27 グラニア軍の侵攻
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グラニアの帝都グラスコールは、このリンデルゲン大陸における最大の都である。
人口は百万を数え、そのうちの五パーセントが貴族、さらに一パーセントが上級貴族であった。
しかしながら、それらの階層が一掃された時代がある。
それがイラペトラ帝の御代であった。
それ故に帝都は繁栄を極め、人口も百万に達したのであろう。
だが今となっては、その繁栄も虚しいばかりである。
今や全人口の二〇パーセントが奴隷階級に落とされ、一部特権階級のみが豊かに暮らす世だ。
その奴隷も、日に日に量産される。
例えば「皇帝ブラスハルトの御代を批判した」となれば不敬罪が適用されて、本人は処刑。一家全員が奴隷となる――という具合だ。
しかも密告が奨励されて、隣人が隣人を監視する。それを下級貴族に伝え、上級貴族へと話が流れてゆく。
むろん往々にして冤罪が生まれ、罪無き人々が殺され、投獄される。
さながら、ディストピアだった。
しかも奴隷に落とされた者は頑健な者から不死兵へと改造されて、帝国の軍事力は尚、一定を保つ。どころか記憶操作、洗脳の技術を確立した今、増強の一途を辿っていた。
そして今や、皇帝直属の不死隊は一万を超えている。
この絶対的な軍事力を背景に、ブラスハルトは大陸の覇権を手に入れんと欲していた。
もっとも――そうやって野心に燃えるのは当の皇帝ブラスハルトだけ。
頼みの軍事力も、各地で吹き上がる不満分子を平定するため、常に散っている。
確かに不死隊の主力が帝都に在るため誰も攻め込まないが――つまり、見ようによっては帝国も、そのような状況であった。
――――
ミシェルはグラスコールからノイタールへ向け出征するに当たって、帝都の目抜き通りを行進する。
凄まじい歓声と花束が家々から降り注ぎ、彼女は笑顔を浮かべて民に手を振っていた。
しかし隣で馬を進めるイゾルデは、警戒を厳にする一方だ。それが理解出来ず、ミシェルは彼女に理由を聞いた。
「イゾルデ――市民を相手に、何をそれほど警戒するというの?」
「市民だから、警戒しているのです。あなたは仮にも、現皇帝の妹君ですから」
「意味が……分からないわ?」
「恨み骨髄――というものです。彼等はあなたの出征を歓迎するよう、義務付けられている」
馬上でイゾルデに説明され、ミシェルは鼻白んだ。
街路で平伏する民も、二階の窓から顔を覗かせ花びらを撒く少女も、皆が等しく自分を恐れている。
そう思うだけで、ミシェルの顔が蒼白になった。
「兄上――いいえ、イラペトラの時代も、そのようなことが?」
「ある訳がないでしょう。イラペトラさまは、お優しい方でした」
「そう……なら、良かった」
ミシェルはつくづく、何も知らない。
思えばイラペトラが死んだ時から、全てがブラスハルトの言うがままだ。
ゲートリンゲンとの婚約も彼が決めたし、逆らうことも出来なかった。
気がつけばウィリスが出征して、帰ってくるなり彼の処刑を言い渡されたのだ。
気が動転しているうちにゲートリンゲンがやってきて、「よろしく」などと言っていた。
ミシェルはそもそも、貴族的な優男が好きではない。
だから即座に拒否し、どのような理由であれ、ウィリスを解き放てと喚いたのだ。
するとゲートリンゲンは、こう言った。
「あなたの心がけ次第だ」と。
ミシェルは頭を左右に振った。
自分の心がけとは、何なのであろう?
ミシェルは自問する。
善かれと思う行動が、だいたいは裏目に出ていた。
あの時も、そうだったのではないだろうか?
