41 リュドミール三世
◆
ウィリスが駆ける僅かばかり前のこと……。
レオニードは苦虫を噛み潰しつつ、物陰に潜む男に声を掛けた。
「……やれ」
男の名はヤークート・アル・ハサン。
南方の大陸より渡った、とある教団の幹部である。
この教団はここ、リンデルゲン大陸において暗殺教団と呼ばれ、恐れられていた。
しかし今回の皇帝暗殺に際し、レオニードは手段を選べない。
だからグラニアから調達した豊富な資金を用いて、彼等を雇い入れたのだ。
「承知した」
レオニードに頷くと、ヤークートは覆面で顔を隠す。
爛とした目に宿る暗い殺意も、朧げになったようだ。
彼は今、全身を黒い装束で包んでいる。
腰に佩いた剣は反りのある曲刀で、彼は二十人ほどの配下を従えてた。
中でも最も優秀なのは、ルカイヤ・アル・ハサン。彼の妹である。
彼女は黒髪に緑色の目を持つ、精霊使いだ。
ヤークートは彼女に指示を出し、配下の者達を配置に付けた。
「油断するな」
部下達に言い含めるヤークートは、しかし、それでも冷笑を禁じ得ない。
皇帝の警護は優秀だと聞いている。
グラニアの竜騎兵にも引けを取らぬ、獣飛兵が近衛だという。
しかし、それが何程のものかと――ヤークートは思っていた。
グラニアにおいて、彼が恐れたのは不死兵だけだ。
実際、暗殺者と五分に戦えたのは不死兵だけである。
竜騎兵にしろ獣飛兵にしろ、地に足を着けて戦うなら敵ではない。
「ルカイヤ、時間だ」
ヤークートの目配せで、ルカイヤが魔法の詠唱を始めた。
彼女の扱う魔法は、ここ、リンデルゲン大陸とは理論を異にしている。
しかし、それで威力が落ちるということは無かった。
「――崩壊せよ」
ルカイヤが詠唱を終えると、けたたましい音を立てて宮殿が崩壊する。
絢爛な装飾の施された柱や壁が割れ、砕けて散った。
舞い上がる粉塵の中で、耳を聾する諸侯の悲鳴が辺りに響く。
まさに、阿鼻叫喚の地獄絵図。
その中でヤークートの部下達は、冷徹にリュドミール三世を襲った。
◆◆
粉塵を抜けたウィリスの眼前に現れたのは、絶体絶命のリュドミールであった。
いや、手遅れとも云える。
すでにリュドミールの腹部にはいくつかの刺し傷があり、血がボタボタと零れていた。
それでもリュドミールは剣を手に、賊を睨み据えている。
賊は二十人程度。全員が黒衣を着ていた。
一方、既に皇帝の護衛は二人しか残っていない。ほぼ全滅である。
側では、ナディアが倒れていた。
ウィリスの脳裏に、おずおずと喋るナディアの顔が浮かぶ。
「ヌォオオオオオオオッ!」
ウィリスは今まさに、皇帝の胸元へ刃を突き立てんとしていた賊に殴り掛かった。
賊は振り向く事も無く、顔をウィリスに弾き飛ばされる。
“バァァアアアン”
そのまま背後の垂れ幕を揺らし、壁に激突して賊は床へ落ちた。
賊はピクピクと痙攣して、口から血を零している。
が――そんなものに構う暇は無い。
皇帝の護衛が、その瞬間にも数を減らしている。全滅していた。
賊に手練が二人いる。
ウィリスは目だけを左右に動かし、確認した。
剣を逆手に構えた女と、長身の男だ。
ウィリスはこのような戦い方をする連中と、以前見えたことがある。
「暗殺教団どもかッ!」
吐き捨てると同時に、ウィリスは倒れた衛兵の手から一本の剣を借りた。
重傷を負ったリュドミールが、苦しそうに声を発する。
「ウィリス……ミラー。姫を……ナディアを……」
その皇帝に、複数の刃が迫った。
ウィリスは肉食獣を思わせるしなやかさで動き、皇帝の前に立つ。
音の無い、高速の動きだ。
刹那――ウィリスの白刃が煌めいた。一撃で敵の首をはね飛ばす。
次は、くるりと身体を反転させた。
今度は皇帝に背後から迫る敵の、肘から先を斬り落とす。
ウィリスの刃には、敵の血が留まる時間とて無い。
だが横合いから皇帝へと伸びた剣への対応は、流石のウィリスも間に合わなかった。
最強の暗殺教団、そう呼ばれる実力は本物だ。
といって諦めるウィリスではない。
右手の剣が間に合わなければ、左手を伸ばす。それだけのことだ。
だからウィリスは左手を伸ばし、腕を盾にして敵の刃を受け止める。
