35 争奪戦 1
◆
「さあ、ウィル! 私とキスをしろッ! 思いきり濃厚なヤツをなッ!」
ローザリアに迫られたウィリスは眉根を寄せて、非常に困った顔をしている。
両手を腰にあて、深紅のドレスを身に纏うローザリアは非常に美しい。
が、しかし。
それがキスをせがむ乙女の言い方であろうか? と思うのだ。
何より、これでは約束が違う。
ミシェルはウィリスに、キスをする相手を選んで良いと言った。
そしてウィリスは、ローザリアだけは駄目だと伝えたはずだ。
ウィリスはミシェルを睨み、頭を左右に振る。
「約束が違う」
ミシェルは腕を組んだまま、何も答えなかった。
「さあ、ウィル! いざ尋常にキスだッ!」
グイグイと迫ってくるローザリアの肩を掴み、ウィリスは首を左右に振った。
「駄目だ」
「なんでだッ!」
「君とは出来ない」
「えっ……でも貴様、私のことが……気になっているのだろう?」
悲しそうな、苦しそうな瞳でローザリアを見つめるウィリス。
真実を衝かれただけに、ウィリスの表情も苦痛に満ちた。
けれど、だからこそ駄目なのだと、ウィリスは己に言い聞かせる。
「何の話だ?」
ウィリスは心を鬼にして、冷たく言い放つ。
そこに明確な拒絶の意思を感じ、ローザリアはフッと力が抜けた。
またもウィリスに拒絶され、ローザリアがヘナヘナと崩れ落ちる。
最後に縋った希望の糸が、切れてしまったようだ。
気合いを入れてローザリアは、この場に望んだ。
それなのに、そんなのは酷い……彼女は心底から辛かった。
「ウィル……あんまりだ……」
――――
夜も更けてきて、誰もが就寝の準備に入ろうという時刻。
このように物音のするローザリアの部屋は、異質だった。
誰かが通りかかれば、当然ながら耳につく。
そこに、ちょうど身体の調整を終えたリリーが、サラと共に歩いてきた。
(さあ、ウィル! 私とキスをしろッ! 思いきり濃厚なヤツをなッ!)
「……?」
眼鏡をクイッと中指で持ち上げ、リリー・パペットが廊下で止まる。
「今、ローザリアさんの、聞き捨てならない言葉が聞こえました」
「何、それ? どんな言葉だったの? リリー」
金色のポニーテールも揺れて止まり、サラが踵を返す。
「ご主人さまに、キスをしろとせがんでいましたわ。それも、濃厚なヤツを、と」
「むう……それが事実なら、ブッ殺し案件ですよ、リリー。どの部屋から聞こえたの?」
白い手袋を嵌めたリリーの手が、ローザリアの部屋を指差した。
“バンッ”
サラは勢い良く扉を開けて、へたり込むローザリアを見下ろした。
「ローザリアッ! いくら偉くなったからって、抜け駆けはないでしょう、抜け駆けは! 私達は共に負け犬道を歩もうと、決意したではありませんかッ!」
光を失った虚ろな目で、ローザリアがサラを見上げる。
深紅のドレスが物悲し気で、一本のあほ毛が申し訳無さそうに揺れていた。
「うむ……また、フラれた……」
ボソリと言ったローザリアに、リリーの容赦ない言葉が降り注ぐ。
「ざまぁ、ですわ」
もともとリリーは、ローザリアにそれほど好意的ではない。
というより、ミシェルに対してもリリーは距離を置いている。
ただウィリスが主君と仰いでいるから、彼等に仕えているだけなのだ。
従って今も彼女の目は、状況を冷たく見下ろしていた。
とはいえサラは、そんなローザリアに同情している。
「だから言ったでしょう。辛いわよ……って」
「うん」
サラがローザリアの手を掴み、立つ手伝いをしていた。
何だかんだと、この二人も相性が良いようだ。
そうこうしているうちに、イゾルデとジョセフが現れた。
皆がワイワイやっているから、気になったのだ。
「二次会ですかねぇ? イゾルデさま、行ってみましょう」
「お前なぁ……フラフラと……ちょっと飲み過ぎだろう……と、なんだ、ミシェルさま、いらっしゃったのですか」
ミシェルを見つけたイゾルデが、慌てて彼女の側に行き、事情を聞いた。
「ああ」と納得したものの、すぐにイゾルデは困り果てる。
これでは本当にウィリスが誰かとキスをしなければ、収拾がつかない。
