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46 カラード戦役 3

 ◆


 カラード侯ディエゴは、前方で陣形を再編するドレストス軍を見て、焦っていた。

 焦ってどうなるものでもない、それは彼も理解している。


 大きく息を吸って、ディエゴは考えた。

 状況は、五千対一万となっている。最悪だ。

 クロム城塞に撤退する手もあるが、ラエンカの守備隊が壊滅している。となれば無防備の公都は、容易く制圧されるだろう。


 そもそもウィリス・ミラーがここからの撤退を許すか?

 追撃する軍を振り切るのは、至難の技だ。

 まして目の前で味方の壊滅を見て、軍の士気も下がっている。

 

 つまりどうあれ、この戦さは負けだ。

 決死の覚悟で戦いを挑んでも、倍の敵に対し勝算などない。

 あるいは不死隊アタナトイでも居れば別だが、既に全てをグラニアに返還している。


 ならば、自分一人でグラニアへ逃げるか? 

 五千の兵を犠牲にすれば、それも可能。

 だが、一人で行っては、地位の保証もあるまい……。

 ディエゴは高速で思考を回転させる。

 すでに前方から、敵の騎馬隊が迫っていた。時間がない。


 しかも正面は西――完全に逆光である。

 敵はあらゆる状況を計算した上で、この戦場を設定したに違いない。


 まんまと、してやられた。


 カラード侯ディエゴは、もはや笑みすら浮かべている。

 ディエゴがウィリス・ミラーに追いつめられるのは、実のところ二度目であった。

 

 一度目は、それが功を奏して今の地位を得ている。

 だが二度目は――今の地位を失うのか……。


 ウィリス・ミラーによって齎されたものが、ウィリス・ミラーによって奪い去られる。 

 そう考えれば、プラスマイナスでゼロだ。


 だがディエゴは、そう考えない。

 一度手に入れたモノは、二度と失ってはならなかった。

 それは貴族として、他者から奪う者として当然の矜持である。


 “ドドドドドドドドドド”


 千を超える騎馬軍団の突撃は、大地を揺るがす。

 ディエゴは敵影を認め、左手を上げた。


「降伏するッ! 武器を捨て、白旗を掲げよッ!」


 戦さに負けたディエゴだが貴族としては、まだ負けていない。

 命さえ失わなければ貴族である自分は、再起が可能なのだ。

 その為には、何を捨てても良い。

 ここは何としても生き延びると、ディエゴは決意をしていた。


 ――――


 突撃を敢行した先で、白旗を掲げられたウィリスは面食らっていた。

 

「なんだ?」


 彼の目の前で、次々と武器を捨てる兵士達。皆が、白旗を振っている。

 まったく戦闘の意思が無いと見て、ウィリスは馬首を翻して自陣へと戻った。

 戦意の無い敵を殺すことは、出来ない。

 やがて本陣にも、正式に降伏を告げる使者が訪れた。


「カラード侯爵、ディエゴさまの使いにございます」


 使者の口上を聞けば、無条件降伏であることが理解できる。

 対応したサラは、とりあえずディエゴ本人と筆頭魔術師の身柄を要求した。

 むろん彼等には、「死を覚悟」するよう言い含めてある。


 正直なところウィリスとしては、ディエゴに自害して貰いたい。

 何しろ彼は、グラニアの侯爵である。

 交渉となれば、ドレストス男爵配下の騎士に過ぎないウィリスでは手に負えなかった。

 だからこそ、戦場で討ち果たしたかったのだ。

 

 その辺りのことは、サラもよく心得ている。

 だからこそ、使者に死を匂わせた。

 殺されると分かって、ノコノコやってくる貴族は少ないからだ。


 本陣に戻ったウィリスは、ぼやいた。


「ディエゴとは、なんと気概の無い男だ……」

「ですね……どれだけ誘っても一向に欲情しない。まるで閣下のフニャチンのようです……」

「……ん?」


 思わず面頬を上げて、ウィリスがサラの横顔を見つめる。

 ほんのりと頬が上気しているサラは、魅力的な下品だ。


「フニャチンはいかんなぁ、フニャチンは……だから私の魅力にも気付かんのだ」


 イゾルデがジョセフに兜を投げて渡しながら、ニヤニヤとして言う。

 ウィリスはションボリした。彼女達に欲情しないのは、駄目なのだろうか……と項垂れる。

 そんな彼を助けるように、女性としては少し低い、ハスキーな声が響いた。


「ご主人さまは、決してフニャチンなどではありませんよ。フフン」


 光る眼鏡をクイッと持ち上げ、リリーが言う。

 ディエゴとの戦いが終わった途端、何やら別の戦いが勃発しそうな勢いであった。

 

