55 火竜ソテルとゲディミナス
◆
ウィリスは矢を三本、立て続けに射た。彼の豪腕だ、その威力は常人を遥かに越える。
しかし火竜は躱すこともせず、真っ直ぐに口から炎を放つ。それは凝縮されて一本の束となり、高温をまき散らすエネルギーの塊となってウィリスに迫った。
人間の放つ矢など恐れる事は無いと、火竜は判断したのだろう。実際、口から放った炎は三本の矢を消炭にして、ウィリスに迫ったのだから。
ウィリスは槍を拾いつつ横に飛び、駆けた。
結果を見届けるまでもなく、炎の勢いが強い。巻き込まれれば、肉はおろか骨まで溶かされるだろう。
金属製の鎧が炎の熱を遮るなど、有り得ないことであった。
といって、ただ逃げるだけではない。
ウィリスは一気に距離を詰め、火竜の下顎に槍を突き付ける。
火竜の下顎は白く、鱗も幾分か薄い。
槍が刺さると鮮血が飛び、霧雨のように辺りを濡らしていく。
火竜が目を細め、頭を傾げてウィリスを見た。
「やるではないか、人間よ。久しく傷など、付けられておらなんだわ……」
火竜の野太い声が、ウィリスの驍勇を賞讃している。
が――だからといって、終わりではない。
竜が傾げた頭の先には、長い角がある。それが地面に振れる寸前で、横に薙いだ。
ウィリスを狙って放たれた、打撃である。
火竜の角は大きいだけでなく、鋭利でもあった。それは暴れる雄牛が数十頭、同時に飛び掛かってくる様なものだ。
ウィリスは左腕に装備した大盾で、角を受け止めた。
しかし、人間の力で受けきれるものではない。
彼は弾けとんで、壁面に叩き付けられた。盾は拉げ、鎧も背面が歪む。
一撃で、全てを覆す程の威力であった。
「ぐっ……」
小さく呻きながらも、ウィリスは再び槍を構えて……。
「ウィルーッ!」
口唇を震わせながら戦いを見守っていたローザリアが、たまらずに叫ぶ。
ウィリスの耳に、彼女の悲鳴が突き刺さった。降ろした面頬の奥で、苦笑する。
火竜を舐めていた――などと言ったら怒られるであろうか。
ウィリスは人間のままで、アレを仕留めようとしていた。それは火竜に対する、無礼以外の何もので無いというのに……。
ウィリスは、ここに至り考えを改める。
流石に殻門を一つも解放せず、火竜と遣り合うのは無謀であった。
だが――生きて勝てとの難問を突き付けられている。
全ての殻門を解放する訳には、いかない。
「やれやれだ……」
ウィリスは盾を捨て、胸元に手を当てる。門を開放する儀式であった。
「――第一、第二……第三まで解錠……!」
【コロセ、コロセ、コロセ、コロセ……】
ウィリスの心を、漆黒の闇が覆う。殺意が全身を包み、その中で揺らめく胎児のような気分だ。
決して悪い気分ではない。殺戮する為に生まれた者が、その使命を果たそうというのだから。
筋肉に心地よい緊張が走り、神経が研ぎすまされていく。ボコリと――彼の身体が一回り大きくなった。
「リィィィ……」
ウィリスの口から、うなり声が漏れる。それは人のモノではなく――まるで獣。
火竜ソテルは不快感に眼を細め、広範囲の炎で彼を焼こうとした。
「人ならざる者……か?」
そうであれば、火竜ソテルは先ほどの賞讃を取り消さねばならない。
悪鬼の類なら、全力で滅さなければ……。
火竜の口が上下にバカリと開く。紅蓮の炎がうねりを生じ、凄まじい熱波がウィリスを襲う。
しかしウィリスは、“ブォン――”と槍を横に一閃。
上下に分たれた紅蓮の炎が、地面と天井を舐めて彼の背後へ抜けていく。
ウィリスは走り、飛んだ。重装備の鎧を身に着けているとは思えない、まるで疾風だ。
火竜の足下から背中に駆け上がると、巨大な翼の根元にウィリスは槍を突き刺した。
だけではなく――穂先を背中に埋め込んだまま、彼は火竜の頭部に向かって駆ける。
たまらず火竜が飛び上がり、大空を舞った。
「おのれッ!」
火竜の背中を激痛が襲い、鱗に覆われた赤い顔が歪む。ガチリと噛み合わせた鋭い牙が、ギリギリと鳴った。
ソテルが己の死を予感するのは、数百年ぶりだ。久しく感じた事のない恐怖が、彼の臓腑を締め上げる。
かつて数十の竜騎士に囲まれ、槍を穿たれたても死ぬとは思わなかった。
否――あの時はむしろ、ゲディミナスと共に笑い合ったものだ。
しかし今は違う。
自分に食らいついた黒衣の騎士には、自分を殺せるだけの力が確かにある。
油断した――とソテルは思う。
