3 憎悪の行方
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「参ったな……どうにもならない……」
ウィリスは走り去る馬車の砂煙を眺め、頭をポリポリと掻く。遠くに見えるのは、山の稜線と雲だけだ。
追放を言い渡されて一月、馬車に揺られ、ここが辿り着いた場所だった。
人里離れた場所という訳ではない。しかし、目貼りをされた馬車で連れてこられたせいで、場所は見当も付かなかった。
「殺さないならせめて履物くらい、くれよ……」
既に汚れた足の裏を確かめ、不平を言う。周囲を眺め回すと、畑仕事をしていた農民達は皆、頭を引っ込めた。
貴族が乗る馬車でやってきた見窄らしいウィリスに、声を掛けようという奇特な人物は居ない。
それでなくとも彼は巨体で、全身に傷がある。極めつけは顔の向こう傷だ。これほど危なそうな人物に、誰が声を掛けるというのか。
という訳で近くにいた人々は、蜘蛛の子を散らすように姿を消している。
「はぁ〜〜」
彼が吐いた溜め息は、深く重いものだった。
一月の間、彼は様々なことを考え、怒り、悲しみ、苦しんでいる。
誰を最も憎むべきか、恨むべきか――そんな事を延々と考えていたのだ。
憎むならばと真っ先に思い浮かんだのは、ゲートリンゲン元帥だった。
彼は補給を寄越さず、戦況を悪戯に悪化させる原因を作った。
その上、ミシェルまで奪ったのだ……そう思うと、身体を引き裂き内臓を喰らっても、なお飽き足らない。
だが――最愛のミシェルが彼を愛しているというのなら、彼を殺せば彼女が嘆くだろう。
だからウィリスは彼を恨みつつも、復讐に至る気持ちを持てなかった。
次にミシェルだ。
彼女を恨むことが出来るなら、ウィリスにとっては復讐の道が開ける。
だが――そんなことは出来ない。何しろ八歳の頃から知っているのだ。
我が侭を言うミシェルも愛していたし、尊大なミシェルも大好きである。
ミシェルのやることであれば、何でも許せてしまうのがウィリスのダメな所だ。
その結果、ゲートリンゲンと幸せになってくれ――と思うことしかウィリスには出来なかった。
それから、イゾルデだ。
彼女も自分程では無いが、低い身分から這い上がっている。
今にして思えば、あの転進は不可思議だ。今まで友として付き合ってきて、彼女が自分を裏切るようなことは、一度として無かった。
なにより、命令違反と敵前逃亡をしておきながら、全てが不問となっている。
ならばイゾルデは上層部に命じられて、今回のことを行ったに違いないのだ。
むろん彼女の立場であれば、命令を突っぱねることも出来ただろう。しかし――それをやれば彼女もまた、自分と同じ状況に追い込まれる……。
そうしてウィリスは、皇帝を憎もうとした。
結局ゲートリンゲンにせよイゾルデにせよ、彼の命令が無ければ動けないではないか。
そう思えば、諸悪の根源は皇帝ブラスハルトである。
だが――彼は自分を友と呼んでくれた先帝の弟。懐かしい面影があった。
ウィリスが憎いと思えば思う程、先帝の影がちらつくのだ。
それでも仮に皇帝を殺せたとして、若き皇帝には未だ後継者がいない。ならば結果は帝国中を吹き荒れる、未曾有の大混乱だろう。内乱ともなれば、人も大勢死ぬ。また憎悪が量産されるのだ。
そんなものを、自分個人の憎悪で生み出せというのか。
個人ではなく、散って逝った五万の将兵の怨念と思えば、果たして、それも必要なことかも知れないが……。
だが、いくらが憎悪を募らせたところで、世界最強の軍事大国の皇帝に対し、無位無官の上、黒衣黒甲も無い元不死兵には、対抗する手立てが無かった。
結果――ウィリスは自らの愚かさを最も憎み、ただただボンヤリと死を望むようになったのである。
「五万の兵をむざと死なせたのは、俺の力不足だ……どうあれ、あいつ等の恨みは俺の背中に乗っている……待ってろよ……そんなに時間は掛からないさ」
むろん黒衣黒甲さえあれば、このような考えには至っていないだろう……。
ウィリスは空を見上げ、鳶の姿を見た。「俺も翼があればなぁ」と詮無いことを思う。けれど無いモノは無いと諦めて、トボトボと歩き始めた。
もとより目的地さえ無い。一応標識を見つけると、帝都と反対の方向へ足を向けた。
ちなみにウィリスは『全財産没収』の上、『国外追放』である。六十日以内にグラニア帝国の外に出なければならないが、行く宛など無い。そう言ったら、馬車に乗せられた。