程なくカミラも現れて、ヒョッコリとローザリアの部屋に顔を出す。
ついでにグラハム、サリフ、アリシアの三隊長も姿を見せて、事態は悪化の一途を辿っていった。
そして皆も、口々に言う。
「「いったい何があったんだ!?」」
こうなっては仕方が無い。
ミシェルが事情を説明し、ウィリスがそれに捕捉する。
「――つまり誰かと閣下がキスをすることで、ミシェル殿下が傷付けば良いと?」
サラが顎に指を当て、「ふうむ」と唸った。
「ええ、そういうことです。そこでローザリアさんに頼みました。どうせ朴念仁なウィルのこと、選ばせたところで、誰も選べないのがオチですからね」
これにはサラも、納得するしかない。
そこでグラハムが言う。
「なあ、そりゃぁ、男同士でもいいのか?」
全員が、彼の周りから退いた。
特にサリフは、お尻を抑えながらグラハムから遠ざかる。
「いいわけねぇだろ! このバカッ!」
カミラが“パンッ”と両手を叩き、蒼い瞳を輝かせて提案をした。
「そうだぁ〜! この中で一番強い人が、化身さまとキスをするってことで、どうですかぁ〜?」
ウィリスはカミラを見て、首を左右に振っている。
「何をバカなことを……」
しかし、リリー・パペットが眼鏡をクイッとして、口元を歪めた。
「いいんじゃ、ありませんか……ふふふ」
「ほう……面白い」
リリーに視線を絡め、腕を組んだイゾルデがニヤリと笑う。
イゾルデはリリーと自分、どちらの強さが上か、実際に興味があった。
だが一方で、これは受け入れられないと、声を荒らげるのはサラである。
「ちょ、ちょっと待って! ちょっと待てー! そんなの、アンタらが強いからって! 私はどうするんですかーっ!」
両手をバタバタと振るサラの肩に、チョイチョイと指を乗せるジョセフ。
「それなら私が、代わりに戦ってもいいが?」
「え? ……代理?」
「ああ……同じ副官のよしみと、それにイゾルデさまと戦う機会は、そうそう無いからな。ふっふ――この機会にぶちのめして、日頃の鬱憤を――っと……聞こえちゃまずい。内緒だぞ?」
「あ、そういうことなら、ジョセフ。お願いできる?」
サラとジョセフの契約も、成立した。
こうして後日、「ウィリス争奪、武闘大会(仮)」が、ノイタール政庁中庭にて開催される運びとなったのだ。
「ちょっと待て……」
景品たるウィリス・ミラーの意思を、置いてけぼりにして……。
◆◆
トラキスタンの皇帝一行を送り出して間もなく、いよいよ武闘大会が開催される。
主催はミシェル・ララフィ・サーリスヴォルト。景品はウィリス・ミラーた。
貴賓席にはニヤニヤとしたウルド公ネイが座り、溜め息を吐いているのはエンツォ子爵。
「君も災難だねぇ……」
景品席のウィリスに同情の目を向け、エンツォが苦笑している。
「そう思うなら、止めてくれ……」
黒衣黒甲の将軍ウィリスは、不貞腐れて肘掛けに腕を置き、その上で頬杖をつく。
「ああ、そうだ! だったら、こうしてはどうだい?」
何やら悪巧みを思い付いたのか、エンツォが目を輝かせてウィリスの耳に口を寄せる。
「ほう? それは良い案だ。よし――やろう!」
エンツォに頷き、ウィリスは手を叩いた。
よほど、良い案だと思えたのだろう。
ウィリスは立ち上がると、早速トーナメント表を書き始めた。
せめてものこと、各対戦相手は彼が選べるからだ。
彼の手に、迷いは無い。
もはや誰が勝ち残るのか、分かっているかのようだ。
全てはエンツォが策を授けてくれたお陰。ウィリスは彼に、とても良い笑みを送った。
「対戦表だ。第一、第二試合の勝者同士が戦い、勝った方が第三試合の勝者と戦う。その戦いで勝った者が、俺とキスをする。いいな?」
皆に表を見せながら、ウィリスが宣言をする。
第一試合はイゾルデ対ジョセフ。
第二試合はカミラ対リリー。
第三試合はローザリア対謎の戦士。
これだけ聞けば、第三試合を戦う者が少し有利だと気付くだろう。
それで、ローザリアは少し嬉しかった。
ウィリスが自分を優遇してくれた――と思えたからだ。
だが、皆が首を傾げる箇所がある。
やはり第三試合だ。謎の戦士とは、誰であろう。