 とはいえ――リリーの発言だけは、ウィリスにとって少しバツが悪い。

 実際、彼女だけは本当に、ウィリスがフニャチンではないことを知っているのだから。


 ――――


 十年以上も前の事――酷い戦さがあった。

 味方は全滅。生き残ったのは、ウィリスとリリーだけ。二人は森に逃れ、二週間を彷徨った。

 当時の二人は不死兵アタナトイとはいえ、十代半ばの若者だ。

 なによりリリーは実験室で幾度も出会うウィリスのことを、ずっと気にしていた。

 だからそれだけの時間を二人だけで過ごせば、どうなるかは自明のことであろう。

 

 あれは森の中、とある湖畔で上弦の月が美しい夜のこと。

 洞窟の奥で丸まって眠るウィリスの背中を、リリーは優しく抱きしめた。

 ウィリスは拒絶して、身体を左右に揺する。

 当時の彼には、一切の感情が無かった。戦うことのみに特化した、機械である。

 けれどリリーが裸と気付き、流石にバッと身を起こした。彼女の意図が分からなかったのだ。


「なんだ?」

「礼だよ。わたしには、身体これくらいしかねぇから」

「要らない……自分が助かる為にも、お前が必要だから助けただけだ」

「……抱かないのか? 皆、私が股を開けば喜ぶのに……お前には、わたしなど価値が無いのか?」

「価値? 知らん。興味が無い」

「何だ、それは……お前も男だろう? ん……少し、胸が苦しい……気持ち悪い……」


 悲しそうに目を落としたリリーを見て、ウィリスの股間が膨らんだ。

 いや――闇の中で浮かび上がった、柔らかそうな双丘が目に入ったからかも知れない。

 自分の膨張した股間を見て、ウィリスは首を傾げた。


「どうすれば良い? ……よく、分からないんだ……」

「任せてくれ。全部――」


 こうして、二人は結ばれた。


 けれど部隊に戻った二人は、この事実を隠し通した。

 このような関係が知られることは、誰にとっても有害だ。

 そう、リリーがウィリスに言い含めたのである。

 ウィリスも感情を失っていたから、そう言われれば従うだけであった。


 ――――


 リリーが皆に背を向け天幕へ入ろうとした時、ウィリスが兜を脱いで苦笑した。


「あの森も、ルナ森林と似ていたなぁ」


 言葉の意味は、リリーにしか伝わらない。

 十年以上前の、拙い記憶だ。

 リリーは振り返ると、小さく首を傾げて問う。


「あの日のことを、覚えておられるのですか?」

「忘れる訳がないだろう。生まれて初めて好きになった人のことを……ま、少しの間でフラれたが……」


 眼鏡の奥で、銀色の瞳が潤む。

 リリーは口元を押さえ、天幕の中へと駆け込んだ。


 彼女がウィリスを振った訳では無い。

 ただ不死隊アタナトイへ戻った翌日、やはりというか当然というか……研究者に弄ばれた。

 薬を盛られ、動けないリリーは五人に押し倒されたのだ。

 代わる代わる犯され、時間だけが過ぎていく。

 当時のリリーはただ、やり過ごすことしか出来なかった。

 だから逢瀬の約束をしていた場所に、その時間に――彼女は行くことが出来なくて。

 感情の無いウィリスが、そんなリリーを探すこともなくて……。


 ただ、それだけのこと。

 

 そうしている内にウィリスはミシェルの宝物になり、感情を取り戻していったのだ。

 もしかしたら、その切っ掛けをリリーが与えたのかも知れない。


 だからリリーは、ミシェルが嫌いになった。


 それにしても……。


 たまに冗談めかして好きだと言ってもウィリスが相手にしてくれないのは、自分にフラれたと思っていたからなのかも知れない。

 だとすれば、何ともリリーには切ないことであった。

 


 天幕の中では、ハンスが会議の準備を進めていた。

 机を組み立て、椅子を用意している。


「ハンス、手伝いましょう」

「リリー……いや、別に一人でも……」


 リリーの目が、少し潤んでいることにハンスは気が付いた。


「……どうした?」

「少し、昔を思い出しました。それだけです……」


 ハンスは屈めていた腰を伸ばし、頬を指で掻く。


「奴隷のメスガキが一匹……それも不死兵アタナトイなんぞと……テメェも苦労したんだろうよ」

「……ええ、まあ少し」

「飴玉、食うか?」

「わーい♪ りんご味ッ♪」

 

 ◆◆


 辺りでは兵士達が、野営の準備を始めていた。

 遠くで降伏した敵も、同じく野営の準備を始めている。

 あとは条件さえ詰めれば、敵の降伏が正式に決まるはずだ。

 

