29 ノイタール会戦 1
◆
ウルド公ネイが撤退し、無数の雷がグラニア陣中を襲った。
各部隊は大変な混乱に見舞われ、七転八倒の大騒ぎである。
雷が落ちた天幕が激しく燃え盛り、周囲に炎が飛び火した。
これが被害を拡大し、甚大なものにしたのだ。
辺りには倒れ伏し、動けない兵も多い。
中には腹を斬り裂かれた者、腕を失った者もいた。
ミシェルは彼等を見て、呆然としている。
こんな光景を見るのは、初めてだった。
血と臓物の匂いに、吐き気すら覚える。
「ウィルは、こんな世界で生きていたの? 私はただ、待っていることしか出来なかったというのに?」
イゾルデはポツリと何事かを呟いたミシェルの肩を抱き、まだ無事な天幕へと向かう。
けれどミシェルはイゾルデの手を振り払い、傷ついた兵士に駆け寄った。
うつ伏せで倒れる、背中の焼け爛れた若い兵士だ。
「大丈夫、今、助けるわ!」
兵士は薄らと目を開け、恐怖を感じた。
戦場において傷ついた兵士は――とくに戦えないと看做されれば、その場で処分される。
むろん苦痛からの介抱、という大義名分において。
だがそれは、万人が望む救済ではない……。
「ひぇっ……」
だから最初、ミシェルの差し出す手に兵士は怯えた。
しかしミシェルは、兵士を殺さない。
どころか自身の魔力、その全霊を持って兵士を回復させていく。
見る間に兵士の火傷の跡が消え、折れた骨も繋がった。
兵士は、奇跡を目の当たりする。
皇女が、平民である自分を助けたのだ。
「はぁっ……はぁっ」
額に玉の汗を浮かべて、ミシェルが荒い息づかいで微笑んだ。
「どう?」
「少しだけ、楽になりました」
「少し!?」
ミシェルが額に手を当て、ヨロリと倒れそうになる。
「私の力など、所詮はその程度……大した魔力も持たず、無知で蒙昧……色んな人に迷惑を掛けて、誰一人助けることも叶わず……ああ……善かれと思ってやったのに……」
どす黒いオーラとともに、どんどんネガティブなことを言うミシェル。
兵士は目をパチクリとして、首を左右に振った。
「あ、いえ……凄く楽になりました。で、殿下のお陰です」
兵士は立ち上がり、飛び跳ねてみせる。
するとミシェルはジトっとした目で睨み、兵士の向こう脛を蹴り上げた。
「だったら最初から、そう言いなさい。このゴミ屑ッ!」
兵士が臑を抑えて踞る。
ミシェル、いきなりの蹴りであった。
そして彼女は腕を組み、スタスタと歩いて次の怪我人を診る。
兵士は首を傾げながら、そんな皇女を見守った。
「お優しい、のか……な?」
兵士の蹴られた足には、ほんのりとした回復魔法が施してあった。
イゾルデは当初、ミシェルの行動を止めようとした。
敵の刺客が紛れ込んでいたら、守りきれない。
だが非常に不機嫌そうながらも、ミシェルは一生懸命に働いていた。
イゾルデはその姿に、感銘を受けてしまう。
「痛みは取れましたか?」
「はい!」
「本当ですか?」
「はいっ!」
「では……」
「痛いっ! なぜ蹴るのですッ!?」
治療したあと、そう言って兵士を必ず蹴るミシェル。
治しているのか壊しているのか、いまいち判然としない。
「神経が通っているか、確認ですッ! 傷が治っても、無痛症になっては問題ですからねッ!」
――にしても、やり過ぎである。
兵士達は恐れ、だが同時にミシェルに感謝した。
そもそも、ミシェルは絶世の美女。
その彼女が自分を治療し、蹴り上げる。
遠目で見れば兵士達も恐れるだけであったが、近くで見れば別だ。
むしろ、崇めたくなる。それが男たる兵士達の心理であった。
中には、蹴られるだけで良い――という者も現れる始末。
そんな者にも、ミシェルは丁寧に対応する。
「このゴミ屑がッ!」
と言って蹴る彼女は、まさに兵士達の憧れを一身に背負ったのだ。
こうしてミシェルと接した者は、誰もが彼女を崇拝した。
やがて誰かが叫び声を上げる。
「ミシェル殿下万歳! 漆黒の聖女!」
皆が唱和し、夜の闇に声が木霊した。
「「ミシェル殿下万歳! 漆黒の聖女!」」と。
ミシェルの人気が急速に高まり、兵士達の士気を突き上げる。
