32 再会
◆
二万一千となったウルド軍は今、ノイタールの城門の、やや北側に陣を敷いている。
少し南へ行けば橋があり、渡って東へ進めばノイタールの城門だ。
橋を死守することは、即ちノイタールの防衛に繋がる。
だからこそネイは橋に陣を敷きつつ、敵軍三万を牽制出来たのだ。
敵がノイタールを攻めるなら、橋を攻略しなければならない。
かといってドレストス・ルイード連合軍を攻撃に行けば、背後をウルド軍に衝かれる。
ネイは、このような形をとって見せた。
むろんグラニア・ミリタニア連合軍にその気があれば、対処する方法はあっただろう。
けれど幸い、彼等は動かなかった。
そのグラニア・ミリタニア連合軍は、敗走した味方を吸収して三万三千ほどに膨れ上がったようだ。
といっても、ネイの予想よりは増えていない。
思いのほかリュッセドルフ麾下の兵達は、味方に合流しなかったらしい。
逆に不死兵が二百ほど、ウィリスの配下となっている。
敵にとってこれは、実に脅威であろう。
他にウルド軍が捕虜にした兵も多いが、二千は超えていない。
だとすると、かなりの数が逃亡したこととなる。
といって、それを追う余裕などネイには無い。
いずれ彼等は、盗賊か傭兵の類になるだろう。
治安の悪化は免れないと、ネイは苦虫を噛み潰す。
ともあれネイは夜襲を十分に警戒しつつ、諸将を集めて軍議を開いた。
対陣する敵との距離は、ここから徒歩で三時間程度。
逆にこちらからも夜襲を仕掛けようと思えば、出来る。
集まったのは、エンツォ、ローザリア、ミシェル、カミラ、イゾルデ、ジョセフ、そしてウィリスだ。
大きな天幕の中で、皆が長机の上の地図を囲む。
ウィリスとミシェルの関係は、カミラ以外の全員が知っている。
が――エンツォとネイはウィリスとローザリアの関係も誤解しているので、軍議は真面目にやるとしても、そちらの修羅場が気になっていた。
むろんネイとエンツォはローザリア派だ。
無責任に「負けるな! ローズ!」と思っていた。
が……何かが少し、おかしいようだ。
未だ、軍議が始まる前。
皆が近くの者と会話を交わしている。
じっと目を閉じ、会話に耳を傾けていたネイは今、もの凄く目を開きたかった。
「化身さまぁ。わたしぃ、子供を五人産もうと思いますぅ。男の子が三人とぉ、女の子が二人ぃ。どう思いますかぁ?」
「ど、どうと言われても……」
カミラがウィリスの股に手を乗せ、甘い声で囁いていた。
むろん、潤んだ瞳は上目遣いだ。
カミラは身長こそ低いが、蒼い髪に蒼い瞳の美少女である。
その童顔に似合わぬ破壊力抜群の胸は、ミシェルにも引けを取らない。
だが、普段はダボっとした神官服に隠されている為、皆が気付かないだけなのだ。
けれど今、カミラに密着されたウィリスは気付いてしまった。
カミラの破壊力に――そして童顔の威力に。
あれほどローザリアに密着されても、理性を保つ事が出来たのは、ひとえに彼女が貧相だったから。
「ローザリアはご主君、ローザリアはイラペトラ陛下、イラペトラ陛下と俺は、そんな関係にならない」
このように訳の分からないことを考えてローザリアを凌いだウィリスは、しかしカミラの胸の、その圧倒的暴力に屈しようとしていた。
漲る欲望、高まる期待、そして膨らむ股間というものだ。
しかしここに、ウィリスの理性をつなぎ止める存在がいた。
腕を組んだローザリアである。
彼女は今、怒りの形相で頬をヒクつかせていた。
「おい、ウィル……少しその女から、離れてはどうかな……!」
「あ、ああ……」
我に返ったウィリスはカミラに謝罪し、少し席を離す。
だがカミラから席を離すと、必然的にローザリアに近づくこととなった。
すると今度は、何故かローザリアが密着してくる。
ローザリアは頬を赤らめ、「むふん」と荒い鼻息だ。
「貴様は我が剣、きちんと手元に置かねばな」
ウィリスは普段からローザリアにくっつかれているので、これは特段気にならなかった。
むしろ自然である。
頭をポリポリと掻いて、そのままにしていた。
しかしローザリアには、明確な意図があったらしい。
新緑のような瞳で、ミシェルに鋭い視線を送っている。
言外に「負けんぞ」と言っていた。
カミラにすら負けていると云うのに、なかなか強気なローザリアである。
