53 老将
◆
夜が明けると、早々にハンスが起き出した。
ミラー家の家令であった頃の名残で、彼はウィリスが目覚める前に起きるのが習慣になっている。
ハンスは木窓を明けるついでに、寝台で横になるリリーに目をやった。
本来であれば侍女である彼女も、主より先に起きるべき立場であるからだ。
リリーはハンスの視線に気付くと、首を左右に振っていた。
「私が起きれば、コレが起きてしまいますわ」
小声で説明して、リリーは僅かに掛け布を捲ってみせる。
彼女は今、ローザリアに抱きつかれて身動きが取れない状態にあった。
女性としては大きなリリーの身体が、どうやらローザリアにとってジャストサイズの抱き枕だったらしい。
ローザリアは今リリーに足を絡め、左腕に巻き付く様にして眠っている。
ちなみにローザリアの涎が肩にべっとり付いているので、リリーはかなり機嫌が悪かった。
(このクソガキ、起きたら覚えてろッ!)
リリーがローザリアをそっと引き剥がす為、身動きをする。
しかし残念なことに、その物音でウィリスが目を覚ました。
「なんだ……皆、起きていたのか……」
つられてローザリアも目を覚まし、「ふにゃ?」と恍けた声を出していた。
これは、決してローザリアが鈍いのではない。
あくまでも不死兵である三人が、殆ど物音を立てずに動けるからこうなるのだ。
「おはようございます、ローザリアさま。お目覚めでしたら、離れて頂けると助けるのですが……」
「う、うむ?」
ローザリアは裸眼のリリーを初めて見つめ、思わず呆気にとられていた。
「リリーは美人だな」
寝ぼけ眼で言うローザリアに、リリーが首を傾げている。
「リリーほどの者が私の側にいてくれること、心から頼もしく思っているぞ。いつもありがとう」
「なっ……なっ!? あ、朝から何なのですかッ!?」
「ん? 爽やかな朝だし、感謝の気持ちは口に出さねば伝わらんだろう?」
「か、感謝なんて、わたくし、当然のことをしているまでですわッ!」
「うん、全てはウィルの為――というのだろう? だが、その為に昨日も夜を徹して私を守ってくれたのだ……私もリリーを大切にせねばな」
ローザリアはニッコリと笑っていた。
どうやらリリーが眠らずに警戒していたことを、彼女は知っていたらしい。
二度ほど目を瞬いて、リリーはローザリアから目を逸らした。
ウィリスに目を遣ると、彼は軽く頷いている。
「主君……か」
口の中で小さく呟いて、リリーはもう一度ローザリアを見た。
彼女はまだニコニコと笑いながら、リリーを見つめている。
「――でも、ウィルはやらんけどな!」
やっぱりローザリアは嫌いだと思い、リリーは冷然と眼鏡を掛けるのだった。
――――
ウィリス達は洗面と軽い朝食を済ませると、すぐにゲディミナスの館へと向かう。
ゲディミナスの館は、三つの尖塔を繋ぐ形で成り立っていた。
尖塔の屋根はドーム状で、色鮮やかな青色だ。
それが黄金色の朝日を反射して、遠くからでも実に良く目立っていた。
「これなら道にも迷わんな」
ウィリスは馬上からゲディミナスの館を眺め、呟いた。他の三人も頷いている。
こうして館には、すぐ到着した。
一行が通された部屋は、館に幾つもある応接間の一つだ。
中でも主が最も大切な賓客を招く時にのみ使われる、最高級の部屋だとローザリアは家令に説明を受けている。
「見事な螺鈿細工だ……」
ローザリアは革張りの長椅子を指で撫でながら、机の紋様を見つめていた。
黒地に草をかたどった縁取りがあって、中央に大輪の花の柄がはめ込まれている。
一方ウィリスは部屋の壁に浮き上がった柱を見つめ、柱頭の彫刻に感嘆の声を漏らしていた。
間違い無く、東西の帝国が一つであった頃の柱だ。それを何処かの遺跡から発掘し、部屋に埋め込んだのだろう。これほど見事な形で現存しているのは、実に珍しい。
「これほどのモノ、ネイさまとて手に入らんぞ」
「ああ。辺境にありながら、栄華を極めている――といった風だな。だいたい螺鈿細工など、いったい何処と交易をして得たのだ?」
ウィリスとローザリアが、顔を寄せ合って言葉を交わす。
今、椅子に座っているのはローザリアとウィリスだけであった。
ハンスとリリーは隣室で控えている。そうするように言われたからだ。
だからウィリスが周囲を窺っているのは、実のところ華美な調度を見る為ではない。
ゲディミナスが兵を伏せていないか、確認しているのだ。しかし、今のところ気配は感じない。
「困っていると吹聴しておきながら、この部屋を見せるとは……やはり罠か?」
「どうかな――単に見栄という可能性もあるが……」
「では、本当に困っているのか? だったら見栄など張らずとも……」
「もしくは、ここで殺すつもりか……」
「そんなことをすれば、ネイさまを敵に回すのだぞ?」
「その代わり、現在のミリタニアに帰順出来る」
「そうする利が無い」