「国境付近まで乗せてやる」という、悪意の籠った善意をゲートリンゲンから受け取り、今に至っている。
だいたい、諸外国に悪鬼と恐れられた男だ。国外に出た途端に石でも投げられ、殺されるんじゃないか、と、本人は思っている。
が——そもそも「死にたい」と思っているので、それも一興だ。
何なら旅の途中で餓死するかもしれないし、などと淡い期待も抱いている。
暫く歩くと、腹が鳴った。“グゥ”と言われても、今のウィリスに為す術は無い。むしろ「餓死への第一歩」だと、期待に胸が膨らんだ。
辺りは収穫の終った麦畑が広がっていて、食べられそうなものは見当たらなかった。だから「ふふ」と笑ったウィリスは、「いよいよ死ぬな」と喜んでいる。
しかし、そこで足下に蛇を見つけてしまった。
「蛇……食べられるけど……」
ウネウネと動き、とぐろを巻く。鎌首を擡げ、二股に割れた舌をチョロチョロと出して威嚇している。
逃げてくれれば、追うつもりはなかった。しかし蛇は、戦いを挑んでいる。たぶん、毒もあるのだろう。
考えてみれば、この辺りで死ぬと、地域の住民に迷惑がかかる。色々と詮議される者も、いるかもしれない。
「仕方ない——死ぬにしても、人に迷惑を掛けないようにしないと……」
決断すると、ウィリスの行動は早かった。
彼は素早く近づき、蛇の一撃を避けて頭を掴む。それを握力だけでメキリと潰した。
食料を手に入れたウィリスは、「ホッ」と小さな溜め息を吐く。
死にたい死にたいと頭で思っていても、死なざるを得ない状況にはなりたくないものだ。
餓死が僅かばかり遠のいたことが、今は少しだけ嬉しかった。
————
そろそろ日暮れが近い。
とはいえ、ここは街道の真ん中だ。焚き火をして野営をするには、まったく適さない。
しばらく進み、ウィリスは道を逸れて小高い丘に登った。
肌を刺すような冷たい風が、ビュウと吹き抜ける。思わず身震いした。
「こりゃあ、凍死もあるぞ」
嬉しそうに、ウィリスは言う。腹を満たして凍死なら、それは「アリ」だった。
とはいえ、ウィリスは自殺という道を選ばない。
それは単純に、黒衣黒甲が無いからだ。
そう——ウドの大木は自殺が恐い。自分で自分をどうにかするなど、狂気の沙汰だ。
だからこそ、凍死や餓死を待ちたいと思うのだった。
しかし、だからと言って積極的にそれらを望むことも、やはり恐い。
そんなウィリスはせっせと薪を拾い、炎の魔法を発動させ、焚き火を作った。
ちょうど、夜の帳が降りてくる。火の暖かさが身に沁みた。
「冷えてきたなぁ」
季節は既に晩秋だ。袖の無い衣服しか着ていないウィリスは、両腕を摩りながら白い息を吐く。
凍死を望んでいるくせに、暖かい炎をウットリとウィリスは眺めている。
落ち着くと、ウィリスは昼間獲った蛇を焼くことにした。
「蛇……昔はよく食ったなぁ……」
蛇を平らげ、残った骨をしゃぶりながらウィリスは呟く。
生臭く、とても美味いとは言えないが、それでも久しぶりに生きていると実感出来る、そんな食事だった。
————
深夜、「ヴォーン」という遠吠えが聞こえ、ウィリスは目を覚ました。
焚き火はとっくの昔に消えて、灰色の煙が暗い夜空に溶けている。
いつの間にか、狼の集団に囲まれていたらしい。「グルル……」と無数の挑戦的な目が、こちらに向けられていた。
「そうか……俺は食い殺されるのか……」
ウィリスは俯き、「いいよ」と座ったまま両手を広げた。
するとどういう訳か、狼達はくるりと背を向け、去って行く。
狼達は、単純に悟ったのだ。
獅子の集団を襲っても、勝ち目は無い。この男を襲うことは、それ以上の危険がある、と。
がっかりしたウィリスは再び薪を集めて焚き火を作り、もう一度、眠ることにした。
凍死は望む所だが、寒くては眠れない。妙な話である。
「キャアアアアア」
と、その時——下方から微かに剣戟の音と、女性の悲鳴が聞こえてきた。
丘に登る時、ウィリスは左手に小さな村を見ている。悲鳴は、そこからのものだろうか?
ウィリスは立ち上がり、音のする方角を見つめた。火の手が上がり、今度ははっきりと悲鳴が聞こえる。
「盗賊か……!」
ウィリスは走った。
運が良ければ村人を救い、盗賊に殺して貰えるかもしれない。
自分を殺せる程に腕の良い賊がいることを祈りつつ、ウィリスは村へと急ぐのだった。
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