多少の被害は、覚悟の上だ。
鋭い痛みが前腕部を襲うが、彼は気にも止めない。
衣服に赤い染みが生まれ、すぐにボタボタと血が滴り落ちる。
ウィリスは筋肉を引き締め、敵の刃を腕の中へ留めおく。
そしてブンと腕を振り、剣ごと賊を側へ引き寄せる。
そのまま敵の腹部に剣を突き刺し、グルリと回転させて絶命させた。
「ちッ、化け物が」
浅黒い肌の女が、覆面の内で舌打ちする。ルカイヤだ。
といって、直接一騎打ちをして勝てる自信は、今のところ無い。
「皇帝はもう良い、やり過ぎだ。皇女をやれ」
賊の中から、男の声が聞こえた。
ルカイヤが動き、倒れ伏すナディアに魔法を放つ。
「炎槍」
「ナディ……ア」
皇帝が手を伸ばす。
傷ついた身で、助けに行こうというのだ。
けれど身体が付いていかない。
歩こうとしたリュドミールが、その場で腹を抱えて踞る。
代わりにウィリスが駆けた。
しゃがんでナディアを抱え込むと、その背中に三本の炎槍を受け止める。
鎧を着ていない彼の身体が、ジュウと焦げた。
背中の衣服が燃えて消え、赤く爛れた肌が露出する。
ヤークートはその様を見て、口元を歪めた。
彼がウィリス・ミラーであることは知っている。
だからこそ、黒い装備を全て奪ったのだ。
万全のウィリス・ミラーと激突するのは、愚かというもの。
だが今の彼は鎧も無く、恐らくは殻門の解放も出来ないだろう。
今ならば、殺れる。
ヤークートは、この戦いで追加料金を請求することに決めた。
ヤークートが三人の部下に、ウィリスを襲わせる。
「奴も人間だ。三方から同時に仕掛けよ。皇女もろとも殺せば、報賞も増えよう」
頷いた暗殺者が、曲刀を閃かせてウィリスに襲い掛かる。
が――しかしウィリスは一切怯まない。
前進し、紙一重で全ての剣をかわす。
かわしざま、ウィリスは敵を剣で突き、払い、横に薙いだ。
しかも、その腕にはナディアを抱えている。
皇帝の言葉を、ウィリスは忠実に守りつつ戦っていた。
「皇女の命は、奪わせぬ……!」
血飛沫を上げて倒れる三人を見て、ようやくヤークートは動き始めた。
先ほど向かわせたのは、中でも手練だったのだ。
「追加料金どころではない……俺が甘かったか」
このままでは、たった一人の不死兵のせいで、暗殺教団が全滅する。
それだけは、どうしても避けなければならなかった。
どうせリュドミールの命は、もう長く無い。
全ての刃には、毒が塗ってある。死ぬのも時間の問題だろう。
仕事はそれで、十分なのだ。
しかし、その意味ではウィリス・ミラーとて同様。
彼も十分、剣で斬られているはずだ。
「ガァァアアアアアアッ!」
ウィリスの剣が、敵を薙ぎ払う。
二人の暗殺者が胴体を両断されて、ドサリと床に身体を倒した。
その間にリュドミールの背後へ迫ったルカイヤが、皇帝の首筋に刃を当てる。
彼女はウィリスがナディアを抱えた様を見て、早々に暗殺を諦めた。
代わりにリュドミールが生きている間に、人質にしようと思ったのだ。
だがウィリスは甘く無い。
振り向きざま、剣を投げた。
それはリュドミールの背後にいる、ルカイヤを狙ったものだ。
ルカイヤは、すぐに飛んだ。おかげで何とか剣を避けることが出来た。
が――とんだ先で、血溜まりに足を取られる。
滑り、転んだ。
「あっ……ひゃうッ!」
思わず情けない声が漏れる。
倒れ伏すルカイヤの前に、ウィリスの巨体が迫った。
足を大きく振り上げている。
ルカイヤはウィリスが自分を踏みつぶすのだろう――と思った。
ルカイヤは死を覚悟し、目を閉じる。魔法を唱えたところで、間に合わないだろう。
悔しいが、ここまでか――そう思った。
その瞬間、ポタリと自分の顔に暖かい血が落ちてくる。
頭上でウィリスが、眉をピクリと動かしていた。
ヤークートの剣が、ウィリスの腕にめり込んでいる。
ウィリスはナディアを守るため、避ける訳にもいかなかったらしい。
「退くぞ。本来の目的は達された――欲をかいては、被害が馬鹿にならん」
ヤークートが倒れ伏すルカイヤに言った。
実際ウィリス一人を相手にして、全体の半数近くを失っている。
といって、勝てないとは思わない。
無理をすれば、ウィリス・ミラーを討ち取ることは出来るだろう。
