表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

43/74

43 侵攻前夜

 ◆


 問題は葬儀の前日に起きた。


 第一皇子は確かにリュドミール帝の遺言に従い、第二皇子を皇帝と成す事を認めている。

 認めれば、皇帝暗殺に関する嫌疑を不問にしても良いと言われれば、従わざるを得なかった。


 何よりリュドミールの遺言は、既に近衛にも広まっている。

 従って帝都周辺の軍権は、もはや第二皇子に奪われたも同然。

 百程度の手勢しか連れていない第一皇子が、万の兵を擁する第二皇子に抗する術など無いのだ。


 この事情は諸侯達とて同様。

 数十から数百の兵しか、皆、連れて帝都に入っていない。

 第二皇子に睨まれれば、すぐにも捕えられ、殺される恐れがある。

 いくら疑わしいと思っても、第二皇子に面と向かって異は唱えられない。

 

 しかし、だからと言って誰も、納得した訳ではなかった。

 特に第一皇子ボリスは、腹の虫が収まらない。

 自分は皇帝を殺していない。その事実を自分自身が知っているのだから、当然だ。

 それに彼とて、馬鹿ではない。皇帝を暗殺して誰が最も得をするのかなど、一目瞭然である。

 だからこそネイを始めとした有力諸侯を回り、自身の無実とアーノルドの陰謀を吹聴していたのだ。

 それと同時に、自身を副帝とするよう弟には要求するつもりであった。


 これを第二皇子アーノルドが認めれば、話は早かったのだろう。

 アーノルドとて、別に兄が嫌いな訳では無い。

 面と向かって話せば、その条件を飲む可能性はあった。


 だが彼等の間を、第三皇子レオニードという壁が阻む。

 レオニードにしてみれば、目的は第二皇子の戴冠ではない。

 あくまでも彼は、トラキスタン帝国を二分させることが目的なのだ。


 だから第二皇子の客人として屋敷に留まるレオニードは、第一皇子からの使者をことごく追い払った。

 従って第一皇子の要求を、まだ第二皇子は知らなかったのだ。

 この状況に第一皇子ボリスは痺れを切らし、直接アーノルドの屋敷を訪ねる事とした。

 

「アーノルドも私を兄と思うなら、副帝にするくらい良かろう。私は既に奴を、正帝と認めやっているのだッ!」


 第一皇子は、このように考えていたらしい。

 父の死については、もはや問題ではなかった。

 彼としては、このまま南方の属州支配を続けられれば十分なのだ。

 何も変わらないことが、重要だった。

 双方が互いに干渉さえしなければ、広大な帝国の統治は上手くいく。

 この条件さえ飲んでくれるのなら父帝殺しの真相など、闇に葬っても良いとさえ考えていたのだ。


 ボリスが第二皇子の屋敷に辿り着くと、通常の応接間に通された。

 これは皇族に対し、大変な失礼である。

 ましてや、弟が兄を迎えるのだ。

 本来であれば馬車を降りる所から、アーノルドが迎えるべきである。


「これでは臣下と同じ扱いではないかッ!」


 第一皇子は応接間でこれ見よがしに怒鳴り、供された茶を床に投げた。

 そしてすぐさま帰ろうとする第一皇子。これを臣下は必至で止めた。

 まだ皇帝暗殺の疑いさえ、晴れていない状況だ。


 むろんボリスの臣下も、第二皇子が皇帝を暗殺したと疑ってはいる。

 だが、何一つ証拠が無いのだ。迂闊なことは言えない。

 ここで隙を見せれば、瞬く間にボリス皇子は不利な状況へと追いやられるだろう。


 いや、既に十分、不利な状況と言えた。

 このままでは、ボリス皇子は破滅する。

 そして主の破滅は、臣下の破滅でもあるのだ。


 ボリスも今の状況を十分に理解していた。

 だからこそ臣下の意見を聞き入れ、弟の到来を応接間で数時間も待ったのだ。


 しかし、我慢にも限度というものがあった。


「アーノルドは何をしているのだッ!」


 ボリスはアーノルドの家令に怒鳴り、状況を聞く。既に五度目だった。

 

「ただいま、お客様とお話中でございまして……」

「それは、先ほども聞いたッ! どれほど待たせれば、気が済むと言うのかッ!」


 その客人は誰かと問い質せば、第三皇子のレオニードだと家令が答えるではないか。

 ボリスとしては、怒髪天を衝く――というものだ。

 

