47 ミシェルの願い
◆
ディエゴが率いた百の近衛兵は、彼の死を聞くとその場で項垂れるだけであった。
主を守れなかったことを恥じる様子も無い。
彼等はディエゴに近しい一族の子弟であったが、命懸けで仇を討とうという者も居なかった。
むしろ彼等は新たな利権に群がろうと、ウィリスに媚諂っている。
一方でディエゴの死を知ったカラード軍の副将は、徹底抗戦を叫んだ。
しかし降伏を望む兵達の刃に掛かり、あえない最後を遂げている。
近衛兵が陣へと持ち帰ったディエゴの死体は、猛り狂う兵達によって切り刻まれ、鳥の餌にされた。副将も同様だ。もちろん近衛兵達も、この暴挙に加わっている。
所詮は支配者の正義など、民衆や兵には何の意味もないのだ。
大切な事は、支配者が何を齎すか――。
つまり民衆の期待に応えられない支配者は、彼等にこそ殺される。
それだけではない。死して尚、尊厳すら奪われるのだ。
いや、今回ディエゴを殺したのはリリーだが……。
「暴君が民を虐げるのではなく、民が暴君を生む。民衆とは、凶暴なものさ。それに抗おうと思えば、君主とて凶暴になるも道理だ」
主君の死からあっさりと掌を返したカラード軍を見て、ウィリスはイラペトラの言葉を思い出す。
ウィリスの陣を訪れたカラード軍の隊長達が副将の首を差し出し、ローザリアへの忠誠を誓約した。
「我ら一同、一度として心よりディエゴに従ったことなど御座いません。お許し下さるならば、以後はドレストス閣下に服属致したく存じます」
「……よく申してくれた。閣下もお喜びになろう」
ウィリスはそれに頷きつつも、彼等の言葉を寒々として聞く。
だがサラはどこまでも冷徹で、この一切をラエンカの占領に利用した。
近衛隊をラエンカへ走らせ、ディエゴの死を喧伝させる。
そして、新たな支配者を迎える準備をさせたのだった。
普通の感覚で言えば、踏み絵に近いものであっただろう。
だから別に、彼等が叛いても良かった。それならそれで、不平分子もろとも制圧すれば良いのだから。
こういったサラの手際に薄ら寒いものを覚えたウィリスであったが、だからといって否定できる類のことでも無かった。
――――
十二月下旬、ウィリス・ミラーはカラード公都ラエンカに、一万の軍勢を率いて入城した。
雪が徐々に降り積もり、寒さが肌身に沁みる時期である。だが民は、入城したウィリス・ミラーを熱烈に歓迎した。
ただ――ラエンカの政庁に入ってすぐ、ウィリスは痛ましい話をサラから耳にしている。
「民衆の暴動にあって、ディエゴの家族が惨殺されました」
「なに? 死体はどうした?」
「妻子の死体は広場で吊るされ、民衆に石を投げられていますよ。まあ、死んでいるので、痛みを感じないのが救いでしょうかね。まったく民衆というものは……」
「なぜ、そんなことになる? 以前、ここに来た時は貴族しか知らん場所にいると……」
「近衛隊の兵が、張り切ったようです。新体制で生き残ろうと、必至なのでしょうね。率先して邸に乗り込み、火を放ったと豪語していました」
「なんと……奴らは、それが武勲になるとでも思っているのか?」
「さあ――どちらにしても、罪に問える材料になります。私が命じたのは、ディエゴの死を街に知らせることだけですから」
「そうか、いずれ罪には問おう。だが、今ではない……」
ウィリスは目頭を揉んで、サラを執務室から下げた。
彼女の背中を見送ってから、彼は立ち上がる。
窓から見える街の景色は、浮かれていた。
浮かれながら民衆はディエゴの妻子、それも死体に石を投げているのだ。
そう思うと、ウィリスは少しディエゴが哀れに思えてくる。
なぜディエゴが必至に命乞いをしたのか、ウィリスにも理解できるような気がした。
彼は自分が死ねば、家族がこうなることを知っていたのだろう。
しかしだからといって、五千の兵を犠牲にして良いものではないのだが……。
ウィリスは首を左右に振って、感傷を頭から追い出す。
ともあれ、ローザリアに使いを出すことにした。
たとえ後味が悪くとも、勝利の報告はしなければならないのだから。
◆◆
ローザリア達の暮らすレギナ・レナは、ラエンカほど雪は積もらない。
恐らくは山脈にぶつかった海風が雲を作り、ラエンカの側に雪を降らせるからだろう。
だからレギナ・レナは寒いが、今日も快晴である。