もっと別の選択肢も、あったのではと今のミシェルは思う。
思ったところで、ミシェルの無知は変わらないが……。
例えば今も黒いドレスと、それに合う黄金の鎧を身に着けている。
これは一流の技師に作ってもらい、自分専用の馬にも豪奢な馬具を付けていた。
表向きの理由は、「ウィリスとの離別」をゲートリンゲンに示すため。
本当の理由は、「帝国との決別」だ。
しかし――これが単なる自己満足だと知ったのは、ついさっきのことである。
この話を聞いたイゾルデは額に手を当て、「それは市民の血税だ」と頭を振ったのだ。
「そんなに……高いの?」
イゾルデは、静かに頷いていた。
これら一式がいくらになるのかなど、ミシェルは考えた事も無い。
「まあ、小国なら国家予算並みでしょうね」
世間と余りに乖離したミシェルは、何故ウィリスが自分を一度も叱らなかったのか、懸命に考えた。
そして、ついに気付いたのだ。
彼も、世間を知らなかったのだ、と。
奴隷であった彼には、そもそも世間などなかった。
ともあれミシェルはイゾルデに対し、あの日の盟約以降、あらゆることを一切の忌憚なく話している。
ミシェルは感謝すると同時に、彼女を心の中で友と呼ぶようになっていた。
行軍中――ある日の夜。
自身の天幕にイゾルデを招き、ミシェルは一番大切なことを聞いた。
日々思い悩み、考えれば恐怖で眠れなくなるようなことだ。
「ウィリスは、私に会ってくれるかしら? そして、私を許してくれるかしら……」
「どうして、そう思うのですか?」
「……ゲートリンゲンとのキス。あんなことを、したから……」
ミシェルは、伏し目がちに言った。
そのゲートリンゲンは、本当にミシェルがウィリスを見限ったと思っている。
今回、彼女の出征を認めたのも、「私の手で、直接ウィリスを殺したい」との申し出を信じてのこと。
ゲートリンゲンは最初こそ、「なぜミシェルさまにウィリスの件を伝えたかッ!」とイゾルデを怒鳴ったが、ミシェルの申し出を聞くと、掌を返した。
「いや――彼女が真実の愛に気付いてくれたのなら、それで良い」
イゾルデは内心で「己の信じたい事しか信じようとせぬ、愚物め」と笑う。
とはいえ、ミシェルとゲートリンゲンがキスをした事実は覆らない。
それ以上のことが無いのは、幸いと云えるだろう。
流石にゲートリンゲンも、皇族には手を出せなかったらしい……。
「ふぅ……」
イゾルデは、簡易的な寝台に座るミシェルに白湯を渡す。
自身は小さな椅子に腰掛けて、頬を指でポリポリと掻いた。
あの、常に自信に満ちて尊大だったミシェル殿下が、今や見る影も無い。
よほど落ち込んでいるのか、肩を窄め、目に涙も溜めていた。
それも、当然なのだろう。
ミシェルは自分自身ですら、自分を許せなくなっていた。
そんな自分をウィルスが許してくれるとは、到底思えないのだ。
「許さない……でしょうねぇ」
イゾルデは、本心を言った。
ここで取り繕っても、仕方が無いのだ。
もしも自分だったら、きっと許さない。
たとえ許したとしても、それは永遠に心の傷となって残るはずだ。
少なくとも、イゾルデはそう思う。
いや――そもそもイゾルデであれば、心の傷を消す為にも、相手を殺してしまうかも知れない。
「やっぱり……私は生きていても仕方が無いのね……ウィルに伝えて……あなたは幸せになって……と」
短刀を抜き、またも自らの首に押し当てるミシェル。
それをイゾルデは止めた。
「待て待てーい!」
「は、放してっ! 私なんて、ネズミの餌にでもなる方が似合っているのよッ!」
「ミシェルさまは……短絡的に過ぎるッ!」
短刀を奪い、イゾルデはミシェルの背中を摩る。彼女は少し、過呼吸気味になっていた。
二人の間に、長い沈黙が訪れる。
先に、イゾルデが口を開いた。
「そもそも何故キスをして、ウィリスを絶望させねばならなかったのですか?」
ミシェルの長い睫毛が、見る間に濡れてゆく。
彼女の蒼い瞳から、大粒の涙が零れた。
「――リンゲンが……ゲートリンゲンが、ウィルの目の前で私を抱くと……兄も……ブラスハルト陛下も了承していると……」
「なっ……!」
「そうしたら、ウィルを生かして追放に留めてやると……」
ミシェルは肩を震えさせ、嗚咽を漏らしていた。
「でも、それだけは絶対に嫌だから……」
「それで、キスに?」
ミシェルがコクリと頷く。
「ヤツの前で、少しでも私を受け入れろ……って、ゲートリンゲンが……」
イゾルデは眉根を寄せて、「ゲートリンゲンのヤツなら、やりそうだ……」と考えた。
だが一方で、辻褄が合わない話だとも思う。
確かミシェルはウィリスを絶望させて、そこから立ち直って貰いたいと言っていたはずだ。
「では、彼を絶望の淵に追い込み、立ち直って貰う為と言うのは……」
「……あれも、本当よ。目の前で私とアイツのキスを見れば、ウィルだもの……絶対に怒ると思った……その為には、私がゲートリンゲンを嫌がっちゃ駄目。私も恨まれれば……そうすれば、この国ごと彼なら壊してくれると思ったから……私だって……あんな男の妻になってまで、生きていようと思わなかったし……」
「それは……まあ……」
「だってイゾルデ! 彼はいつだって強くて、私を守ってくれて、勇敢で……兄さまが頼りにした将軍なのよッ! 絶望して死にたがるなんて、絶対に思わなかったッ!」
ミシェルが頭を抱え込み、ポロポロと涙を零している。
