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28 烈火と氷刃

 ◆


 ノイタールの街で最も背が高い建物は、領主の館でもある政庁だ。

 今、その露台バルコニーで一組の男女が言葉を交わしている。


 男はエンツォ・カノープス。

 絹の様な銀色の髪に、深紅の瞳。それは巨大な魔力を持つがゆえの、代償のような色だと云われていた。

 事実、彼は魔術師協会における最高幹部の地位も、打診されている。

 ただ、その要職に就くにはウルドを離れねばならない。故に、彼は断り続けていた。

 彼にとって重要なことは、家族と共に過ごすこと。それ以外には無いのだから。


 女はウルド公ネイ。

 深紅の髪は灼熱の業火を思わせ、真っ赤な瞳が彼女の情熱を物語る。

 味方には慈愛を――敵には絶対の死を与える“烈火の魔女”として、イラペトラ率いるグラニア軍に対し、一歩も引かなかった話は今も語り種となっている。


 二人は、美男美女としても有名だ。

 しかもウルド公国において歴代で、もっとも仲睦まじい公爵夫妻と言われていた。


 ――――


「川縁が盛り上がってゆくねぇ」


 遠方を眺め、空気の抜ける様な口調でエンツォが言う。


「狙いは分かるけれどね、嫌なやり方よ。水攻めでしょう? それで困るのは、民達なのに!」


 ネイが燃えるような赤毛を掻き上げて、大理石のテーブルをダンと叩く。


「君の異名も知れている。きっと火が恐ろしいんだよ」

「エンツォ! 呑気に構えている場合じゃないでしょう!」

「……といって、私が空から攻撃すれば、きっと竜騎兵ドラグーンが出て来るだろうしねぇ」

「トラキスタンからの援軍も来ないしッ! ああ、もうッ!」


 苛立つネイは、口汚くトラキスタン皇帝リュドミールを罵った。

 実際、一万の軍勢を送ると約束していたトラキスタンは、未だ一兵たりとも寄越さない。

 先日来た使者の口上は、こうであった。


「至急兵を集め、十万の大軍をもって窮地を救う。暫し待たれよ」


 暫しとは――いったい何時までであろうか。

 既に、こちらは五万のグラニア軍と対峙している状況だ。

 確かに十万の大軍が派遣されれば、戦況は覆る。

 一万では焼け石に水、という話も分からぬではない。

 しかしその後、トラキスタンからは何の音沙汰も無かった。


「まぁ……そちらは、嫌な予感が当たったね……」


 エンツォは北東の空に目をやり、赤い瞳で遠くの山脈を見た。

 彼は口元に微笑を浮かべて、そのまま言葉を続ける。


「だけどその代わり――ルイード軍とドレストス軍が来てくれる。その数は、合わせて五千だ」

「何よ、トラキスタンが来ないのだもの。先引きで五千のマイナスだわ」

「だけど、こっちにはウィリス・ミラーがいるよ」


 ウルド公ネイは少しだけ機嫌を直し、暫くして言った。


「そうね――悲観しても仕方が無いし。本当に皇帝陛下が十万を揃えるなら、時間が掛かるのも当然だわ」

「そうさ。それに私達は、負けないよ」


 エンツォがネイの額に、軽くキスをする。

 ネイは微笑み、頷いていた。


「ええ――絶対に負けないわ」


 ――――


 それから一時間後、ネイは城門から打って出た。

 何もしないのは、性に合わない。 

 何より、敵に油断が見て取れたからだ。


 深紅の鎧に深紅の兜。

 ネイは馬上で炎を纏った剣を振るい、グラニアの陣営に突撃した。

 彼女の掌からは炎が迸り、リュッセドルフの築いた陣営の柵を次々と焼いてゆく。

 

