36 争奪戦 2
◆
剣を翳して突っ込んでくるローザリアに、どう対処すべきかウィリスは暫し思い悩む。
悩んだ所で実力差は明白だ。
ローザリアの腕でウィリスを傷つけることなど、どう足掻いても出来ない。
だからウィリスは、逆に彼女をどうすれば傷つけず、制圧出来るかを考えていた。
ローザリアのことだ。中途半端では向かってくるだろう。
といって――気を失わせる程の攻撃は躊躇われた。
その間にも、ローザリアはグングンと迫ってくる。
刹那、ローザリアが剣を捨て――飛んだ。
そしてウィリスの首にしがみつき、そのまま唇を重ねてしまった。
「なんだッ!?」
言おうとしても、モゴモゴとしか言えない。
ローザリアの口が、完全にウィリスの口を塞いでいた。
まさにローザリアの作戦勝ちである。
彼女はもう、勝利することは捨てた。
だが、この場でならば、ウィリスの唇を奪うことが可能だと考えたのだ。
それも、最初の一瞬。
剣で飛び込んでくると思えば、ウィリスも警戒する。
けれど自分がそれを捨てたとき、彼が戸惑うことは目に見えていた。
その、一瞬の隙に賭けたのだ。
「ウィリスは私を傷つけない」
ローザリアの絶対的な自信である。
だが――ウィリスと唇を重ねたものの、ローザリアにはその先が分からない。
首に抱きつき、胴体を足で締め付けながら、ギュっと唇を押し付けるだけだ。
どうにも、まったく甘さを感じさせないキスである。
ローザリアも、薄々は分かっていた。
「なんか――違う」と。
さっきからウィリスに顔を押し付ければ押し付けるほど、歯がガチガチと当たる。まるでキツツキだ。
「誰だ、キスがとろけるような感じだとか言ったヤツは?」とローザリアは思い始めていた。全然とろけない。
けれど、そんなローザリアにウィリスは絆されていく。
明らかに彼女は、これが初めてのキスだ。
こんなにも一生懸命、慕ってくれる。
ミシェルの前であることも忘れ、ウィリスは目の前の少女が愛しくてたまらなくなった。
ローザリアの身体を掴み、ウィリスが彼女を引き離す。
「ウィル……」
これで終わりかと、ローザリアが悲し気に見上げていた。
「ローズ……力を抜いて……」
けれどウィリスは身体をかがめて、ローザリアを真っ直ぐに見ている。
そして優し気な声で言った。
ローザリアは目を閉じ、「ん」と頷く。
ウィリスの唇が自分に押し当てられ、彼の舌がローザリアの歯を舐める。
「え?」とローザリアが目を開けた。
なんで舌が入ってくるの!? と。
ここで一端、ウィリスがローザリアから顔を離す。
「口を開けてくれ、ローズ」
「あ? え? うむ……」
よく分からず、ウィリスのなすがままにされるローザリア。
今度は力を抜いて口を半開きにしていると、ウィリスの舌が入ってくる。
自分の舌をコロコロと舐め回されて、ローザリアの頭は混乱した。
「んっく! んむむむむ……!」
いったい何が起きているのか、頭が真っ白になって分からない。
けれど、これがキス! 確かに溶けるようだ――とローザリアは思った。
頭の芯が痺れてきて、両手をウィリスの背中に回している。
いつしか自分もウィリスの舌に舌を絡め、愛し合っていた。
時間にして、どれ程かは分からない。
けれど、辺りの皆も呆然としている。
だが、やがてそれは歓声に変わった。
「「ヒュー!」」
鉄血騎士団となった鉄血騎兵の面々は、ローザリアの気持ちを皆が知っている。
ようやく二人が結ばれたと思えば、歓声の一つも上がるというものだ。
漸く唇を離すと、ローザリアはもう立つ事も出来なかった。
彼女はガクガクと揺れる足を、そのまま地面へと落とす。
もう、戦えそうも無かった。
けれど目的は達したと、ローザリアは満足顔である。
