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42 晩秋の風

 ◆


 トラキスタン帝都スペリオル。

 そこにあるウルド公爵邸は皇帝リュドミールの死後数日の間、盛況を極めた。

 彼女が死を間近にした皇帝に呼ばれたことは、周知の事実。

 つまり彼女こそ、トラキスタン帝国の筆頭諸候であると見られたからだ。

 

「今日は第一皇子が来られたとか。常であれば、その権勢揺るぎなし、といった所ですね」


 窓辺に立って紅茶を飲みながら、ローザリアが外を見つめている。

 庭先にある木々はすっかりと色づき、深まる秋を如実に物語っていた。


「常であれば、ね。ボリス殿下は、全ては第二皇子アーノルド殿下の罠だ、と――そう言っていたわ」

「双方共に、相手を父殺しと非難するのですね。すると閣下は、どちらが犯人だと思われるのですか?」

「状況証拠で言えば、第一皇子が怪しくなるわ。でも――陛下の死で利を得るのは第二皇子よ」


 ソファーに座り紅茶を啜ったネイが、苦笑しながら言う。


「確かに、この状況で最も得をするのは第二皇子殿下。だとすると第一皇子殿下の仰りようも、一理ありますが……」

「そうなのよ……でもね、リュドミール陛下が亡くなる前に後継を定められたのも事実だし、それを今更覆す訳にも、いかないじゃない? 大体、そんなことを言う権利なんて、私にはナイ、ナイ」


 手をヒラヒラと振るネイは、別のことを考えていた。

 むしろ帝国が割れれば良い――と思っている。

 ウルドを本当の独立国にする為には、それが最良なのだ。


 とはいえ、その思惑はまだローザリアにも伝えていない。

 言うタイミングが難しいのだ。


「どちらの陣営も、ネイさまを取り込みたくて必至なのでしょうね。ははは」


 ローザリアはネイの真意を知らず、笑っていた。


「正直な話、来られても困るのよねぇ……私はどちらの味方もしたく無いの。今度からローズ、あなたが適当に相手をして、追い返してくれない?」

「皇子達を追い返すなど、一介の男爵に出来る事ではありませんよ、閣下。といってこれも、明後日までの辛抱ではありませんか? 本国へ帰れば、使者とて早々は来ないでしょう」


 戦勝祝賀の典で集まった諸侯は、そのまま皇帝の葬儀に参列することとなった。それが、明後日なのだ。

 これら式典に関する第二皇子の手際が実に良く、大した器量だと感心する諸侯も多い。

 それに比べて祝典にすら遅参した第一皇子ボリスの株は、今や下落の一途を辿っている。

 しかし裏を返せば既に葬儀の準備が出来ていたのではないかと、第二皇子を疑う勢力も生まれつつあった。


「……そうね。それよりも、ウィリスとナディア殿下の様子はどう?」


 ネイの質問に、ローザリアは硬直する。

 窓の外では木枯らしが吹き、木に残っていた枯れ葉を飛ばしていた。

 彼女の気分も今まさに、そのようなものである。

 風で飛ばされたい、ローザリアだった。


「ウィルはあれだけの怪我をしたのに、もう剣を振っています。不死兵アタナトイというのは、本当に人間離れしているのですね。

 ナディア殿下の方は――あれから部屋に籠りきりで、食事もほとんど摂られないご様子……」


 ローザリアは言外に、ナディアなど知った事か――と言っている。

 ネイは紅茶のカップを皿に置き、彼女をギロリと睨んだ。


「あの事は……ウィリスに伝えたの?」

「は……何のことでしょう?」


 慌てて目を逸らす、ローザリアだ。

 ならない口笛まで吹いて、何処までも誤摩化す気らしい。


「恍けないで、ローズ。ウィリスにナディアとの結婚の話をキチンと伝えたのか、と聞いているのッ!」


 額に冷や汗を浮かべて、ローザリアが口ごもる。


「い、いや……そのっ……ウィルもまだ回復していないし……何というかァ……」

「そりゃ、あなたの気持ちも分かるわ。でもね、ローズ……あなたは今や領主でしょう。ドレストス王国を取り戻すという目的だってあるのよ」

「それとこれとは、話が違います……」

「いいえ、あるわ。ナディア・イーゴリをあなたの保護下に置く意味は、計り知れない。それはそのまま――私の下にグラニアとトラキスタンの皇女が居る事になるの。

 こんな事を言うのは不敬だけれど、リュドミール陛下がお亡くなりになった中、ウィリスがナディア殿下を助けたことは、本当に僥倖だわ」


 そう言われて、ローザリアはハッとする。

 ローザリアは、グラニアの皇妹とトラキスタンの皇女を保護下に置いた。

 その自分を擁するネイは、言ってしまえば両帝国に貸しを作ったことになる。


 こうなると、どちらの帝国も簡単にはウルド公国を攻められない。

 どころか宗主国たるトラキスタンなど、より大きな支援をすべき立場となるはずだ。

 

