39 共有する?
◆
現在トラキスタン帝国の第一、第二皇子はそれぞれ属州統治の任に当たっていた。
大まかに分けるならば第一皇子が南方、第二皇子が北方の属州である。
特徴としては南方により豊かな資源、北方は精強な軍隊であろうか。
どちらにせよゲートリンゲンの策によりレオニードが向かった先は、第二皇子アーノルドの元である。
トラキスタンの第二皇子アーノルドは、帝国内において保守的な穏健派で知られていた。
むろん第一皇子ボリスも穏健派ではあるのだが、彼はどちらかと言えば中庸である。
その中にあって第三皇子たるレオニードは、完璧なる革新的武断派であった。
あとはもう一人、第四皇子のセルゲイもいるが、彼は日和見。強い方に付くだろう。
また、第二皇子の立場というものは、思いのほか危うい。
直近の過去、五人の第二皇子の結末を見れば、それは自ずと分かる。
彼等の結末は、こうだ。
一人が大公として領地を賜り、一人は元帥として全軍を統括して天寿を全うした。
しかし、残りの三人は全員が粛正されている。
この状況では、誰でも不安になるだろう。
当然、現在の第二皇子たるアーノルドも不安の渦中にいる。
何故なら、自分が必ず前者二人の例に倣うとは、到底思えないからだ。
兄である第一皇子ボリスは、決して悪人ではない。
けれど、善人という訳でも無かった。
そもそも宮廷闘争において血で血を洗う皇族に、善人など居る訳が無い。
いたとして、それでは成人まで生きられないであろう。
だからアーノルドは常々、打てる手立てがあるのなら、全て打っておこうと考えていた。
それは即ち兄に嫌われないことと、皇位を狙うこと。その両面作戦である。
ゆえに竜騎兵ゼナは彼に白羽の矢を立て、トラキスタンを混乱の渦に巻き込む策を立てたのだ。
とはいえアーノルドの居城で主を待つレオニードは、この策を考えた者を知らない。
ただ――「悪辣な策だ」と苦虫を噛み潰しつつ、ソファで足を組み替えていた。
レオニードは無精に伸ばしていた髭を剃り、かつての精悍さを取り戻している。
安穏な生活がやや肉体を弛ませたが、百八十センチを超える長身と、太い腕は未だ健在だ。
「レオニード、よく帰って来てくれた!」
部屋に入るなり大きく手を広げてレオニードを迎えたのは、第二皇子のアーノルドだ。
彼は以前、随分と意見の対立した弟を迎え、涙ながらに手を握る。
別にこれは、演技などでは無い。
彼にとっては、今ここで皇族の味方を得られるなら、これに勝る戦力は無いのだ。
第二皇子に第三皇子が従うのなら、第一皇子にとっては脅威となるだろう。
トラキスタンの第二皇子たるアーノルドは、栗色の頭髪に痩けた頬が特徴だ。
そして見た目の通り、神経質な青年でもある。
だからレオニードは慎重に挨拶をして、兄の手を握った。
「お久しぶりです、兄上」
「……本当に久しぶりだ。もう戻らんかと思っていたぞ」
「はは……まあ、事情が変わりましたので」
「うむ、そうか……それはそうと、何故に父上ではなく、私の下へ?」
「……実は――」
アーノルドの前で跪き、頭を垂れるレオニード。
彼はトラキスタンの現状を憂い、戻ったのだと告げる。
そして第一皇子では頼りにならないこと、アーノルドこそが皇位に相応しいと吹聴する。
といって、ここで反逆の罪を問われれば、全ては水の泡。
家族もろとも彼自身も、身の破滅だ。
レオニードは慎重に言葉を選んだ。
この結果、アーノルドの目に宿ったのは、暗い野望の灯火であった。
「我が事成れり……」
レオニードは以降、トラキスタンにおいて謀略を開始する。
その背後にはゲートリンゲンの影があり、既に複数の竜騎兵も密かにトラキスタンへと入っていた。
――――
第一皇子ボリスは戦勝祝賀の宴に向かうべく、馬車を急がせていた。