「行けッ、火蜥蜴サラマンドルッ!」


 さらにネイは炎の精霊を使役し、グラニア軍の天幕を容赦なく燃やした。

 彼女の猛攻は一時、ミシェルの下にまで迫っている。


「ミシェルさま……お下がり願えますか?」


 イゾルデは天幕からミシェルを連れ出し、彼女をジョセフに託して前に出た。

 散々に打ち破られたリュッセドルフの兵が、陣を乱して左右往生している。

 イゾルデが叫んだ。


「者共、敵は少数だッ! 怯むなッ! 踏みとどまって戦えッ! ミシェル殿下の御前であるッ!」


 裏切ることを決めているのに、ここで殺される訳にはいかない。

 といって、いずれ味方になるであろう相手と戦うのは、イゾルデとしても不本意だ。

 しかし――この状況では致し方ない。


 前方を見れば、真っ赤な装備の女が少数の部下を従え、騎馬突撃を敢行している。

 イゾルデは愛馬に股がり、剣を抜く。彼女は今、氷蒼色の鎧を身に着けていた。

 蒼と赤の戦いか――とイゾルデは一瞬、妙な感慨にふける。


「ハァァアアッ!」


 馬腹を蹴って、イゾルデは駆けた。

 刃と鎧に冷気を纏う。

 その様は、氷刃の名に相応しい。

 

 “ギィィィイイイイイイン”


 炎を纏った剣と、氷を纏う剣が激突した。


「烈火の魔女とお見受けする。少数にて見事な戦いぶり――感服するわ」


 イゾルデが言えば、ネイも返す。


「あなたが氷刃ね。ちょうどハゲの将軍に歯ごたえが無かったから――拍子抜けしていたところよ。丁度良いわ。あなた、ここで死になさいッ!」

「さてさて――私にも、そうはいかない事情があるッ!」


 炎の刃は火の粉を散らし、氷の刃は欠片を飛ばす。

 両者の技量は互角であった。

 十合、二十合と打ち合ってゆく。

 そのうちにジョセフがミシェルを守りつつも、二人を兵で囲んだ。

 ネイは、自らの不利を知る。


「左――後ろよ。穴を開けてある、去れ――」


 イゾルデは刃を交えつつ、ネイに耳打ちした。

 ギョッとしたネイが、そちらに目を向ける。

 完全に隙を作った形だが、イゾルデは動かなかった。


 何かがある――ネイは感じた。

 

 馬首を返したネイは、すぐさま兵の穴を駆け抜け、見えなくなる。

 イゾルデも、同じく馬首を廻らせた。


「ふぅ――まったく、生きた心地がしないったら……」


 イゾルデは剣を鞘に納め、さっさとミシェルの下へ戻る。

 ここは戦場。彼女の側にジョセフを置いたからと、安心出来るものではなかった。


 ――――


 六千の兵を率いたネイはイゾルデに止められたとはいえ、グラニア軍を散々に打ち破る。

 こうして“烈火の魔女”の名は、再び轟いた。


 ネイがノイタールへ戻ると、急速に空が暗雲に覆われる。

 ノイタールの政庁、その上で、一人の男が呪文を唱えていた。

 グラニア軍の混乱に乗じた恰好である。


「逆巻く風が呼ぶは、雷雲なり。雷雲が齎すは、大地を穿つ雷なり。我は今こそ乞い願う――雷神の鎚にて、我が敵を穿てッ!」


 大気を斬り裂く轟音と共に、無数の雷がグラニアの陣営を貫いた。

 すると、空中で男の身体がグラリと揺れる。

 

「ふぅっ……まったく……大魔術など、使うものではないね。心臓に悪いよ」


 白いローブのフードを下ろし、顔を覗かせたのはエンツォだ。

 彼の魔力は一国に冠絶する。

 対してグラニアの誇る魔術師団は水攻めの為に各地に散っており、この事態に対処のしようが無い。

 イゾルデは迫る雷からミシェルを守ったが、全体の被害を軽減するには至らなかった。


 “雷帝”


 ウルド公国に仕える前、エンツォ・カノープスが呼ばれていた異名である。

 そこに思いを致さなかった、リュッセドルフの失策だ。

 総軍で五万を号するグラニア軍は、この日だけで二千の兵力を損なっている。


 ◆◆


 ウィリス達は遠く暗雲の立ちこめたノイタールを眺めつつ、軍を進めていた。

 レギナ・レナからノイタールまで軍を率いて行くとなれば、通常は十日ほども掛かる。

 といって神速の用兵を尊ぶローザリアのこと。

 彼女はレギナ・レナを出てから五日目にして、ノイタールまで二日の距離に迫っている。

 

