44 カラード戦役 1
◆
十二月上旬のこと。
ウィリスは一万の軍勢を展開し、カラード公都ラエンカを包囲していた。
辺りは薄らと雪が敷き詰められて、一面が白い。
といって、まだ積もる程では無く、べちゃべちゃとした雪であった。
カラードは全軍で一万。
ウィリスの率いる、ドレストス・ルイード連合軍と数の上では互角である。
だが現在ラエンカを守っている兵は、五千だった。
数が少ない理由はカラード侯ディエゴが先日、グラニア軍に請われて五千の兵を率い、進発したからである。
このような状態にあったのは、僥倖といえた。
もっとも、そうなる可能性を見越したネイの命令であったことも否めないが……。
といって一万の兵力で五千の守る城塞都市を攻める、というのも微妙である。
本来は三倍以上の兵力があって初めて、攻城戦をすべきなのだから。
しかも秋の収穫を終えた今、囲んで兵糧攻め、という訳にもいかない。
城内には、冬を越すだけの食料もあるはずだった。
とはいえウィリス・ミラー急襲の報を聞けば、デイエゴとて引き返して来るであろう。
自分の領地を失ってまで、グラニアを助ける義理など無い。
そうなればドレストス軍は数の優位を失い、城塞とディエゴの軍に挟まれることとなる。
このような事情からウィリスは天幕に諸将を集め、合議することにした。
「化身さまぁ〜! 敵が戻ってきちゃうんですかぁ〜! それは困りましたねぇ〜!」
少しも困っていない、ホンワカとした声が響く。
先日合流した、ルイード軍の指揮官の声だ。もちろん、カミラ・エイブラハムである。
純白の法衣を着ているが、零れる青い髪がいつもながらに香しい。
長い睫毛を上下に揺らし、今日も彼女は青い瞳でウィリスを見つめていた。
「困り、ましたねぇ〜!」
言いながら、カミラがはち切れんばかりの胸をウィリスに押し付ける。
だが、黒い甲冑を身に纏うウィリスにはノーダメージ。ギリギリで、彼の理性は保たれていた。
ウィリスとしては考えたく無いがルイード公アルバーンは、あえて彼女を送り込んでいるのではないか? と勘ぐりたくなる。
彼もカミラがウィリスを、「化身さま」と呼んでいることは知っていた。
それで今回も援軍に遣わすのだから、怪しいというものだ。
父親として、それで良いのか? と思わず説教をしたくなるウィリスであった。
そんなカミラをチラリと横目に牽制するのは、ナディアである。
童顔対美貌。
巨乳対美乳。
奔放対陰気。
青髪対桃色髪。
どこをどう捉えても対照的な二人が司令官たるウィリスを挟み、睨み合っていた。
「真冬のピクニックに来てる訳じゃねぇんだが……嫁同伴なんて、聞いた事もねぇぞ」
サリフが肘を机に置き、頬杖をついて溜め息を吐く。
彼は出来ればさっさと決着を付けて、レギナ・レナに帰りたいのだ。
この戦いが終れば、彼もアリシアにプロポーズをするつもりであった。
ウィリスとミシェル、ローザリアの三人を見ていれば、元来は冷めていた彼の心にも火が灯る。
考えてみれば、もう傭兵稼業ではないのだ。結婚の一つくらい、したって罰は当たらない。
彼はずっと、アリシアのことを気にしていたのだから。
それなのにウィリスが、何の苦労もなく美人を次々と手に入れている。
サリフは、そんな気がしていた。今だって、ちょっと羨ましい。
サリフだって、浮気くらいはしたかった。
もちろんウィリスも、今回ナディアを伴ったことに関しては反省している。
といって人見知りの彼女をレギナ・レナに一人、残しておくことも出来なかった。
彼女には今のところ、ウィリス以外の味方が居ない。
ミシェルにもローザリアにも、彼女は嫌われているのだ。
二人を大切に想えばこそ、ウィリスは彼女達からナディアを引き離したのである。
だが、それには現実的な理由もあった。
かつてリュドミール帝が必ず戦場に伴ったという、軍師皇女の力が気になったのだ。
噂が真実であるならば、ローザリアにも劣らぬ軍才であろう。
しかし惜しむらくはローザリアと違い、軍才しか無い。
だからナディアは人を惹き付けることも無いし、政治にも無関心であった。