サキュバスのミスティは、キスをしたら色々とマズいことになるので、参加しない。
魔導師のシェリルも、別に好きな人がいる――とのことで不参加を表明していた。
だから、この二人ではない。
皆、「謎の戦士」が誰か分からず不審に思う。
当然、対戦者たるローザリアが、それを一番不審に感じていた。
当のウィリスは景品席で麻袋に穴を開け「ふんふん〜」と、鼻歌を歌っている。
ともあれローザリアは、「誰が相手でも、勝ち抜くだけだ」と覚悟を決めたのだった。
なにしろ、せっかくウィリスが優遇してくれたのだ。
彼女にとって、こんなにも嬉しいことは無かった。
――――
さっそく、第一試合の火蓋が切られる。
イゾルデ対ジョセフというのは、なかなか見られる戦いではない。
だから全員が注目していた。
といっても今日は、馬上試合ではない。
両の足を大地について、二人とも見事な構えを見せている。
互いに、達人の域にある剣士だ。一瞬の隙が勝敗を分かつ。
双方共にジリリと歩を進め、互いを牽制している。
先に飛び込んだのは、ジョセフだった。
鋭い踏み込みだ。地面の土が凹む。
右手を突き出した。鋭い突きだ。
それも連続で三、四――槍の応用だろう。剣の残像が無数に見えた。
ローザリアは素直に感心する。
「凄い……」
ジョセフが勝ち上がってきたら、どうやって戦おうかと頭を抱えた。
イゾルデも苦労しているようだ。
右に左にと剣を動かし攻撃を防いでいるが、対応しきれなくなったらしい。
左手に氷を纏い、盾とする。
しかし、その左手が弾かれ、パキリと蒼い氷が砕かれた。
イゾルデは、この間合いの不利を悟った。
後ろに飛んで攻撃を回避し、優秀な部下を褒める。
「やるな……ジョセフ!」
「閣下こそ!」
ニヤリと笑ったジョセフが、再び飛び込もうとした。
しかし――足が動かない。
どうした? と思って下を見れば、ジョセフの足が氷っていた。
「……が、まだまださ」
イゾルデはゆっくりと歩いて、ジョセフに近づく。
そして剣先を、彼の首筋にピタリと付けた。
「……参りました」
ジョセフが剣を捨てた。
が、まだイゾルデは油断しない。
ジョセフが奥の手を残しているかもしれないからだ。
「まさか、実戦じゃありませんよ」
じっとジョセフの瞳を見上げたイゾルデは、ようやく彼の足の氷を溶かして、目を逸らす。
「よろしい。私も、今回ばかりは本気なのだ。邪魔をしてくれるな」
ハンスが音も無く現れて、イゾルデの左手を掲げる。
「第一試合、勝者、イゾルデ・ブルームさまにございますッ!」
どうやらハンスは、審判をやっていたらしい。
それがやけに似合うのは、白と黒のコントラストが美しい執事服だからであろうか。
ジョセフはサラの下へ行くと、軽く手を挙げて謝った。
「悪いな、負けちまった」
そんなジョセフに、サラが声を掛ける。
「いいよ、仕方ないもん。ていうかアンタさ、本当はイゾルデさまがキスするところ、見たく無いんでしょ? それで――」
あんぐりと口を開けたジョセフが、「ハハハ」と笑う。
「そう……なのかも知れないなぁ」
サラが「むふん」と鼻で息をし、腕を組む。
「私達って、けっこう似てるかもね。お互い、絶対に報われないって感じ?」
「うわぁ……嬉しく無いなぁ」
――――
「第二試合、カミラ・エイブラハム対リリー・パペット! 始めッ!」
ハンスの声が高らかに響き、青空の下、二人の美女が構えた。
一方は純白の神官服に、身の丈程もある戦棍を持っている。
もう一方は銀の手甲を嵌め、眼鏡を掛けて髪をアップで纏めていた。
リリー・パペットが、乾いた唇を舐める。
それは何も、緊張の為ではない。
目の前の少女を見て久々に、狩りがいのある獲物だ――と認識した為である。
殺してはならない。それは理解している。
が――事故ならは、仕方が無かろう。
リリーの眼鏡が、陽光に煌めく。
白いフリルのついたスカートを翻し、リリーが跳躍する。
空を見上げたカミラは、太陽の影に入ったリリーを一瞬だが見失う。
危ない――そう思った瞬間、リリーの蹴りが頭上に迫っていた。
“ゴォォォォォォウウウウウウン!”