ローザリアは政庁の広い内庭に出て、白い息を吐く。そして霜を足でシャクシャクと潰し、「ふはっ!」と笑みを零した。
昨日遅く、ウィリスから戦勝の報告が届いたのだ。
今、大陸は戦さに満ち満ちている。
その中で、一番望んでいた人の望んでいた勝利だ。ローザリアが嬉しく無いはずが無かった。
夜が明けたからには、そのことをミシェルにも教えてやろう。
伝えに行くのが楽しみでならない――といった様子のローザリアだ。
ローザリアはすぐに馬を飛ばし、ウィリスの屋敷へと向かう。
今そこに暮らすのは、僅かの使用人とミシェルだけだ。
ウィリスが出征してからローザリアは二日と空けず、彼女の下に顔を出している。
到着すると勝手に屋敷に上がり込んで、ローザリアは食堂に入った。
最近はだいたい、彼女の分の朝食も用意されている。
「おはよう、ローズ」
まだボンヤリとした目で、食堂に姿を現したミシェル。彼女に近づき、ローザリアはその手を取った。
「ウィルが勝ったぞ! カラードを獲った!」
大喜びでブンブンとミシェルの腕を上下に揺らし、ローザリアが喚いている。
「……当たり前。朝から五月蝿いわね」
が、ミシェルの返事は素っ気ない。
彼女はローザリアに座るよう促し、分厚いガウンを身体に巻き付けてる。
暖炉に火を入れても、まだなお寒い。
帝都の皇宮暮らししかしたことの無かったミシェルには、下級貴族の暮らしがとても辛いのだ。
「ああ、寒い。冬って嫌いだわ」
文句を言うミシェルだが、決して最悪とまでは思っていない。
何故ならここがウィリス・ミラーの屋敷で、自分も共に暮らしているからだ。
「当たり前と言うがなぁ、ミシェル。八千の兵しか預けてやれなかったのだ。それで一万の敵軍を蹴散らし、公都ラエンカを占領したのだぞ。これは凄いことだッ!」
椅子に座ったローザリアが、ミシェルに文句を言っている。
そこに暖かいスープとパンが運ばれて来た。
「はいはい、そうね。ねぇ、今日も朝食、食べていくでしょう?」
ミシェルは使用人に二言、三言を言伝て、ローザリアの髪に手を触れる。
少し荒れているのが分かった。
どうせ寝ていないのだろうな――そう思って小さな溜め息を吐く。
「うむ、食べる」
が、一日くらい寝なくとも、ローザリアは元気だ。
スープの香りが食欲をそそるし、可愛らしい焦げ目のついたパンも美味しそうに見える。
もっきゅもっきゅと食事を始めたローザリアを見つめ、ミシェルが言った。
「当たり前って言ったのはね、ローズ。ウィルならカラードくらい、簡単に制圧するわよってこと」
「そりゃ……ゴクン……モグモグ……分かるが……モグモグ……まさかこんなに早く……ゴクン……制圧するなど……でも」
そこでローザリアはパチパチと目を瞬き、ジュースをゴクゴクと飲んだ。
ちょっとだけ膨れた胸を、慌ててトントンと叩いている。
急いで食べたので、喉に詰まってしまったらしい。
「でも?」
ミシェルは続きが気になって、身を乗り出す。と同時に、ローザリアの口から少し零れたオレンジジュースをナプキンで拭いた。
「ぷはっ! ……ウィルの報告に妙なことも書いてあってな」
「なに?」
「何でも、あの女の策が悉く嵌ったというのだ……これだけがな、私としては気に入らん」
「あの女?」
「うむ……ナディアだ。軍師皇女と呼ばれ、軍略に長けておると聞いていたが……」
「その話、本当なの?」
「その話、とは?」
「軍師とかって」
「本当だ」
「ふうん……だったら良かったじゃない。そんなに優秀なら、ローズの軍で正式に使ってみたら?」
「ミシェル、お前は腹が立たんのか? あいつ、ウィルといつも一緒に寝てるらしいぞッ!」
「うん、そうねぇ……」
「い、いくら手を出さないと言ったとて、それではいずれ……」
「……そうなのよねぇ」
ミシェルは少し考える仕草を見せて、ローザリアに言った。
「でも、ナディアさまの気持ち、少しだけ分かるわ」
「分かる……?」
「だって、目の前で父親を殺されて、それをウィルが助けて……そんなの、彼しか信用出来なくなるのも仕方がないじゃない」
「ふうむ……まぁ、そう言われれば……そうだが……私だって気の毒には思っておる」
「それに、ウィルが居ないと眠れないって言うし、仕方が無いとも思うわ」
「仕方ないって……本当にそう思うのか? ミシェル」
「そりゃあ、いきなり一緒に暮らすって言われて最初は頭にきたけど……今は、そう思っているわ」