何より、ウィリスの愛情をたっぷりと感じ、今の彼女は誰よりも充足していた。
――が、試合の方は残酷。両者失格である。
ハンスは、にべもなく告げた。
双方とも戦闘中に武器を捨てたので、棄権と看做す――とのこと。
このとき、貴賓席でガタリと音が聞こえた。
漆黒のドレスを着た女性が、よろけながら早足で去って行く。
ミシェルだった。
ウィリスは呆然として未だ痺れる頭を抱え、ミシェルを目で追った。
足下には潤んだ瞳で自分を見上げるローザリアがいる。
ウィリスは己の罪を自覚し、全てを深く悔いた。
◆◆
「ああなることが、彼女の望みであった……」
足下で、呆然としながらもローザリアが言う。
それはウィリスとて、理解していた。
となれば、これ以上の茶番に付き合う必要など無い。
実際、もはや勝者など必要ないのだから。
ウィリスはミシェルを追うため、場を離れようとする。
ローザリアはキュッと下唇を噛んで、俯いた。
今なら、彼を止められる。
ローザリアはウィリスの気持ちが、今は完全に自分のモノだと確信していた。
その余裕が、裏目に出たのであろうか……。
「追え」
ローザリアは言う、心にも無い事を。後に、後悔するとも知らずに。
ウィリスはミシェルを追って、中庭を走った。
彼女が政庁の外に出ることは、考えられない。
暫く周囲を探していると、ようやくウィリスはミシェルを見つけることが出来た。
彼女は廊下に程近い日の当たらない四阿で、床に身を伏せ泣いていたのだ。
「こんなに……こんなに辛いことだったのね……」
目を真っ赤に晴らして、ミシェルがウィリスを見上げた。
けれど、彼に触れようとしない。触れられない。
ミシェルはウィリスの心が、遠くに離れてしまったと感じていた。
「ミシェル……」
ミシェルの肩に手を乗せようとして、ウィリスはやめる。
彼女の肩が震えていた。
「ウィル、答えて。今、あなたは私とローザリアさん、どちらを愛しているの?」
ウィリスには、分からなかった。
もしもミシェルがいなければ、間違い無く彼はローザリアを愛しただろう。
いや――いてもローザリアを愛している。
けれど、それがミシェルを裏切る理由になるのだろうか。
ミシェルを不幸にして良い理由になるのだろうか。
ミシェルのこともまた、愛しているのだ。
以前と同じく、いや、以前以上に。
自分は最低なのだろうかと、ウィリスは思い悩む。
ウィリスは今、二人の女性を同時に愛そうとしていた。
いや、比率ならば若干だが、ローザリアの方が上だろう。
けれど――それは許されざる罪。
だからウィリスは言い切った。
「俺はミシェル――君を愛している」
大粒の涙を零しながら、ミシェルがウィリスに抱きついた。
ウィリスは彼女の髪を撫で、軽く額に触れる。
「ミシェル。落ち着いたら結婚しよう」
ウィリスは言った。
ローザリアへの気持ちを振り払うには、もうこれしかない。
ミシェルも頷いている。彼女も全てを承知で、受け入れた。
二人の間で、再び婚約は成る。
ローザリア・ドレストスの気持ちだけが、宙にぽっかりと浮いていた。
――――
ウィリスとミシェルが手を繋いで戻ると、ローザリアはまだ頬を朱に染めていた。
彼女はまだ、「勝った」と思っている。
事実、彼女は勝っていた。ウィリスが、より愛しているのはローザリアなのだ。
だから彼女は二人の下に駆け寄り、「ウィル!」と元気に呼びかける。
けれどローザリアはウィリスとミシェルの繋がれた手を見て、青ざめた。
紛うことなき、「敗北」だ。
きっと二人は結ばれる――自分を置いて……。
そう、ローザリアは悟ってしまう。
ローザリアはミシェルよりも後に、ウィリスと出会った。