適度に戦い戦闘力を奪おうなどと考えた自分が、酷く恨めしかった。
「ソテル……」
思わずゲディミナスが、不安げに空を見上げていた。
ローザリアはその様を見て、閃いたものがある。
パチリとパズルのピースが嵌ったかのような、そんな気がした……。
状況は岩山の穴から飛び出した火竜が、背面飛行をしている。
左右に揺らし、頭部に近づくウィリスを振り落とそうともがいていた。
こうなると流石のウィリスも、背中から振り落とされるしかない。
槍を竜の首筋に残して、ウィリスが落下していく。
身を翻した火竜が、落下するウィリスを追撃した。
だが落ちながらも背中の弓を取り、ウィリスは矢を番えて火竜に放つ。目を狙った攻撃だ。
結局ソテルはウィリスに対する追撃が行えず、上空を滑空した。
ソテルの脳裏には、近づけば殺される未来が映っている。それは高度に発達した竜の頭脳が見せるのだから、間違い無く起こり得る未来の像なのだ。
その隙に着地したウィリスは、二本の剣を抜き放って頭上を睨む。
「……リィィィィ……」
深紅に光った両の眼が、鬼火のように揺れていた。
――とはいえ、見た目ほどウィリスが有利という訳では無い。殻門を三つも開けば、そう長くは戦えないのだ。
全身鎧と兜のせいで彼の姿は隠されているが、その内側は悲惨であった。皮膚は赤く爛れ続け、血が噴き出している。早く殻門を閉じて魔力を回復に回さねば、命の危機さえある状況だ。
それを知ってか知らずか、火竜は悠然と上空を旋回していた。
――――
ローザリアはウィリスの戦いを見て、ずっと下唇を噛んでいる。
彼女は不死兵についての知識もあるし、今の戦いぶりから殻門をいくつか彼が解放しているであろうことは分かっていた。
そもそも属性竜と互角以上に戦うなど、尋常ではない。
それを一時間以上続けて、ウィリスの身体は一体どうなってしまうのか……。
ときおり爆風のような火竜の炎が彼女にも迫るが、それをリリーが盾となって防いでくれる。
そのリリーの表情も、かなり厳しい。銀の手甲を苛立たし気に、時折壁面へとぶつけていた。
これもまた、ローザリアに己の無力を感じさせるのだ。
(守られるだけで、何も出来ないなんて……)
冗談ではない――と思う。
自分がドレストスを取り戻すと決意して、どうして、いつも命を掛けるのがウィリスやリリーなのか。
そう思ったとき、今まで靄が掛かっていたようなローザリアの思考が一気に晴れた。
ゲディミナスが「ソテル……」と小さく呟いたからだ。
なぜ竜に襲われない村が、近隣にあるのか?
どうしてゲディミナスが、わざわざ案内を買って出たのか?
今、ゲディミナスは上空の竜を見上げ、竜もまたゲディミナスを見つめている。
何らかの意思疎通が図られている、そんな気がした。
だから火竜は上空を旋回し、ゆっくりと時間を稼いでいるのだ。
「分かったぞ。やはりこれは、全てが茶番だ」
そこまで考えて、ローザリアは決心をした。リリーに、そっと耳打ちする。
「ゲディミナスを人質にすれば、火竜は止まる」
不死兵の女が、ニンマリと笑った。
「半殺しにするぐらいは、しても良いのですわね?」
◆◆
「何をするかッ!?」
銀色の手甲が煌めき、ゲディミナスの脇腹を翳める。慌てて剣を抜き、彼は構えながら言った。
ローザリアは眼を細め、腕組みをしてゲディミナスを見つめている。まるで神罰を下す女神のように……。
「それは、こちらの台詞です。ゲディミナス卿」
「小娘がッ! 意味の分からんことをッ!」
「だから、それはこちらの台詞だと申し上げている。茶番は終わりだ――ゲディミナスッ! 貴様が竜を操っているのだろうッ!」
瞬間――上空から深紅の竜が猛然と迫る。
巨大なノコギリのような歯の間から、チロチロと紅蓮の炎が覗いていた。
「駄竜ッ、動くなッ! 動けば、この男を殺すッ!」
ローザリアが火竜を睨み、毅然として叫んだ。彼女の側に駆け付けたウィリスが剣を交差し、構えている。
が――それは不要であった。
背後に回ったリリーが、ゲディミナスの剣を叩き落とす。
ゲディミナスとしては、まさかこれほどの実力差があるとは思ってもみなかった。
振り返ろうとした瞬間、腕を捻られ、地面に膝をつく。
「動くんじゃねぇよ、クソジジイ。半殺しにする時間、無かったじゃねぇか」
「貴様……これ程の手練だとは……不覚」
火竜ソテルが動きを止めた。
