り下げられたシャンデリアの灯りを眺め、心ここに有らず――といった様子であった。
そのイサーク・レイゼンこそ、ゲディミナスが命を賭しても守りたい、ミリタニア王家の直系だ。
彼もまた王家の特徴、紫色の髪を持っている。見た目も母親に似たのであろう、愛らしい八歳の少年であった。
「ウィリスさま――とお呼びしてもよろしいかしら?」
リディアがウィリスの杯に酒を注ぐのは、これで三度目のことだ。呼び方がついにミラー将軍からミラーさまをへて、ウィリスさまに変わる。実に短時間で、随分と距離が縮まったものだ。
とはいえ、リディアが女性としてウィリスに興味を示している――とは思えない。何かしらの意図があるのだろうか、とウィリスは考えていた。
「……構いません」
ウィリスが頷くと、リディアはニッコリと笑う。やはり意図が分からない。
だが次の言葉で、ウィリスは得心した。
「わたくしの息子を紹介致します」
つまり彼女は、イサークと自分を結びつけようとしていたのだ。
彼女からすれば、ローザリアが本当の意味で君主とは思えない。グラニアの将軍位にあった自分こそ、本当の支配者だと思ったのだろう。
だからウィリスに媚を売り、イサークの未来を安泰にしようと考えた。それで辻褄が合う。
「分かりました」
ウィリスは苦笑した。が、拒否する必要は無い。
ウィリスは銀杯を手にしたまま、リディアに導かれてイサークの前に出る。彼は八歳の少年に挨拶をした。
「ウィリス・ミラーと申します、殿下。よろしければ、乾杯を」
向こう傷のある厳めしい顔に、微笑を浮かべてウィリスが言った。
イサークは母とウィリスの顔を見比べ、僅かに眉を顰めている。母がウィリスに取られるのではないか――と不安だった。
一方、ゲディミナスを間に挟み、八歳の少年と同じ様に考える女性がいる。
奥歯をギリギリと鳴らすローザリアだ。
彼女は少年と逆で、ウィリスがリディアに取られるのではないかと不安を感じている。
暫く、この地に滞在するのだ。その間に寝取られたらどうしよう――と恐れていた。
もっともローザリアの場合は寝取られる以前に、ウィリスと寝ていないのだが……。
(あのババア――私のウィルに色目を使いおって!)
とかく自らの色気に自信の無いローザリアは、紫紺のドレスを身に纏う未亡人が気になって仕方が無い。
ウィリスの満更でもないような表情が、怒りの炎に油を注ぐ。
が――もちろんウィリスに、他意は無い。
リディアとイサークこそが今後ミリタニアの要になるのだから、せいぜい嫌われないように振る舞っているだけだ。
それもこれも、むしろローザリアの為である。
「イサーク・レイゼンです、よしなに。それにしてもミラーさまは、ずいぶん大きいのですね。父上――いえ、お祖父さまと、どちらが大きいのでしょうか?」
戸惑いながらもイサークは、礼儀正しく無難な言葉をウィリスに返す。
「さて――しっかり比べてみませんと」
「本当にウィリスさまは、大きいわ。フランツも大きかったから、イサークも嬉しいのでしょうね」
軽く首を傾げて答えるウィリスを、リディアが目を細めて見つめている。
瞬間、ゲディミナスはふと思った。いずれイサークがミリタニア王に即位するとして、それまで自分が生きていればいい。だが――もしも死んでしまったら?
その時はリディアが摂政になり、イサークが成人するまで国を預かることになる。
それで軍を抑え込めるのか? 他国と戦さになれば?