為に――父リュドミールを救うことが出来なかったのであろう。
ともあれウィリスとしては、いつまでも囲んで敵を待つつもりなどない。
既に腹の中で案は決まっているし、それを検討する為にこそ皆を集めたのだ。
実のところ案は昨夜、ナディアと話し合って決めていた。
むろん彼女が発案したものだし、それを今回の合議で口にしてもらうつもりだ。
そうすれば少なくとも、今後は彼女の力を認める者も出て来るであろうから。
――――
昨夜、ウィリスは天幕の中でナディアと二人、語り合った。
外は粉雪が舞う、静かな夜だ。
篝火のパチパチと爆ぜる音か、耳に心地よい。
ここが戦陣の中でなければ、雪でも眺めて一杯飲みたい夜だ――とウィリスは思っていた。
「ウルド公は、ご自身の欲望を優先させて、帝国のことを顧みていない……」
ウィリスの前でのみ、随分と口数の多くなったナディアが言う。
彼女は今ウィリスと並んで、寝台の上に座っていた。
それどころかウィリスの腕に抱かれ、頬を上気させている。
これを本国でミシェルなりローザリアなりが見れば、激怒どころか核爆発だ。血の雨が降るだろう。
が――しかし、これには深い事情があった。
父の死を目の前で見てしまったナディアは、熊のぬいぐるみを持ってしても眠れなくなったのだ。
医師が診ても魔術師が見ても、彼女の不眠は治らなかった。
そんな、ある日のことだ。
ナディアはウィリスの側で話していて、そのまま眠ってしまった。
あろうことか、ウィリスの身体に頭を乗せて「すーっ、すーっ」と寝息を立てている。
以来、ナディアはウィリス無しでは眠れない身体となり、ウィリスもやむなく床を共にしている――といった次第である。
そんなナディアが、ウルド公ネイを批判していた。
彼女にしてみれば、このカラード攻めに何の意味があるのか――と言ったところだろう。
こんなことをするなら、第一皇子と第二皇子の喧嘩を止めるなり、そちらに参戦して二人を叩きのめすなり、そういったことをして欲しいのだ。
ウィリスにもそれは、痛い程よくわかる。
だから、慎重に答えた。
「ウルド公は、世界をより良い方向へと導きたいのでしょう」
「だったら兄上達を滅ぼして、トラキスタンを乗っ取ればいい」
「それをやるには、力が足りませんね」
「……だからカラードを攻める、と?」
「そうです。負けたら、何の意味も無くなりますから」
「そんなことは、分かっているの。でもこれじゃあ、余りにお父さまが不憫」
ウィリスの膝にゴロンと頭を乗せて、ナディアが言った。
その瞳から、一筋の涙が零れている。
ウィリスは彼女の桜色の髪をそっと撫で、頷いた。
「仕方が無い、どうしようもない、そんなものだ……と、人は言うでしょう」
「……うん」
「だから今は、耐えなさい。きっと機会がきますから」
ウィリスは、自分自身も噛み締めるように言う。
彼もまた、許せない者達がいる。
それを耐えてきたのだ。
心に「仕方が無い」「どうしようもない」「そんなものだ」と言い聞かせながら……。
けれど恨みなど、どうして忘れることが出来ようか。
あのローザリアですら、原動力は「憎悪」なのだ。
だからウィリスには、ナディアの気持ちを否定することなど出来なかった。
「どんな風に、機会がくるの……」
「いつかきっと、ウルド公やローザリアの矛先がトラキスタンにも向く。それを待てばいい」
「ウィリスも手伝ってくれる?」
「もちろん」
ナディアは、アーノルドとボリスが憎い。
父を殺し自分までも殺そうとした、どちらかの兄。
父の死も自分が表舞台を去る事も厭わず、有耶無耶にしようとする兄。
ナディアにとっては、どちらがどちらでも構わない。
まず、真相が知りたい。
その上で、しかるべく罪を償わせたいのだ。
むろんグラニアが彼等を操ったというなら、思い知らせるべきだろう。
そこにこそ、ウィリスとナディアの交わる糸がある。
「そう……」
ナディアは頷き、目を瞑った。
ウィリスはそっとナディアを寝床に入れて、毛布を掛けた。
たぶんトラウマが原因なのだろう――彼女は睡眠のコントロールが、自分で出来ないのだ。
