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48 遷都

 ◆

 

 グラニア帝国歴二六五年は、波乱の幕開けとなった。

 皇帝ブラスハルトは帝国元帥たるゲートリンゲンの進言を受け、遷都を決定。

 帝都グラスコールより百キロほど南にある都市、エルファリアを新帝都と定めた。


 このとき皇帝ブラスハルトは、あらん限りの財、家畜、食料を帝都から持ち出したという。

 持ち出せない物は破壊し、燃やした。

 お陰でグラスコールに入城を果たしたムスラー公エーリクは、廃墟の中で寒さと飢えに苦しむ住民を目の当たりにし、絶句する事となる。


「エーリクどの……」


 廃墟と化したグラスコールの宮殿で、ゴード公ルネが声を震わせ盟友を呼んだ。

 宮殿すらブラスハルトは打ち壊し、燃やし、瓦礫の山と変えていた。

 ルネの細い足は生まれたての子鹿を思わせる程、ガクガクと揺れている。

 ルネの精神は、もともとが弱い。それでこの惨状を見ては、無理からぬコトであった。


 今、ムスラー公爵エーリクとゴード公爵ルネは、かつて荘厳であった宮殿の広間にいる。

 割れた天井から刺し込む陽光が黒く焦げた絨毯を照らし、栄華の残滓を濁していた。


 無造作に転がっていた金の杯をエーリクはしゃがんで手に取り、ルネに向き直る。

 エーリクは震える盟友の横顔を見て、舌打ちを我慢するのに必至だ。

 

 ルネが蒼白な顔をしている。

 いや――もともと彼は色白で華奢な男だ。もしもドレスを着て化粧でもすれば、貴婦人にも見えただろう。

 しかし喉仏だけはしっかりと尖り、彼が男性であることを主張している。

 その喉仏が幾度も前後に動いている様を見れば、ルネがどれ程この状況に絶望し、緊張しているかなど、言わずとも理解できるエーリクであった。


(俺とて、これ程とは思わなかったわ!)


 名を呼ばれても、どうすることとて出来ない。

 エーリクは盟友を見て、皮肉な気持ちになった。


「戦果、とは呼べんな……」


 エーリクは金杯の煤を払い、輝きを見てから投げ捨てる。

 カラン――と音を立て、杯が転がった。


「それよりも問題は、水だ」


 エーリクはこめかみに指を当て、「ふぅ」と息を吐く。


 グラニア軍は水道橋を破壊して、南方へと去った。それも七本全ての水道橋だ。

 これでは帝都の民を養う事など、到底出来ない。

 むろん帝都の民を養う義務など、ムスラー軍には無い。

 しかし飢えと乾きに苦しむ民を見捨てては、ムスラー軍の沽券にも関わろうというものであった。

 第一、エーリクの矜持が許さない。


 それにしても許せないのは、ゴード軍の体たらくだ。

 エーリクは色白で細身の盟友を見つめ、「女かッ!」と怒鳴りたくなった。

 彼はひたすら部屋でオロオロとして、部下に顔の煤を拭いてもらっている。

 その部下が美女だから、さらにエーリクは腹立たしくなった。

 しかも彼女は、最上級の将軍だと言う。


(俺の部下は、あのハゲだぞ!)


 エーリクは、八つ当たりがしたくなった。

 なので、先ほど転がした金杯を蹴飛ばす。

 杯は黒く焦げた玉座に当たり、椅子を粉々に破壊した。

 これで少しだけ、エーリクの気持ちが晴れる。

 ようやく落ち着いて、盟友の落ち度を問う事が出来た。


「何ゆえルネどのは、水道橋の破壊を見過ごされたか……」


 そう……グラスコールに向かう水道橋は、大半が西方にある山脈が源流の水を引いている。

 ルネがその気なら、グラニア軍の破壊行為は阻止出来たはずなのだ。

 

「そう言われても、まさか己が国の水道橋を壊すなどと……思わぬであろう?」


 茶色の髪と同色の眉を気弱そうに落とし、ルネが言う。

 エーリクの強面を恐れてか、彼は内股である。部下の女将軍共々、弱々しくモジモジとしていた。


(ぬぅぅぅああああッ! どっちも抱きたいッ!)