ここに彼女の為ならば、死をも厭わぬ兵達が爆誕した。
――――
日が暮れる頃、ミシェルの魔力はすっかり尽きたらしい。
だが、彼女は兵士達を労うことをやめなかった。
それ程、この戦さで衝撃を受けたのだ。
今までの自分が、ずっとぬるま湯の中に居た事を許せなく思うミシェルであった……。
だから魔力が無くなると、医師の下を訪れる。
魔術が使えなくなっても、介護ならば出来た。
天幕の中には、幾人もの兵が横たわっている。
「大丈夫ですか? いいえ、駄目ですね。だって大丈夫なら、こんなところにいないでしょう」
兵士達は、「この女、馬鹿にしているのか!?」と彼女を睨む。
しかしミシェルは大真面目だった。
「私が戦えないばっかりに、迷惑を掛けています。今から心ばかりの料理を振る舞いますので、どうかそれで、元気になって下さい」
ハラハラと涙を零すミシェルの姿に、兵士達は感動する。
これが皇女かと――皆の心がうち震えた。
当然だ。ミシェルの美貌は神をも超える、究極のエロス。
後世、彼女を題材にした絵画や彫刻は、数多ある。
歴史に名だたる世界十大美女、その一人に数えられる程なのだ。
付き従ったイゾルデは、瞬く間に兵士達を虜にしてゆくミシェルを見て、むしろ頭を抱えた。
「これは……天性の君主というヤツか……?」
やがてミシェルが、自らの作った麦粥を運んで来た。
それを口に含むと、傷ついた兵士達から絶叫が上がる。
「ぐあああああっ!」
「ぬおおおっ!」
「く、苦しいっ!」
椀がゴロンと転がった。
イゾルデの足下で、それが止まる。
なぜだか黒い、青い、紫色だ。
いったい何を入れたら、こんな色になるのだろう?
「どうしたのです、皆の者ッ!」
見れば、ミシェルが目に涙を溜めていた。
一方では喉を抑え、転げ回る腕を失った兵士の姿。
イゾルデは考え、ミシェルに問うた。
「ミシェルさま! 何をなさったのです!?」
「私、粥を作りました。作った粥を兵に与えたら……」
唇をワナワナと震わせて、両手で顔を覆うミシェル。
イゾルデは思い出した――。
かつてウィリスとイラペトラ帝が、口を揃えて言った言葉を。
「ミシェルの料理は壊滅的。最終兵器ですらあるぞ」と。
イゾルデは仕方なく、真実を語る。
「粥のせい……ですかね。ミシェルさまは、料理に向きません……」
「ああっ、私は何と言うことを――イゾルデ!」
失敗だ。
ミシェルがまた、短刀を抜いている。
イゾルデは、「あ」と思った。
「まてまてーい!」
ミシェルを止めて、イゾルデは皆に粥を捨てさせる。
それからミシェルの手を引き、急いで天幕へと戻った。
「善かれと思ってやったのよ。それなのに、わたし……」
しくしくと泣くミシェルの頭を撫で、イゾルデは頑張って慰める。
そこに、一匹のコウモリがやって来た。
天幕の中からつまみ出そうと外へ追いやると、コウモリは見る間に人型となる。
イゾルデが剣を構えたところで、人型となったコウモリが人の言葉を紡ぎ出す。
「我はドレストスの副魔術師ミスティ。我らが策に協力し、最低でも兵を一万、都合してもらいたい」
しばし黙考した後、イゾルデは微笑を浮かべた。
「――受け承った、必ずや」
――――
翌日、ミシェルの天幕にやってきたリュッセドルフは、昨日の敗戦を陳謝した。
魔術師団を徒に散らした為、本陣の防備が疎かになったからだ。
この程度の知恵しか回らず、何が「知恵袋」か――とイゾルデは鼻で笑う。
平伏するリュッセドルフに、冷然とミシェルが言った。
「リュッセドルフ将軍。昨日、私を守ったのは誰在ろう、このブルーム将軍だ」
「は、はっ……」
「そなたは、当てにならんことがよく分かった」
「で、ですが……それがしは、皇帝陛下よりの信任を頂いております……」
「黙れ。ここの司令官は、私である。よいか、以後は全軍の半数、一万をブルーム将軍の指揮下に置く。いや――今となっては、半数以上だがな……フンッ」
「ぐっ……」
昨夜、ミスティと名乗ったサキュバスの提案を受け入れ、そのことをイゾルデはミシェルに語った。