もしもウィリスがリディアの夫になれば、中継ぎとして丁度良いのではないか――。
ましてやウィリスはローザリアの忠臣だ、となればドレストスとの間も安泰だろう。
しかし、この案には問題がある。
万が一リディアとウィリスの間に男児が出来たなら、そちらに王位をと考えるかも知れない。
「ううむ――」
目を瞑り、唸るゲディミナスをジットリとローザリアが見つめた。
何やら不穏なことを考えている気がしたのだ。
「どうなされた、ゲディミナス卿」
「うむ――ミラー殿とリディアを結婚させてはどうかなと……我が国とドレストスを結ぶにも丁度良いし……」
「却下」
「む? なにゆえだ、ドレストス伯?」
「ウィルはもう、結婚している」
「なんと!?」
「正妻も副妻もいる状況で、まさかミリタニア先王の娘と婚姻など出来まい。しかもだ――」
ここで人差し指を立て口の端を吊り上げると、ローザリアは声を顰めて言葉を繋ぐ。
「正妻はグラニアの皇妹、副妻はトラキスタンの皇女だぞ。ミリタニアの王族程度では、妾にもなるまい」
言ったあと、何故だか自分の心に楔を打ち込んだ気のするローザリアであった。「くぅぅん」と、雨に濡れた子犬のような気持ちになる。
しかし、そんなローザリアとゲディミナスの思惑に関係無く、ウィリス、イサーク、リディアの関係性は良好なものへと変化しているらしい。
もともとが無口なウィリスを、イサークが好ましく思ったようだ。ウィリスの方も、近々生まれる子供を想い、イサークを優し気に見つめていた。
夫であるフランツを亡くして以降、塞ぎがちであったリディアも、ウィリスに武勇伝を聞かせてくれとせがむ息子を見て、頬を緩めていた。
「あまり血なまぐさい話をしても……」
「良いではありませんか、ミラーさま! ぼくも将来は将軍になりたいのです! 父上のように立派な!」
「はは……殿下が大人になられる頃には、大陸から戦さも無くなっていましょう。その為に、私達は戦っているのですから」
ウィリスはそう言って、イサークの頭に手を乗せる。
少し無礼かと思ったが、リディアも咎めようとしない。どころか目を細めて、ウットリとその光景を見つめていた。
「そうなると、嬉しいですわ」
これで、いよいよ我慢ならなくなったローザリアが立ち上がり、リディアとウィリスの間に割り込んだ。
そして鼻息も荒く、言い放つ。
「任せよ。戦さなど、今後十年で全て平らげてくれる」
ローザリア、まさかの発言であった。
だが、これこそが初めて公に記録される、ローザリア・ドレストスの大方針。即ち、『武力による大陸制覇』だ。
未だかつて公然とこれを口にした者は、グラニアの先帝イラペトラただ一人。その夢にこそ、ウィリス・ミラーは生涯を賭けようと思ったのだ。
そんな――かつての熱い思いが蘇り、ウィリスは目頭が熱くなる。
ローザリアが、こうまでハッキリ言ってくれたのだ。もはや自らの全身全霊を賭けるに、何の迷いも無い。
ゲディミナスも呆然として、立ち上がった。
彼はその野望を掲げるイラペトラに勝てないと思ったからこそ、この地に逼塞したのだ。
けれど今や、自らの陣営が掲げる大義となるのか……。
運命の皮肉にゲディミナスは、いやが上にも奮い立った。
ウィリスとゲディミナスが、互いに頷き合っている。男同士の熱い絆が、ここに生まれた。
が――二人の勇将を奮起させた発端は、単なるローザリアの嫉妬である。
それこそ、如何なる歴史家も辿り着かない真実であった。
――――
この宴席において、ゲディミナスは火竜がウィリスによって打ち倒されたことを正式に発表。生け贄の儀式が、廃止された事を皆に告げる。
そしてローザリア・ドレストスと同盟を結ぶことも合わせて表明し、王都スカイハイへの出兵を宣言した。
◆◆
王都スカイハイへの出兵は、二月後と決定された。
随分と時間が掛かるのも仕方が無い。ゲディミナスには、もともと出兵する気など無かったのだ。
とうぜん部隊が臨戦態勢のはずも無く、今から急ぎかき集める。となれば、その程度の時間は必要であった。
ましてや二万だ――物資を集めることとて容易ではない。
ともあれゲディミナスは急ぎ使者を四方へ派遣し、出兵の準備に奔走していた。
一方でローザリア達は暇だ。
シラク軍の軍監として留まったものの、ゲディミナスは疑いの余地無く良く働いている。
そんな時の軍監など、ニートと同様に無用の長物であった。
とはいえネイとしては、ゲディミナスが信用出来ない。尻を叩く必要があると思っている。
