4 出会い
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ウィリスは村に入ると、燃える家屋を目指して一心不乱に駆けた。
暫く進むと、すぐに目的の場所へ辿り着く。
バチバチと炎の爆ぜる音が響き、家屋の窓からは真っ赤な炎が吹き出していた。
――不自然な燃え方だと、ウィリスは思う。
何より、扉が開いていなかった。
もしも盗賊が家屋に侵入して燃やしたのなら、押し入った形跡として、扉を開け放つだろう。
その後、わざわざ閉めるだろうか?
閉める訳が無い。今まで、そんな盗賊などウィリスは見た事もなかった。
けれど辺りには、肉が焦げる嫌な臭気が立ちこめている。間違い無く、中では人が死んでいるだろう。それも、複数だ。
何より問題は、辺りで人々が争っていること。
もちろん盗賊に村人が対抗しているならば、ウィリスは当然手助けをする。
だが――どうも雰囲気が違った。
一方が毛皮を纏っただけのごろつき風の男達であるのに対し、もう一方は鎧を身に着けている者達。
人数の比率で云えば、ごろつき達に対して鎧を身に着けた戦士達は半分程度だ。
これはどう見ても、村人が盗賊に襲われている、という図ではない。
今もウィリスの目の前では、ごろつきと思しき男と、大斧を振う戦士が戦っている。
戦士がごろつきを頭からかち割り、次の敵に移ろうとしていた。
ウィリスは訝しみ、首を傾げる。
これは、どう見ても盗賊が戦士団に襲われている図だった。
「ん? ん〜?」
考えられるのは村全体が盗賊の拠点で、先ほどの戦士は討伐に来た傭兵という可能性。
しかし――盗賊の拠点なら、これほど人目に付き易い場所にはないだろう。
だいたい昼間見たときは、長閑に放牧などをやっていた。
盗賊が放牧などやるだろうか? 断じて否だ。
逆にここが戦士の村の場合――そこまで考え、ウィリスは首を左右に振った。
戦士の村など聞いた事がないし、仮にあったとして、ならば盗賊団が狙う訳も無い。
ともあれウィリスは、状況を把握する為にも物陰へ移動した。
正直、盗賊も傭兵も大差ない。が――出来ればより正しい方の側に立ち、堂々と殺されたい。
これがウィリスに残された、たった一つの希望である。だから状況の見極めは大切なのだ。
「騙しやがって、卑怯者――」
無精髭を生やしたごろつき風の男が、細身の剣士に追いつめられている。ごろつきの捨て台詞を聞いた限りでは、どうも戦士達の方が悪人なのだろうか? と、その考えにウィリスは、やや傾いた。
それに剣士の肌は褐色だ。どう考えても、この地域の者ではない。扱う剣も反りが大きく――あれは海を渡った南か、もしくは遥か東方の武器だ。
「卑怯だと? ふふん――貴様等の様な輩に言われたくないね」
しかも剣士は不敵に笑って、相手を逆袈裟に斬り裂いた。どう考えても、戦闘を楽しんでいる。さらに死体から、財布も奪っていた。
「ま――貴様も俺のように真っ当な稼業をしていれば、ここで死なずに済んだかもな」
思わず「どろぼう! お前のどこが真っ当だッ!」と叫ぼうとして、ウィリスは両手で顔を覆った。恥ずかしい。
傭兵が戦場で敵から金を奪うのは、幾度も見ていた。それなのに黒衣が無いだけで、妙な正義感が鎌首をもたげてくる。冷静ではいられない。
と――そこで、やはり傭兵か、とウィリスは思った。
だとすると、傭兵と盗賊が戦う戦場に入ってしまったのか?