だが、こういった一連の動きで、ミシェルは絶大なダメージを負った。
彼女の口から、魂が抜けている。
しかし何も言えないのは、己に非があると思えばこそだった――。
「で、殿下!」
慌ててイゾルデがミシェルを支えるも、イゾルデだって目の前の光景が面白く無い。
だいたい、何となくは察していたのだ。ウィリスとローザリアの相性の良さは。
これでは、こちらが邪魔者になるではないか――と思ってしまう。
「貴様、ローザリアッ! なんでウィリスにもたれ掛かっているッ!」
「そうですよぉ! 化身さまを一人占めなんて、いくらローザリアちゃんでも、ずるいですぅ!」
イゾルデの怒りに乗っかって、カミラも席を立ち上がる。
ウィリスは右にローザリア、左にカミラ、前にミシェルとイゾルデという、素敵な包囲網の中にいた。
エンツォは、この様を見て「はは……若さっていいねぇ」と苦笑している。
ジョセフは、「茶がうめぇ……」と一人ごちた。その後――
「イゾルデさまだけ若くないっすよ、エンツォさま。だって今年二十きゅ――」
と言って、イゾルデに殴られていた。
「年齢的には、私が一番ウィリスと釣り合うッ!」
が、この発言を聞き、ミシェルが耳を塞ぐ。
「……あっ」
イゾルデは、先にミシェルの短刀をとり上げた。
有り体に言って、場が弛んでいる。
「こほん」
ネイは咳払いをして、ようやく目を開いた。
彼女とて状況を楽しんでいたが、軍議は遊びではない。
場を、引き締めねばならなかった。
彼女の雰囲気を察し、皆も静まる。
ウルド公ネイには、絶対的な君主の風格があった。
深紅の瞳で全体を見渡してから、ネイが口を開く。
「まず、皆に礼を言いたい。ノイタールの危機に、よくぞ駆けつけてくれた。カミラどのはルイードから、ローザリアはレギナ・レナから、そしてミシェルさま、イゾルデ卿は――グラニアから」
皆の手元には、葡萄酒を入れた杯がある。
ネイが杯を掲げると、皆も掲げた。
彼女は礼を言い、今日の勝利を祝う。
こうするのも、この場にミシェルがいるからだ。
純然たる血統でいえば、最上位者はミシェル。
だが全体の指導者が自分であると示す為に、音頭を取る必要があった。
そのネイが、ミシェルに問い掛ける。
内容は何でも良かった。序列を示す為だからだ。
「さて……まず確認しておきたいのだが、現在対陣している相手についてだが……ミシェルどの。ゾルダン・マイヤーとは、どのような男であろうか?」
ミシェルは頬に指を当て、首を傾げてからウィリス見る。
ずっと彼に相手をしてもらえず、悲しかった。
「さあ? 知らないわ。ウィル以外の殿方に興味は無いの。本当よ」
ミシェルは精一杯の本音を言って、彼の心をつなぎ止めたい。
だが、そういう事ではない――と、ネイの額に血管が浮き出る。
ミシェルとしては、天然で答えているのだろう。
しかしネイには、巫山戯ているとしか思えない。
慌ててイゾルデが間に入り、ネイの問いに答える。
「――ゾルダン・マイヤーは同僚でしたので、私が答えましょう」
イゾルデは答え、ウィリスに目を向けた。
ゾルダンはウィリスにとっても、同僚であった男だ。
良くも悪くも職業軍人であり、ゾルダン・マイヤーは決して無茶をしない。
その事は、昼間対陣したネイも察しているだろう。
実際、彼は三万の軍を動かせる立場にありながら六千のネイを攻めず、リュッセドルフの救援にも駆け付けなかった。
イゾルデの裏切りすら、察していたのかも知れない。
「守勢に優れた、慎重な男です」
「……うむ」
イゾルデの言葉に、ネイは頷き顎に指を当てた。そして言う。
「ミリタニアの将は勇猛だからな……とすれば、攻守の均衡がとれている――ということか」
ウィリスがネイを見て、疑問を口にした。
「ミリタニアの将、というのは?」
これに答えたのは、エンツォだ。
「ワレリー・フォーゲル、ミリタニア軍きっての猛将さ。私も幾度か戦ったことがあるけれど、まぁ、追いかけ回されたねぇ」
「エンツォ、それは……あなたが武将の真似事などして、先陣を切るからでしょう。自業自得よ」
呆れた様にネイが言って、一同が笑う。
今や彼が“雷帝”と呼ばれる、高位魔導師であることは誰もが知っていた。
「だとすると付け込み易いのは、フォーゲルの方ということになりますね」
