31 ノイタール会戦 3
◆
リュセドルフはウィリスを止めようと、自軍左翼に増援を送る。
しかしどれほど兵を送っても、ウィリス、サリフ、カミラの危険な三重奏を止めることは出来なかった。
「ウィリス・ミラーを止めろッ!」
むろんリュッセドルフも帝国の将、ウィリスの恐ろしさは知っている。
味方であったころは忌々しい奴隷と蔑んでいたが、いざ敵に回ると、そうも言っていられない。
「本隊から兵を回せッ! 束になって掛かれば、ヤツとて止められるッ! あれでも人間だぞッ!」
「将軍! 第二、第三隊、全滅! ウィリス・ミラーの他にも、強敵がいますッ!」
「ええい、忌々しいッ!」
リュッセドルフは指揮杖を地面へと叩き付けた。彼の部下が竦み上がる。
リュッセドルフにとって、問題は他にもあった。
伝令だ。
イドルデに最初に送った伝令は、帰ってきた。
内容は、救援を求めるものだ。
これに応じ、イゾルデは軍を早急に動かす事を約束した。
しかし、二回目以降の伝令、即ち――
「騎兵を先に送れ」
という内容を携えた者達は、誰一人戻って来ない。
それでリュッセドルフは、ますます苛立ちを露にしていた。
「――まだ戻らんのかッ、伝令はッ!」
むろん、伝令が戻ってくるはずも無い。
彼が放つ全ての伝令は、サラの放った森人の斥候に殺されていたのだから。
いっそ竜騎兵にでも伝令を頼もうかと考えたが、彼等に対する指揮権は無い。
あくまでも彼等に対してリュッセドルフは、「要請」しなければならないのだ。
それは彼等が、元帥たるゲートリンゲン直下の部隊だからである。
そうこうしている内に陣形が回転し、既に右翼が川岸に達していた。
「ええい、何たる無様ッ! なぜ敵の右翼を止められぬ! 中央、左翼は何をやっているッ! さっさと敵を突き崩せッ!」
怒声と共に、リュッセドルフが命令を下す。
だが、どれも具体策は示していない。
彼はゲートリンゲンの知恵袋と呼ばれていても、戦場においては凡将だった。
刻々と変化する状況に対して、彼の頭は余りにも固い。
それでも、大陸屈指の精強さを誇るグラニア軍だ。
敵の防壁隊が薄いとみるや、部隊単位での突撃を繰り返す。
だが、突破出来るかと思った刹那、執事服の男や侍女服の女に邪魔をされる。
これもまた、リュッセドルフの怒りを作る原因となった。
「誰でもいい! ウィリス・ミラーを討ち取れぬのなら、せめてあの巫山戯たヤツ等を討ち取ってこいッ! ブライだ! ブライとドレッドを出せッ! それで突破出来るであろうがッ!」
こうして、リュッセドフル軍中における屈指の猛者が、ハンスとリリーに狙いを定めることとなった。
ブライとドレッド。
彼等はリュッセドルフが大金を積んで呼び寄せた、異国の傭兵だ。
だからこそ、ウィリスに当てるのは恐い。殺されれば、大金が無駄になる。
ゆえに、今まで見た事のない執事と侍女に狙いを定め、挑ませたのだ。
凡庸なリュッセドルフにしては、上出来な策である。
――――
リリー・パペットの前に現れたのは、ウィリスよりも大きな丸坊主の男だ。
頭部には、赤い蠍の入れ墨がある。
リュッセドルフが放った、ドレッドだった。
ドレッドの体重は、リリー四人分ほどであろうか――腕も太いが胴回りも太い。
彼はリリーが穴を塞ぐ為に奮戦していると、馬車に乗って現れた。
むろん、荷台の全てを使って、だ。
リリーはチラリと一瞥して、「むう……」と声を漏らす。
眼鏡の奥で、銀色の瞳が煌めいた。
「通常兵では、手に負えませんね、あれは……」
かつて“銀眼の死神”と呼ばれた不死兵、リリー・パペット。
彼女に睨まれた者は、すべからく死んでいる。これもまた、戦場の伝説だ。
そして銀とは、このリンデルゲン大陸に存在しない瞳の色である。
この瞳こそ、不死兵の強大な力の代償だ。
ゆえに彼女は眼鏡を掛けて、瞳の色を隠しているのだった。
リリーは猛然と走り、敵の顔に飛び蹴りを浴びせる。
先制攻撃だ。
リリーには、戦いを長引かせる気など無い。
男の額から、血が滴る。
しかしドレッドはニヤリと笑い、リリーの足首を掴んだ。
「わたくし、身体の大きな男性は大好きですが――強引なのはちょっと……」