つい先日、彼は南方の国家アーリア王国とソドム王国の諍いを仲裁したところだ。
彼は自身の居城へ帰る暇も無く、馬車を帝都スペリオルへと向けている。
彼に付き従う者は、凡そ千人。
護衛も兼ねているが、紛争地帯へと足を運んだのだ。当然の人数と云えた。
街道を真っ直ぐ北上すれば、ここからスペリオルまでは三日と掛からない。そこで第一皇子の一行は、二十人程の騎士達と遭遇した。
「貴殿等、如何なることで道を妨げる? これは第一皇子ボリス殿下の一行なるぞッ!」
行列の先頭で、ボリス配下の騎士が怒鳴る。
すると遭遇した騎士達の隊長が、申し訳無さそうに言った。
「先の長雨で土砂が崩れましてな……申し訳ござらんが、街道が通れなくなっております。復旧を急いでおりますが、恐らくは一月ほど掛かりましょう」
復旧まで一月と聞けば、流石にボリスも迂回を考えた。
祝宴は三日ほど続くと聞いているから、一日程度ならば遅れても平気であろう。
そう考えて、ボリスは皆に迂回を命じるのだった。
むろん、街道に土砂など崩れていない。
これもトラキスタンを二分する為、ゼナ・ヴェルナーが描いた策なのであった。
◆◆
帝都スペリオルにおける皇帝の居城、黄金宮殿において、先の戦勝を記念する祝典が始まろうとしていた。
巨大な広間には大勢の諸侯が集まり、華美な衣服を纏った者が、そこかしこで集団を作っている。
その中心にいるのは第二皇子アーノルドと、第三皇子レオニードであった。
ウィリスはかつてレオニードの姿を戦場でも見かけ、グラスコールの宮廷でも見た事がある。
「もう二度とトラキスタンの土を踏む事は無いだろう」――と彼は言っていた。
それが戻ったからには、相応の理由があると思うのだが……。
「声を掛けようかな……いやでも……お互い顔を合わせるのはなんだか……ううーん」
ウィリスは残念なことに会場の入り口で、あらゆる黒い装備を外されていた。
今日は祝賀の典とのことで、黒は縁起が悪いそうだ。
確かに衣装に関する通達は為されていたが、まさか腕輪まで外されるとは思わなかった。
なので現在の彼は紺色の地味な正装に身を包む、身体が大きいだけの好青年となっている。
とはいえ、レオニードが懐かしい人物であることは変わらない。
だからウィリスは意を決し、レオニードの下へと向かった。
しかし――。
「ちょっと、ウィル! 私から離れないでって言ったでしょう! 何を一人でウロついてるのッ!」
ミシェルに怒られ、ローザリアの下へと連行されるウィリス。
よって彼がレオニードと接触することは、出来なかった。
「ああ、なんか初めて会った時のウィルだ」
パチパチと目を瞬き、ローザリアが「ぷっ」と笑う。
ウィリスは頭をポリポリと掻いて、「あっちに、レオニード……」とボソボソと話した。
けれどミシェルはプリプリと怒って、ウィリスの衣服を整えていく。
「変な風に動かないでよね! ほら襟元! 曲がってるでしょ! あなたはドレストス軍の司令官なんだから、シャンとしなさいッ! 離れないのッ!」
こんなウィリスを見て、ミシェルは本当に申し訳ないことをしたのだと改めて思う。
彼女はずっと、彼を最強の将軍だとしか見ていなかった。
けれど、そうではない。
彼は本来、田舎の純朴な青年なのだ。
それが不死兵にされて、強くなってしまった。
だからこそミシェルは彼と出会えた訳だが、その本質を蔑ろにしていたことは否めない。
ウィリスの本質がこちらであると知っていれば、ゲートリンゲンとキスなどしなかっただろう。
この後悔はきっと、永遠に続くのだとミシェルは覚悟を決めた。
とはいえ、いつでもミシェルが反省しているかといえば、決してそうではない。
妙な悪戯心も沸き上がる。
いつかハンスやリリーからも、黒い装備一式を取り除いてみたい。きっと、面白いことになるだろう。
