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40 華燭の典

 ◆


 ミシェル衝撃の発言から、数秒。

 ローザリアはポワンとして、首を傾げている。

 頭の中で「ござる」が反芻していた。


 そこへジットリとした目のナディアが、ミシェルへ迫る。


「……私は?」

「あ、あなたはッ! いきなり出て来ただけでしょ! だいたい何で、あなたがウィルのこと好きなのよッ!?」


 ハッとして、ナディアは俯いた。

 話せば長くもない理由ことながら、彼女は父以外とまともに口を利けない。

 今、こうして話していることすら奇跡なのだ。

 ナディアは急に赤面すると、ウィリスの影に隠れてしまった。

 ウィリスはオロオロと手を上げ、困っている。


「ナディアさま? 俺も……意味が分かりません」


 当然、この状況が面白く無いのは、第二皇子のアーノルドだ。

 妹と男爵風情に虚仮にされたとあっては、立場が無い。

 ましてやミシェルだ。


 ミシェルはグラニアの皇女として生まれている。

 それが何を考えたら、元奴隷と結婚しようという気になるのか。

 余程ゲートリンゲンが嫌だから逃げたのかと思えば、本気で元奴隷と結婚するつもりなど、聞いて呆れる。

 

 アーノルドは彼等の無礼を、今にも咎めようというところ。

 そこに、ネイとエンツォが現れた。

 彼等はウィリスの巨躯を目印にしたのだと言い、笑っている。


「これだけ大きいと、遠くからでも目立つわねぇ! あら、アーノルド殿下もおられましたか? これは、これは……ご無礼を、あはは」


 深紅のドレスを身に纏った“烈火の魔女”は、手をヒラヒラと動かしていた。


「こ、これは、ウルド公ではないか。今度こたびの活躍、誠に見事なものでしたな」


 こうなると、第二皇子と云えども分が悪い。

 ネイを敵に回すわけにはいかないのだ。

 彼女は先の戦勝の立役者として、すでに三公国筆頭の地位が約束されている。

 となれば、彼女が動かせる兵力は五万に達するだろう。

 トラキスタン諸侯中、随一の武力と言って良い。

 彼女が第一皇子側に回れば、厄介なこととなるのだ。


 そう考えれば、ドレストス男爵にちょっかいを出したのも、マズかっただろう。

 彼女はネイの寵臣と噂されている。

 実際、今もネイはローザリアの頬を軽く抓り、ムニムニとして可愛がっていた。


「お、おやめ下され、ネイさまッ!」

「あらぁ? ちょっと頬のお肉が落ちたかしら? 大人になっているのねぇ、ローズも!」

「もっ、もともとッ! 私は子供ではありませぬッ!」

「あははッ」


 コロコロと笑うネイである。


 今更ながらアーノルドはウィリスに非礼を詫びて、踵を返した。

 それを横目に、ネイが表情を引き締める。


「駄目よ、ローズ。素直なことは良いけれど、時には我慢をしなければ。ああいった手合いは、相手にすればする程、頭に乗るのよ」

「……は、はぁ」

「ウィリスを見なさい。何を言われても、動じなかったでしょう?」

「違います! 今のウィリスは黒い装備が無いから、何を言われてもボンヤリしているだけなのですッ! 変な事だって言っていましたッ!」

「あら、そうなの?」


 ネイは不死兵アタナトイの秘事を聞き、「なるほど」と唸った。


「大きいだけの、気弱な男になっちゃうなんてねぇ……」


 ネイの言葉に、エンツォが笑っている。


「まあ、友人としては、こちらの方が付き合い易いかなぁ。あはははっ」

「はぁ、どうも」


 状況がつかめないのは、ボンヤリとしたウィリスだ。

 とりあえず場に合わせて、エンツォに頷いてみたものの……。

 ミシェルが目に涙を溜めながら、「自分を共有する」などと言った。

 その後の展開が、余りにも急過ぎる。

 つまりウィリスは、自分はどうすれば良いのかと思い悩んでいたのだ。

 そこに、ローザリアが声を掛けてきた。

 ようやく彼女も、再起動を果たしたらしい。

 ネイに頬を抓られて、我に返ったようだ。

 

「なあ、ウィル」

「……?」


 ローザリアが新緑のような瞳を、ウィリスに向けている。


「ウィル。ミシェルは認めたぞ。どうだ、私のことも妻にするか?」


 顎に指を当て、考え込むウィリス。

 いくら黒衣が無くともミシェルとローザリア、二人の気持ちは理解している。

 まして自分の気持ちに正直になれば、二人を愛してもいた。

 だからウィリスは、ゆっくりと頷いた。


「もしも、それが許されることであるのならば……」


 “パン!”