その事実が、全てを雄弁に語っていた。
――――
「ウィルに火竜が勝てないと思って、逃げるよう合図でも送っていたのであろう」
「……」
「竜が逃げたら、外の騎士が洞窟の入り口でも塞ぐ手筈だったか?」
「……」
「生憎だが……外のハンスが貴様の衛兵如きに後れを取るなど、有り得んぞ」
「……」
「何とか言えッ!」
ローザリアが膝を折るゲディミナスの前に立ち、“タン”と足を踏み鳴らす。
リリーがゲディミナスの腕関節を極めていた。
一方のゲディミナスは、面食らっている。
ウィリスの強さもそうだが、年老いたとはいえ、女に後れを取るとは思わなかったのだ。
だがローザリアが足を踏み鳴らす音で、我に返った。ふと、本音が漏れる。
「……その……通りだ」
右頬の十時傷に指で触れ、嘗ての武勇を懐かしみつつゲディミナスは身を捩る。
もはや全てが露見したと見ていい。何しろ火竜ソテルが、自分を助けに来てしまったのだから……。
「逃げはせん、放せ」
ゲディミナスの声は、落ち着いている。観念したのだろうと、ローザリアは考えた。リリーに一つ頷き、彼を解放する。
「……包み隠さず真相を話せ。嘘を吐けば貴様も竜も、同様に殺す――ウィル! もういい! 戦いは終わりだ! 我らの勝利だッ!」
ローザリアは苛立たし気に叫び、ウィリスの側に駆け寄った。
すぐに彼の胸元へ手を置き、殻門が閉ざされていく事を確認する。
「ウリィィ……ィィ……」
黒甲の間から蒸気のようなモノが漏れて、ウィリスの身体が萎んだような気がした。立っているが、フラフラとしている。
「ウィルッ!」
抱きとめようとして、ローザリアも一緒によろけた。
もっと早く真相に気付いていれば、ウィリスを危地に送らなくても良かったのに……。
そう思えば、自分で自分が許せない。
ゲディミナスは、そんな二人を見て目を細めた。
だがソテルに目を移せば、胸が痛む。その首筋には、未だ槍が刺さっていたからだ。
「すまんが、槍を抜いてやってくれんか? 話は、その後でも良かろう。あのままでは可哀想だ」
ウィリスは頷いて竜に歩み寄り、登って槍を抜いた。「グゥウ」と竜が、くぐもった声を出す。
「貴様は……人か?」
自分の体から降りるウィリスに、竜が声を掛けた。
既に殻門を全て閉じたウィリスが、僅かに首を傾げる。
「さあな、自分でもよく分からん。人でありたいとは、思っているが……」
――――
ゲディミナスはローザリアとウィリスに真相を語り、頭を下げた。
聞けば王国を守らんとした忠臣の話であったから、二人は顔を見合わせ、互いに頭を振る。
実のところ全ての元凶は、領土拡張に邁進したイラペトラ帝であるようだ。
それとて大陸の為を思えばこそで、何を悪だと断ずることも出来ないことであった。
「全てぶちまけたら、スッキリしたわい!」
朗らかな顔で、ゲディミナスが言う。
リリーは壁に背を付け、じっと竜を見つめていた。
ウィリスとローザリアは釈然としない気持ちで、腕を組んでいる。
「さあ、煮るなり焼くなり好きにせいッ!」
地面に座り込んで腕を組む老人に、ローザリアは苦笑を見せた。
「だから、当初の予定通りで構わぬよ。兵を出してくれ」
「むぅ? 話を聞いておらなかったのか? わしはネイを信用しておらんと、そう言ったのだぞ」
「聞いていた。特に軍を駐屯させることが、不満なのであろう?」
「だったら――」
ゲディミナスが言い募ろうとするのを、手を挙げてローザリアが遮った。
「私は祖国を失った――だから分かる。祖国に他国の軍が居続けることは、到底許せるものではない。だが――」
そこで言葉を切って、また、言葉を繋ぐ。
「たとえ他国の軍が入ろうとも、ミリタニアは滅びていないのだ。このままネイさまを拒み続ければ、単純に滅ぼされるだけであろう。そうなれば、ウルドの属国どころか一地方領となるぞ」
「だ、だから――ここで軍の駐留を認めれば、やがてはそうなるだろうと……!」
「かも――な。早いか遅いかの問題かも知れぬ。しかし、別の未来が生まれる可能性だって、あるのだ」
「ふむ……可能性に賭けろ……と」
「ああ」
「分からなくは無い……しかし……」
まだ十八歳に過ぎないローザリアが、五十を過ぎた男を諭している。
これはウィリスも経験したことだが――何故か年下のローザリアが、やけに神々しい時があるのだ。