反対にゲディミナスとしては、あくまでもローザリアと結んだ同盟だ。
だから彼女が軍監としてシラクに留まることは、双方にとって願ったりの形なのである。
「……しかし、暇だ」
ロザーリアは内庭で幾度か剣の型を確認したあと、飽きもせず大槍を振るうウィリスに顔を向けた。
側でイサークがウィリスの真似をして、小さな槍を振るっている。
そんな二人をリディアが、ニコニコと見つめていた。
「暇……などと言っている余裕は無いぞ……このままでは、ウィリスを寝取られる……!」
キュッと下唇を噛んで、ローザリアが身を翻す。ウィリスの下へ行き、声を掛けた。
「なあ、ウィル。貴様の強さは既に、人知を超えている。となれば誰を相手に稽古をしても、これ以上強くなれないのではないか?」
半裸のウィリスは振り向いて、仏頂面で答える。
「かも知れん。しかし、だからと言って何もしなければ、弱くなるだけだ」
「いや――そこで思ったのだが……あの竜と稽古をしたらどうだ? ソテルと言ったか……あやつが相手なら、修行になるのではないかな?」
「ふむ……」
顎に指を当てて考えるウィリスを見て、ローザリアは「しめしめ」と思う。
日に日にリディア、イサーク母子と仲良くなるウィリスを見て、ローザリアは少し不安を感じていたのだ。
ライバルは引き離さねばならない。となれば――ここはシラクの政庁を離れるべきであった。
「では、わたくしもお供いたします!」
イサークが、元気に言う。リディアが「これこれ……」と言って止めに入った。
「うむ――イサーク殿には危険な場所ゆえ、ここは一つ、母上と城で待つが良い」
ローザリアは会心の笑みを浮かべて、イサークの頭を撫でる。
ガキめ――貴様は大人しく、寝台で寝小便でも垂れておれば良いのだ! と、考えるローザリアは下衆だった。
「は、はい」
イサークは頬を赤らめ、俯いた。
実のところ彼は、ローザリアに憧れを抱いている。
強く美しい年上の女性に、八歳の少年が憧れを抱かぬはずが無い。
が……根が残念なローザリアは、彼が自分に好意を寄せているなど思いもしなかった。
ウィリスはリディアとイサークを交互に見て、「よろしいか?」と問う。
ローザリアはむしろ、
(なぜ、そこで問う!)
と、ウィリスに対する憤怒を爆発させていた。しかし、良く考えれば領主の家族に問うのだから、彼の行動は至極まっとうである。
だが頬をヒクつかせながら、ローザリアはダメ押しをした。
「それに私も、あの竜に聞きたいことがあってな。可能なら、力を借りたいと思っているのだ」
「力を?」
「うむ……私の騎竜にしたい」
「……それは、いくら何でも無理だろう。ソテルはゲディミナス卿の騎竜だ。余人を乗せるとは思えんが……」
「なればこそだ――何しろゲディミナス卿は、もう竜に乗れないのだからな。ソテルとしても、時を無為に過ごすよりは良かろう?」
「なるほど。あの竜であれば、既に人にも馴れているしな。確かに話次第とも思えるが……」
「うむ。ゆえに道中の護衛を、ウィルには頼みたいと思っている。何せウィルは我が剣だし、これなら一石二鳥であろう?」
「我が剣」を強調し、リディアを睨むローザリア。
対してリディアは少し寂しそうな表情を浮かべたが、イサークの両肩に後ろから手を乗せ、言った。
「昔はミリタニア最強の武将だったのですけれど……たしかに、お義父さまも歳ですからね。ローザリアさまの御意のままになさる方が、ソテルも本望でしょう。ウィリスさまも、わたくし達に遠慮などなさらず、お行き下さいませ」
「う、うむ。リディアどのは、理解が早くて助かる。さ、行くぞ、ウィル」
少しバツの悪い感じで、ローザリアは頷いた。
なんとなく、未亡人からウィリスを奪う様な気がしたからだ。
しかしウィリスは気にせず、ローザリアに向き直った。
「そうか。なら、行くか――」
今後グラニア帝国と戦うなら、航空戦力は必須となる。
火竜をローザリアが使役できるようになれば、大きな力となるだろう。
仮に火竜が首を縦に振らなくとも、眷属たる飛竜の住処くらいは教えて貰えるかも知れない。
つまり最初からウィリスに否は、無かったのだ。
それなのにずっと、ローザリアが独り相撲を取っていただけなのである。
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作者のやる気が上がります!
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