「とは、俺も思う。だが用心の為だ――迂闊に茶は飲むなよ」
ウィリスの言葉に頷きつつ、ローザリアは目の前にあるカップに目を落とした。
薄茶色の液体が、白磁の容器に満ちている。
立ち上る湯気が運ぶ香気は、とても毒と思えない。「飲みたいな」と思う。
しかし首を左右に振って、ローザリアは容器から目を離した。
茶の類が大好きなローザリアだから、目の前の茶が良いモノだと認識している。
だが毒が含まれている可能性を考慮すれば、迂闊に飲む訳にはいかない。
ローザリアはブルリと身震いしてから、そっとウィリスの腿に手を添えた。
ウィリスは太腿に置かれた手に手を重ね、ローザリアに小さく頷いている。
「何があろうと、お前のことは守る」
二人は互いに見つめ合い、頷いていた。
「お待たせ致しました。シラクの領主、ゲディミナスと申します」
暫く待った所で、老人というには些か筋骨の逞しい男が現れた。
男は微笑を浮かべ、申し訳無さそうに軽く会釈をしている。
二人は重ねた手を離し、すぐに立ち上がった。
「お初にお目にかかります、ゲディミナス閣下。私はローザリア・ドレストス、こちらはウィリス・ミラーと申します」
ローザリアは悠然と笑顔を浮かべ、挨拶をした。
今や彼女も内心の不安や焦りを隠す術を、十分に身に着けている。
ウィリスも立ち上がり、小さく頭を下げていた。
が――ウィリスは内心で、ゲディミナスの体格に驚いている。
(俺と変わらんぞ……)
自分と目線を同じくする男と、ウィリスは久しく会っていない。
それこそ、ムスラー公エーリク以来であろうか……。
ウィリスは額に汗を滲ませ、ゲディミナスの挙動を目で追っていた。
しかしゲディミナスは柔和な笑みを崩さず、掌で椅子を示している。
「これはこれは、ご丁寧に……ささ、お座り下さい」
ゲディミナスは言った。低音だが艶のある声は、雄大な自然の中を歩む獅子を思わせる。
彼の右頬には古い十時傷があった。本来ならウィリスの顔と同じく、相手に圧を与えるような傷だ。
しかし白くなった髪や眉毛のせいで、厳めしさは感じない。
とはいえ――服の上からでも分かる隆として引き締まった身体は、彼が未だ戦闘の現役であることを想起させる。
ちなみに服は、涼し気な白いチュニックだ。金の刺繍が、彼の高貴な身分を示している。
(油断できんな……)
ウィリスは「やれやれ」と思いながら、静かに腰を下ろした。
周囲に兵の気配が無かったのは、ゲディミナス自身に圧倒的な力の自負があるからだろう。
その彼が、微笑みながら口を開く。
「この様な辺境までお越し頂き、恐縮です。ところで本日は、どのようなご用件でしょうかな?」
ゲディミナスを真っ直ぐに見つめ、ローザリアはハッキリと言った。
「辺境と申されるが、随分と潤っているご様子。単刀直入に言わせて貰いましょう――ウルド公の為に、是非にも兵を出して頂きたい」
「ふむ……そうですなぁ……そうしたいのは山々なのですが……おや、茶が冷めてしまったようですな。随分とお待たせしたようだ……」
ゲディミナスは侍女を呼び、ウィリスとローザリアの為に新しい茶を用意させた。
余計なことをするのは、思考する時間を稼ぐ為であろう。ローザリアはそう考えた。
「であれば、兵を動かされませ。ウルド公への忠誠を示すことは後々、貴殿の為にもなりましょう」
「……ふむ」
ゲディミナスは目を閉じて、軽く茶を啜る。自分の分も運ばせていたのだ。
侍女は同じポットから三つのカップに茶を注いだので、毒ではないと示す意味もあった。
もっとも、カップに毒が塗布されていれば、どうにもならないのだが……。
ローザリアも、茶を口に含んだ。
こちらが疑っていることを、ゲディミナスは知っている。だからこそ茶を飲んで見せたのだ。
ウィリスはローザリアの意図が理解できたものの、ここ一番での彼女の度胸には驚かされていた。
ウィリスが額に汗するのを見て、ゲディミナスが小さく笑う。
ローザリアの胆力を評した笑みであることは、明白だ。
しかし彼はすぐに眉を顰め、精一杯の困り顔を浮かべて見せた。
「――それは以前、ウルド公にも申し上げたはず。我が領地には竜がおりましてな……些か困った事態となっております。到底、兵など出せる状況にないのですよ」
「では、その竜を倒して差し上げる」
いきなり切り出したローザリアに、ウィリスは目を丸くした。
もちろん、ゲディミナスも同様だ。
「倒す――とは……火竜ですぞ?」
「むろん、火竜です。火竜によって困った事態に、なっておられるのでしょう?」
「それはそうですが……ドレストス伯のお申し出は、些か荒唐無稽かと思われます」
「何がでしょう? 昨日少し調べさせて頂きましたが、このシラクでは竜が生け贄を要求しているそうですね。それで月に三人を竜に与えているのだとか――これを討伐することが叶えば、閣下の評判も上がりましょう?