このことが明暗を分ける。ただ、それだけの事だった。
ローザリアは目の前が暗くなり、世界が回っているような気がした。
頭を抱えてみても、ぐるぐると世界が回る。
こんな世界など、終ってしまえば良いと願った。
中庭では、イゾルデを破ったリリーが勝ち名乗りを上げている。
見応えのある戦いだったのだろう。ネイが惜しみない拍手を送っていた。
いつの間にか、策士エンツォも戻っている。
一方、景品であるウィリスは苦笑して、ミシェルを見た。
ミシェルは微笑すら浮かべて、リリーの勝利を讃えている。
「リリー・パペットが勝ったのね。彼女、本当に強いわ。あの人も、ウィル――あなたの事が好きなんでしょう。いいわ、キスの一つくらい、してあげなさい」
何と言う大人の余裕であろうか。
ローザリアは愕然として、大地に手を付いた。
だが、この余裕はある意味、ローザリアにとって得かもしれない。
何故ならミシェルが一夫多妻さえ認めれば、自分もウィリスの妻になれるのだから。
ローザリアの生まれたドレストスは、王侯貴族の一夫多妻制が原則だ。
実際、ローザリア自身とて正妻の子ではない。
ローザリアは、一番を諦めようと考えた。
けれど駄目だ。思い至ってしまったのだ。
ウィリスはグラニアで育っている。そしてミシェルもだ。
彼等がそんな提案を、受け入れる筈はないと思った。
そもそもグラニアにおいては、正妻以外の地位が総じて低い。
どうしてドレストス王を目指す自分が、将軍の妾でいられようか。
ローザリアが誰かを夫にするならば、その相手は絶対に彼女を一番にしなければならないのだ。
ウィリスとミシェルの背中が、ローザリアから遠ざかって行く。
ヨロヨロと立ち上がり、彼女も彼等の後に従った。
――――
「さて、ウィリス。私達は中々に面白いものを見せて貰った訳だが……景品としてはどうするのだ?」
随分と荒れ果てた中庭を見渡し、ネイが溜め息交じりに言う。
結局のところ、試合の最中にローザリアとキスをしたことで、ミシェルの目的は果たされていた。
そのことは、ネイならずとも理解しているだろう。
その上で、晴れやかな顔で戻ったミシェルを見れば、ウィリスの言葉を聞くまでも無い。
とはいえ、それで納得がいかないのは戦った者達だ。
「ご主人さま、わたくし、勝ちました」
ひび割れた眼鏡を中指でクイッと押すリリーが、ウィリスの腕を掴む。
一方でズタボロのイゾルデが、「まだまだぁ……」と言いながら立ち上がった。
「む……イゾルデ、あなたは気を失っていました。それでまだまだとは、笑止千万ですわ」
そう言うリリーも、振り向き様によろけている。
流石に無傷でイゾルデを倒す――という訳にはいかなかったらしい。
「私の十年来の想い――はい、そうですか、と簡単に負けを認める訳にはいかないのよ……」
イゾルデが言えば、リリーも答える。
「ハッ……十年ッ! たった十年で何を思い上がるッ! わたしなんて、二十年だ――ずっと想い続けたこの気持ち、テメェに分かるかよッ!」
勝負は着いているのに、再び激突する二人。
互いの拳が交差して顔に当たり、二人は腰から砕け落ちていく。
暫く待って、「やはり、引き分けでありましたなぁ」――とハンスが再び裁定を下した。
最初から正式なルールなど無かったのだ。
やがて日も落ちた頃、顔をパンパンに腫らしたイゾルデとリリーが起き上がる。
ハンスが、「両者とも勝ちだ」と告げた。
二人は痛みをこらえて喜びつつ、ウィリスの前に立つ。
もはや二人とも、美貌が見る影も無い。
鼻血を垂らし、青あざを目の回りに作って頬がパンパンのイゾルデ。
彼女は口の中を切りまくっていたので、口と口のキスに耐えられなかった。