「俺も、背の高い女は好きだぜ……とくに、綺麗な足の女はなぁッ!」
「あら? わたくしの足は、傷だらけですわ――よッ!」
リリーは身体を捻り、高速で回転してドレッドから逃れる。
ドレッドは思わず、リリーから手を離した。
「おお?」
ドレッドは「よっこら」と馬車から降りて、リリーの全身を舐めるように見る。
「へぇ……」
彼は半裸の身体に鎖を巻き付けていた。その先端は、トゲのある球体だ。
「あんた、良い女だな。眼鏡を取った顔も見せてくれよ。なぁ? 名前、教えてくれよぉ」
「わたくし、しがない侍女にございます。名乗る程の者では、ございません」
「へぇ。じゃあ、俺が雇ってやるよ。金ならあるぜぇ……アンタ、こんなトコで戦う必要なんてねぇよ……だいたい、俺に勝てると思ってんのか? なんたって俺ぁ、あの有名な傭兵ドレッ――」
男が鎖をジャラリ、と手に持った瞬間――。
リリーは男の背後に回り、その鎖を首に巻き付けた。
そして締め上げる。
リリーは相手に、名乗らせもしなかった。
「う、ぐぐぐっ……て、てめぇ……」
「うるせぇ……口がクセェんだよ。離れてたって息が詰まる。もう死ね、このゲス野郎がッ」
ものの数秒で巨漢は倒れ、ズシンと地響きを立てて息絶えた。
――――
ハンスの前に現れたのは、白髪の老人であった。
しかし彼の所作には、一切の無駄が無い。鎧も身に着けていなかった。
何より彼は徒歩である。そして、和装だった。
彼もまた、リュッセドルフが送り込んだ傭兵の一人である。
「貴殿の名を、聞いて良いかな?」
「ふむ――私は、ハンス・チャーチルと申します」
ハンスは言いながら、右から迫る騎兵の首を斬って落とした。
「中々の剣の腕前。二刀流にござるか……某の名は、ブライ・シグレと申す」
「これはこれは、お褒め頂き光栄の至り。して、ご老体。如何なる用にて私の前に?」
「うむ……某、ちとお主を倒さねばならなくなってのう……主命じゃて」
「それは、難儀ですな。では、お相手仕りましょう」
ハンスは下馬し、馬の首筋をポンと叩く。
辺りの兵が「えぇー!?」という顔をしていたが、おかまい無しだった。
「ありがたや……では、ハンスどの――いざ」
老人――ブライが鞘に納めた刀に手を掛ける。居合いだ。
しかしハンスには、居合いの知識など無い。
二刀を構えて直進し、ハンスが左の剣を突き出した。
刹那――ザンッ!
空気を斬り裂く音と共に、ハンスの義手が宙に舞う。
僅かに目を細めたハンスが、「強いですな」と一言。
「お命――頂戴ッ!」
ブライが半身になって、袈裟に斬る。
が――ハンスが身体を回転させて、蹴りを放った。
いわゆる回し蹴り、だ。
ハンスの踵がブライの延髄を捉え、彼の視界がガクンとぶれる。
「不覚……!」
ブライは大地に、うつ伏せに倒れた。
ハンスは間髪を入れず、ブライの背中に剣を突き刺す。
「俺ぁ剣士だなんて、一言も言ってねぇぞ。この、くそジジイ。ったく、義手ぶっ壊しやがって……」
言いながら、ハンスは少しガックリとしていた。
何故なら彼は、二刀流に自信があったから。
かつてはあらゆる武器を使ったが、今では剣が一番だと思っていた。
けれどこんな老人に、腕を一本持っていかれるとは、まだまだだな……と頬を――。
掻こうとしたら、やはり義手が無い。キレそうだった。いや、むしろキレた。
暴風の如く暴れる彼を、止める者など誰もいない。
ハンスは瞬く間に、辺りを制圧した。
だが、彼は知らないだけなのだ。
足下で倒れ伏す老人が、世界で五人しか居ないと云われる剣豪の、その一人であると云う事を……。
“鬼人”
それがかつて、戦場で呼ばれた彼の二つ名である。
――――
三時間が経過した頃、戦さの趨勢は決した。
両陣営の位置は逆転し、ローザリア軍とミシェル軍が合流する。
そして二人は、別々の場所で言った。
凛とした声で、剣を振りかざしたのはローザリア。
「突撃せよッ!」
一方、苦労したのはミシェルである。
今までの味方を裏切るとなれば、当然だった。
彼女は少しばかり前、兵士達を前にこう語っている。
「皆、聞いて下さい! 今、敵軍にはウィリス・ミラーがいます!
