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27 グラニア軍の侵攻

 ◆


 グラニアの帝都グラスコールは、このリンデルゲン大陸における最大の都である。

 人口は百万を数え、そのうちの五パーセントが貴族、さらに一パーセントが上級貴族であった。

 

 しかしながら、それらの階層が一掃された時代がある。

 それがイラペトラ帝の御代であった。


 それ故に帝都は繁栄を極め、人口も百万に達したのであろう。

 だが今となっては、その繁栄も虚しいばかりである。

 今や全人口の二〇パーセントが奴隷階級に落とされ、一部特権階級のみが豊かに暮らす世だ。

 その奴隷も、日に日に量産される。

 

 例えば「皇帝ブラスハルトの御代を批判した」となれば不敬罪が適用されて、本人は処刑。一家全員が奴隷となる――という具合だ。

 しかも密告が奨励されて、隣人が隣人を監視する。それを下級貴族に伝え、上級貴族へと話が流れてゆく。

 むろん往々にして冤罪が生まれ、罪無き人々が殺され、投獄される。

 さながら、ディストピアだった。


 しかも奴隷に落とされた者は頑健な者から不死兵アタナトイへと改造されて、帝国の軍事力は尚、一定を保つ。どころか記憶操作、洗脳の技術を確立した今、増強の一途を辿っていた。

 そして今や、皇帝直属の不死隊アタナトイは一万を超えている。

 この絶対的な軍事力を背景に、ブラスハルトは大陸の覇権を手に入れんと欲していた。


 もっとも――そうやって野心に燃えるのは当の皇帝ブラスハルトだけ。

 頼みの軍事力も、各地で吹き上がる不満分子を平定するため、常に散っている。

 確かに不死隊アタナトイの主力が帝都に在るため誰も攻め込まないが――つまり、見ようによっては帝国も、そのような状況であった。


 ――――


 ミシェルはグラスコールからノイタールへ向け出征するに当たって、帝都の目抜き通りを行進する。

 凄まじい歓声と花束が家々から降り注ぎ、彼女は笑顔を浮かべて民に手を振っていた。

 しかし隣で馬を進めるイゾルデは、警戒を厳にする一方だ。それが理解出来ず、ミシェルは彼女に理由を聞いた。


「イゾルデ――市民を相手に、何をそれほど警戒するというの?」

「市民だから、警戒しているのです。あなたは仮にも、現皇帝の妹君ですから」

「意味が……分からないわ?」

「恨み骨髄――というものです。彼等はあなたの出征を歓迎するよう、義務付けられている」


 馬上でイゾルデに説明され、ミシェルは鼻白んだ。

 街路で平伏する民も、二階の窓から顔を覗かせ花びらを撒く少女も、皆が等しく自分を恐れている。

 そう思うだけで、ミシェルの顔が蒼白になった。

 

「兄上――いいえ、イラペトラの時代も、そのようなことが?」

「ある訳がないでしょう。イラペトラさまは、お優しい方でした」

「そう……なら、良かった」


 ミシェルはつくづく、何も知らない。

 思えばイラペトラが死んだ時から、全てがブラスハルトの言うがままだ。

 ゲートリンゲンとの婚約も彼が決めたし、逆らうことも出来なかった。

 気がつけばウィリスが出征して、帰ってくるなり彼の処刑を言い渡されたのだ。

 気が動転しているうちにゲートリンゲンがやってきて、「よろしく」などと言っていた。

  

 ミシェルはそもそも、貴族的な優男が好きではない。

 だから即座に拒否し、どのような理由であれ、ウィリスを解き放てと喚いたのだ。

 するとゲートリンゲンは、こう言った。


「あなたの心がけ次第だ」と。


 ミシェルは頭を左右に振った。

 自分の心がけとは、何なのであろう? 


 ミシェルは自問する。


 善かれと思う行動が、だいたいは裏目に出ていた。

 あの時も、そうだったのではないだろうか?