 手を叩いて、満面に笑みを浮かべるローザリア。


「その言葉が聞けて、良かった。これで私は二人の結婚を、心から祝うことが出来るぞ」

「どういう、こと?」


 ウィリスが首を傾げている。

 ローザリアが言った。


「私には夢がある」

「知っている」

「ドレストスを解放し、グラニアを討つことだ。奴隷も解放し、平等な世界を築かねばならぬ」

「それも、知っている」

「だからな……私は誰かの二番目になど、なれんのだ」

「それは、俺がローズにフラれたってことか?」


 ローザリアの目に、じんわりと涙が溜まる。


「……王が誰かの妾……という訳にはいかんだろう」


「ぐすん」と鼻水を啜って、肩を落とすローザリア。

 その肩に手を乗せ、ナディアがニヤリと笑った。


「私は……気にしない……妾でも良し」


 お前も気にしろ、ナディア――とローザリアは心から思った。

 グラニア帝国の皇妹であるミシェルとトラキスタン帝国皇女ナディアは、格式で云えば同格。

 どちらが上でも下でもない。

 この状態で序列を付けて妻になれば、外交問題だ。

 ましてやミシェルは亡命者。その下風に立つなどトラキスタンが国の威信に掛けて許すまい。


「ただ――」


 ローザリアがナディアを無視して、言葉を続ける。


「私はドレストスを取り戻し、グラニアを討ち滅ぼしたら――また街娘に戻る。奴隷を解放した後なら、もう王である必要はなかろう。その時は何番目でもいいから、ウィルの妻にしてくれぬか?」


 真っ直ぐにウィリスを見上げ、ローザリアが懇願する。

 ウィリスは頷き、ローザリアの頬にそっと手を触れた。


「ローズは国を手に入れても、子孫に後を継がせようとは思わないのかい?」

「私は別に、王になりたい訳じゃない。王になる必要があるだけだ。それに何も、後継者が血縁でなければならぬ法は無い。であれば、私が街娘に戻るくらい良かろう?」


 ウィリスもローザリアの決意を汲み、頷いた。

 

「分かった。では俺はなるべく早くローズが街娘に戻れるよう、これからも力を貸そう」


 ローザリアは笑って、人差し指を立てた。


「では――私が老婆になる前に、頼むぞ?」


 皆が笑う。


「それまでに、ローズがウィルより良い男を見つけるかもしれないしね」


 ミシェルの言葉で、笑いが更に広がった。


 ローザリアがウィリスを完全にミシェルへ譲った、皆がそう思ったのだ。

 しかし、ローザリアだけは違う。

 彼女は本気でドレストスを手に入れ、グラニアを滅ぼすまでを十年と見積もっている。

 

(大丈夫! それでも私は三十前だッ! 子供だって産める!)


 決意を新たにしたローザリアの拳に、鮮烈な力が宿った。

 

 一方その横で、無視されっぱなしのナディアが熊のぬいぐるみを噛んでいる。

 

「私は……今がいい……」

 

 恐ろしく膨大な陰の気が、ナディアから放たれた。

 誰もが後ずさる。逃げようか――皆がそう思いかけた所だ。

 陰湿な空気と気配を、元気な声が打ち消した。


「化身さまぁ!」

 

 白い神官服を着たカミラがやってきて、ウィリスの服の裾を掴んだ。

 ここに至りナディアの放つ陰湿なオーラは、更に高まった。もはや邪神にも等しい。

 しかしカミラは気にしない。流石は神官だ。

 彼女は身体を上下に揺らし、誰かを手招きしている。


「お父さま、お父さまぁ! 紹介しますぅ! こちらが化身さまですぅッ!」


 どうやら父親を呼んでいるらしい。

 暫くして、四十前後の紳士が現れた。


「アルバーン・エイブラハムと申します。お見知りおきを」


 やがてフィヨルド公国の当主も現れ、三公領の当主達が揃った。

 皆「ウィリスの巨躯を目印にした」と笑っている。

 ネイは二人の公爵へ鷹揚に挨拶をし、頷いていた。


 ナディアはその様を見て、「ふむ」と呟く。

 二人の公爵は薄汚れたローブの少女が、第五皇女だとは気付いていないようだ。

 だが皇女の方は三公爵を見て、思う所があったらしい。

 どちらの帝国にも属さぬ新たな秩序が生まれようとしていることを、この時、彼女だけが敏感に感じ取っている。

 