彼は私の婚約者でした。けれど兄である皇帝陛下に、彼との婚約を破棄し、ゲートリンゲン元帥と結婚するよう言われました!
でも私、無理です! もう、耐えられません!
好きな人を殺そうとした人と結婚することも、好きな人と戦うことも! 彼を騙して、彼だけの幸せを願うこともッ!」
兵士達が、ポカンとしている。
当然だった。
ミシェルが言わんとしていることを、誰もが理解出来ないのだ。
けれどミシェルは、言葉を続けた。
「――だから私、ウィルの下に行こうと思います! ウルド軍に寝返りますッ!
もちろん、こんなことは許せない、と思う方もいるでしょう。私を殺したいと思う方も、いるかもしれません。
だから私、止めませんッ! 私を殺そうと思う者は、そうすれば良いでしょう! 去る者は、去りなさい! だけど味方をしてくれる方がいるのなら――今までの友を敵としても良いというのなら――私と共に、ウィリス・ミラーの下へ行って下さいッ!」
今の今まで皆、味方の救援に向かっていると思っていた。
それが今、ミシェルが手の平を返している。
味方を敵としてくれと――そう言われてた。
しかも理由が、酷く我が侭だ。
けれどイゾルデは、会心の笑みを浮かべていた。
どのような美辞麗句を並べるよりも、好きな男の下に行きたいと、そう願う女を止める男などいない。
実際、兵士達はポツポツと口を開き始めていた。
「グラニアが敵?」
「……いいんじゃないか? 俺、ミシェルさまに助けられたし」
「密告とか……嫌だったもんな……」
「ああ……ミラー将軍、優しかったしな。顔、恐いけど……」
「そんなことより、ミシェルさまの為だろ。やろうぜ」
イゾルデ自身も、ゾクゾクとしている。
皇妹の我が侭を叶えるのは、騎士の役目だ。
そう、思ってしまう。
そんな中で、誰かが言った。
「漆黒の聖女、万歳!」
やがてそれを、全ての兵士が唱和する。
「「漆黒の聖女、万歳!!」」
この時を逃す、イゾルデではない。
イゾルデはミシェルの隣で剣を掲げ、よく通る将の声で言った。
「ミシェル殿下の御意思こそ、我が正義! 我は従う! ミシェル・ララフィ・サーリスヴォルトにッ!
さあ、我と思わん者は、私に続け――グラニアこそ敵! リュッセドルフを倒せッ! 全軍突撃ッ!」
イゾルデは駆けた。
徐々に後ろから、声が上がってくる。
「オ、オ、オオオォォォォォォォオオッ!」
「「オオォォォォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオ」」
馬蹄の轟きが、イゾルデの背後から迫っていた。
こうして策は成り、イゾルデは一万の兵を動かすことに成功する。
ようやく、ローザリア達の勝利が確約されたのだ。
――――
突撃したイゾルデはウィリスと戦場で出会い、互いに苦笑する。
その先には、リュッセドルフの本隊があった。
互いに、同じ場所を目指したのだ。出会いもする。
リュッセドルフの周囲は、百人以上の不死兵が守っていた。
このまま突撃しても、被害は大きいだろう。
一般兵と不死兵の力の差は、歴然だ。
しかし――彼を逃がす訳にはいかないと、ウィリスは考えていた。
胸元に左手を翳し、ウィリスは言う。
「――第一門解錠」
黒甲の内で、熱が弾ける。
まるで焼けた石の上に、水を落としたようだ。
ジュウ――と鳴って、水は霧となって消える。
魔石の中に、ウィリスの魂が落とされた。
【コロセ、コロセ、コロセ、コロセ……】
脳内が殺意に彩られ、ウィリスが敵の本隊へと向かう。
本当はリュッセドルフを討ち取りたかったイゾルデだが、今回は――と諦めた。
代わりにウィリスの横へ並んで、刃に氷を纏わせる。
「援護するッ!」
馬腹を蹴って、イゾルデが敵陣へ飛び込んだ。
三騎の不死兵が斬り掛かってくる。
最初の敵は左に避けて腕を斬り、それを起点に凍らせた。
“パキリ”と音を立てて、騎兵の彫像が出来上がる。