だからふと、話している最中でも寝てしまうことがある。
「フヒ、フヒヒ……そうだ、ウィリス」
だが、ナディアはまだ起きていた。
彼女は目をぱっちりと開き、奇妙で恐ろしい笑い声と共にウィリスへ言う。
「……この戦い……私が勝たせてあげる……」
「どうしました、急に?」
「……ドレストス男爵に力が無いから私は、お父様の仇を討てない。だったら、力を付けさせなきゃ……それに……」
「それに?」
「役立つと思われきゃ、彼女に殺される……」
ウィリスはボンヤリと天幕の屋根を眺めるナディアを、そっと抱きしめた。
「ローザリアは、そんなことなどしない」
「うそ……兄さまだって私を殺そうとした……他人なんて……信じられない……」
ナディアはブルブルと震え、焦点の定まらない目を漂わせている。
多分きっと、彼女は何かが壊れてしまったのだ。
ウィリスにはそれが何であるか、判然としない。
けれど判然としないからこそ、哀れで放ってはおけなかった。
暫くして震えが収まると、ナディアは静かに言う。
「聞いて、私の策を……」
「……聞きましょう」
「……」
「……」
「――どう?」
「勝てる。明日、合議を開く。だから、発言してみるといい。それで貴女を見る皆の目が、少しだけ変わるでしょう……」
――――
ウィリスは兵に暖かい茶を運ばせ、皆が手にした後で口を開いた。
天幕の中とはいえ、いくらでも隙き間風は入る。
茶で手でも暖めていなければ、思考も鈍るというものであった。
「すまんな、サリフ。しかしナディアは軍師皇女と名高く、実際、数多の戦さに参加している。今回は知恵を借りようと思って、遠征に参加してもらった」
ウィリスの言葉に、ナディアは意を決して頷いた。
精神的にも自分を守ろうとしてくれるウィリスに感謝を示すには、自らが毅然として語るしか無い。
ナディアは深く被ったフードを背中に落とし、口をへの字に結んで皆を見回した。
「ナディア・リュドミール・ミラーです……宜しくお願いします」
「いや、その……まだイーゴリで大丈夫です、殿下。正式に結婚した訳ではないので」
ウィリスのツッコミに、「ハッ!」と両手で口元を覆うナディア。
怒りに青筋を作ったのは、イゾルデ、リリー、サラ……つまり従軍する、全ての女性幹部であった。
こういった状況もあってウィリスは彼女を守ろうとするのだが――それが余計にナディアを孤立させる要因かも知れない。負の連鎖である。
「知恵を借りると言いますが、ミラー将軍。我らの敵は堅牢な要塞に立てこもる五千の兵と、降り積もるであろう雪――そしてグラニアから取って返す本隊。これを鮮やかに破る手立てが、皇女殿下におありなのでしょうかな……はたして?」
悪戯っぽく笑う緑髪の男、ジョセフ・アーサーが言った。
といって彼は、嫌味を言っている訳では無い。
むしろナディアの立場を良くする為に、見せ場を与えようとしているのだ。
それが分かればこそウィリスは頷き、皇女を促した。
ナディアの小さな、赤い唇が動く。
「ある」
「おや? それは是非とも、お聞きしたい」
ジョセフがクスリと笑う。
皆はしん――となって、ナディアの続く言葉を待った。
「二週間のうちに、敵を各個撃破する」
皆が騒然とした。
それが出来れば苦労しない。だいたい、二週間という期限が理解出来なかった。
「二週間ってのは、どういうことです?」
グラハムが無精に伸びた髭を摩っている。
「天候。この地域は十二月の中旬以降、大雪が降る。だからそれ以降は、戦えない」
ナディアの褐色の瞳が、自らの吐き出す白い息を見つめていた。
「――でも各個撃破なんて簡単に言われても、敵だって考えるのよ?」
サラが長い耳を上下に揺らしている。
と、いうか――最近の彼女は、またウィリスに欲情していた。
ミシェルはともかく、ローザリアやナディアがイケるのなら、自分もイケる気がするのだ。
なのでサラは、ナディアに対する敵対心マンマンである。
けれどナディアが地図上の一点を指差し、説明を始めると彼女は黙った。
「ここを使う。ルナの森……サラは森人だから、知ってる、でしょ?」
