52 ドレストスまでの距離
◆
ゼナが去った後、ローザリアはウィリスをまじまじと見た。
「どういうことだ、ウィル? ミリタニアを私の傘下に入れるなど……ネイさまに対する裏切りだぞ?」
「裏切りではないさ。ゲディミナスが誰の庇護下に入るのかは、自分で決めること。ローズがウルド公の臣下になりたいのなら、忠誠を尽くすのもいいだろう。けどな、ウルド公はお前を従属君主と見ているぞ。それはつまり――」
「つまりなんだ……意味が分からないぞ、ウィル」
酔眼で膨れっ面をしたローザリアを、ウィリスは苦笑しながら見つめている。
「いいか、ローズ。ウルド公はな、お前が自分の隣に並びうる存在だと認識している。それを面白がってもいるだろう。しかし――同時に恐れてもいる」
「だからネイさまはウィルを、私からとり上げようとしているのか? 火竜なんかとぶつけてまで……」
「俺が死ねば、そうだな――次はイゾルデ辺りか……そうしてローズから一本一本牙を抜き、最後にドレストスという餌を与えて臣下にする――まあ、ウルド公にしてみれば、グラニアの元将軍というのは危険極まる存在だろう……それをローズの手元に置いたままでは、安心して眠れんと言ったところか」
ローザリアが表情を険しくした。
薄々気がついていたのだ――ウルド公が自分を警戒していることは。
しかし、それでも彼女の愛情は本物だと思っていた。
いや――本物には違いないのだ。ただ、その愛情がウィリスやイゾルデには注がれないというだけで……。
「なぜ、ネイさまは私などを警戒するのだ……」
「子供の存在、だな」
「子供? リーネさまか?」
「ああ。そしてもう一人、生まれるのだろう?」
「うむ、ウィルの子と同い年になるな」
「ならば、さぞや心配だろう」
「なぜだ、分からんぞ、ウィル」
「つまりだ、ウルド公は母親として、子供の脅威を出来るだけ少なくしてやろうと考えている」
ローザリアは首を傾げ、「うーん」と唸っていた。
「それがどうして、ウィルやイゾルデを消す事に繋がるのだ?」
「まず第一に、俺達がいるとローズが独力で領土を切り広げることが出来る」
「当然だ。ウィルは我が剣なのだし」
むふん――とローザリアがささやかな胸を反らす。
ウィリスは僅かばかりの自己主張をするローザリアの胸をチラリと見て、ほんのり頬を赤くした。
彼女に対する劣情が、日に日に強くなってくる。
ミシェルが妊娠してからというもの、女性の身体に触れていないウィリスだ。それも仕方が無いのだろう。
しかしそんな思いを、おくびにも出さずにウィリスは説明をした。
「ウルド公は、こう考えるのだ――自分が生きているうちは良いが、リーネの代にはウルド家とドレストス家の力関係が逆転する可能性があるぞ、と」
「そんなの、ほんの数年であろうが。さほど私とネイさまの年齢は変わらぬ」
「その、ほんの数年で世界は変わる。今の現状を見ろ――まあ、他にも色々と理由はあろうが、これ以上の憶測を言っても仕方が無い」
ローザリアは唇を震わせ、両手をギュッと握りしめている。
今いる世界が甘いなどと考えたことは無いが、これでは余りに世知辛過ぎる。
自分は誰からも後ろ指を指されない様、正義の道を歩んでいるつもりなのに、常に背後を脅かされている感覚だ。それも、味方だと信じたい人に……。
もしもこんな道を歩まなければ、幸せになれただろうか?