「あら、ローザリア。そうかもしれないわね」
口を挟んだローザリアに、ネイがニッコリと微笑んでいる。
そしてそのまま、言葉を続けた。
「戦力比もフォーゲル率いるミリタニア軍が一万、マイヤーが率いるグラニア軍が二万。崩すなら、ミリタニアの方なのよね……」
妖艶な笑みを浮かべる“烈火の魔女”は、明日の陣容を決めると、早々に諸将を解散させた。
◆◆
「ウィリス」
ネイの天幕を出て、ウィリスを呼び止めたのはイゾルデだった。
隣を歩いていたローザリアが、ビクリと肩を震わせる。
何も知らないカミラが、立ち止まったウィリスを見上げていた。
「イゾルデ……」
ウィリスはイゾルデを見て、それから隣に立つミシェルに目をやった。
彼女は漆黒のドレスを身に纏い、胸元で両手を組んでいる。
「あぁ、さっきのオバさんですねぇ?」
呑気な声で、カミラが言う。
イゾルデは、剣に手を掛けそうになった。
ローザリアがカミラの手を引き、首を左右に振っている。
「すまん、イゾルデ、この娘に悪気はない。カミラ、戻るぞ。ウィル――貴様は私の剣なのだから、必ず戻れよ」
そう言って、カミラを引っぱり早足に去るローザリア。目には涙を溜めていた。
彼女とて、本当は去りたく無い。
けれどウィリスの気持ちを思えば、自分達は邪魔だと思ったのだ。
「ローザリア……」
ローザリアの気持ちに気付き、応えてやれない自分を自覚しているだけに、ウィリスは自分が情けない。
彼女が今、どんな気持ちで去ったのか――考えればミシェルを見てはいけないような気さえする。
しかし――。
ミシェルがハラハラと涙を零しながら、ウィリスに近づいてくる。
ウィリスも、喜びを抑えきれない。
彼女の表情には、あの時の嘲弄するような笑みなど微塵も無かった……。
「ウィル……私……」
ウィリスの前で立ち止まり、ミシェルが俯いた。
足下にポロポロと落ちる涙が、乾いた地面を濡らしていく。
ウィリスは何も言えなかった。
イゾルデは頭をポリポリと掻いて、ウィリスの馬を引いていく。
いつの間にか、彼が手綱を手放していたからだ。
とはいえイゾルデにしても、「何で私が……」という思いはある。
本当なら自分こそ、真っ先にウィリスの胸へ飛び込みたいのだ。
けれど今の二人を見ては、何も出来なかった。
ウィリスがミシェルを抱きしめる。
「お帰り、ミシェル」
「うぐぅぅうう……」
ウィリスの大きな胸の中、涙に濡れたミシェルが言う。
「わだじ……あなだに……ひどいごどを……じまじだぁぁ……」
月明かりに照らされて、キラキラと輝くミシェルの黄金の髪。
それをウィリスは愛おしそうに撫でて、軽くキスをする。
「そんなこと、あったかな……」
「ウィル……の……嘘つぎぃぃぃ」
ウィリスの背中に両手を回し、泣きじゃくるミシェル。
彼女が落ち着くのを待って、ウィリスは天幕の影に移動した。
二人で草の上に、そっと腰を下ろす。
地面は少し、夜露で湿っていた。
「あ、冷たい」
泣きはらした目で、ミシェルが笑う。
ウィリスは頷き、彼女の髪を撫でた。
少し薄いミシェルの唇を見ると、ウィリスはあの日の光景を思い出してしまう。
それが歪なことだと思うから、ウィリスはそっと彼女から目を逸らした。
ミシェルも、そんな彼の行動に気付いている。
だから言った。
「……私も、あなたと同じ辛さを味わおうと思うの」
言葉の意味が分からず、ウィリスは首を傾げる。
「あなたも私の目の前で、誰かとキスをして」
ウィリスの目が、丸くなる。
昔から唐突に無茶なことを言うと思っていたが、今回はとびきりだった。
ウィリスは首を左右に振り、「いや、出来ない」と言うのが精一杯だ。
「じゃあ、私を真っ直ぐに見る事ができる?」
「ああ……」
ミシェルの目が、ウィリスをじっと見つめた。
彼女に見つめられる程、ウィリスの目には背後で蠢くゲートリンゲンの影が見えてくる。
ウィリスの目が、ヒクヒクと動いた。耐えられない。思わず目を逸らしてしまう。
ゲートリンゲンに対する殺意と、ミシェルへの不信感――それが拭いきれないのだ。
前者は消す必要などない。けれど後者はウィリスにとって不要であった。
「ウィル――私のせいだわ。やっぱり私なんて……!」
ウィリスがミシェルの手を掴む。
短刀が草の上に落ちた。自殺は阻止だ。
イゾルデとは、年季が違う。