するとミシェルは顎に指を当て、「うーん、分からない。出来るの?」と言う。
少し彼女を殴りたくなったイゾルデだが、そこは我慢した。
「今回の件はリュッセドルフの落ち度です。そこを突いて、私に全軍の半数を与えると仰ればよろしい」
「そういうもの?」
「そういうものです」
こうして一万の軍を預かったイゾルデは、来るべき日を待つ事となったのである。
むろん、イゾルデには勝算があった。
兵達に、「黒き聖女」と呼ばれ始めたミシェルの人気だ。
これがあれば、今ならたとえ寝返ったとて、兵士達は彼女に付いてくる。
ましてや自分が指揮権を持てるなら、それは絶対とも云えることであった。
◆◆
両軍が対陣してから、二週間余り。
ローザリア達ドレストス軍とルイード軍は、グラニアの魔術師達を潰して回った。
当初より魔術師の数は減ったが、グラニアの方針は「水攻め」のままだったらしい。
今もローザリア達は二百の敵軍を倒し、魔法陣を消した所である。
辺りにはグラニア兵の死体が散らばり、捕われた魔術師がローザリアの前に引き立てられてきた。
「貴様は貴族か?」
馬上から、ローザリアが問う。
縄で上半身を縛られ、額に魔術を封印する紋様を描かれた魔術師は答える。
「そうだ。それがどうした?」
「今のグラニアをどう思う? 皇帝ブラスハルトの御代は、楽しいか?」
暫し無言――。
それから奥歯を噛み締め、絞り出す様に魔術師は声を出した。
「魔術師は特権を与えられるからな、楽しいさ」
言動と行動が、いまいち一致していない。
ローザリアは剣でローブのフードを斬り裂き、魔術師の顔を露にした。
中年の男だ。痩せぎすで、目だけが爛と輝いている。
「そう思っているようには、見えんが――」
「問答はいい。貴様の意図は、何となく分かる。さっさと殺せ。さもなくば俺は再び貴様の前に、敵として現れるぞ」
ウィリスが槍を構える。
魔術師の男が目を瞑った。
そして呟く。
「すまん――デューイ。父さん、帰れなかった」
ウィリスがローザリアを見た。
彼女の口元には、微笑が浮かんでいる。
ウィリスは魔術師の縄を解き、槍を肩に担いだ。
ローザリアが、再び問う。
「貴様の息子はグラニアで育ち、幸せになるか?」
「ならない……だろうな」
「私は必ずや、グラニア帝国を滅ぼす。貴様が貴族だというのなら私は、その特権を全て奪うだろう。だが――デューイとやらが健やかに、何人にも怯えずに暮らせる未来なら、作ってやると約束しよう……どうだ、我が軍門に下らぬか?」
魔術師は頭を垂れて、ローザリアに忠誠を誓う。
こうして幾人かの魔術師達をグラニアから奪い、ローザリアは自らの軍を強化していた。
――――
先ほど制圧した魔術師の部隊は、ノイタールの北東側に居た。
少し東へ進むと、二つの川が合流する地点だ。
魔法陣を処分して盛り上がった土を大地に戻しても、遠くにノイタールの町並みを望むことが出来る。
今、ドレストス軍はルイード軍と合流し、五千の兵力となっていた。
数がより多いということで、この連合軍の指揮はローザリアが執っている。
と言うよりルイード軍の指揮官が、フニャフニャとした女神官だった。
だから腹が立ったローザリアは合流するなり、こう言ったのだ。
「私の方が、兵が多い。だから兵権は私が預かる、いいな?」
ルイード軍の指揮官であるカミラ・エイブラハムは、こう言った。
「え〜、わたしぃ、これでも父上の名代なんですけどぉ〜、横暴ぅ〜!」
カミラは白い神官服を着て、身体に似合わぬ大きな戦棍を持っていた。
年齢は十八歳と、ローザリアと同年らしい。
目付役として、巨漢の男を従えていた。
といって、彼もウィリスに比べれば小さい。グラハムくらいの大きさだ。
ただ、こんな答え方をされたローザリアが、怒らない訳が無い。
「名代など、知るか。私はドレストス男爵本人だ。ともかく、今後は私の指揮に従ってもらうッ!」
一方、カミラはつかみ所が無い。
神官服から覗く青い髪を靡かせ、ニコニコとして言った。
「はぁ〜い! 分かりましたぁ〜!」
「……ん? 分かっちゃった……のか?」