否――と、ローザリアは考える。
この道を歩まなければ、ウィリスには出会えなかった。
ならば自分は、道を間違えてなどいない。突き進むべきだ。
けれど進めば進むほど道は険しくなり、血みどろになっていく。
「私はウィルを失いたくない。ドレストスも取り戻したい……そしてグラニアを滅ぼすことが出来れば、十分なのだ。ネイさまにとって代わろうなどとは、露程も思っていない。
だいたい、私とネイさまの理想は同じモノだ――世界を平等にしたいと願っている。それはウィルだって同じ願いだろう? イラペトラ帝の理想だ……リーネさまを守り立てよと命じられれば、そのようにもする……それなのにどうして、私を試す様なことを……」
ローザリアが、首を左右に振っている。
ウィリスは溜め息交じりに、彼女を見つめていた。
好むと好まざるとに関わらず、ローザリアは君主として優れた資質を持っている。
だからこそ、孤独であらねばならないのだ。
しかしネイもまた、同じく君主である。
だから彼女以上に、ローザリアの気持ちを理解出来る者もいないのだ。
もしもローザリアがネイの娘であったならと、ウィリスは思わずにいられなかった。
「重要なのは、あくまでも忠誠心の証明だ。だからウルド公は今回の任務を、ローズに与えたのではないか? 俺を見捨てて竜に挑ませれば、一先ず良し――そうでなければ、対応が変わっただろうな」
「では……ウィルが火竜に勝ったなら、今後もこのような事が起こり得ると言うのか?」
「うむ。支配者の猜疑心ほど根深く、タチの悪いものは無いからな。手を変え品を変え、際限なく難癖を付けてくるだろう」
下唇を噛むローザリアを見ながら、ウィリスは杯に口を付けた。
「私はネイさまを尊敬している。君主としても女としても……だから、敵になどなりたくは無い」
「だったら、一つ手があるぞ」
「なんだ?」
「俺が死ねばいい。そうすれば多分、イゾルデも去るだろう」
「何をバカな事をッ!」
ローザリアが激しく両手をテーブルに付いた。上に乗った皿や杯が宙に浮き、ガチャリと音を立てる。
「……ローズ、俺は別に、ウルド公の敵に回れと言っている訳じゃあ無い。ただ、彼女の手の及ばぬ立場を目指せと言っているだけだ」
「そんなの、今の私では無理だ。確かにカラードを得たが――ウルド公無くして、この身分は立ち行かぬ」
「ローズはカラードの領主になりたかったのか? 違うだろう?」
「それは、そうだが……しかし現状の私はカラード辺境伯なのだ。これを足掛かりにせねば――」
「だからこそ、ミリタニアなのだ。ミリタニアの南東には、何がある?」
ハッと目を見開き、ローザリアが身を乗り出した。
「ドレストス……ドレストスがあるぞッ!」
「そうだ」
ウィリスは大きく頷いて、ローザリアを見つめている。
「我が軍五千の兵がミリタニアを無事に通過出来れば――ドレストスを取り戻すことも容易い。何しろグラニアの状況が状況だ」
「つまりゲディミナスを私の味方に付けて、南征の後押しをさせるのだなッ!?」
「そういうことだ。そしてそれは、ゲディミナスにしても旨味のある話」
「……なぜ?」
「もしもウルド公に従属しただけなら、傀儡政権になることは避けられん。が――ローザリアが独立君主としてドレストスを手中に収めれば、勢力が二分する。少なくとも、その可能性が見え隠れするだろう?」
「なるほど――政治的な駆け引きが可能になる、ということか」
ローザリアは素早く頭を回転させて、勝算を考える。
「……まさかヴェルナーが去ったのも、この考えを見越してのことか? ならば対策を立てられるやもッ!?」
「いや、今のグラニアに対応策は無い。策を用いてトラキスタンを二つに割ったのが、その証拠だ」
ローザリアが「むむ……」と唸って首を傾げた。
「だが――問題はまだあるぞ。ネイさまはミリタニア攻略後、私のドレストス侵攻を許すだろうか?」
「俺が火竜を討ち取り、ゲディミナスの支持を取り付けたなら反対のしようが無い。ナディアが言うには、ネイがダダを捏ねるようなら、カラードを返還しろ――とのことだったぞ」
「ふはっ! それは剛毅だなっ! そうすれば、確かに喧嘩になどならぬ!」
確かにカラードと引き換えなら、ドレストスに攻め入る許可くらい出すだろう。
北方に直轄地が増えて、南方の支配領域が拡大するなら、ウルド公に損は無い。
だが――とローザリアは額に手を当て、考え込んだ。
非常に魅力的は話だが、それもこれもウィリスが火竜に勝てばこそ。
さらに、ゲディミナスを説得するという難題も付いている。
(千載一隅の機会ではある。しかし、自分に出来るだろうか?)