陰鬱になったミシェルが、自身を傷つけることなど日常であった。
ミシェルがウィリスを睨む。
ウィリスはミシェルから手を離した。
昔と、なんら変わらない一連の流れだ。
だがらこそ、これには続きはある。
“パン”
ウィリスの頬を、ミシェルが叩く。
子供の頃から変わらない、ミシェルの癇癪だった。
「あなたはもう、私のことを真っ直ぐに見る事が出来ないのよッ! だから――私を同じ目に遭わせて……そうしたら……」
オロオロと目を泳がせるウィリス。
そこにイゾルデが現れた。
先ほどからずっと、物陰で見ていたのだ。
「チャーンス」と思っている。
「じゃあ、私が――お言葉に甘えて……」
するりと現れたイゾルデが、ウィリスの顔を抱えた。
瞬く間に、イゾルデの唇がウィリスに迫る。
が――ウィリスは歴戦の猛者。
たとえ剣がなくとも、敵を制圧する術は心得ていた。
ましてや今も、黒衣を着ている。
イゾルデなど、敵ではなかった。
「ぬんッ!」
「かはッ!」
イゾルデは宙で一回転。
背中を地面に打ち付け、ゴロゴロとのたうち回る。
「ウィリス……手加減くらい……けほっ! 私はこれでも、か弱い乙女だぞッ!」
「どこがだ……」
頭を振って、ウィリスは立ち上がった。
これ以上ここに居れば、本当にイゾルデとキスをさせられる。
だから、立ち去ろうと思ったのだ。
ミシェルも立ち上がり、ウィリスの手を掴む。
「ウィル、待って。誰でもというのは、辞めたわ。それなら、ローザリア・ドレストスとキスをして。彼女となら、嫌じゃないでしょう?」
「バカな! 意味が分からない!」
ウィリスは慌てた。
ローザリアにキスをしてくれと言えば、きっと彼女は頷くだろう。
そして多分、ウィリスも嬉しい。
だが、それでもローザリアはウィリスにとって、一番には成り得ないのだ。
つまり、そんなことをすれば、彼女を苦しませるだけの結果となる。
だから、そんなことは出来ない。
イゾルデが、大地に拳を突き立てた。
「私とキスをするのが、そんなに嫌かッ!」
が――そんな彼女は二人の眼中に無い。少し、可哀想である。
ウィリスは言った。
「俺は君以外とキスをするなんて、望んでいない」
ウィリスがミシェルを抱きしめ、キスをする。
長いキスだ。
ミシェルの唇をウィリスの舌がこじ開け、互いの舌が絡み合う。
ミシェルはウィリスを受け入れ、離すまいとした。
ゲートリンゲンとミシェルがしたキスを忘れる為にも、ウィリスはミシェルを蹂躙する。
そうすることでしか、ウィリスは自分の記憶を掻き消せないと思った。
だが、違う。
キスを長くすればするほど、自分以外とキスをしたミシェルを思い出してしまうのだ。
お互いに唇を離し、暫し見つめ合う。
どちらも、何かが変わった事に気付いている。
決してイゾルデがうつ伏せになり、抜け殻になっている事ではない。
「ウィル……私はあなたのことが、前よりももっともっと、好きになったわ。でも、あなたは――」
ミシェルは、それ以上言わない。
「俺が君の前で、他の誰かとキスをすれば、気が済むんだな?」
「誰か、じゃなくてローザリア・ドレストス」
「なぜ?」
ムスっとして、ミシェルがそっぽを向く。
「きっと私が、一番傷つくと思うからよ……それに、もしかしたら……」
ウィリスは頭を振って、溜め息を吐いた。
「傷つくのは、ローザリアの方だ」
「そうとは……限らないじゃない」
「とにかくローザリアだけは、駄目だ」
「じゃあ、いいわ……妥協する、あなたが好きに選んで。どうせウィルが誰とキスをしても、私、きっと死ぬほど傷つくから……」
イゾルデが復活し、再び顔を寄せてくる。
ウィリスは深い溜め息を吐き――「お前は友だ、そんな風に見れない」と言う。
今までで一番、イゾルデは傷ついた。
――――
翌日、ウルド・ルイード連合軍とグラニア・ミリタニア連合軍は激突した。
日刊総合ランキング44位でした! ジャンル別ハイファンタジーは12位です!
悲しいですが、ちょっと落ちてしましました。
ですがランキングに載っていられるのも、皆様のお陰です!
いつもありがとうございます!
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作者のやる気が上がります!