 と、少しエーリクが錯乱する。

 どっちもというのは、少しマズいだろう。ルネは男である。


「すぅーはぁー」


 ここで大きく深呼吸をし、エーリクはハゲの顔を思い浮かべた。

 初戦で快勝し、エーリクを悠々と上陸させたハゲ将軍ラッセル・ローケン。

 きっと奴が大勝したお陰で、グラニアは焦土作戦に出たのだ。

 もしもムスラー軍組みし易しと見れば、グラスコールの前に防衛線を張っただろう。

 そう思うと、あの弱気なハゲ面が異様に憎々しい。


 何が「敵の海将を討ち取ってしまいました……」だ。


「お前が本気で戦って殺さない相手など、世界に何人いるのだッ!」と怒鳴りたい。

 しかし、怒鳴れなかった。

 何故ならラッセルは今のところ海軍を纏める為、沿岸の街にいるからだ。

 

「ふぅ……」


 エーリクは溜め息を吐き、赤色に近い金髪を掻き上げた。

 言っても始まらないと己に言い聞かせ、何とか落ち着く。


 そもそもゴード軍に置ける勇将、猛将、名将の類は、悉くウィリス・ミラーに討ち取られている。

 何故なら彼を倒さんと、皆、勇敢に挑んだからだ。

 ゆえに現在ゴード軍に残っているのは、彼を恐れて戦わなかった者ばかり。


 エーリクとしても、ゴード軍の弱さは分かりきっていたことである。

 この女将軍にしたところで、軍を率いているだけマシと言わねばならない。

 行軍中に軍を分解させないだけでも、上出来なのだ。


「まあよい、ルネどのは郊外に陣を張り、軍の訓練を急がれよ。戦さにならなかったのは幸いだ。練度を上げ、後の戦さでグラニア軍に後れを取らぬよう、励んで頂きたい」


 落ち着きを取り戻した声で、エーリクがルネに言う。

 目を輝かせ、ルネは大きく頷いた。彼の方はエーリクを兄の様に慕い、尊敬しているのだ。


 それからエーリクが部下に、命令を下していく。


「……急ぎ三本の橋を復旧させよ。一本につき、一万の兵を出せ。それから食料の調達だ。ラッセルに言って集めさせろ。金に糸目は付けん、何処からでも買い漁れッ!」

「エーリクどの。食料に関しては、我らも何とかしよう。民が苦しんでいる姿は、見るに耐えぬ……」


 ルネが瞳を潤ませて、エーリクに協力を申し出た。

 この君主はどうあれ、性質は善である。

 もしも戦さが無ければ、名君として名を残す資質を持っていた。

 エーリクも頷き、ルネの肩に手を乗せる。


「よろしく頼む、ルネどの」


 こうしてムスラー・ゴード連合軍の侵攻は、グラスコールで一端足を止めた。

 もしもエーリクが人道的でなければ、歴史は違ったものになったであろう。

 しかし彼等は、ここで民を見捨てることが出来なかった。

 つまりグラニアの術中に嵌った――ということである。


 ◆◆


 新帝都エルファリアの人口は、三十万ほどだった。

 しかしグラスコールから軍人や家族、或は魔導師達を連れて来たため、現在では七十万ほどに増えている。かつての倍以上だ。

 それでも物資を大量に運び入れた為、モノに困るという事は無い。


 エルファリアに遷都したブラスハルトは、新年の宴をグラスコールで開けなかった事を、不満に思っていた。といって、既にグラスコールでの暮らしも飽きている。

 だから遷都するとすぐに、「新たな街、新たな首都に乾杯」――などと気楽な声を上げていた。


 新たな宮殿は、十万もの人員を動員して造営している。

 それはエルファリアの政庁を破壊し、周辺を更地にした上で新たに作るモノであった。

 東西南北と中央に巨大な尖塔を持つ、グラスコールを凌ぐ皇宮となる予定だ。


 世界の中心にならんと願いを込めて、これを“太陽宮”と名付けたらしい。

 良識派と名高いコーラル・ユーシス将軍はこれを笑い、投獄された。

 しかし来るムスラー・ゴード連合軍との戦いに備え、すぐに釈放されている。

 ただしお陰で将軍の位階を最下位に下げられ、ゼナ・ヴェルナーの後塵を拝することとなった。

 

 とはいえ流石に遷都を決めてから一月では、太陽宮も完成には至らない。

 今のところ中央にある皇帝の居館と、北の尖塔のみが完成している。

 公式の行事は北の館で行う事となっているので、これで特に支障も無いのだが……。


 ――――

 