まして私が倒して差し上げると申しているのです――仮に失敗しても、あなたの懐は全く痛まない」
口の端を軽く持ち上げ、ローザリアはゲディミナスを挑発している。
「ドレストス伯、流石に無礼が過ぎましょう」
ウィリスが嗜めたが、ローザリアは止まらない。
「そもそも火竜は、貴殿の騎竜だったのでしょう? それが領民を喰らっているなど、耐えられるのですか?」
ゲディミナスは苦笑して、頬を掻いている。
「然様、アレは私の騎竜でした……私が十ばかり若ければ、どうにか出来たのでしょうが……今のアレは手が付けられませぬ」
「それ程に、火竜とは強いのですか?」
ローザリアが、ごくりと唾を飲み込んだ。
「そも、属性竜に人が勝てるとお思いか? 火竜が強き戦士を求めるのは、遊び相手を欲するようなモノなのです」
ゲディミナスが目を細め、ウィリスを見ている。彼も流石に、ローザリアが戦うとは思っていない。だからこそ、ウィリスを脅しに掛かったのだろう。
「なるほど――それは愚かな竜ですな。殺されるとも知らずに、鼠が猫を呼び寄せるようなものだ……」
「貴殿は、我が竜を鼠と仰るか?」
ゲディミナスの眉が、一瞬だけ跳ね上がった。
「失礼……火竜は未だ、閣下の騎竜でしたかな? であれば、鼠と称したは間違いでしたが……」
「そうだな、もはやアレは、私の騎竜ではなかった」
じっと目の奥底を覗き込むようなウィリスの視線から、ゲディミナスは目を逸らした。
ウィリスは頷き、ローザリアに目配せをする。
(なるほどな……ウィルめ、カマを掛けたのか)
このときローザリアはウィリスのお陰で、ゲディミナスと火竜の間にあるであろう友誼を確信した。
「ウィル――戦うべきは火竜であって、ゲディミナス閣下ではないぞ」
呆れた様に肩を竦め、ローザリアが苦笑して見せる。
ゲディミナスもここで膝をポンと叩き、笑って見せた。
先ほど怒りの表情を見せた事を、打ち消すような笑いである。
「ハハハハハッ! いや、ミラー将軍であれば確かに、勝てるかも知れませんなぁ!」
「ははは……閣下にお墨付きを頂けたようで、私も安堵しました――ところで……」
ローザリアはゲディミナスの顔色を伺いながら、言葉を選んでいた。
ゲディミナスも笑いを収めると、冷えた眼差しでローザリアの挙動を観察している。
「一つ、確認したいことがあるのですが……」
「何ですかな、ドレストス伯?」
「ウィリス・ミラーが火竜を倒したなら、必ず兵を出してウルド軍に合流して頂けるのですな?」
「むろんのこと、約束致しましょう。我らもネイさまと合流致したく、うずうずしていた所ですからな」
「ところで、火竜の名を聞かせて頂いても構いませんか?」
「ええ――名は、ソテルと申します。共に幾多の戦場を駆け巡った、良い竜です」
「その竜――本当に殺してもよろしいのですか?」
「可能であるならば、どうぞ」
ウィリスは二人の会話を聞きながら、どうにも自分の方が腹芸は苦手なのだなと苦笑している。
ローザリアの成長は嬉しいが、半面自分はどうあっても武将の枠を超えられないと、忸怩たる思いも抱いていた。
とはいえ、今の言葉でローザリアが言質を取った事は分かる。
そしてローザリアは、言った。
「では早速、火竜の討伐に参りましょう」
「おお、ドレストス伯、腕がなりますぞ」
「何? 今から討伐に行かれると申されるか?」
初めて、ゲディミナスの顔が明らかに歪んだ。
「むろんのこと、善は急げと申します」
立ち上がって拳を握るローザリアに対し、ゲディミナスは明らかに狼狽えていた。
「い、いや――せめて明日まで待ってはどうかな? 準備などもあろうし……」
「武具は揃っております。それにウルド軍と合流して頂くことを考えれば、早い方が良い。私としては案内人を一人でも付けて頂ければ、それで十分。すぐにも行って参りましょう」
ウィリスも立ち上がり、拳をメキリと握っている。
ゲディミナスが何か策を弄するなら、まず火竜と接触を図るはず。
だからこそ彼が火竜と接触を図る前に、こちらから仕掛けたいのだ。
「そうか、そうであれば、せめて案内人は私が務めよう」
ゲディミナスの表情は、随分と落ち着いていた。
もはや腹を括ったのであろう。
流石にゲディミナスも老獪である。
すぐに大きく頷くと、立ち上がって言った。
「よろしい――我が愛竜であったソテルの死――それが真実訪れるか否か――この勝負、とくと見届けけさせて頂きましょうぞッ!」
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作者のやる気が上がります!
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