人助けをしようとして、迂闊なことをしたものだとウィリスは少し悔いた。
よく分からない戦場に入ってしまうこと程、恐い事は無い。どちらが敵で、どちらが味方かも分からないからだ。下手をすると、両方を敵に回す事となる。
そこまで考えて、ウィリスは頭を掻いた。まあ、いいか――と思ったのだ。
そもそもウィリスは、死にたい。だとすれば、どちらの手に掛かっても一緒である。
ただ、死ぬ前に少し善行が出来ればと思って、村に入ったに過ぎないのだ。結果が死に至るなら、あとはどちらが、より正義か――である。
「てめぇも傭兵かッ!?」
いつの間にかウィリスの側にもごろつきが現れて、剣を振り上げていた。
もはや、どちらが正しいかを考えている余裕は無さそうだ。ウィリスは覚悟を決めた。
あの剣に貫かれれば、死ねるのだ。そう思い、ウィリスは大きく息を吐く。
しかし長年戦場にいた為か、身体が勝手に動いている。身構え、ウィリスは腰に手を伸ばした。
「あ……剣が無い……」
無駄な反射である。
長年いた戦場では、常に黒衣黒甲。基本は槍で戦い、腰の左に長剣を下げていた。
しかし今は麻の服を着ているだけで、寒ささえ凌げない軽装以下。手をニギニギしたウィリスは、顔面蒼白になって、ジリジリと後退する。
黒衣が無ければ、死ぬのはこれほど恐いのか――などとウィリスは他人事のように考えていた。
目の前のごろつきが、薄笑みを浮かべながら迫ってくる。
「なんだ、てめぇ? 武器を落としたのか? ……クククッ、図体だけだな。情けねぇ傭兵も、いたもんだぜ」
「……一つ聞く。お前はここに、何をしに来た? 傭兵に襲われていたのか?」
「あん? 何言ってんだ、てめぇ? 俺達がここを襲ったら、テメぇらが邪魔しやがったんじゃねぇかッ!」
ウィリスは頷き、こちらが悪だと判断した。
死ぬのはちょっと恐いが、罪無き人を殺すという罪悪感は、これで消える。
たとえ黒衣黒甲が無く、恐怖心を克服出来ずとも、盗賊の一人や二人ならどうとでもなるのだ。
ウィリスは拳を握り、メキリと音を立てた。
盗賊もウィリスの雰囲気が変わった事を察してか、不用意に近づこうとしない。
そこに、一人の騎馬兵が颯爽と現れた。
「はぁあああっ!」
馬上から一閃――剣でごろつきの首を両断し、馬首を返してウィリスの前で止まる。
ごろつきは首を斬られた事も分からないのか、ニヤけ顔のまま地面に転がった。
ウィリスは首を失った盗賊が“どう”と倒れるのを見届けてから、馬を御す騎兵に目を向けた。
騎兵は、くすんだ銀色の鎧を着ている。面頬を上げて、ウィリスの顔をまじまじと見た。
ウィリスもまた、馬上で目を瞬く騎兵の顔を、じっと見ている。
燃え盛る炎に照らされた騎兵の横顔が、朱色に染まっていた。女だ――とウィリスは思い、目を逸らす。
何しろ、美人だった。
彼女の兜から零れる銀色の髪は、夜空に降り注ぐ流星群のようにキラキラと輝いている。その上、真っ直ぐにウィリスを見つめる瞳は、初夏の朝露を纏った木の葉のようだ。
こんなに美しい女性は、世界に二人しかいない――とウィリスは思う。もちろん一人目は、ミシェル・ララフィ・サーリスヴォルト。彼に愛想を尽かした元恋人である。
何ということか。ミシェルを思い出したウィリスは、凄く死にたくなった。今すぐ、「あなたの剣で殺してくれ」と叫びたい。
が――そんなウィリスの切ない内心など、おかまい無しに美女は言う。
「大丈夫かッ! 襲われていたようだったがッ!?」
「え? あ……はい」
「すまんな……通達が行き届いていなかったなら謝罪しよう。ここは危険だ、皆と共に教会で待て……ん? 見かけぬ顔だが貴様……村人か?」
「あ、その……」
女は、声まで美しかった。まるで、清らかな山の湧き水だ。
ウィリスは対抗して、ミシェルの声を思い出した。
そう――ミシェルの声は、洗練された大都会の夜景だ。
つまり、ミシェルの勝ち! つまり君は世界で二番目だ!