 とはいえ――こうまであっけない幕切れとは、まったく拍子抜けである。


 ウィリスは日が暮れる前に、降伏の意思を示したディエゴを招いた。

 単身――と言っても百人程度は連れていたが――で現れた度胸だけは褒めても良いだろう。

 しかし彼を見て、ウィリスは溜め息を吐くのを幾度堪えたか知れない。

 少なくとも、ディエゴは武人ではない。彼の顔には命を賭す緊張感など、微塵も無かったのだから。

 

「降伏するのだ、貴族としての待遇を所望する――だがその前に、貴殿に問いたい」


 しかもディエゴはウィリスと会うなり、いきなりこう言った。

 だからウィリスは机を挟んで彼と向かい合い、腕を組んで唸っていたのだ。


「何でしょうかな?」

「まず、貴殿等は何の故あって我が領土を侵したのか? この様な不当にして不法な行為が、まかり通ると思っているのか?」

「ふむ……ではお聞きするが、今年の始め、貴殿が我が領内に土足で足を踏み入れしこと、これは如何なる了見か?」

「むむっ……あれは昔年よりの我が領土を守らんが為」

「貴殿の領土と仰るが、我らが三公領の盟主たるネイ閣下は、貴殿によるカラード国の領有を認めておりませんぞ」

「はんッ! あのような女、知った事では無い。私はグラニア貴族である。カラード侯爵として、この地を治めておる」

「だからウルドの地、レギナ・レナに侵攻したと? それこそ、グラニアの横暴ですな」

「それをミラー将軍……貴殿がおっしゃるかッ! 元はと言えば貴殿がグラニアの将として、カラードを攻めとったのではないかッ! そも三公領とはなんであるかッ!」


 ウィリスもディエゴの言葉には、苦笑せざるを得ない。

 どうあれカラードをグラニアに齎したのは、ウィリスだ。

 それを今、トラキスタンを差し置き、三公国を軸に話している。

 これでは、どう取り繕っても大義があるとは言えないだろう。


 だが――小国の諍いに大義などは不要だ。

 強き者が勝ち、弱き者は駆逐される道理である。


「何でもよろしい。今日よりこの地は、ドレストス男爵領となる」


 ウィリスは断言して、立ち上がった。

 話は平行線となろう。意味などない。


「わ、分かった! 貴殿の言い分は、認めよう。いや、認めるしかあるまい。だからまあ、座ってくれ!」


 強気に出た途端、ディエゴが小さくなっている。ウィリスも毒気を抜かれ、再び座った。


「はぁ……それは、貴殿がドレストス男爵の命に従う、ということでよろしいですな?」

「うむ、従おう……この際、降爵はやむを得まい……伯爵、いや……子爵程度でも良いのだ、うむ……」

「何を言っておられる、ディエゴどの。ドレストス閣下は男爵ですぞ……」

「当たり前だ、分かっておる! 子爵が男爵に従属出来る訳がなかろう! 私が子爵に下がるなら、ドレストス男爵には、伯爵以上になっていただかねばッ!」

「それは、まあ、ごもっともなれど……」


 ごもっともなのか? とウィリスは思う。

 何だか、口車に乗せられているようだ。どうにも相性が悪い。


 だいたい本来なら、「己の命を差し出すから、兵の命だけは助けて欲しい」という程度の交渉しか出来ない状況だろう。

 少なくともウィリスが相手の立場なら、そう考える。


 なのにディエゴは、戦後の己の立ち位置を交渉しようとしていた。価値観が違いすぎる。

 ウィリスは背後に立つサラを見て、交渉を代わるよう頼んだ。

 サラは仕事の性質上、様々な人物を見ている。武力が無い分、恫喝や交渉には長けているのだ。


 サラはウィリスの横に並んで座ると、テーブルをバンッと叩く。


「あなたのしるし一つで、兵達の命を助けましょう。この条件で、如何です」

「なっ……私の命と五千の兵の命が等価であると、其方そちは申すか?」

「侯爵の命と五千の兵――妥当でしょう。さ、自害なされませ」


 ウィリスはサラの紫眼を見つめ、「えげつない」と思った。

 この場の交渉を公式に記録するのは、サラ。

 そのサラが言うのだ――恐らく記録する気が無いのだろう。

「兵の命を助ける代わりに死ね」と敵将に自害を迫るなど、有り得ぬ話だ。


「では、仕方が無い。五千の兵を殺せ。私は生きねばならんのだ」


 ディエゴは目に涙を溜めて、言った。

 机に両手をつき、握る拳も震えている。


「許せ――兵よッ!」


 サラが白目になった。

 五千の兵と侯爵の命が等価、との話をディエゴは逆手に取ったらしい。

 五千の兵を殺しても、この男は生き残ると言う。

「許せ」などと言って泣いているが、彼の心は全く痛んでいないのだろう。

 恐ろしい……「これが腐った貴族というやつか」とサラが呻く。


「こほん……」

 