ただし、その時には自分かルカイヤ――或はその両方が屍になっているはずだ。
そう考えれば、ヤークートには撤退以外の選択肢が無かった。
「承知ッ!」
ルカイヤもすぐに立ち上がり、煙幕の魔法を唱えてウィリスの前から去る。
ウィリスは腕の傷を気にすることなく、突進した。
逃がすべきではない。少なくとも、誰かを生かしたまま捕える必要がある。
ウィリスは、逃げる男の一人を捕まえた。
大きな手で首をむんずと掴み、引き倒したのだ。
だがウィリスが捕まえた男は、すぐに舌を噛み切った。
ウィリスは舌打ちをして、男を投げ捨てる。
やがて自身も意識が朦朧として、片膝をついた。
視線の先ではリュドミールの呼吸が、徐々に薄くなっている。
「……医者を! 陛下に医者をッ!」
叫ぶと共に、ウィリスは意識を失った。
それを見た一人の暗殺者が、止めを刺そうと舞い戻る。
刹那、ウィリスの懐から一匹のコウモリが飛び出した。
コウモリが、人へと変じる。
深紅の瞳に黒絹のような髪。
艶やかで透明感のある白い肌は、彼等教団が崇める至高神のようである。
「大人しく退けば、見逃したものを……」
凛とした声を発するミスティ。
彼女の手の爪が、シュッと伸びた。
暗殺者はいきなり現れた黒いドレスの女に面食らったが、気にしてはいられない。
「どけッ!」
一声発し、ウィリスに迫る。
が――暗殺者の喉を爪でひと突き。ミスティは言った。
「無粋な男じゃ……この世から消えよ」
振り返り、ミスティはウィリスの下へ戻る。
ローザリア達が駆け付けたのは、その数秒後のことであった。
◆◆◆
粉塵は収まったものの、人々の動揺は拡大する一方だ。
ウィリスの腕の中でガチガチと歯を鳴らすナディアは、恐る恐る目を開いた。
見ればウィリスも意識を失っている。
彼はナディアに覆い被さるようにして、気を失っていた。
「ウィル!」
ローザリアの心配そうな声が聞こえる。
「ウィル! 目を開けてッ! 回復ッ!」
ミシェルがウィリスの身体を揺すっていた。
「毒です、回復魔法では意味が無い。我が毒の種類を解析して解毒するゆえ、暫し待って下され。と言うて、このような毒――主さまでなければ、僅かの時も保たぬでありましょうが……」
ミスティがウィリスの背中に手を当て、不思議な呪文を唱えている。
ナディアはようやくウィリスの懐から這い出て、辺りの惨状を目にした。
まるで、戦場と見紛うような有様だ。
すぐに倒れ伏した父を見つけ、覚束ない足取りでそちらへと向かった。
皇帝リュドミールは今、駆け付けた第二皇子に身体を支えられ、喘ぐ様に息をしていた。
第二皇子アーノルドが、泣きながら叫ぶ。
「父上ッ! 父上ッ! お気を確かにッ!」
彼の側で、第三皇子のレオニードも涙を零している。
「父上ッ……! 傷は浅そうございますッ!」
二人の密約を知る者であれば、実に白々しい演技に見えたであろう。
けれど諸候に、そのような者はいない。
その姿は健気な皇子二人と、皆の目に映っていた。
「ナディ……ア……」
リュドミールが、微かな声で娘を呼んだ。
彼女も皇帝の前に跪き、頭を垂れる。
だが、この期に及んでナディアの名を呼ぶ皇帝を、第二皇子は許せない。
諸侯の中に、第五皇女派など作らせてはならないのだ。
だからアーノルドは状況を悟られまいと、大声で叫んでいる。
「父上ーッ! お気を確かにーッ!」
お陰で諸候達は、リュドミールが今にも息を引き取るのではないかと思っていた。
実際、そうである。
リュドミールの顔が、見る間に蒼白になっていく。
暗殺者が調合する毒は、特別なものだ。
並の人間であれば、僅かの時間しか保たない。
三十分も保てば、良い方だろう。
「医者を! 医者はまだかッ!」
レオニードが苛立たし気に叫ぶ。
が、医者がくるはずも無いのは、先刻承知のことである。
医者は皇帝リュドミールが死んだ後、慌ててやってくる手筈であった。
そもそも、その程度は保つよう毒を調合させたのもアーノルドだ。
三十分もあれば誰を後継者とするのか、皇帝は明言出来る。
「ええいッ! 犯人は誰だッ! 必ず見つけ出し、八つ裂きにしてくれるぞッ!」