 もっと別の選択肢も、あったのではと今のミシェルは思う。

 思ったところで、ミシェルの無知は変わらないが……。


 例えば今も黒いドレスと、それに合う黄金の鎧を身に着けている。

 これは一流の技師に作ってもらい、自分専用の馬にも豪奢な馬具を付けていた。

 表向きの理由は、「ウィリスとの離別」をゲートリンゲンに示すため。

 本当の理由は、「帝国との決別」だ。


 しかし――これが単なる自己満足だと知ったのは、ついさっきのことである。

 この話を聞いたイゾルデは額に手を当て、「それは市民の血税だ」と頭を振ったのだ。


「そんなに……高いの?」


 イゾルデは、静かに頷いていた。

 これら一式がいくらになるのかなど、ミシェルは考えた事も無い。


「まあ、小国なら国家予算並みでしょうね」


 世間と余りに乖離したミシェルは、何故ウィリスが自分を一度も叱らなかったのか、懸命に考えた。

 そして、ついに気付いたのだ。

 彼も、世間を知らなかったのだ、と。

 奴隷であった彼には、そもそも世間などなかった。


 ともあれミシェルはイゾルデに対し、あの日の盟約以降、あらゆることを一切の忌憚なく話している。

 ミシェルは感謝すると同時に、彼女を心の中で友と呼ぶようになっていた。


 行軍中――ある日の夜。

 自身の天幕にイゾルデを招き、ミシェルは一番大切なことを聞いた。

 日々思い悩み、考えれば恐怖で眠れなくなるようなことだ。


「ウィリスは、私に会ってくれるかしら? そして、私を許してくれるかしら……」

「どうして、そう思うのですか?」

「……ゲートリンゲンとのキス。あんなことを、したから……」


 ミシェルは、伏し目がちに言った。

 そのゲートリンゲンは、本当にミシェルがウィリスを見限ったと思っている。

 今回、彼女の出征を認めたのも、「私の手で、直接ウィリスを殺したい」との申し出を信じてのこと。

 ゲートリンゲンは最初こそ、「なぜミシェルさまにウィリスの件を伝えたかッ!」とイゾルデを怒鳴ったが、ミシェルの申し出を聞くと、掌を返した。


「いや――彼女が真実の愛に気付いてくれたのなら、それで良い」


 イゾルデは内心で「己の信じたい事しか信じようとせぬ、愚物め」と笑う。

 とはいえ、ミシェルとゲートリンゲンがキスをした事実は覆らない。

 それ以上のことが無いのは、幸いと云えるだろう。

 流石にゲートリンゲンも、皇族には手を出せなかったらしい……。


「ふぅ……」


 イゾルデは、簡易的な寝台に座るミシェルに白湯を渡す。

 自身は小さな椅子に腰掛けて、頬を指でポリポリと掻いた。

 あの、常に自信に満ちて尊大だったミシェル殿下が、今や見る影も無い。

 よほど落ち込んでいるのか、肩を窄め、目に涙も溜めていた。


 それも、当然なのだろう。

 ミシェルは自分自身ですら、自分を許せなくなっていた。

 そんな自分をウィルスが許してくれるとは、到底思えないのだ。


「許さない……でしょうねぇ」


 イゾルデは、本心を言った。

 ここで取り繕っても、仕方が無いのだ。

 もしも自分だったら、きっと許さない。

 たとえ許したとしても、それは永遠に心の傷となって残るはずだ。

 少なくとも、イゾルデはそう思う。

 いや――そもそもイゾルデであれば、心の傷を消す為にも、相手を殺してしまうかも知れない。

 

「やっぱり……私は生きていても仕方が無いのね……ウィルに伝えて……あなたは幸せになって……と」


 短刀を抜き、またも自らの首に押し当てるミシェル。

 それをイゾルデは止めた。


「待て待てーい!」

「は、放してっ! 私なんて、ネズミの餌にでもなる方が似合っているのよッ!」

「ミシェルさまは……短絡的に過ぎるッ!」


 短刀を奪い、イゾルデはミシェルの背中を摩る。彼女は少し、過呼吸気味になっていた。

 二人の間に、長い沈黙が訪れる。

 先に、イゾルデが口を開いた。

 