「無礼であろうッ! 弟との話を優先させて、兄を待たせるなどッ!」

 

 ボリスは与えられた茶を投げつけ、怒りを露にした。


「も、申し訳ございません……ただいま、アーノルド殿下をお呼び致しますゆえ……」

「もういいッ! なぜ俺が、弟二人に虚仮にされねばならんのだッ! 馬鹿馬鹿しい、帰るぞッ!」


 こうして第一皇子ボリスは帝都の屋敷どころか、自らの居城へと帰ってしまったのだ。

 むろん、この行為は明らかな反逆と看做された。

 そもそも彼は、皇帝暗殺の嫌疑が掛けられていたのだ。

 それがリュドミールの葬儀すら出席せず、さっさと本拠地へ帰ったのだから弁解の余地はない。


 これを聞いたアーノルドは眉を顰め、レオニードに言った。


「流石にこれでは、兄上も可哀想ではないか?」

「情に流されれば、命を失うのは兄上ですぞ」

「そ、そうか……それにしてもボリス兄は、どのような用件で参ったのであろうか?」

「兄上を正帝と認める代わりに、自身を副帝と成せ、と」

「ほう? それであれば、別に認めてやっても良かったのではないか?」

「何を眠たいことを……天に二日無しと申します。兄上は、兄上だけの覇道を歩まれませ」

「確かに……ボリス兄は父殺しを私の仕業だと吹聴して回っているという。信じる諸侯が増えれば、厄介なことにもなろうしな……」

「はい。ですがこれで、ボリス兄上を信じる者はいなくなるでしょう……」


 答えながら、レオニードは背筋に寒気を覚えていた。

 全て、与えられた計画書の通りに事が進んでいる。

 これを作成したのがゲートリンゲンではないことなど、承知していた。

 けれどいったい誰が、こんなものを用意したのか。

 

 もしもこれを練り上げた人物と敵対したならば、自分では決して勝てない。

 そう思えば、レオニードはトラキスタンと云う国家の行く末を、案じずにはいられなかった。



 遠くグラニアでトラキスタンの状況を耳にするゼナ・ヴェルナーは、会心の笑みを浮かべている。

 別に、第一皇子が勝とうと第二皇子が勝とうと問題は無い。

 何であればムスラー、ゴードの両国を蹴散らしたあと、第二皇子を後押しすると称して侵攻するのも一興だ、と考える程度の話であった。

 