 そんな中でエンツォが顎に手を当て、言った。


「しかし、些か奇妙ですねぇ。警戒が厳重過ぎると言いますか……」

「我ら公爵位の者すら、剣の持ち込みを禁止されました。以前は特例で許されていたのですが……魔導師とて、呪を施されていましょう?」


 カミラの父、アルバーンが応じている。


「ええ。確かに、私も呪を描かれましたよ……ほら」


 エンツォは左手の甲を見せ、そこに描かれた赤い魔法陣を右手て指差した。


「まあ、これだけ諸侯が集まったのだ。警戒をして、しすぎるということもあるまいよ」


 こちらは剣を奪われ、呪で魔法を封じられたネイの言葉だ。

 この中で最も戦力が低下しているのは彼女だろうに、気にする素振りも見せない。


 逆に言えば、この中で最も動けるのはミスティだった。

 彼女は“悪魔”だから、対人間用の“呪”が効かない。

 だから手の甲の呪など、ものともしないのだ。


「ミスティ。何か黒いものを持っているか?」


 ウィリスがそっと、彼女に問い掛ける。嫌な予感がしていた。

 ミスティは頷き、微笑を浮かべる。


「私、コウモリになれますけれど?」

「黒いコウモリ……か?」

「はい。ご主人さまの懐なら、入ることもできるかと」

「わかった……胸騒ぎがする。なるべく俺の側に居てくれ」


 といって、何かがあっても困る。

 ウィリスは祈るような気持ちで、まだ誰もいない玉座を見つめるのだった。


 ◆◆


 暫くして、盛大なファンファーレが鳴る。皇帝の入来だ。

 深紅の絨毯が敷かれた階の上、黄金の玉座の前でリュドミール三世が立ち止まる。


「皆、遠路ご苦労であった」


 黄金の杯を手に、リュドミールが高々と掲げた。

 彼の横には軍師皇女たるナディアもいるが――じっと俯いている。

 彼女はウィリスにくっついていた所を衛兵に連行され、今へと至った。

 なので今のナディアは、片側の頬をぷっくりと膨らませている。

 といっても、フードに隠れて彼女の顔を見ることは出来ないが……。


 しかし諸侯は彼女の気持ちなど、知ったことではない。

 皆、皇帝の次の言葉を待っている。


「こたび、グラニア帝国が我が連邦の内にあるウルドへ、攻撃を仕掛けて来た!」


 リュドミールは殊更、「連邦の内」を強調していた。

 独立の気運が高まりつつある三公領に、牽制をしているのだ。

 気運については、先ほどナディアから聞いている。


「が、しかし――勇敢なるウルド公率いる我らが軍が、彼奴等きゃつらを撃砕したッ! 今日はそれを祝して、皆に集まってもらった次第であるッ! 乾杯ッ!」

「「乾杯!」」


 皇帝の声と後、皆が唱和した。

 ウィリスも僅かばかり遅れて、唱和する。


「あ、乾杯」


 皆が杯に注がれた葡萄酒を一息で飲み、後は無礼講の談笑が始まった。


 ――――


 やんわりとした音楽が流れている。


 広間を囲む大きな柱の先は、中庭が広がっていた。

 高い天井はドーム型で、色鮮やかな絵が描かれている。

 建築様式は懐古的だが、使われた技術は最新なのだろう。

 巨大な柱の全て、或は壁面の全てに精緻を極めた紋様が彫られている。

 

 辺りは昼間のように明るく、人々は笑いさざめいていた。


 やがて曲調が代わる。ダンスの時間だ。

 ウィリスはそのとき、ミシェルから離れて中庭を歩いていた。


 ダンスの得意ではないローザリアも、何となく広間から離れて中庭に出る。

 けれど彼女の美貌は、周囲の男達を惹き付けていた。

 