 一方で武力さえ整えば、ウルドはどちらの帝国も攻めるに足る大義を得た。

 例えばグラニアを攻めるなら、ウィリスを貶めミシェルに婚約破棄をさせた不義理。

 トラキスタンを攻めるなら、ナディアを担いで皇子の陰謀説を振りかざせば良い。


 それにローザリアとしては考えたく無いが、さらに利点がある。

 もしもウィリスと二人の間に男児が出来れば、最良だ。

 ミシェルとの間ならグラニアの皇位、ナディアとの間ならトラキスタン皇位の継承権を得る。


 これらのことを承知の上でネイが「僥倖」と言うなら、ローザリアが考えられることは一つだ。

 彼女は紅茶のカップをテーブルに置き、ネイに向き直った。


「ネイさまは、再び東西の帝国を統合なさるおつもりですか?」

「あら、気付いちゃった? といっても、今は力が足りないわ。だから、もしも運命の神なんてものがいて、時代がそれを望むなら……有り得る話にもなるでしょう、ってことよ」


 スッと、ローザリアが目を細めた。

 ネイの言葉が本心であれば、彼女の行く手にはグラニアの打倒がある。

 ローザリアの進むべき道と、それは一本に繋がっていた。

 

 例えばウィリスとの約束を果たすとして、自身が絶対の君主である必要は無い。

 それどころかネイさえ健在なら、自分が街娘に戻ることすら容易いだろう。

 ドレストスを再興してグラニアを倒したあと、平等が齎された世を統治するのはネイであれば良い。

 その中で自分がウィリスの妻になれば、何の不自由があろうか。


 ローザリアは、そう考えたのだ。


 だから片膝を付き、彼女は改めてネイに臣下の礼をとる。

 以前、誰の下にも付きたく無いと喚いた彼女とは、もはや違うのだ。


「ネイさま。そのようなお心とは知らず、ご無礼を……私は、今後とも閣下のお役に立ちとう存じます」


 ネイは立ち上がって、ローザリアの手をとった。

 ローザリアが己の野心を真摯に受け止めてくれた事が、とても嬉しい。

 

「ローズ……ありがとう。あなたの働きには、期待しているわ」

「……ネイさま!」


 ローザリアの顔が、パッと明るく輝いた。

 けれど次のネイの言葉で、彼女は再び肩をガックリと落とす。

 

「じゃあウィリスには今日中に、結婚のことも含めて色々と伝えなさい」

「は、はぁ……でも……」

「それから、ウィリスをナディア殿下の部屋へ行かせるのッ!」

「えっ、でも……いきなり二人きりにするなんて……」

「いいじゃない。ナディアさまだって美人だし、ウィリスの心が変わるかも……」

「そ、そんなことはっ! だってウィルは私の……私の……心変わりなんて、して欲しくないッ……」


 俯くローザリアを抱きしめ、ネイが優しく言う。


「ローズ、聞いて。エンツォにだって、めかけくらい居るのよ?」

「えっ!?」

「私の下にはね、百もの諸候がいるの。彼等との繋がりを強固なモノにする為には、そういったことも必要なの」

「それじゃ、ネイさまは……」

「もちろん、私だってイヤよ。だけど、これも政治なの。だからローズも我慢して」


 思いっきり眉毛を落とし、ローザリアが情けない声を出す。


「は、はぃ……でもぉぉ……」


 なおも煮え切らないローザリアに、ネイはとうとうブチ切れた。


「いいから、言う通りにおしッ!」


 ――――


 ローザリアがドレストス家の屋敷に戻ると、既に日が西に落ちかけていた。

 冬が近づくにつれ、日が短くなる。

 空の上部は紫色に染まって、茜色が残るのは地平線に程近い一部だけ。


 冬になれローザリアも、いよいよ十八歳だ。

 だとしたらウィリスは二十八歳になっているのだな――などと思いつつ、ローザリアは沈鬱な気持ちになった。

 