イゾルデは不死兵の特性を考え、ミシェルがそのことを知らない事に思い至った。
「ウィリスは不死兵ですからね。黒い物を装備していない限り――心は普通の人間と同じですよ。いや、もしかしたら、もっと弱いのかも知れません」
そう言う意味では、イゾルデもウィリスを勘違いしていた一人だろう。
彼が善良な男だとは思っていた。
しかし――たかが恋人を失っただけで、全てに絶望するような人間とは思わなかったのだ。
イゾルデは椅子に座り、白湯を飲んだ。
「ふぅ」と、溜め息が漏れる。
「……でもね、イゾルデ。私……ウィルが怒ったんじゃなくて、絶望したって聞いて、嬉しかったの……そんなにも愛されていたんだって……あとはね、あのとき私が抱かれずキスで済ませたから、あなたがウィルを殺しに行ったんだって、そう思ったわ」
「もしかして、あの日、ご自身も死ぬ気で……?」
「ええ……そのつもりだったわ。ふふ、あはは……おかしいでしょう? 私もウィルも、お互いのことを知っているつもりで、全然知らなかったんだわ。壊れて――当然なのよ」
◆◆
ノイタールに到着すると、イゾルデはリュッセドルフと共に陣を街の北西へ敷いた。
ミシェルはテキパキと動く兵士達を見て、時折、労ったりしている。
「お腹が減ったの? あっちで休む?」「足が痛いの? あっちで休む?」「顔色が悪いわね? あっちで休む?」
が……声を掛けられた兵は皆、顔を青くして彼女から遠ざかってゆく。
全員、あっちで殺される――と思ったのだ。
不要と看做されれば、処分されると思ったのだろう。
釈然としないミシェルは、天幕が立てられると早々に中へ入る。
「私、邪魔なのかしら?」
「邪魔ですね、凄く」
イゾルデの言葉は、容赦が無い。
二日後、ノイタールに対する陣営の構築を終えたリュッセドルフが、ミシェルの下へ報告に訪れた。
リュッセドルフは天幕の中、椅子に座るミシェルに平伏し、横に立つイゾルデを見上げた。
「なぜ貴様がここに居る?」と、問いたそうな瞳である。
「状況は、どうなっている?」
イゾルデが口を開いた。
総司令官はミシェルだが、実戦指揮はリュッセドルフに委ねられている。
一方でイゾルデがミシェルを補佐しているから、このように歪な状況となるのだ。
そのリュッセドルフが、煩わしそうにイゾルデを見上げる。
「貴様なら、見れば分かるであろうが」
リュッセドルフが吐き捨てた。
「状況は? と聞いているのよ」
今度はミシェルが言う。
彼女は相変わらず黒いドレスを身に着け、黄金色の鎧を身に纏っていた。
それは誰をも魅了する美しさを誇り、凛とした気高さを感じさせるものだ。
このミシェルがウィリスを思って連日、死ぬ程の涙を流している。
そんなことを、一体誰が想像するだろうか。
当のウィリスはローザリアの軍中に居て、北東からこの陣営に迫っているらしい。
イゾルデはローザリア軍に、「早く来い」と願う毎日だった。
リュッセドルフはミシェルに対し、仕方なく低頭する。
彼の薄くなった頭頂部が覗き、イゾルデの頬が緩む。
ミシェルはつまらなそうに目を逸らし、彼の報告を耳にした。
「魔術師団の配置は、既に完了しております。なに、地形を利用しますれば、一月も立たずにノイタールは水の都となりましょう」
「では……降伏せよと、使者を送りましょうか?」
「まだ、些か早うございますな」
「本当に、あの街を水浸しにするのですか?」
眉根を寄せて、ミシェルが問う。
「さあ――本当にそうなるかは、まだ分かりませぬ。敵とて、それが嫌であれば、早々に降伏も致しましょうからな」
リュッセドルフは、自信満々であった。
彼は南方から迫ったミリタリアとの連合軍を西に置き、トラキスタンへの備えとした。
そして十人の上級魔術師団に命じ、辺りの地形を変化させて行く。
もともとノイタールは河に囲まれた地だ。
これを防御の要としている以上、兵をもって攻めることは得策ではない。
そう判断したリュッセドルフは河の周りを隆起させ、ノイタールを囲む岩山を作る事とした。
それから水を氾濫させて、公都を水没させる策である。
実に壮大な計画で、もしも成功すれば彼の名は戦史に残るだろう。
もともとが、ゲートリンゲンの知恵袋と言われる男だ。策には自信がある。
リュッセドルフは最終的に胸を張り、ミシェルに報告を終えた。
そして最後に、こう付け加える。
「なに、ミラーの馬鹿をムスラーに負けさせるよりは、簡単にござる。ああ……そのミラー、今は辺境の一君主、その配下に成り下がったとか……ふははは! たしか殿下は、その首をご所望でしたな!
それも早晩、必ずや獲ると、お約束致しましょうぞ!」
ミシェルが椅子から立ち上がり、眉を吊り上げる。
が――イゾルデが彼女の腕を掴んで座らせた。
「言葉を慎め、リュッセドルフ。ウィリス・ミラーの首を獲るのは、殿下であるぞ」
「さよう、さよう。そうでござったな」
リュセドルフは礼をして、天幕を後にする。
その顔には、不快感がありありとにじみ出ていた。
「忌々しいイゾルデめ! 以前、ワシがせっかく誘ってやったものを、断りおってからにッ! ワシが筆頭将軍となった暁には、絶対にヒィヒィ言わせてやるからな!」
日刊総合ランキング38位に後退! 残念です!
でも、ここで踏みとどまらせて頂き、ありがとうございます!
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作者のやる気が上がります!