陽光を受け、戦場に輝く氷の不死兵。
そこに芸術的な価値を見出すのは、恐らく後世の美術家だろう。
今のイゾルデは、不敵に微笑んだだけである。
二人目は、馬ごと飛んだ。
イゾルデを踏みつぶそう、という構えだった。
「氷よ、槍となれッ!」
馬首を翻し、イゾルデが左手を敵に翳す。
その先から氷の槍が迸り、馬の腹ごと不死兵を貫いた。
三人目は、彼女に向けて矢を射かける。
接近戦は、不利だと悟ったらしい。
イゾルデは剣で矢を斬り払い、突進する。
「不死兵だから、無敵だと思うなよ?」
馬が飛び、不死兵を眼下に見下ろしたイゾルデ。
彼女はそのまま剣を振り下ろし、兜の隙間に刺し込んだ。
――――
イゾルデが開いた突破口を、ウィリスが駆け抜ける。
槍で目の前の敵を破砕し、粉砕し、蹂躙した。
敵本隊は五層。
つまり前方の五騎を倒せば、敵将への道が開けるのだ。
むろん、左右から迫る敵を考慮に入れなければ、だが。
「ウオオオオオォォォォォォオオオ!」
ウィルリスは突進した。
左右から突き出される槍も、剣もおかまい無しだ。
ただ前進し、前の敵を槍で串刺しにする。
貫いた兵士を敵に投げつけ、再び貫いた。
ウィリスの鎧は拉げ、砕け、穴が空く。
当然、身体も無傷では済まなかった。
しかしウィリスは、だから何だと考える。
目の前の男を倒せば、この戦いは勝てるのだ。
【ドクン】
ウィリスの心臓が高鳴った。
この戦いが終れば、ミシェルに会える。
だが勝利は、ローザリアの為に。
頭上で槍を一振りし、周囲の敵を蹴散らした。
そして眼前を睨み、リュッセドルに迫ってゆく。
リュッセドルフは馬上で盾を構え、剣を抜いた。
「来い、この化け物めッ! ただでは死なんぞッ!」
リュッセドルフとて、武人であった。
剣技も槍技も、群を抜いている。
だが――それも常人の中でのこと。
ウィリスの槍はリュッセドルフの胸を貫き、あっさりと馬上から突き落とす。
それでもリュッセドルフは息があり、まだ立とうとした。
「奴隷……の……分際……で……!」
剣を大地に突き立て、兜を取ってウィリスを睨むリュッセドルフ。
彼は彼で、己の信ずる大義があった。
だが、そんなものはウィリスにとって、何の価値もない。
冷然とリュッセドルフを見下ろし、ウィリスは槍を水平に薙ぐ。
ゴロンと転がるリュッセドルフの首は、どこか滑稽に見えた。
彼の死を確認すると、不死兵達が一斉にウィリスへ剣を向ける。
それを彼は、一喝した。
「お前達は、奴隷ではないッ! リュッセドルフは死に、解放されたッ!」
ピタリと動きを止めて、不死兵の一人がウィリスに声を掛ける。
「……今度は、アンタの奴隷になればいいのか?」
「違う」
「じゃあ、何だ?」
苛立った様にウィルスは首を横に振って、彼等に告げた。
「降伏しろッ! 俺も不死兵だッ! 奴隷だったッ! お前達の気持ちは分かるッ! もう、切り刻まれながら戦う必要など無いッ! ……それだけだッ!」
こうして彼等は降伏し、ノイタール会戦の第一日目が幕を閉じる。
終ってみれば、ウルド側の大勝であった。
――――
その夜、ウルド公ネイの軍勢、六千も合流した。
と、いうよりローザリア達がネイの軍勢に合流したと言う方が正しいだろう。
ネイはこの六千で、グラニア・ミリタニア連合軍三万を牽制していのだから。
ともあれ、これでウルド軍は寄せ集めながらも、二万一千。中々の大軍となった。
そうしたことからネイは、主要な者を呼んで軍議を開く。
ウィリス・ミラーとミシェル・ララフィ・サーリスヴォルトは、その場にて再会を果たす事となった。
日刊総合ランキング36位でした! ジャンル別ハイファンタジーは9位です!
なんとかこの辺を死守しています!(ひぃひぃ言いながら……
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作者のやる気が上がります!