 ミシェルとウィリスの結婚は、認めるしかない。

 それがどうして、オマケでナディアまで付いてくるのか。

 しかも自分がウィリスに、その事実を伝えねばならないとは……。

 世も末、人の心には血も涙もないのか――とローザリアは肩を落とす。

 全ては大義の為とはいえ、それで恋がぐちゃぐちゃになるとは、君主とは切ないものだ。


 馬上で肩を落とし、とぼとぼと庭先を進むローザリアを見つけ、グラハムが声を駆けた。


「男爵閣下!」


 グラハムはちょうど、ウィリスと剣の稽古をしていたようだ。

 手を振るグラハムの後ろで、ウィリスが汗を布で拭いてる。

 ローザリアは馬丁に馬を預け、彼等の下へと向かった。

 気を利かせて、グラハムが去る。


「ちょっと水でも浴びてくるからよッ! じゃ、デカブツ、あとは頼んだッ!」


 ローザリアはウィリスを見上げ、軽く腕に触れた。

 

「もう、痛まないのか?」


 ウィリスは微笑して頷く。


「ああ、問題無い。魔石の魔力を多少使ってしまったが……」


 ローザリアは「うむ」と頷き、「ほっ」と息を吐いた。

 不死兵アタナトイの概要は、サラから色々と聞いている。

 今ならウィリスの胸を開け、簡単なことであれば調整することも出来るローザリアだ。

 あの程度でウィリスが死ぬ筈は無い、とは分かっていた。

 それでも――心配にはなる。


「実はな、話があるのだが――」


 言いながら、ローザリアが近くのベンチへとウィリスを誘った。

 この前庭には、無数のベンチが置かれている。

 おそらくは先帝リュドミールが、手入れを欠かさずにしてくれたからだろう。

 そうでなければ今頃、全ては雑草で埋め尽くされていたはずだ。

 

 ウィリスと共にベンチへ腰を降ろしたローザリアは、リュドミールの恩を思った。

 これからウィリスに伝えることは、彼の最後の意思。即ち、遺言である。

 それと同時にローザリアとネイに大義を齎す、魔法の言葉でもあった。


「ウィリス、リュドミール陛下はな、貴様とミシェルの婚姻を認めた」

「……本当か?」

「嘘を吐く必要など、何処にある。ただ、一つ条件を出された」

「それは、何だ?」

「うむ……ナディア殿下も貴様の妻に、とのことだ」

「……断る」

「まあ、そう言うであろうとは、思っておった」


 大きな溜め息と共に、ローザリアが説明を始める。

 トラキスタンの情勢や、ナディアの身の上などなど……。

 それらをウィリスはいちいち頷いて、熱心に聞いた。

 最後に、「グラニアを倒し、平等への階梯を登る為の礎になれ」とローザリアは付け加えた。

 彼女の目に涙が溜まってしまったのは、多分、今の自分の気持ちも礎になってしまうからだろう。


「事情は分かった――では、形だけでも良いか?」


 困ったように頬を指で掻き、ウィリスが言う。

 彼も愚鈍ではない。ローザリアの気持ちは分かっていた。


「形だけ?」

「ああ。妻にはするが、俺は彼女に手を出さん」

 

 ローザリアの頬が、朱に染まる。

 ウィリスの手を取り、彼女は大きく頷いた。


「それは、貴様に任せる。でも、私を妻にする時は、それではいかんぞ?」

「それも――分かっている」


 ◆◆


 ローザリアと別れ、ウィリスはナディアが籠っているという部屋へ向かった。

 彼女を励ましてやってくれ――とローザリアに言われた為だ。

 随分と落ち込んでいるらしい。

 言われてみれば、当然だろう。目の前で、父親を殺されているのだから。


 “コンコンコン”