 四ヶ月が過ぎた。

 新帝都はグラスコールより南方にある為、既に陽気は初夏である。


 ゲートリンゲンは新たに開いた元帥府で、満足げに頷いていた。

 ここも新帝都建設で、新たに建造された建物だ。

 皇宮の側近くに建てられた地上五階、地下一階の建物で、一万の兵を収容してなお余裕がある。


 つまり竜騎兵ドラグーンの全てをここに集め、自身の権力基盤としているのだ。

 といって皇宮には不死隊アタナトイの全兵力が集まるので、決して反旗を翻そうとしての事ではない。


 元帥府二階に、ゲートリンゲンの執務室はあった。

 温かな日差しが、窓から刺し込んでいる。

 五月の陽光は既に熱く、室内の空気をしっかりと暖めていた。


「どうだ、ヴェルナー将軍。我が策も、なかなか見事なモノであろう」


 ゲートリンゲンが笑みを見せた。

 吊り上がった唇の端が、自信を通り越して過信に見える。

 だが倫理や道理を無視すれば、遷都は確かに悪い策では無かった。


「御意」


 青い兜を小脇に抱え、ゼナが頷いている。

 相変わらず健康的な小麦色の肌に、冴え冴えとした青い瞳だ。

 金色の髪は少しボサついているが、櫛で梳かせば貴族の令嬢も唸る程の艶をもつだろう。


 ゲートリンゲンが、好色そうな目でゼナを見た。


「ヴェルナー将軍。相変わらず恋人はいないのか?」

「はい」

「では、どうだ――今宵辺り、私に付き合ってみんか?」


 ムッとして、ゼナがゲートリンゲンから顔を背けた。

 舐め回す様な視線を感じて、むず痒くなってくる。


「お断りします」

「何故だ?」

「私と閣下では、身分が違いましょう。私は平民ですし、何より移民です」

「気にするな。少し前まで私は皇族を妻にするところであった――貴族の身でな」

「……それは、残念でございましたな」

「……私は、寂しいのだよ」


 ゲートリンゲンの長い舌が、上唇を舐めた。

 ヌメリと光って、ゼナは吐きそうになる。


「はぁ……では、女性をお誘い下さい。私は男ですので」

「それよ、それ。ヴェルナー将軍の一体どこが男なのか、私には理解出来ぬのだ」


 この問答が、ゼナは大嫌いであった。

 思えば自分が男だと言って、「そうか」と認めてくれたのはウィリス・ミラーだけだった気がする。

 

「閣下」


 冷然と、ゼナがゲートリンゲンを見据えた。

 射抜く様な眼光に、流石の好色元帥も冷や汗が浮かぶ。

 近頃いろいろと献策をしてくるゼナが、自分に好意を持っていると勘違いしていのだ。

 それが今の眼光で、間違いだと気付いた。


(この女は今、この私に殺気を放った……一体何なのだ……?)

 

「こほん……冗談だ」


 ゲートリンゲンは目を逸らし、話を元に戻す事とした。


「……何か、意見はあるか? 遷都の件だ」

「そうですね……」


 確かに遷都は、策として悪く無い。ゼナもそれは認めている。

 実際に敵は数ヶ月、グラスコールで足を止めていた。

 住民に食料を提供し、水道橋の修理に兵を使っている。

 敵が疲弊していることは、明白であった。


 だが――とゼナは思う。民も疲弊させたのだ。


 このような事をする国家に、存在意義があるのか?

 このままグラニアに仕えていて、正しいのか?

 ゼナの心に、疑問が湧いた。


 ゼナとて、民が憎い訳では無い。

 むしろ彼等にとって、誇れる武人でありたいと思っていた。

 少なくとも民と皇帝が一触即発の国で、民に刃を向ける将ではありたくない。

 だからといって民を煽動する、反逆者も違うだろう。

 

 対等な国家を策略で潰すなら、それはいい。

 だが民を利用し彼等の血で自らの身を守り、何が武人か――と思う。

 だから彼女は、初めてゲートリンゲンに反対意見を口にした。

 これで罪に問われるなら、全力で逃げてやる――と思う。


「見事ではありますが、民の不満は高まりましょうな」

「民がどうしたと言うのだ。あんなもの、次々と生まれてくる雑草のようなものよッ!」

「で、ありましょうか?」


 暫し睨み合う。

 先に目を逸らしたのは、ゲートリンゲンであった。

 彼にとってゼナは、失う事の出来ない剣だ。

 彼女が居なければ、彼の武が根本から揺らぐ。

 

「まあ良い――見解の相違もあろう。それよりヴェルナー。トラキスタンはどうなっておる?」

「はっ……順調です。もとより第二皇子側の軍事力が勝っておりますので、勝利は揺るがないでしょう。南方の二国、アーリアとソドムの両王国も、第一皇子に味方する気配はございません」