第二皇子アーノルドの三文芝居は続く。
「兄上……言いにくいことだが、長兄……ボリス兄上はなぜ、この場にいない?」
レオニードが辺りを見回し、これ見よがしな声で問う。
応じるアーノルドも、声を張り上げていた。
「今日は来れぬ、明日には着くと言っていたが……まさか兄上が、これを仕組んだとッ!?」
「滅多なことを言う訳では無いが……俺は怪しいと思う」
「おのれ、ボリスッ! あやつの仕業だったのかッ!」
拳を握りしめるアーノルドを、死の淵で見つめるリュドミール。
「父上! この上はアーノルド兄を後継として、ボリス兄の討伐を命じて下されッ!」
側で声高に主張するレオニードは、悲痛な表情を浮かべている。
こんな事を言う自分を、彼は恥じていた。
けれど家族の為には、やるしか無い。
死に行く父を陥れ、一人の兄を欺き、もう一人の兄を殺す――。
リュドミールは首を左右に振り、悲し気な表情でレオニードを見た。
皇帝とて、愚かではない。
これが策略であることなど、見通している。
といって、ここに至ってボリスを後継としても、もみ消されるだけだろう。
だからせめてアーノルドを後継とし、ボリスが従ってくれるよう祈るしかない。
ゆえに無理な話と半ば諦めつつ、リュドミールはこう言った。
「良い……後継はアーノルドとせよ。だが……事の犯人がボリスと決まった訳では……ない。軽々しく動けば、国が割れよう……心せよ……」
それからリュドミールはナディアを呼び、彼女の頭を撫でる。
「ネイどのと……ドレストス男爵を……これへ……」
ナディアは頷き、二人を死の淵にある皇帝の下へと誘った。
リュドミールがネイの手を取り、喘ぐように言う。
「早くも……このような日が、来てしまった……すまぬ……ネイどの……」
「何を仰られる、陛下ッ! 医者さえ来れば、この様な傷など……!」
「ふっふ……無駄であろう……それよりも、頼みがあるのだ……この子を……ナディアを……ウィリス・ミラーの妻にしてやってくれんか……意味は……分かるであろう?」
ネイは皇帝の言葉に無言で頷く。
意味は、この場にナディアが留まれば、殺されるという事であろう。
といって理由も無く、ナディアがネイの領土へ行く事は出来ない。
だからこそ、降嫁させる必要があるのだ。
それも重臣ではなく、陪臣の下へ。
こうすれば、ナディアは皇女としての力を失う。
少なくとも、そのように見えるからだ。
しかし、これを理解出来ないローザリアは顔を顰めた。
「はぁ!?」
ローザリアはこの遺言を、聞かなかった事にしたい。
何なら瀕死の皇帝の顔に、拳をめり込ませてやりたかった。
だがネイは皇帝の手をしっかりと握り、目に涙を溜めている。
娘を想う父の気持ちに、感じ入っていた。
彼女も一児の母であるから、理解出来るのだろう。
「そのように、とりはからいましょう。ただしミシェル・ララフィとウィリス・ミラーとの結婚も、お認め頂けますな? さにあらずば、ウィリスがこの話を拒みまする」
「うむ……当然だ。娘は序列に拘る方では無い……し……な。そなたに……委細は任せよう……」
頷く皇帝を横目に、ローザリアが喚く。
「ちょッ! そんな勝手なッ!」
皇帝はローザリアに目をやって、そっと微笑んだ。
「シグムントの忘れ形見よ……その真っ直ぐな心根……奴に似ておるわ……そなたが覇道を行くのなら……我が娘……きっと役に立つ……邪険にせず……ウィリス・ミラーと共に……側に置かれよ……ドレストスを……きっと……取り戻せ……そなたが王となる日……楽しみに……して……おる……」
トラキスタン皇帝リュドミール三世は、没した。
後世における彼の評価に、名君との記述は見当たらない。
けれど彼が凡庸な君主であったればこそ、ローザリア・ドレストスの前に道が開けたのだ。
その事実だけは、誰にも否定し得ないものである。
こうして、大陸全土を揺るがす動乱の幕は上がった。
面白いと感じたら、評価、ブクマ、感想、宜しくお願い致します。
作者のやる気が上がります!
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