心臓が早鐘のように鳴るのを自覚し、ローザリアはウィリスを見た。
結局は一か八かの賭けになるし、まだまだ情報が不足している。
ローザリアは一端部屋に戻ろうとウィリスに言い、席を立った。
「リリーとハンスの持ち帰る情報を聞いてから、判断をしたい」
「それが良いだろう」
ウィリスも同意して、立ち上がった。
◆◆
ウィリス達は、大きな部屋を一つ借りている。何事かあれば、即応する為だ。
ゲディミナスの意図が分かるまで、ウィリスはここが敵地であると思うことにしていた。
部屋の調度品は、大きな寝台が二つと長方形の古ぼけた机。その机を間に挟んで、長椅子が二脚だ。
ウィリスはローザリアより先に部屋へ入って、侵入者や罠の有無を手早く確認する。
「問題無い」
「うむ」
緊張の糸が切れた為か酒のせいか――ローザリアはすぐに寝台へと向かって行った。
トーンとつま先で飛び、華麗にダイブ。ローザリアは寝台の上でうつ伏せになり、大の字になって転がった。
「ウィルー」
とりあえず、ローザリアがウィリスを呼ぶ。甘えたい気分だった。
が――しかしウィリスの反応が無い。
ローザリアはむっくりと起き上がり寝台の端に腰掛けると、隣を手でポフポフと叩いてみる。
「こっちに来い、ウィル」
笑みを浮かべるローザリアは、久しぶりにウィリスと寝る気マンマンであった。
流石に肉体関係までを求めるつもりは無いが、引き締まった筋肉に抱きついて眠りたい。
その為にも二人きりでいる間に、言質を取ってしまいたかった。
しかしウィリスは素知らぬ顔で長椅子に座り、剣の手入れを始めている。
竜と戦うことを想定して、大剣と長槍、長弓などを彼は持って来ていた。
(これから全ての武器を手入れするのか――)
ちょっとした絶望がローザリアを襲った。
しかし、こんなことでめげる彼女ではない。
敵が来ないなら、こちらから攻めるべき――と訳の分からないことを考え、ローザリアはウィリスの隣に腰を下ろした。
「なあ、ウィル――せっかく二人きりなのだ、たまには良いだろう?」
「何が、たまには――なんだ?」
「ちゅうとか……その程度で良いのだ……ちゅうだったらほら、もう私達はしている訳であるし……」
俯き、伏し目がちにローザリアが言う。
ほんのりと頬を朱に染めたローザリアは、実に美しい。
ウィリスとしても、本当は抱きしめて彼女と一つになりたかった。
けれど、今ではないと自制をして……。
「ローズ……間もなく二人も上がってくる。今は、そんな場合じゃあ無いはずだ」
「分かっている、分かっているが――」
ローザリアが呟くと同時に、扉がノックされた。
どうやら、ハンスとリリーが戻ってきたらしい。
ローザリアは諦めて、深く背もたれに身体を預ける。
そのままズリズリと下にずれて、剣の手入れをするウィリスの腋を見つめていた。
(はぁ……もう剣になりたい)
訳の分からないローザリアの思考は、すぐに中断を余儀なくされる。
これも、ウィリスのせいであった。
「二人とも、座ってくれ。得た情報を、詳しく聞かせてもらおう」
四人は机を挟んで、長椅子に座った。
ウィリスとローザリア、ハンスとリリーが同じ椅子に座るのは、立場上当然である。
というより本来ならローザリアだけが椅子に座るのが筋だが、彼女は既にウィリスの隣で液状化現象を起こしていた。これでは、どうしようも無い。
「火竜が生け贄を要求し始めたのは、五年前。つまりミリタニア東西戦争が始まった頃という話ですな……」
ハンスが静かに語り始めると、皆の目が注がれた。
次にリリーが仕入れた情報を語り、ローザリアに視線を送る。
四人が囲むテーブルの上で、蝋燭の炎が揺れていた。
影がそれぞれの後ろに伸びて、蝋燭の揺らめきに合わせてたゆたっている。
まるでこれから悪魔でも召喚しそうな、薄暗い雰囲気であった。
一通りの報告を聞いたローザリアが、こめかみを押さえている。
「……だとすると東西戦争の際も、東軍に対する参戦をこれで拒んだのであろうな」
「だが――東西戦争の際、西軍の大将は自分の息子だろう? だったら東軍への参戦を考えるよりも、西軍に付くのが筋ではないか?」
「それだよ、ウィル。私にも、それが解せないのだ。つまりゲディミナスは、どちらの軍への参戦も拒み、孫を抱え込んでいた――ということであろう? かつては竜騎兵として名を馳せた男が……全く解せん!」
ハンスが右手を上げて、意見を言う。
「思うに、家名の存続を願ったのではありませぬかな? 東西両軍が激突すれば、必ずどちらかが滅びる道理。しかし中立であれば――それも理由があってのことならば、滅ぼされはしないでしょう。現にこうして、ゲディミナスも孫も生きているのですから」