恐らく今のゲディミナスは、ローザリアにそんな神性を見出している。
「それに、ネイさまはリーネさまを大切にしておられる。それを貰ってくれと言うのなら、決してミリタニアを悪い様にはしないだろう」
「なるほど、かも知れん。が――しかし、その愛する娘を既に政治の道具となさるお方だ。もし男児が誕生すれば、きっとリーネさまとて使い捨てにしよう」
「当たり前だ……君主であれば、自国の発展に全てを利用するのは当然のこと。ゆえに情愛を信じつつも、決して油断してはならんのだ。そんなことも分からんとは、卿は少し、甘いのではないか? このような傷を持った武人――らしからぬことだな」
ローザリアが腰を屈め、嘲弄を込めた眼差しを持って、ゲディミナスの頬に触れる。
その動作に警戒したのか、火竜が首を僅かに擡げた。
ウィリスも剣の柄に手を掛け、警戒する。一触即発の気配が、再び訪れた。
しかし――ゲディミナスは大笑し、頭を掻いている。
「うわははははははっ! 何とも恐ろしい女だな、ドレストス伯は!」
笑いが収まるのを待って、ローザリアが目を細める。
緑色の瞳に、火竜ソテルよりも力強い煌めきがあった。
「そう思うなら、私に跪け――ゲディミナス。貴様に武人として、最後の華をくれてやる」
「ほう、小娘が言うのぅ――いったい何を視ておる?」
「ドレストスの奪還とグラニアの打倒」
「――ミリタニアはどうなる? 含まれておらんが?」
「貴様の働き次第だ。そもそも領土とは、己が力で奪い護るもの。私は貴様を利用する――だから貴様も私を利用しろ」
「……ぶわはははははっ! 正直! いや、正直なりッ!」
笑いを収めると、ゲディミナスも真剣な眼差しをローザリアへと向ける。
「なるほどな……ウルド公の対抗馬となるおつもりか?」
僅かに目を伏せ、ローザリアが微笑する。そして言った。
「ミリタニアが落ち着けば、私はその足でドレストス奪還に向かうつもりだ。これを後押ししてくれるなら、ミリタニアに兵を駐屯させぬよう、頼んでも良い」
「ほう。跪けと言ったその口で、同盟を持ちかけるか――まったく……まあいい、その可能性に賭けてやろうッ! ソテル、生け贄は中止だッ! 我らはこれより、ドレストス伯――いいや、ドレストス王の麾下に入るッ!」
火竜がじっとローザリア見て、声を発する。
頭を下げたその様は、まるで跪いたかの様であった。
「……承知した」
やり遂げたローザリアは、壁を背に腰を下ろしていたウィリスの下へ行く。
自分が戦った訳でも無いのに、ヘトヘトであった。
物音で目を開けたウィリスが、そっとローザリアを見上げる。兜は脇に置いてあった。
「君主らしくなってきたじゃないか……」
「必至で演じた。いつかこれが素になったらと思えば、そら恐ろしいが……」
「ふん……おしめが外れたようで、何よりだ」
「なっ……このッ!」
二人の声がゲディミナスに聞こえることは無かった。
彼は火竜の顔を撫で、「戦いを強いて、すまん」と謝っている。
「良い主に巡り会うのは、心地良いものであろう」
火竜ソテルの目は、まだローザリアに向けられていた。
きっと彼女の真意を知った上で、そう言ったのだろう。
晴れ渡った空は茜色に染まり、夕暮れとなっていた。
――――
一方ハンスは、大した事も無く過ごしていた。
緊張が走ったのは、上空に赤い竜が見えた時だけである。
俄に動き始めた騎士達を、さて殺そうか――と思ったが。
すぐに騎士達が動きを止めた為、柄に掛けた手を離し、再び彼等と談笑をした。
小さな岩に腰掛けミリタニアの騎士と話し込むうち、ハンスはある秘密を聞いている。
「なあ、あんた口は固いか?」
「はい――家令というものは、口が堅く無ければ出来ない仕事です」
「実はな、ここだけの話――生け贄は全員生きているんだ」
「ほう?」
「ほら、ここに来るとき見えた村があるだろう。あそこに全員、匿われているのさ」
「ほ、ほう!?」
「俺達の親父は、優し過ぎるんだよなぁ……」
「親父?」
「ゲディミナス侯のことだよ」
「貴族が親父と呼ばれてるッ!?」
ハンスは絶句した。
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作者のやる気が上がります!
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