ローザリアはパンを齧り、ミシェルの顔をまじまじと見つめる。
その余りに真っ直ぐな緑の瞳に、ミシェルは思わずたじろいだ。
ミシェルがたじろぐというのも、珍しい。
が――仕方が無い。彼女は一つ、ローザリアに隠し事をしていたのだから。
ウィリスとミシェルはレギナ・レナに戻ってから、ずっと一緒に暮らしている。
確かに結婚式は挙げていないが、実質的に夫婦なのだ。
そして、ミシェルのこの余裕……ローザリアの頭脳に、閃くものがあった。
(まさか、既に……)
ローザリアの思考が、一点の事実に集約していく。
男女が暮らしていれば、当然いきつくことがある。
むしろ、その為に暮らすといっても過言ではない。
「ミシェル……」
「な、何かしら?」
逸らされたミシェルの蒼い目を追うと、そこにはウィリスの愛読書があった。
ゴゴゴゴゴゴゴ……。
ローザリア背に、青い炎が揺らめいている。
来るべき日が来てしまったことに、戦慄するミシェル。
そして問いつめるローザリア……。
「まさかミシェル……お前、ナディアが寝ている横で……ウィルと営んだのかッ……!?」
「ま、まさか……別に夜でなくとも、出来るじゃない……」
暫しの沈黙――その後、悲鳴。
「うわぁぁぁああああああん!」
ローザリア、一生の不覚である。
最大の敵を友と思い、日々、朝食をごちそうになっていた。
この家は彼女にとって、魔境である。
愛する人が、自分以外の女と暮らす家。
なんと恐ろしいのだ――と思いながら、ローザリアはウィリスの屋敷を後にした。
「あ、ごちそうさまでした……うわぁぁぁぁあああああああん!」
もちろん、お礼はきちんと言う。
それがローザリアのジャスティスであった。
◆◆◆
ローザリアとミシェルがカラード公都ラエンカに入ったのは、一月下旬のこと。
二人は護衛の五十騎と共に雪の山を越えた。
道中、二人が罵倒し合うのを聞き、護衛のアリシアは幾度溜め息を吐いたことだろうか……。
「なぜ来るのだ! ミシェル、貴様はレギナ・レナに残れッ!」
「嫌、超絶に嫌ッ!」
「貴様が来たって役には立たぬ!」
「ウィルが喜ぶわッ!」
「ウィルは今、ナディアに夢中だッ!」
自分で言って、自分にダメージが跳ね返るローザリア。悲しそうに項垂れ、鼻水を啜る。
「ウィル……ナディアに夢中、なのかなぁ……ミシェル?」
「そんな訳ないでしょ」
返しながら、胸に痛みをミシェルは覚えていた。
(何言ってるの。ウィルはあなたに夢中なのよ……ローザリア)
――――
ラエンカの政庁に入ると、ローザリアはすぐにも仕事を始めた。
彼女でなければ出来ない仕事が、山とあるのだ。
到着した初日、ローザリアはラエンカにいるカラードの重臣や貴族を全員集めた。そして彼等一人一人と面談をして、様子を見た。
それからサラが作り上げた名簿と照らし合わせ、汚職など問題点を把握していく。
裁くべき者を早急に見つけ、さっさと膿を出してしまいたいのだ。
だからこそローザリアの政策は、苛烈を極めた。
民衆に対しては法を緩めて税を軽減したが、貴族達に対しては逆である。
彼等に対しては税負担を増やし、法の厳正化を徹底した。
いや――言ってしまえば双方に、平等な制度を確立しただけである。
だが当然、かつての利権を奪われた貴族達は激怒した。
そんな中にもローザリアは、優秀と思しき者を幾人も見つけている。
だいたいは下級官吏であったり下級貴族なのだが、彼等を抜擢して組織を徐々に任せていった。
こうなると当然、利権を奪われただけの上級貴族達は不満を爆発させる。
とある貴族の屋敷で決起集会が行われた。近く反旗を翻そうという貴族達が集まったのだ。
「……たかが男爵に、なぜ我らが従わねばならん!」
「そうだ、そうだ!」
当然、そのような情報をサラが察知しないはずが無い。
そもそも――これは最初から不満分子を掃討する為の策でもあったのだ。
ここにウィリス率いる二百の兵を投入し、カラードに置ける反乱分子をローザリアは排除した。
この間、じつに二ヶ月である。
むろんローザリアは幾度も会議を開き、皆に相談もしている。
だが、このような大半は彼女の発案であったし、何の躊躇いも無く行っていた。
その手際にウィリスは唖然としたし、イゾルデもまた、目を丸くしている。
「イラペトラさまの再来だぞ、イゾルデ……」