「だってぇ〜、ローザリアちゃんが言うからぁ〜!」
「う、うむ……分かれば良いのだ……分かればな……」
パチパチと目を瞬きながらも、ローザリアが頷いている。
ともあれ、こうして彼女はルイード軍二千を指揮下に置いた。
――――
「さて……来るとすれば、ここだと思うのだがな」
ローザリアは全軍が後ろに背負った川を見つめ、「ふぅ」と息を吐いた。
形としては、背水の陣となる。
この時代ドレストス大陸において、やってはいけない布陣として有名であった。
今はサラが森人の斥候を周囲に放ち、警戒を厳にしている。
何か動きがあれば、すぐに情報が伝わるはずだ。
ウィリスはあえて軍を動かし、時間を掛けて残敵を掃討しているよう、装っていた。
ルイード軍のカミラも、同様の行動をとっている。
時折、本当に残敵を掃討しているのか、カミラの咆哮が聞こえてきた。
「おらぁぁぁああああ! このクソザコがぁぁああああ! 死にさらせぇぇぇぇぇぇええ!」
純白の神官服が真っ赤に染まるまで、ものの数分である。
これには不死兵のリリー・パペットも舌を巻き、驚いていた。
「……あの子、本当に強いですわ。残敵なんて掃討させず、敵の本隊の中央突破でもさせたら如何でしょう」
ウィリスもポカーンと口を開け、「不死兵か?」と言っていた。
これに答えたのは、シェリルである。
「彼女が仕える神は、戦神です。その加護の力でしょう」
皆が納得した。
戦神の神官なら、援軍として派遣されても当然である。
――――
暫くすると、上空に幾つかの影が現れた。
飛竜だ。
数は二十と、それなりに揃っている。
同時に、地鳴りのような音も聞こえてきた。
「戦局が動く――皆、陣形を整えよ」
ローザリアが命令を下した。
五千の軍が、整然と並んでゆく。
この様を確認した竜騎兵の一人が、隊長に言う。
「敵は――我らの攻撃を予測していたのでは、ありませぬか!?」
「予測していたとて、どうなる? 五千で我ら一万八千に勝てるものかッ!」
進言した竜騎兵は、釈然としないままノイタールを見た。
無数の兵が、城門から出て来る。
ネイが率いる六千の兵だ。
「あれはっ! 隊長! 挟撃の恐れがありますッ!」
「心配するな」
だが、これはリュッセドルフの想定内だった。
敵の本軍に対応するため、西よりグラニア・ミリタリア連合軍三万が移動中である。
リュッセドルフとしては、水攻めが失敗に終ったのなら、野戦でケリを付けようという腹なのだ。
むろん、彼はミシェル達の動きを知る由も無い。
と、云うより――戦局がこのように推移するよう、絵図を描いたのはローザリアだ。
ここでグラニア軍本隊を撃ち、ネイと合流した後、グラニア・ミリタリア連合と戦う。
それを、思い描いている。
といってウルド軍が必ずしも優勢かと言えば、そうでもなかった。
例えばミシェルがまったく兵を動かせなかった場合、一万三千対一万八千の戦いだ。
前後から挟撃出来るという優位はウルド軍にあるが、分断されている分、各個撃破の対象にもなり得る。
さらに後方から迫るグラニア・ミリタリア連合軍が到着すれば、挟まれるのは、逆にウルド軍となるのだ。
ともあれローザリアは、まず敵の竜騎兵を凌ぐ。
これが直近の、現実的な課題であった。
「前の様にはいかんぞッ! 防壁隊、前へッ! 弩砲兵、構えッ! 魔術師隊、防護魔法用意ッ!」
ローザリアのテキパキとした指示を耳に、ウィリスも大型の弓を構える。
彼の力で弓を射れば、その矢は飛竜とて貫くのであった。
日刊総合ランキング35位になりました! ジャンル別ハイファンタジーは9位です!
ポイントは増えているのに、ランキングは下がってしまいました。
土日って恐ろしいですね(かなしい
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どうもありがとうございます!
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作者のやる気が上がります!