 シェリルが雷雲に魔力を検知した為、ローザリアは一端、行軍を止めた。

 直後、無数の雷光が大地に降り注ぎ、轟音を発する。


「凄まじい魔力です! 中心はノイタールの――政庁上空ッ! あれは、エンツォさまですッ!」

「止まれ! 今日はここに陣を張る」


 ローザリアは凛とした声で言った。

 魔力が味方のものだからと、彼女は決して油断などしない。

 既に辺りを戦域と認識して、ローザリアは事を決したのだ。

 ウィリスも頷き、「状況の確認を急ごう」と言った。


 戦況を知っておかねば、グラニア軍に待ち伏せでもされて、いきなり全滅も有り得る。

 ここからは先は、慎重に行かねばならない。


「うむ……」


 ローザリアは兵が天幕を立てている間に、様々な命令を下す。

 まず、サキュバスをノイタールへ飛ばすこととした。

 連携を確認する為だ。


 ここに至って、ミシェルとイゾルデの件を隠す必要も無い。

 だから一切を打ち明け、その足でサキュバスにはミシェルの陣営にも入ってもらう。

 ミシェルとイゾルデがこちらに裏切るとなれば、この連携がもっとも重要となるはずだ。

 サキュバスに託された任務は、重大である。


 ――――


 このように高度な任務が可能となったのも、ウィリスがサキュバスに名前を付けたからだ。

 だが――むろん弊害もあった。

 名付けた際にウィリスの魔石から、魔力がごっそりと抜かれたのだ。

 これに関しては自然回復をするので、大きな問題とはならなかったのだが……。

 サキュバスが、これで上位悪魔アークデーモンに進化をしてしまったのである。

 それに関する諸事が、問題であった。


 名付けは、ローザリアの執務室で行われた。

 立ち会ったのは、ローザリア、それからグラハムとサリフだ。


 本来ここに居るべき人物は、間違い無くシェリルとサラだった。

 しかし二人とも、この場に、たまたま居合わせなかったのである。

 もしも居れば、この様なことにはならなかったであろう。


 シェリルは魔術師団を組織すべく人選を行っている最中とのことで、この件を知らなかったという。


 サラは食堂でつまみ食いをしたあと、お腹がいっぱいになり、幸せそうに眠っていた。

 駄エルフなので、これも仕方が無いことだろう。


 ともかく、ウィリスはサキュバスに名前を付けた。


「お前は、そうだな――ミスティ……ぐっ?」


 名を言い終わると、ウィリスは片膝を付いた。

 自分の身体から、何かが漏れ出してゆく。

 それが魔力だとは、気付かなかった。

 ウィリスの身体には、魔石を通して膨大な魔力が宿っている。

 それが彼の力の源であり――生命力そのものとも云えた。

 だからウィリスは、立っていられなくなったのだ。


 一方でミスティと名付けたサキュバスが、ウィリスから漏れた『魔力』を纏ってゆく。

 それはやがて赤と黒の球体に変化し、複雑な魔術紋様を描いていった。


「これ……は? ひっ? オレ、どうなるんだッ!? ご主人! オレ! オレ! 死にたくないよッ!」


 中から、サキュバスの声だけが漏れ聞こえる。


「ミスティ? ……いったい、何が? 名など……付けてはいけなかったのか……?」


 ウィリスも、苦しそうに呻いていた。

 しかしウィリスは脂汗をかきながらも、再び立つ。


「くそっ……サキュバス、すまん。今、助けるぞ……」


 ウィリスは球体を殴り、蹴った。

 しかし彼が何をどうやっても、赤黒い球体は壊れない。

 やがてそれは、霧状になって発散された。


 霧の中から、一人の女性が現れる。

 誰もが見守っていた。

 だが彼女はもう、以前のサキュバスではない。


「すまん……」


 そう言うウィリスだったが、次の瞬間、目を見張った。

 人影が、見知った顔だったからだ。

 黄金色の髪を持ち、ブルーサファイヤのような瞳を潤ませる、絶世の美女。

 彼女は、黒いドレスを身に纏っていた。

 そして小首を傾げ、ウィリスを見つめている。


「ミシェル……? ミシェルッ!」


 その姿は、まさにミシェルであった。

 ウィリスは首を左右に振って、「そんなはずは……」と呻く。

 ローザリアは、ただただ愕然としていた。


「これ……が、ミシェル? なん……て、美しい。私など……到底……」


 このとき、別の場所でサラの鼻提灯が破れた。

 誰もいない食堂は寂しく、なんだか別の部屋で騒ぐ声が聞こえる。

 