「うむ……まさかこのような苛烈なお方を、また見る事になるとは……」
政庁の食堂でウィリスとイゾルデが話をしていると、ミシェルがやってきた。
ウィリスの隣に腰を下ろすと、乱雑に食べ物の乗った盆をテーブルに置く。
ここは政庁の一階にある食堂だ。
かつては上級貴族の溜まり場だったらしいが、ローザリアの一声で、誰でも使える食堂となった。
彼等三人は政庁に居室を与えられて、今はここで暮らしている。だから夕食を摂るとなれば、必然、ここに集まるしかない。
それに今は人手不足のおり、学のあるミシェルはローザリアの為、官吏として働いているのだ。
というより、治癒魔法に関して彼女は抜きん出ていた。
だからローザリアも、何だかんだでミシェルを連れて来て良かったと思っている。
「ほんと、兄さまみたいよ、ローズって。人使いだって荒いし……」
二人の会話を聞いていたのか、ミシェルも頷いている。
頷きながら、ウィリスの皿から切り分けられたローストチキンをヒョイと摘んだ。
「あ! ミシェルッ!」
好物を獲られて、ウィリスが文句を言った。
「いいじゃない、いっぱいあるんだから」
「そういう事じゃない」
「じゃあ、なんなのよ〜」
チキンの切れ端を口から半分程出して、ミシェルがニヤニヤとしている。
その姿は、まるで皇女とは思えない。
ローザリアと親しく付き合った弊害か、ミシェルの行動が日に日に荒っぽくなっていく。
「行儀が悪いと言っているんだ、ミシェル、返せ」
「なによ、結局返してほしいんじゃない……だったら取り返せばいいでしょお……フフフ」
そう言ってチキンを加えたまま、口を突き出すミシェル。
実のところ、これがしたかったらしい。
ウィリスが急にドギマギとする。
テーブルに肘をついて、手の上に顎を乗せたイゾルデが溜め息を吐いた。
「なんだよ、こりゃ。イチャつくなら、部屋に帰ってからにしてくれ……」
「本当だな……別の席にすれば良かった」
椀や皿の乗った盆を机に置いて、ローザリアがイゾルデの横に座る。
ローザリアは領主でありながら、皆と同じ場所で食事を摂るのが常だった。
「あ、ドレストス男爵」
「別にローザリアでいい。皆が見ていたって、お前は特別なんだ。ウィル」
「そ、そうは言うが、示しがつかん」
ウィリスはミシェルから顔を背け、荒々しくパンを齧る。
「何よ、ローズの前じゃ、私の口からチキンを取れないの?」
ニヤニヤと笑いウィリスの頬を突つくミシェルだったが、その内心は少し寂しい。
いつか自分の座る席とローザリアの座る席が逆転するんじゃないか――そう思ってしまう。
ウィリスとローザリアが、他愛無い会話をしている。
ミシェルは何故か小さな疎外感を感じつつ、彼等を見つめていた。
イゾルデが、何かを察したように苦笑している。
もしかしたら彼女はずっと、自分とウィリスをこんな風に見ていたのだかろうか。
そう思うと、ミシェルの胸は痛んだ。
食事が済むと、ウィリスとミシェルは同じ部屋に戻った。
イラペトラさえ生きていれば、今頃ウィリスはグラニアの侯爵となり、ミシェルは侯爵夫人であっただろう。
宮殿の様な屋敷を構え、広大な領地を有し、何不自由の無い暮らしをしているはずだった。
だが今はドレストス男爵の騎士と、その伴侶に過ぎない。
それも正式な結婚はまだで、言ってしまえば宙ぶらりんの状態だ。
今のローザリアとウィリスを見ていると、ミシェルは不安になる。
もしかしたら、全てが有耶無耶になるかもしれない、と。
だから彼女は、確かなものを欲していた。
「ねぇ、ウィル」
「なんだ?」
ミシェルは部屋の灯りを自分で灯し、寝台に座るウィリスを見た。
明かりを小卓に置いて、ミシェルはウィリスの隣に座る。
二人は暫く見つめ合った。
ミシェルの豪奢な金髪が炎の灯りに照らされて、キラキラと輝いている。
「あのね、ウィル……私、あなたの子供が欲しいの」
「それは、前にも聞いた。だから――」
ミシェルはウィリスの分厚い胸に身を預け、蒼い瞳を潤ませて言う。
「今、すぐにも――だから、お願い」
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作者のやる気が上がります!
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