「では今回も、勝った方に尻尾を振るというのか?」
ローザリアの眉間に、縦の皺が入った。不快感を露にしている。
「さて、どうでしょうか? 今回は少し、事情が異なりそうですわ」
リリーの眼鏡が炎の光を反射して、朱色に輝いていた。
「すると狙いは、漁夫の利か――」
ウィリスが腕組みをして、背もたれに巨体を預ける。
拍子にローザリアの身体も動いて、ウィリスの懐に転がり込む。二人の顔が、同時に赤らんだ。
慌ててローザリアを元の位置に戻し、ウィリスが咳払いをしてから言葉を続けている。
「だ、だとしたら竜への生け贄は、全てが擬態なのか? 住民が嘘を言っているとしたら、辻褄も合うが……」
「いえ、そうは思えませんな」
ハンスは男女の客に聞いた母娘の話を例に挙げ、「ゆえに、擬態とは思えませぬ」とウィリスの意見を否定する。
「分からんなぁ……竜に対して弱腰の領主を恨まぬ民衆というのが……」
ローザリアは首を傾げ、唸っていた。
「確かに、どのような理由があったとて、人が竜に食われることを望むとは思えん。考えてみれば抵抗する者の一人や二人、いても良かろう。いかに不治の病とはいえ、家族を食われるのだ」
ウィリスは顎に手を当て、ローザリアの横顔を見る。
「私なら、唯々諾々と従ったりはしない。いくら不治の病の家族と言えど、天寿を全うさせたいと願う。
もしもウィルが竜に喰われるというのなら――きっと私は断固戦うと思う」
「俺も、もしローズがそんな目に遭ったら……いや……そんな仮定の話をしても、意味など無いが……」
ウィリスとローザリアの会話に、ハンスとリリーも頷いていた。
「だとすると考えられることは、ゲディミナスがよほど慕われているのか……もしくは圧倒的な恐怖によって住民を支配しているか、だな」
ウィリスの声を最後に、薄暗い部屋に沈黙が降りる。
しばらくして、ローザリアが静かに言った。
「どちらであれ、ゲディミナスの目的が分かったぞ……少なくとも火竜を利用していることは、間違い無い」
ローザリアの呟きと同時に、天井裏から物音が聞こえた。
ハンスの短剣が投じられ、木張りの天井が貫かれる。
「チュゥ〜」
物悲し気な鳴き声と共に、ポタリと血が滴った。
「ネズミですな」
短剣を引き抜きつつ、ハンスが言う。
むろんネズミでは無いことを、皆が承知していた。
しかし、それに気付いたと知られる弊害を回避する為、彼等はこれで口を噤む。
全員が、「いよいよゲディミナスは怪しい」と考えていた。
「安宿ですもの、仕方がありませんわ」
リリーが立ち上がり、手甲を嵌めて重心を低くした。襲撃に備える為だ。
しかし、それ以上の事は起らない。
とはいえ、これ以上の相談は筒抜けになる恐れがあった。
だからウィリスはローザリアに合議を打ち切るよう、目で合図を送る。
「……さて、夜も更けた。皆、そろそろ私は寝るぞ」
言葉とともに、ローザリアは寝台へと向かった。
彼女にとっての本番は、ここからだ。
当然ウィリスと眠るつもりだから、今から心臓がバクバクと鳴っている。
久しぶりにウィリスと密着して眠れる――そう思うローザリアの顔は、何処までも緩んでいく。
しかし、ウィリスは何喰わぬ顔でリリーに言った。
「ではリリー、ローズの護衛を頼む」
「分かりましたわ、ご主人さま」
ウィリスは部屋の隅へ行き、扉の横に腰を下ろす。そして剣を抱え、目を瞑った。
どうやら、座ったまま眠るようだ。だが、流石にそれではと、ハンスがウィリスの肩を揺すっている。
「そこは私が――お館さまは寝台をお使い下さいませ」
「……おいおい、敵地で俺に寝台を使えと?」
「なるほど――では私も、お供仕りましょう」
ハンスもウィリスの横で、剣を抱えて目を瞑る。
「待て! 私の護衛は貴様だろうッ、ウィル! 私と一緒に――」
ローザリアが寝台から飛び降りて、ウィリスの腕にしがみついた。
ウィリスは首を左右に振り、ローザリアの銀髪を優しく撫でる。
「正直に言う。今、お前と夜を共にしたら、俺は自分を抑える自信が無い」
ウィリスの言葉に“ボン”と顔を真っ赤にして、ローザリアは床に戻った。
リリーは僅かの嫉妬を胸に忍ばせ、ローザリアと同じ寝台に入る。共に寝るのは、刺客が迫った時の為の対策であった。
ローザリアが寝返りをうった。途端、彼女の顔がリリーの大きな胸に埋まってしまう。
どうしようも無い敗北感を抱いたローザリアは、フニフニとリリーの胸を揉んで、「いいなぁ」と呟き眠りに落ちた。
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作者のやる気が上がります!
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