 ウィリスはノックをした。

 ふと、彼女がなぜ自分に懐いているのか、不思議に思う。

 それほど面識は無い筈なのだが……。

 しかし、考えが纏まる前に返事があった。


「……開いています」


 くぐもった声が聞こえる。

 ウィリスは扉を開けて、中へと入った。

 暮れかけた日差しは、もう部屋に届かない。

 薄暗い室内で、皇女は寝台の上にいた。


「ずっと、そうしておいででしたか?」


 ナディアは桜色の髪を両手で押さえ、ガリガリと頭を掻く。

 イライラとしながら、何かに怯えている。

 ウィリスは彼女の仕草から、そんな印象を受けた。


「悪い?」

「悪くはありませんが、食事も摂っておられぬとか……」

「父は、もう食事を摂る事が出来ない。それなのに私だけ、食事なんて……」

「父君は、お亡くなりになったので……」

「……殺されたから」

「そうですね」

「仇を、とりたい」

「相手が、分かっておいでですか?」

「……どちらかの……兄」

「ですが、どうにも出来ないでしょう」

「兵を、貸して」

「どちらの兄君を討つのですか?」

「……両方」

「それは、無理でしょうな」


 ウィリスは首を左右に振って、寝台に近づいた。

 美しかった皇女の顔が、随分と窶れている。

 落ち窪んだ目、ボサボサとした髪――それはまるで、貧民街にいる物乞いのようだ。

 ウィリスは彼女がナディアだと、にわかには信じられなかった。


「ウィリス……」


 不意にウィリスを見上げて、ナディアが後ずさる。

 寝台の布が擦れて、乾いた音を立てた。

 彼女は目を見開き、驚いている。

 今の今まで会話を交わしていた人物が、誰だか分からなかったらしい。


「私……あなたに助けられて……お礼も……していない。それなのに……会わせる顔が無い……」


 ウィリスは首を左右に振って、微笑んだ。

 ずっとここに居て、ただ怒り、怯えていたのだろう。

 今のナディアは、大分臭う。

 もともと薄汚れたローブをずっと着ていたが、それとは違う。

 本当に人間が何日も身体を洗わない、垢の匂いだった。


 けれどウィリスは気にしない。

 戦場に居れば、そんなことは幾度もあった。

 男達の汗と油、血と汚物と泥濘の中、彼は戦ってきたのだ。

 獣じみた雌の匂いなら、むしろ馥郁たる香りにも等しい。


「いいんです……俺は……リュドミール陛下をお助けすることも、出来なかった」


 言いながら、ウィリスは思った。

 俺は一体、人生で幾度の失敗をするのだろう――と。 

 最強の不死兵アタナトイなどと言っても、肝心の時にこれでは、どうしようもない。


 ナディアが、ウィリスにしがみつく。

 彼女の目から、ポロポロと涙が零れた。


「ありがとう……ウィリス……助けに来てくれて……」

「あなただけでも、守れて良かった」


 ウィリスはナディアの背中を軽く撫でて、落ち着かせる。


「これからも……守って……くれる?」


 ナディアが上目遣いに、ウィリスを見た。

 懇願するような眼差しだ。


「あなたは俺の妻になる――守るほか無いでしょう」

「父の遺言だから?」

「そうでなくとも、あなたの事は守る。けれど妻にするのは――遺言だからです」

「……形だけ、ということ?」

「解釈は、あなたにお任せする」

「そう、わかった。形だけでも構わない……それでも、私の気持ちは変わらないから」


 コクンと頷き、ナディアがぎこちなく微笑んだ。

 

「あなたの気持ちというのが、俺にはよく分からない」

「どうして?」

「なぜ、俺などを好いてくれるのか……理解出来ません」

「私にも、よく分からない。気が付いたら、あなたの事ばかり考えていた」

「……ナディアさま」

「私のことは、ナディアでいい。ウィリス・ミラー。私は、あなたの妻になるのだから。ふふ……」

「分かりました、ナディア。今後とも宜しくお願いします」


 ナディアは父を失ったけれど、ウィリスを得た。

 代償というには、余りにも損失が大きい。

 それでもナディアは、ようやく笑うことが出来たのである。


 もしもウィリスがいなければ彼女はきっと、どちらかの皇子に殺されていただろう。

 そのことを、ナディアは誰よりも理解している。

 そして自分を形だけでも受け入れてくれたウィリスを、心から大切にしようと誓うナディアだった。


 

 同時刻――明日に迫ったリュドミールの葬儀を前に、第一皇子ボリスが帝都を出たという。

 この知らせは、トラキスタン諸侯の心に寒風を齎した。

 確実に帝国が二分される――そのことが約束されたのだから。

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作者のやる気が上がります!


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