「ふぅん。森……ねぇ……」
サラは、知らないとは言わない。ただ、忘れていた。
だが森人ですら忘れていた森を、ナディアは口にした。この意味は大きい。
それはつまり、彼女が辺りの地理に精通しているということだ。
サラも副官として長い。
軍務において地理を知る事の重要性は、熟知している。
それが後れをとったのだから、苦笑してナディアの話を大人しく聞く事にした。
◆◆
ナディアが語った策は、全軍でカラード侯ディエゴ率いる本隊の迎撃に向かう、というものであった。
カラード軍にしてみれば公都を守ることも大切だが、領主を失う訳にもいかない。
ドレストスの全軍一万がディエゴに向かうなら、助ける為に公都を出ざるを得ないのだ。
そしてこちらが全軍で向かうなら、敵も勝つ為には全軍を振り向けなければならない道理である。
といって、ディエゴ軍も愚かではない。
こちらが一万の軍勢を差し向ければ、東方国境地帯の城塞、クロムに陣を構えるだろう。
そうなれば結局は城攻めだ。相応の損害が出るし、最悪の場合は挟撃される。
「じゃあ、どうするんですぅ?」
カミラが頬を膨らませて、ナディアに詰め寄った。
するとナディアは白石を地図上のルナ森林に置き、冷たく笑ったのである。
「ここに三千の兵を伏せる。敵の退路を断って、本隊はクロムの前まで進んで……ほら、挟撃するのは……こっちでしょ?」
これが見事はまれば、本当に二週間以内に敵を撃滅出来るだろう。
皆の背筋が凍えたのは、何も冬の寒さからだけでは無かった。
――――
その後ウィリスはすぐにラエンカの包囲陣を畳むよう命じ、進軍を開始する。
当面はクロム城塞を目指し、街道をひたすら東へと進んだ。
もしもカラード軍が到着する前にクロムへ至れば、ものの数時間で落とせるだろう。
守備兵は五百程度と聞いている。それならば、それで良いのだ。
二日後、ルナ森林に到達した。
ウィリスはイゾルデを呼び、三千の兵を預けて敵の後背を断つよう命じる。
もちろん敵がほぼ全軍を繰り出し、追って来ていることは確認済みだ。
「その……また、私を信用してくれるのか?」
おずおずと言うイゾルデの肩を、バンッとウィリスが叩く。
「また、誰かにそそのかされているのか?」
「いや……」
そう言って、イゾルデは口ごもる。
「根に持っているかと思ってな……」
「持っていないと言えば、嘘になる。だがお前は、ミシェルを命懸けで守ってくれただろう。それで十分だ……」
「本当か? 死んだ兵の恨みは……それに、与えられた屈辱は……?」
ウィリスは拳をメキリと握り、空を見上げた。
「ブラスハルトとゲートリンゲン……ヤツ等だけは必ず……俺の手で捻り殺す」
イゾルデが「ほっ」と息を吐き、ウィリスを見た。
どす黒く闇に染まったウィリスの瞳に、なぜか人の温かさを見たからだ。
「聖人君子という訳では、無かったのだな」
「当たり前だ。憎しみもあれば、愛情もある……俺は人間だ」
「人間……ね」
ウィリスは眉根を寄せて、困った表情を作る。
「なんだ、文句でもあるのか?」
「いや、ないな……ここは任せておけ、友よッ!」
イゾルデが馬の腹を蹴って、馬首を翻す。
その表情は、笑っていた。
「続けッ!」
彼女に従って、三千の兵馬が森の中へと紛れていく。
ウィリスは首を傾げつつ、彼女達を見送った。
人間というのは、疑い出せばきりがない。
一度許した者を疑うならば、最初から許さなければ良いだけだろう。
そして人は、誰でも間違いを犯す。
だから人が誰も人を許さないなら、人など誰一人としていなくなるのだ。
そう思うと、ウィリスは面白くなった。
誰を許し誰を裁くなどと、いつから自分はそれほど傲慢な考えにになったのだろうか。
昔は単なる奴隷で、考えることすら許されなかったというのに……。
ウィリスはそのまま七千を率い、クロム城塞へと向かうのだった。
面白いと感じたら、評価、ブクマ、感想、宜しくお願い致します。
作者のやる気が上がります!
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