 ローザリアの周囲に、彼女をダンスに誘おうと無数の男達が群がってくる。

 彼女は独身で、美しい。それも、当然の帰結であろう。


「ローザリアどの。今宵はぜひ、私のお相手を」

「いえいえ、是非にも私のお相手を」


 声を掛けられる度、ローザリアは「いえ、申し訳ありませんが……」と会釈して断っている。

 そこでふと、ウィリスとローザリアの目が会った。


「ローズ……」

「ウィル……」


 暗黙の了解。

 ウィリスの下へ、ローザリアは迷わず飛び込んだ。

 そして彼女は一生分の勇気を振り絞り、ウィリスの手を取る。


「私と踊れ、ウィル」

「……ああ」


 ――――


 ローザリアの背中を抱き、ウィリスはステップを踏んでいた。

 時折彼女の足が自分の足を踏むが、体重が軽いので気にもならない。

 ただ、ローザリアが転ばないよう、ウィリスは気を使っている。


「いいのか? その……ミシェルと踊らないで?」

「ミシェルとは、何度も何度も踊った」

「私とも、踊ってくれただろう?」

「全ては、今日の為の練習だ」

「そうだな……ふふ……誰と踊っても、恥ずかしくないように」

「ああ。見違えるように、上達した」

「世辞を言うな。下手なのは知っている」

「世辞ではない。最初に比べれば、大分ましだ」

「だとして結局、私は貴様と踊っている。そして今後もウィル……私はきっと、貴様としか踊らないだろう」


 ウィリスは元々、不死兵アタナトイ

 極限まで高められた運動能力と、ミシェルによって鍛えられたダンスの腕前がある。

 だからローザリアの辿々しいダンスをリードすることなど、容易いことであった。

 ましてダンスの基本をローザリアに教えたのも、彼である。


 ローザリアは、そんなウィリスに更に惹かれる。

 白い頬を朱に染めて、ウィリスの広く深い胸に顔を埋めた。

 その様を見て、ミシェルが活火山の如く、激怒する。


「ローズのヤツ! カッコいいこと言ってたクセに、何なのよッ!」


 そのせいか、瞬間、辺りには凄まじい爆音が轟いた。


 “ドドドドドドオオオオオオオオォォォォォォォォォォン!”


 何本もの柱が倒壊し、天井の一部が崩れている。

 幾人か、その下敷きになって喘いでいた。


「え? 私のせい?」


 ミシェルが頭を抱える。が、そんな筈は無い。


 一瞬にして、会場が朦々とした煙に覆われる。

 辺りでは火花が散っていた。それが原因で、火災も発生したらしい。


 ウィリスは咄嗟にローザリアを庇い、大きな身体で彼女を覆う。

 今の彼がいくら臆病でも、何が大切かは分かっていた。

 ウィリスはローザリアを守りながら、ミシェルの姿を探した。


「ミシェル! 無事かッ!」


 降り掛かった瓦礫から、ネイ達がミシェルを守っている。

 ウィリスは途方も無い感謝を捧げ、礼を言った。


 が、それで安堵している場合ではない。剣戟の音が聞こえる。

 誰が誰と争っているのか――明白ではない。

 そもそも諸侯は武器を、全てとり上げられている。

 

 だが、この中で確実に武器を持っている者ならば、いた。

 それは皇帝リュドミール三世と、その護衛だ。

 ネイもそれは理解していた。だから言う。


「ウィリス、ここは任せろッ! 陛下を頼むッ!」


 “キィン、ギィン”


 戛然とした音が響き、場の緊迫を告げる。


 皇帝は、後継者を明確に定めてはいないのだ。

 ここで皇帝に何かがあれば、トラキスタンが割れる。

 そのようなことになれば、困るのは民だ。

 むろん結婚の許可を貰う事とて、出来なくなる。

 しかし、そんなことは二の次だ。

 ウィリスは震える身体を抑えつけ、自らが成すべき事に思いを馳せる。


 ウィリスはネイとエンツォにこの場を託し、サキュバスを呼んだ。


「ミスティ!」


 ウィリスの声に反応して、一匹のコウモリが現れた。


「ご主人さまッ! 魔力反応が複数ッ! ここは危険ですッ!」

「分かっている、だからだ。ミスティ、ここに入ってくれ」


 ウィリスは首に巻いたスカーフを捨て、胸元にコウモリを入れた。

 

 頭だけをヒョッコリと出したコウモリを胸に、ウィリスが走る。

 徐々に黒い装備を手にした感覚が戻り、体内から力が沸き上がってきた。

 上腕部の筋肉が盛り上がり、背中の筋がピンと張る。

 膨張した足の筋繊維がパンッと弾け、凄まじい瞬発力を生んだ。


「陛下ッ! ご無事であられよッ!」


 ウィリスは朦々とした粉塵の中、玉座へと向かって駆けた。 

 皇帝が死ねば、今後のあらゆる先行きが不透明なものとなるのだ。

 無事で居てくれ――と念じながら、ウィリスは拳を握りしめた。

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作者のやる気が上がります!


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