頭上に翳し、両手で戦棍を抑えて何とか、カミラはリリーの蹴りを凌ぐ。
すぐに振り払い、カミラはリリーを追撃した。
翻って、手を大地に付き“タンッ、タンッ”と回転していくリリー。
彼女が、再び構える。
手甲が太陽に反射して、ギラリと輝いていた。
カミラはゴクリと唾を飲む。
圧倒的に強い――そう認識した。
神降ろしを使うべきか? と悩む。
けれど、ここは戦場ではない。
その躊躇が、カミラの隙となった。
今、目の前にいたリリーの姿が無い。
カミラは上下左右を見回した。
「いないっ! どこだッ!」
カミラの額に、冷や汗が流れる。
眼前には、立ち上る砂煙があった。
「下です」
声がした。
見下ろすと唇で弧を描く、黒髪の侍女が地を這う様に迫っていた。
リリーが珍しく、眼鏡を外す。
そして目を細め、銀色の瞳でカミラを睨んだ。
「一瞬の躊躇が、戦場では生死を分つのです。でも――あなたは中々に見所がありますよ。何でしたら、わたくしが鍛えて差し上げましょう」
「……え?」
「だから今回は特別に――殺さねぇでいてやるっつってんだよォ! 寝とけ、コラァァッ!」
“ドンッ”
首を傾げた瞬間、カミラの腹部に強烈な一撃が決まる。
「かはっ……」
“ガラン”と音を立て、カミラの戦棍が地面に転がった。
同時に彼女は腹を抑えて踞る。
胃の中身を、こんなところで出したくは無い。
景品席には、愛しい化身さまがいるのだから……。
けれど無理だった。
カミラは血の混じった胃の中身をぶちまけて、その場にのたうち回る。
こうしてカミラは、そのまま意識を手放した。
「ハンス、小娘に治癒魔法を掛けてやりな」
「……リリー。てめぇ、やり過ぎだぞ」
――――
「では、第三試合。ローザリア・ドレストス対謎の戦士! 始めッ!」
ハンスの声と共に、辺りは罵声に包まれた。
「引っ込め、ウィリス!」
「バレバレだぞー! どこが謎の戦士だ! どこにも謎がねぇッ!」
謎の戦士は辺りをキョロキョロと見回し、頭に被った覆面に手をやった。
せっかく麻布で作った仮面を被ったのに、どうしたバレたのだ――とウィリスが困惑している。
これを発案したエンツォは、既に席から姿を消していた。
次の罵声は自分にくると察し、早々に逃げたのだろう。
さすがは“雷帝”、逃げ足も雷光のように早い。
それよりも問題は、目の前のローザリアだ。
ウィリスの前には、目に涙を溜めたローザリアがいる。
「そんなに……そんなに私とキスをしたくないのか……!」
黒衣黒甲を着て、剣を構えるウィリス。これに対峙するローザリアは、顔を真っ赤にしていた。
自分がウィリスに、勝てるはずなんて無い。
せっかく、この戦いに勝って、キスをする権利を手に入れようと思っていたのに。
それなのに、当のウィリスが邪魔をするのだ。
こんなものは、決して許せる話ではなかった。
「そういうことじゃない。俺が勝てば、誰ともキスをしないで済むッ!」
ウィリスの言葉に、またしても盛大なヤジが飛ぶ。
「男らしくねぇぞ! ウィリス! 諦めてローザリアとキスをしやがれッ!」
一方ローザリアは頷き、ウィリスの言葉に納得した。
そういうことか――と。
だが、なればこそ、ここは絶対に負けないと心に誓う。
なんとしても、ウィリスの唇を奪うのだ、と。
そしてローザリアは思い付く。
必勝の策を――。
「これなら、きっとイケるッ!」
ローザリアは剣を翳し、ウィリスに向かって捨て身で突っ込んだ。
これこそがローザリア、起死回生の策である。
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