そう思って、ウィリスはさらに死にたくなった。今すぐ炎の中に飛び込みたい。
騎兵の美女が、ウィリスの顔を覗き込んだ。いつまでも動かない彼を、訝しんでのことだ。もしくは、浮かび上がった彼の死相を見て取ったのだろうか。
「なんだ、貴様、顔色が悪いぞ? どこか怪我をしたのか?」
「……あ、いえ……大丈夫です……」
もちろんウィリスも、いい大人だ。黒衣黒甲が無いので将軍や戦士らしく振る舞うことは出来ないが、一応のコミュニケーション能力は備わっている。だからいきなり「殺してくれ」などと、サイコなことを口走ったりはしなかった。
それに、どうやら優しさは、目の前の美女の方が上らしい。
だが――ミシェルの魅力は唯我独尊の如き傲慢さにある。だから優しく無くていいのだ……などと考えたらウィリスの心は、もはやドン底の更に下へと急降下した。
どうして自分を裏切った女を、こうまで脳内で弁護するのか、自分でも理解出来ない。そもそも、なぜ会ったばかりの目の前の女性とミシェルを比べるのか――ウィリスは、それが不思議だった。
どこか、二人が似ているとでも云うのだろうか……。
「そうか?」
「は、はい……」
「本当に、怪我はしていないのだな?」
「……はい、してません」
女はウィリスの足下から頭の先までをじっと見て、首を傾げる。どこか釈然としないようだ。
「貴様、村人ではないな?」
唐突な問いに、ウィリスは思わず正直に答えてしまった。頬をポリポリと掻いている。
「ああ、はい……物音を聞いて、助けにきたのですが……肝心の村人がいなくて……」
「なに? 助けにきた、だと。その恰好でか? 武器も持たず?」
「はい、その……村人の盾にくらいには、なれるかな……と」
「ふむ……」
女は「なるほど」と頷いた。ウィリスの大きな身体を見れば、確かに盾くらいにはなれると思う。
それに剥き出しの手足を見れば、傷も多い。「兵士でもやっていたのだろう」と想像した。
特に顔の向こう傷だ。臆病な兵なら、こんな傷は作らない。ならば、戦いに自信があるのも道理だ。素手でも戦える、と判断したのだろう。
だが、この季節に、この見窄らしい恰好はなんであろうか?
そこでふと、思い付く。ああ、追放された犯罪者か――と。
しかし、それらのことを彼女はおくびにも出さず、ウィリスに言った。
「村人のことなら、心配はいらない。じき、終るだろう。賊は私達が退治する。なに、仕事だからな」
「――あなた方は、傭兵ですか? それに、村人は何処に?」
ウィリスは問う。女の口調や仕草は騎士のそれに近いが、鎧や武器はどう見ても不揃いだ。特に鎧はくすんでいる。正規の騎士であれば、錆の浮き出た鎧など着ないだろう。だからウィリスは彼女を騎士だとは思わなかった。
それに、この時代の傭兵は没落貴族の成れの果てでもある。彼女が元貴族だったなら、辻褄も合うというものだ。
「そうだな……それについても、説明しよう。代わりに、貴様のことも少し聞かせて貰えぬか?」
「あ、ああ……はい……」
「うむ――では、付いて来るがよい」
女は村の中心部へ向け、馬を進める。戦いは、確かに収束しつつあった。
これが傭兵だとすると、中々に鮮やかな手並みだと言える。
ウィリスは歩きつつ、前で揺れる馬の尾を眺めながら、「妙なことになったな――」と呟き頭を掻いていた。
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