 ◆◆


 リュドミールの葬儀が終わったあと、ネイは屋敷に三公領の面々を集め、会議を開いていた。

 皆、一様に黒い喪服姿のままだ。口数も少なく、顎に指を当てている者が多い。

 葬儀のあと、アーノルドの発した言葉が理解出来ないからである。


「ボリス追討は、暫くの間せぬ」


 アーノルドは、こう言った。

 今であれば、帝都に諸侯が揃っている。

 この機を活かして号令を発すれば、十万を超える軍を集められるだろう。

 その上で一気呵成に討伐をすれば、何も問題は無いのだが。

 皆の気持ちを代弁するがごとき、ネイの発言である。


「意味が分からん。アーノルド殿下は何を考えておいでか……」


 円卓を囲む一同も、皆が首を傾げていた。

 ネイに答えたのはエンツォだ。

 今や彼はウルド公の夫という立場だけでなく、三公領の筆頭魔術師とも目されていた。


「誰が敵で誰が味方か分からない状況……というのを嫌ったんじゃないかな」


 皆も頷く。

 現時点での討伐となれば、皆が領地へと戻る。

 そして、堂々と兵を集めることが出来るのだ。

 その中にボリス派の人間がいたとして、咎めることは出来ない。

 現段階で旗色が分からないのだから、当然だ。

 となると、いざ蓋を開けたら敵だった、などということも起こり得る。


 軍師皇女と呼ばれたナディアが、ボソリと口を開いた。


「それもあるけど……グラニアが攻め込まれるのを……待ってる……」


 皆の視線が彼女に向き、ナディアがローブのフードを深々と被った。


「どういうことです?」


 ローザリアが口を開き、眉根を寄せている。


「父の下に、ムスラー公国から親書がきていた。冬の前に、北海と東から攻める。呼応されたし……と」


 顎に指を当てていたウィリスが、奥歯をギリッと鳴らす。

 彼は皇帝が暗殺された日、レオニードの姿を見ていた。

 まるでパズルのピースが嵌っていくようだ。

 余りにも都合が良過ぎる……。


 だが想像したことを証拠も無く、口にするウィリスではない。

 代わりに言ったのは、別の言葉だ。


「ですが、陛下が兵を集めるような命令を下されていたとは、思えませぬが……」

「そうだねぇ。呼応するなら、私達にも声を掛けると思うのだけれど……」


 エンツォがウィリスに頷き、机上に置かれた地図を指差す。

 ムスラーが北海から攻めるとすれば、狙いはグラニアの帝都であろう。

 東からゴードが侵攻するなら、丁度ウルド公国は西を襲える位置にあった。

 そのウルドに何の連絡も無いのだから、リュドミールにはグラニアを攻める気など無かったのではないか。

 ――皆もそう思った。


「父は、帝国に侵攻する意図が、無かった。勝った方の軍と、戦うつもりだったから」


 ナディアの言葉に、フィヨルド公が薄く笑っている。

 彼は三公領の最北に位置する、フィヨルドの主だ。

 フィヨルドは東側の国境全てがカラードに接していた。

 だから彼も、最前線の君主である。


 しかしウィリスは、どうもフィヨルド公が苦手であった。

 かつてカラードを攻めた折、戦った事がある。

 たいして損害を出さぬうち、さっさと引き上げたのが印象的だ。

 中肉中背で常に薄笑みを浮かべたような顔は、どこか不気味ですらあった。

 そのフィヨルド公が、言う。


「悪く無い策ですなぁ。どちらが勝っても弱っている。上手くすれば、一挙に大陸制覇も可能だったでしょう。クハハ……」


 カミラの父、ルイード公が肩を竦めて苦笑した。


「フィヨルド公は、お人が悪い。リュドミール陛下に、そのような野心があったとは思えませんがね……」


 腕を組んでいたエンツォが、茶を口に含んだ後で言う。


「……ともあれグラニアが攻め込まれている最中なら、どれほど派手な内戦になろうと、グラニアがこちらに干渉することはない……か」

「……逆に考えればグラニアはこちらに攻められる心配も無く、ムスラー、ゴードの両国を迎撃出来ます。些か都合が良過ぎませんか?」

「そう言われると、そうだねぇ。ドレストス男爵の意見も尤もだ」

「はい――とはいえ、これがグラニアの仕組んだことならば、益々もって巻き込まれるなど御免こうむりたい。宿敵に操られた馬鹿皇子二人の為に兵を死なせるなど、冗談ではありません」


 エンツォに答えたのは、ローザリアだ。

 彼女の戦術眼は、皆が一目置いていた。

 その彼女にナディアが頷いているのだから、信憑性が増す。

 ネイも頷き、「なるほど」と唸った。


 冷徹なローザリアの観察眼に、一同も唖然としている。

 これでまだ十八歳なのだから、末恐ろしい。


 ウィリスが椅子を軋ませ、「確証はないが……」と前置きをして話し始めた。

 主君であるローザリアの明敏さが、ただ嬉しい。

 こうなれば、自身の考えを披露しても問題ないだろう。

 どうせ、主君の意思に同調するだけのことだ。


「確かに今回の件、グラニアが仕組んだ罠……という線も十分に考えられます。ムスラー、ゴードに攻められる最中、トラキスタンにまで攻め込まれては、いかな軍事大国といえども、太刀打ち出来ませんから。

 それに第三皇子レオニード……彼は長年グラニアに亡命していました。それがなぜ、今になって戻ったのでしょうか」


 ウィリスの低い声に、皆が戦慄した。

 もしもこれが罠だとして、トラキスタン宮廷が手玉に取られたのなら、由々しき事態だ。


「ふむ……こんな策を思い付きそうな者が、グラニアにはいるのか?」


 ネイの問いに、ウィリスは頷いた。


「二人ほど、思い浮かびます」

「誰だ?」

「コーラル・ユーシスとゼナ・ヴェルナー」

「ユーシス将軍とは幾度か戦ったが……正々堂々とした、清廉なお人柄と見受けたが?」

「はい。ですから恐らくは、ゼナ・ヴェルナーの方かと」


 ネイは茶を口に含み、中空を睨む。


「どのような人物なのだ、ゼナ・ヴェルナーとは……」


 ウィリスは腕を組み、眼を閉じて彼女を思い出す。

 幾度も剣技の試合を挑まれた。

 幾度打ち負かしても次の日には挑んでくる、ゲートリンゲン配下の将。

 決して、嫌いではなかった。


 彼女はウィリスと入れ替わるように、将軍の列に加わったという。

 竜騎兵ドラグーンを束ねる立場となったのだから、それも当然と云えよう。


「混沌を好む性質にて……善にも悪にも転びましょう。ゆえに目的の為ならば、手段を選ばぬ人物です。ただ先も申しましたが、確証は無い。いたずらにグラニアの罠と断ずるのも早計でしょう」