よって、ウィリスの頬に軽く「チュ」っと触れただけである。
リリーの方も同じく口の中を切っていたので、同様にウィリスの頬へキスをした。
なんだか釈然としない気持ちで、二人は「ウィリス争奪戦」を終えたのである。
全てが済むとウィリスはネイに礼を言い、片膝を付く。
「お願いがございます」
ウィリスの言葉には、厳かな決意が見て取れた。
隣には、優雅に頭を垂れるミシェルの姿もある。
辺りは既に夜の帳が降りて、篝火に照らされていた。
夏の夜だ。羽虫が炎の中へと落ちていく。
チリッ――と焼けて虫が灰になる様は、まさに世の無常を思わせる。
短い命を、さらに短くする羽虫達。
それを見つめるローザリアは、何故か自分になぞらえていた。
「私はウィリスという炎に焼かれた、一匹の羽虫だ……」
悄気るローザリアが、ウィリスの背中を見つめて首を振った。
ウィリスはそんなローザリアを一瞥し、「すまない」と告げる。
謝られて、余計に情けなくなるローザリアであった。
「よい! もう、貴様の思う通りにせよッ!」
精一杯の強がりで、ローザリアが喚く。
ウィリスは頷き、ネイに告げた。
「今年のうちに、ミシェルを妻に致したく存じます。お認め頂けませんでしょうか」
「公爵閣下には何卒お許しを頂けますよう、お願い致したく存じ上げます」
ウィリスと共に、ミシェルも頭を垂れる。
ネイは曖昧な表情を浮かべ、眉根を寄せた。
皇帝リュドミールの言葉が、脳裏を過る。
彼は自身の娘と、ウィリスを婚姻させたがっていた。
一方でグラニアとの絆の為か、息子とミシェルの婚姻も望んでいる。
それに関しては反対したが、彼がどう動くかは未だ未知数だ。
となればネイとて、ここで軽々しくウィリスに許可を与える訳にはいかないのだ。
「……ウィリス、ミシェルどの。悪いが二人の成婚には、トラキスタン皇帝リュドミール陛下のご裁可が必要だ。なに――秋には帝都へ赴こう。その際、確認すれば良い」
ガックリと肩を落としたのは、ミシェルであった。
せっかく母国を裏切り、ここまで来たのだ。
それもこれも、全てはウィリスの妻と成る為に。
にも拘らず、ここでもまだ止められるというのなら、自分たちは決して結ばれない運命なのだろうか?
そんな風にすら、ミシェルには思えてくる。
だが、ウィリスがミシェルの肩をしっかりと抱き、「大丈夫だ」と力強く言う。
ミシェルは頷き、彼に身を寄せた。
「では――必ずや皇帝陛下のご裁可を戴き、帝都より戻り次第、結婚を致します。宜しいですな?」
ウィリスの目は、ネイをすら射殺さんばかりである。
事実この期に及んでは、何人にも邪魔をさせないつもりであった。
たとえリュドミールと云えども、反対するなら殺す覚悟である。
「わ、分かった。私からも陛下には、十分取りはからうゆえ――それで良かろう」
ネイも、もはや頷くしか無い。
ローザリアには視線だけで「すまない」と伝え、ネイは席を立った。
ローザリアは、あの時なぜ「追え」などと言ったのか、自分が信じられない。
あのままウィリスを捕まえておけば、きっとネイに結婚を願い出たのは、自分だったのに……と目に涙を溜めた。
ともあれ、この三日後にウルド連合軍は解散。皆、本国へと散る。
そして再び一同が顔を合わせるのは、秋も深まった帝都スペリオルでのことであった。
――――
グラニア帝国の度重なる敗戦は、広くリンデルゲン大陸に知れ渡る。
一つの季節をまたぐ時、大陸に蔓延った無数ある陰謀の糸は、さらに深く絡み合う。
いよいよ大陸全土を覆う戦さの種が萌芽する、その予兆を感じ取る者は――未だいない。
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