それがミシェルの、ドS根性であった。
ミシェルがウィリスの衣服を直し終えると、トラキスタンの第二皇子がツカツカと歩いてくる。
彼女は優雅にドレスの裾を掴み、やんわりと礼をした。
「初めまして、私はトラキスタン帝国第二皇子、アーノルドと申します」
「ミシェル・ララフィ・サーリスヴォルトですわ、殿下」
ミシェルは黄色のドレスで、周囲の目を釘付けにしていた。
黄金色の髪に赤い花をあしらった姿は、名だたる美姫達ですら感嘆の声を漏らす。
その彼女にアーノルドが目を付けたのは、ごく自然なことであった。
とはいえ――その様をレオニードは苦々しく見ている。
ミシェルはゲートリンゲンから逃げた女だ。
彼が手を付ければ、また厄介なことにもなろう。
しかも側には、ウィリス・ミラーもいる。
ここで彼の前に立つ事も、レオニードとしては避けたかった。
間もなく、作戦が決行されるのだ。
その為に、ウィリスから黒い装備まで奪っている。
だからここでは、アーノルドに目立って欲しく無いのだ。
が、一方で美しさと言えば、ローザリアもミシェルに負けてはいない。
蒼いドレスを身に纏い、黄金のティアラを頭上にちらつかせている。
煌めく様な銀髪とティアラが対になり、彼女はまるで天使のように輝いていた。
日々、成長するローザリアの美しさは、既にミシェルと比べても見劣りはしない。
なのでアーノルドもすぐに視線を動かし、ローザリアの手を取った。
「お若いのに見事な武勲。感服しましたよ、ローザリア嬢。それにしても、とてもお美しい……」
「と、とんでもございません、殿下。お褒めに預かり、光栄の至りにございます」
ローザリアも何とか貴族の体裁を保ち、挨拶をする。
アーノルドは今年三十五歳であるが、未だ独身であった。
その彼の前に、二人の美姫がいる。
だからトラキスタン貴族達は、こぞって噂話を始めた。
「どちらの美姫が、第二皇子のお心を射止めるのか」と。
またも苦々しい表情で状況を見るのは、レオニードであった。
「調子に乗るな、馬鹿が」と思う。
既に皇帝になった気で、アーノルドは女性を選んでいるのだろう。
「事はそう、単純な話ではない」――と伝えてやりたい。レオニードは歯噛みする。
調子に乗ったアーノルド皇子は、最後にウィリスへ目を向け苦笑した。
ウィリスは丁寧な礼をした。武人として、最上位の敬礼だ。
しかしアーノルドはウィリスの胸を拳で叩き、あまりにも無礼なことを言っている。
「君がウィリス・ミラーか、本当に大きいな。だが、大きいだけだ。ここにはミシェルどのとの婚約を申し出に来たらしいが……いささか身分が違う。イラペトラ帝の御代ならいざ知らず、元奴隷と皇妹では、釣り合わないこと甚だしい。君は大人しく、奴隷女とでも寝ていれば良かろう」
「は、はぁ……それはちょっと、奴隷の女性にも失礼かと。彼女達にも、選ぶ権利はありますので……」
一方ウィリスは、妙な正論で返していた。何と云う「ふんわり感」であろうか。
もちろんミシェルの顔が、すぐにも真っ赤に染まる。怒りが頂点に達するのも時間の問題と思えた。
しかし、先に怒ったのはローザリアである。
彼女は第二皇子に向かって、舌鋒鋭く啖呵を切った。
「ちょっとお待ち下さい、アーノルド皇子。ウィル――いえ、ウィリス・ミラーを元奴隷と蔑まれますが、その元奴隷が居なければ、私はこの場にいないでしょう! 私が今日ドレストス家を再興できるのも、元奴隷の彼が居るからですッ! あなた方がいつ、どこで、私に力を貸して下さいましたかッ!? 誰一人、私の事も、ドレストスのことすら、見向きもしなかったでしょう!?
ミシェルだって同じです! 高貴なる貴族の皆様が、彼女の為に何をしましたかッ!? 彼女にとってウィリスは、元奴隷などではない! 唯一無二の、愛する人なのですッ!