「ふむ……そうだな。となると、我らは迂闊に動くべきではなかろう……少なくとも、来るべき内乱に関しては……だが」


 机の端を指で叩きながら、ネイが言う。

 重々しい口調とは裏腹に、彼女は会議が自らの思い描く方向へ進み喜んでいる。


「そうですな……状況がどう転ぶか、見極めた上で動いても遅くは無いでしょう」


 同調するルイード公に、カミラも頷いていた。

 

「では、我らは第一皇子、第二皇子の両陣営、どちらにも属さぬ――ということで宜しいか?」


 ネイの言葉に、一同が頷く。


「はっきりと申されては如何かな、ネイどの。我らは第三の勢力を目指す、と」


 フィヨルド公が笑っている。

 ネイも頷き、笑っていた。


「そのつもりだ――諸君、この状況は、我らにこそ利があるぞ」


 三公領に属する領主達の瞳が、俄に輝きを増した。


 ◆◆◆

 

 二週間が過ぎ、いよいよ冬が間近に迫る頃――ローザリアは雑事に追われていた。

 彼女は帰路の途中、ネイから命令を受けたからだ。

「グラニアがムスラーに攻め込まれたならば、機を見て、カラードを攻めよ」との命令である。


 このとき時を同じくして、ネイはミリタニアを攻めると言う。

 二正面作戦であった。


 ローザリアとしても、一万三千に膨れ上がった兵は養いきれない。

 戦争に駆り出すか、解雇するか、農民にするかの選択肢しか無かった。

 となれば、ここで戦争の選択肢が出来ただけ有り難い。

 ましてや、カラードには金がある。喉から手が出るほど欲しい土地であった。


 とはいえ、領内の整備や諸々の雑事がある。

 この状況で出征など、簡単に出来るものではなかった。


 だが、事態は切迫している。

 いよいよグラニアが攻め込まれた――との報告が入ったのだ。

 

 もはやローザリアには、選択肢が無い。

 こうして彼女はウィリス・ミラーを政庁に呼び、命令を下したのだ。


「ウィリス・ミラー将軍! 八千の兵を率い、北方、カラードを制圧せよ! なお、ルイードより二千の援軍が約束されているッ!」


 小さな階の上に、木製の椅子を置いただけ。

 居並ぶ臣下は未だ、十数人。

 ローザリアの玉座など、今はその程度のものだった。


 けれどウィリス・ミラーは彼女の前で黒衣黒甲に身を包み、漆黒のマントを翻す。

 片膝を付いて畏まるその姿は、まるで皇帝の勅命を受けているかのようであった。


「ご下命、謹んでお引き受け申し上げる」


 くぐもった、ウィリスの声が聞こえた。

 彼はすぐに立ち上がり、颯爽と身を翻す。

 彼の後に続くのは、ドレストス軍を彩る勇士達だ。


 イゾルデ・ブルーム、ジョセフ・アーサー、ハンス・チャーチル、リリー・パペット、サキュバス・ミスティ、グラハム・ジード、サリフ……そしてサラ・クインシー。


 彼等は皆、後の世で吟遊詩人に謳われ物語の華となる。

 

 ウィリスが去って閑散とした広間で、ローザリアがアリシアにぼやく。


「私も行きたいのだがなぁ……」


 そんなローザリアに、アリシアも文句を言った。


「あたしだって、あっちの方がいいわよッ!」


 二人を見比べ、筆頭魔術師のシェリルは苦笑するのだった。


「仕事が山積みですよ、男爵閣下。戦さは殿方にお任せしましょう」

「うむ……そうだな」


 ――――


 イゾルデがクシャミをした。

 ブルリと自分で肩を抱き、「冬の戦さかぁ」と一人ごちる。

 前を行くウィリスは、そんなイゾルデに苦笑した。


 色々と、寒さが骨身に沁みる。

 来年には三十になると思えば、そろそろ引退を考えるイゾルデであった。

面白いと感じたら、評価、ブクマ、感想、宜しくお願い致します。

作者のやる気が上がります!


※評価ボタンは下の方にあります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