「なんで私を放って、皆で楽しい事をするのですかッ!」


 プンスコとしたサラはローザリアの執務室へと足を運び、そこで彼女は手で顔を覆う。


「あちゃあ……サキュバスが上位悪魔アークデーモンになってる……」と。


 彼女はポンコツであっても、魔導研究の第一人者だ。

 サキュバスの変化は一目瞭然。

 これは「名付け」による進化であろう。

 だが「名付け」は、「名付け親」に莫大な魔力的な負担を強いるはず。

 そう思ってウィリスを見れば、酷く憔悴しているではないか。


 それにサキュバスの上位個体は、狙った獲物が最も欲する、その女性の姿となる。

 むろん自己本来の姿もあるが――力を発揮する時は、大概が相手の欲する姿となるのだ。

 つまりこれは、サキュバスがウィリスを狙っている証。

 そしてウィリスが、未だにミシェルを愛していることを示すものである。

 だからサラは、その事を誰にも言わなかった。


 サラはサキュバスに近づき、その頬をペチペチと叩く。


「サキュバス――あなた、真名を得たのね?」

「う、うむ」

「だったら、早く魔界に帰りなさい」


 サラは言った。

 しかしミスティは「くわっ!」と目を見開き、「我はミスティ!」と名乗る。

 そして、ウィリスの前に跪いた。


「真名を得た今、上位悪魔アークデーモンとして、主に仕える栄誉を賜りたく存じます……」


 ミシェルの姿で言われては、ウィリスに何を拒むことが出来ようか。


「あ、ああ……ミスティだったのか……その姿……驚いたよ」


 ウィリスの鼻の下が伸びきり、どうしようもない有様だ。

 

 サラは腕を組み、首を左右に振って言う。


「お仕えしたいのなら、せめて閣下を誘惑するのは止めなさい。自分の姿があるでしょう?」

 

 一瞬だけ首を傾げたサキュバスは、「ああ」と頷く。

 どうやら「わざと」ではなかったらしい。

 彼女は、すぐに黒髪赤眼の美女となった。

 翼と角の無い姿は、人間と同じである。

 もちろん必要があれば角も翼も生やせるが、上位個体ともなれば、それらは自在に操れるのだ。

 

 ウィリスは困った様にローザリアを見て、助けを求める。

 ローザリアも、ミシェルの姿が美し過ぎて放心していた。

 

「あれが……ミシェル……」


 最後に極大の魔力を検知したと、シェリルが姿を現した。

 ともあれ、こうしてミスティはドレストス軍の副魔術師となったのである。

 

 ――――


 翌日、ミスティはウルド公とイゾルデに会い、話を纏めて戻って来た。

 彼女は昨日から幾度も三カ所を往来しているが、一切の文句を言わない。

 それほど名付けられたことを、ウィリスに感謝しているのだろう。


「ウルド公は、すぐに信じたか?」


 ウィリスがミスティに問うと、彼女は微笑を浮かべて首を縦に振る。


「はい。さもありなん――と仰られて、笑っていました。昨日の戦いで何か、思う所があったそうです」


 ウィリスは首を捻ったが、彼は昨日の、彼女達の戦いを知らなかった。

 ともあれ話が上手く進むなら、それに越した事は無い。

 ウィリスとローザリアは、ミスティが持ち帰った情報を聞く。

 そしてローザリアは、いくつかのことを決断した。


 リュッセドルフの策は、ノイタールの水攻めだという。

 彼の魔術師団はそれぞれ二百程度の兵を率い、川沿いの各所で魔法陣を展開しているそうだ。

 潰すなら、ローザリアが率いる三千で十分であった。

 

 それらを潰していけば、やがて敵も動くだろう。

 だが、むろん全軍で動くとは思えない。

 それがリュッセドルフであれば正面から待ち構え、背後をイゾルデに衝いてもらう。

 逆にイゾルデが動くなら、そのまま合流すればいい。

 

 また、ローザリア達に少し遅れて、ルイード軍も近くまで迫っているようだ。

 ローザリアは彼等にもグラニアの魔術師達を潰すよう、伝令を出すことにした。


 問題は、西に位置するミリタリア、グラニア連合軍の三万だ。

 ミシェルがどれ程の兵を寝返らせることが出来るか――それが勝敗を決めるといっていい。

 

 ウィリスの心をミシェルが占めているのは許せないとして、それでもローザリアは願うのだ。

 

「一万でいい。ミシェル――こちらへ兵を連れて来い」と。


 トラキスタンの援軍が当てにならない以上、それでようやく、勝利が見える数字になるのだから。

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