お互いが好き合っているならば、身分の差など関係無い! 私は――そう思いますッ!」
周囲は騒然として、ローザリアを見つめた。
これはいくら帝国諸侯でも、皇族に文句を言ったのだから大変なことになるぞ――という目だ。
流石のローザリアも、やっちまったと感じていた。
周囲がざわめき、アーノルドの頬がヒクヒクと動いている。
そこに“パチパチ”と拍手をする人物が現れた。相変わらず薄汚れた灰色のローブを身に纏う、ナディア・イーゴリだ。
ナディアは目深に被ったローブのフードから、チラリと目だけを覗かせている。
そして口の形を丸くして「おー……」と言っていた。
皆が彼女に注目し、言葉を待っている。
ナディアとしても、アーノルドの発言は非常に不愉快であった。
だからこそ彼女も勇気を振り絞り、精一杯の気持ちを込める。
小さな声だが場が静まっていた為、その声は誰の耳にも届いた。
「わ、わたしも……そう思う。好き合ってたら……身分なんて……関係ないのッ!」
手に抱えた熊のぬいぐるみをギュッと握りしめ、ナディアは言った。
ウィリスはただ呆然と首を傾げ、「うーむ」と途方に暮れている。
黒い装備の無い彼は、超が付く程の平和主義者。皆の怒りが理解出来ない。
「兄様……ウィリスさまは……私の夫になる人……暴言は……許さないッ!」
ギラリと光るナディアの瞳に、アーノルドがたじろいだ。
そして同時に、ミシェルの怒りが噴火する。が、その矛先が明後日に向いた。
「ちょっと、あなた。薄汚い皇女ね? 今の発言はいったい何なの?」
が、そこで新たな怒りの発生だ。
とりあえずナディアのお陰で、ローザリアは助かった。
皇子との喧嘩に皇女が加勢してくれたのだがら、安堵しても当然だ。
しかしそのナディアにミシェルが牙をむいている。
これは許せない。
まるで、怒りのトライアングルだった。
「おい、ミシェル! 皇女殿下に喧嘩を売るなッ!」
「五月蝿い、ローズッ! この女、ウィルを夫にするなんて言ったのよッ!」
パチパチと目を瞬くローザリア。
皇女への感謝と相まって、何故かそれに乗っかろうと思ってしまう。
だから、すかさず手を挙げたローザリア。
「あ……じゃあ、私も……!」
そう、ここはトラキスタン。一夫多妻が原則の国である。
「なっ!」
ミシェルがローザリアを睨んだ。
「みんなで仲良くな、な?」
ローザリアが畳み掛ける。
そしてナディアが頷いた。
「ローザリアに……賛成……独り占めは……よくない……ウィリスさまは、みんなの夫」
「あんたら……!」
ミシェルの瞳に、涙が溜まる。
両腕をブルブルと震えさせるミシェルは不利を悟り、「ふん」と鼻を鳴らして踵を返す。
このとき彼女の脳裏には、一つの考えが浮かんで消えた。
“ローザリアと共有するだけなら”
ミシェルは再び振り返り、笑みを浮かべたローザリアを見る。
元奴隷であるウィリスとの仲を、こんな風に認めてくれたのは二人目だ。
一人目は当然、兄であるイラペトラだった。
ミシェルは己の心に問う。
「ローザリアを不幸にして、自分だけが幸せになれるのか?」と。
ミシェルの心を知らず、ローザリアはまるで猫のように、首を傾げていた。
「ローズ。トラキスタンの男性は、いったい何人ほど妻を娶るのかしら……?」
「ん……好きなだけ?」
ミシェルの考えを知りようも無いローザリアが、適当に答える。
実際は、貴族であれば四人から五人。王侯なら、十人から二十人といったところであろう。
ミシェルは頭を振って、「はぁ」と溜め息を吐いた。
好きなだけ、では駄目だ。ミシェルは、言う。
「それは駄目。でもローズだけなら……ウィルが良いって言うなら……いいわ」
「……なに?」
「だから、いいわ」
「……にゃ?」
「……だ か ら あなただけなら、ウィルを共有しても良いと言っているのよッ!」
「それは……本当にござるか?」
ローザリアの口調が、壊れた。
本日二話目です!
お読み頂き、ありがとうございます!
面白いと感じたら、評価、ブクマ、感想、宜しくお願い致します。
作者のやる気が上がります!
※評価ボタンは下の方にあります。