 サラがチラリとウィリスを見て、冷や汗を拭う。

 この男は、なかなかに手強い。

 といって侯爵を、独断で処分も出来ない。

 なんとか目の前の男の口から、しおらしい言葉を引き出さねば……。


「あ、あなたが死ねば、五千人が助かるのですよ? 安いものじゃありませんか?」

「……バカなッ! 森人エルフ、本気で言っておるのかッ!?」

「え、ええ、本気ですが……」

「貴様は五千の蟻の命と引き換えに、死ねるのかッ!?」


 サラの白目、再び――である。

 兵は蟻じゃねぇよ……と言いたい。

 ウィリスを肘で小突き、サラが提案した。


「戦場で討ち取ったことにして、コイツ、殺しちゃいましょう。今ならバレません」

「……お前、それでも副官か? 駄目だろう、そんなの」

「今の私は、もう副官じゃありません。諜報部隊“森の守人”の隊長です」

「なんだ、その変な名前は」

「名前なんて、どうだっていいじゃないですか」


 小声で不審なことを話す二人を見て、流石にディエゴが鼻白んでいる。


「私を……殺すというのか?」


 ウィリスは額に手を当て、首を左右に振った。


「正直に言って、あなたを生かしておく理由は無い。先年のレギナ・レナ侵攻もある――我が領の民は、あなたに煮え湯を飲まされているのだ。本来はドレストス男爵の前に引き出すべきであろうが……男爵とて、貴殿を殺したかろう……レギナ・レナに貴殿を連れて行くことは出来るが、命が僅かに伸びるだけだぞ」

「ふむ……分かった」


 ウィリスの言葉に、ディエゴは観念したらしい。

 一度目を瞑り、開くとしっかりとした口調で言った。


「すみませんでしたァアアアアアア! 命ばかりは、お助けォォオオオオオオオッ!」


 ディエゴ侯爵、なんと全力の命乞いである。

 机に額を擦り付け、彼は涙を溢れさせていた。


「五千の兵は、全部殺しても構いませんンンンッ! 是非とも私の命ばかりはァァアアアアアッ!」


 ウィリスとサラが、同時に白目となった。

 もう駄目だ――こんな全力で命乞いをされて、殺せる訳が無い……。

 でも、殺したい。

 五千の兵を見殺しにして、自分一人だけ助かりたいなどという外道だ。

 許せない……。


 そう思っていたとき、ディエゴの背後を黒い影が横切った。


 “ドパァァァアアアアアアアアアアアアアアン”


 銀の手甲が閃き、上から下へと軌跡を描く。

 首の根元に腕が落とされ、ディエゴの胴が地面に叩き付けられた。

 残った彼の頭が机の上でボン、ボンと弾み、ゴロリと転がり笑みを浮かべる。

 どうやらディエゴは命乞いをしながら、影で笑っていたらしい。

 これでウィリスとサラが許すと、確信していたのだろう。


「すみません。わたくし、こういった虫がスゲェ嫌いですので……」


 血の付いた手甲を前掛けで拭い、リリー・パペットが微笑を浮かべている。

 ウィリスは口の端を緩めて、リリーを見た。

 何なら「よくやった!」と叫び、リリーを抱きしめたい程だ。

 

 ウィリスが、チラリとサラを見る。

 

「公式な記録は……?」

「そうですね……」


 サラは口元をムニムニと動かし、笑いを堪えていた。


「敵将ディエゴは……急に心臓を抑えて踞り……首が飛んだ、と。まぁ、流行病の一種でしょう」


 サラが紙に書き連ねた言葉を読み上げ、リリーに礼を言う。


「ありがとう、リリー。あなたが無茶苦茶で助かったわ」

「とんでもありません、サラ。あなたのポンコツぶりに比べれば、わたくしの無茶など可愛いものです」

「ん? この人造人間……言うじゃありませんか。核ぶっこ抜いて人形にしますよ、コラ」

「指先と頭しか役立たないゴミが、言ってくれますね」


 サラと舌戦を繰り広げつつも、己の行いが正しいとはリリー自身、思っていない。

 本当は、彼女に感謝をしているのだ。けれど素直に礼を言う気になれないのは、サラのせいでもあるのだろう。

 

 ともあれドレストス軍は一月も掛けず、カラードを制圧した。

 まだ新年を迎えるまでに、十日ばかりある。

 こうしてウィリス・ミラーは、またも大陸に勇名を轟かせたのだった。 

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作者のやる気が上がります!


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