「決着が付くか?」

「いえ。といって南方の経済力は豊かにございます。現在、続々と傭兵団が集まっている由。容易には決着も付きますまい」

「……ふむ。こちらの決着がつく前に、あちらが終っても困る。上手く調整せよ」

「御意。そこはレオニードめが、上手くやっております」

「ほう? やつめ、存外優秀だったと見えるな」

「はい……ところで元帥閣下、奴の妻子めは如何致しておりますでしょう?」

「ああ、まあ、元気であろうよ」


 気の無い返事であったが、それはそれだ。

 ゼナは少し、ほっとした。

 ゲートリンゲンのことである、まさか殺したのではないかと不安になったのだ。

 レオニードにあれだけのことをさせて、妻子まで殺しては余りに哀れであろう。


「ところで、気になることがございます、閣下」

「ほう? 軍略家のヴェルナーが気になるのだ……聞こう」

「はい。実はミリタニアの情勢なのですが……膠着しているようです」

「ふむ……援軍を出せば、ウルドを退けられるか」

「御意」

「……だがッ!」


 握った拳で、ゲートリンゲンが忌々しそうに執務机を叩く。

 顔を顰めたのは、その手が痛かったからであろう。

 それ以上に、グラニア軍の現状も痛い。


「はい。軍をそちらに差し向ける余裕など、我が軍には有りませぬ」

「ああ、悔しいが我が軍はムスラー・ゴードの二国で手一杯だ。忌々しいッ! ウルド如きにカラードを獲られ、報復も出来ぬとはなッ!」

「然様……近年、ウルドは急速に力を付けましたな」

「だから、何だと言うのだ!」


 ゲートリンゲンのこめかみに、血管が浮かぶ。

 彼はウルドが大嫌いであった。

 それは彼の地へミシェルが逃げたからであるし、受け入れたネイも許せない。

 何よりウィリスを受け入れ重用しているというから、彼にとっては怨敵にも等しいのだ。


 が、そんなゲートリンゲンに冷笑を浮かべ、ゼナが言う。

 

「まあ閣下、落ち着かれませ。膠着状態というのは、そう悪いことでもありますまい」

「確かに、ウルドに我が方が攻め込まれる心配も無いが……」

「然様。とはいえ――ここまで急速に力を付けたウルド軍には、やはり何かがあります」

「ふん――ネイはもともと、烈火の魔女と異名をとる猛将。夫とて雷帝と呼ばれておる」

「それだけでは、今の快進撃などありますまい」

「何が……言いたいのだ?」

「鍵は、ローザリア・ドレストスにあると見ました」

「誰だ、それは?」

「ウィリス・ミラーを従え男爵となり、カラードを獲った女。今は昇爵して、辺境伯を名乗っておるとか……」

「カラードを獲ればな……その程度の爵位には達そう。それがどうした?」

「そのローザリア・ドレストス。かの者は先年まで、一介の傭兵でした」

「だから、何だと言うのだ? 運の良い、ただの成り上がりであろう」

「はたして、運が良いだけでしょうか? ……事態が膠着した今こそ、この目で見てみたく存じます」

「見て、どうするのだ?」

「必要とあらば、殺すまで」

「それで、ウルドは弱まるか?」

「さあ……見てみませんと、何とも……」

「ふん……拘る程の者とは思えんが……まあいい、ウルドの備えというなら勝手にしろ」


 ゲートリンゲンは手短に言って、ゼナを下がらせた。

 ウルドの事を考えれば、不快指数は天井を超えるのだ。

 いくら陽気が良いといって、かつての怒りを忘れる程では無い。

 ゼナがウルドを滅ぼす方策を考えると云うのなら、好きにさせる方が得だと考えた。


「御意……それでは早速、行って参ります」

 

 一方、踵を返して退出したゼナの心は、少しだけ浮ついている。

 突如現れたローザリア・ドレストスという女に興味があるのは、本当であった。

 ウルドが強くなったのは彼女の力だ、という確信がゼナにはある。


 もちろん彼女の下にウィリス・ミラーがいる、という点は大きい。

 けれど、あのウィリス・ミラーがなぜ彼女に仕えているのか、という所こそ問題なのだ。

 それに、僅か二年足らずで傭兵から辺境伯へ――。


 形は違えど、ゼナも成り上がり者だ。

 だから彼女の中には、ローザリアに対する共感もあった。

 成り上がる為には、己が強くそれを望む必要がある。


 だけどゼナは世界一の大国を選び、ローザリアが傭兵を選んだ。

 この違いは、何か?

 ゼナは大軍を指揮したかったから、グラニアだった。

 ならばローザリアの目的は、絶対に違うとしか思えない。


「ローザリア……お前は一体、何を望んでいるのだ?」


 ローザリアには、自分に無いモノがある。

 そんな確信が期待に変わり、ゼナの胸は膨らんでいた。

 どこか、友に会う様な高揚感である。

 

 ゼナは元帥府を出ると、一度だけ自室へ戻った。

 それから荷物を袋に詰め込み、愛竜の下へと向かう。

 

「行こう、レイ。西の空へ」


 愛竜の青い首筋をポンと叩き、ゼナは手綱を握る。

 巨大な首を擡げ、飛竜が大きく翼を広げて見せた。

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作者のやる気が上がります!


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