「そもそも何故キスをして、ウィリスを絶望させねばならなかったのですか?」


 ミシェルの長い睫毛が、見る間に濡れてゆく。

 彼女の蒼い瞳から、大粒の涙が零れた。


「――リンゲンが……ゲートリンゲンが、ウィルの目の前で私を抱くと……兄も……ブラスハルト陛下も了承していると……」

「なっ……!」

「そうしたら、ウィルを生かして追放に留めてやると……」


 ミシェルは肩を震えさせ、嗚咽を漏らしていた。


「でも、それだけは絶対に嫌だから……」

「それで、キスに?」


 ミシェルがコクリと頷く。


「ヤツの前で、少しでも私を受け入れろ……って、ゲートリンゲンが……」


 イゾルデは眉根を寄せて、「ゲートリンゲンのヤツなら、やりそうだ……」と考えた。

 だが一方で、辻褄が合わない話だとも思う。

 確かミシェルはウィリスを絶望させて、そこから立ち直って貰いたいと言っていたはずだ。


「では、彼を絶望の淵に追い込み、立ち直って貰う為と言うのは……」

「……あれも、本当よ。目の前で私とアイツのキスを見れば、ウィルだもの……絶対に怒ると思った……その為には、私がゲートリンゲンを嫌がっちゃ駄目。私も恨まれれば……そうすれば、この国ごと彼なら壊してくれると思ったから……私だって……あんな男の妻になってまで、生きていようと思わなかったし……」

「それは……まあ……」

「だってイゾルデ! 彼はいつだって強くて、私を守ってくれて、勇敢で……兄さまが頼りにした将軍なのよッ! 絶望して死にたがるなんて、絶対に思わなかったッ!」


 ミシェルが頭を抱え込み、ポロポロと涙を零している。

 イゾルデは不死兵アタナトイの特性を考え、ミシェルがそのことを知らない事に思い至った。


「ウィリスは不死兵アタナトイですからね。黒い物を装備していない限り――心は普通の人間と同じですよ。いや、もしかしたら、もっと弱いのかも知れません」


 そう言う意味では、イゾルデもウィリスを勘違いしていた一人だろう。

 彼が善良な男だとは思っていた。

 しかし――たかが恋人を失っただけで、全てに絶望するような人間とは思わなかったのだ。

 

 イゾルデは椅子に座り、白湯を飲んだ。

「ふぅ」と、溜め息が漏れる。


「……でもね、イゾルデ。私……ウィルが怒ったんじゃなくて、絶望したって聞いて、嬉しかったの……そんなにも愛されていたんだって……あとはね、あのとき私が抱かれずキスで済ませたから、あなたがウィルを殺しに行ったんだって、そう思ったわ」

「もしかして、あの日、ご自身も死ぬ気で……?」

「ええ……そのつもりだったわ。ふふ、あはは……おかしいでしょう? 私もウィルも、お互いのことを知っているつもりで、全然知らなかったんだわ。壊れて――当然なのよ」 


 ◆◆


 ノイタールに到着すると、イゾルデはリュッセドルフと共に陣を街の北西へ敷いた。

 ミシェルはテキパキと動く兵士達を見て、時折、労ったりしている。


「お腹が減ったの? あっちで休む?」「足が痛いの? あっちで休む?」「顔色が悪いわね? あっちで休む?」


 が……声を掛けられた兵は皆、顔を青くして彼女から遠ざかってゆく。

 全員、あっちで殺される――と思ったのだ。

 不要と看做されれば、処分されると思ったのだろう。

 釈然としないミシェルは、天幕が立てられると早々に中へ入る。


「私、邪魔なのかしら?」

「邪魔ですね、凄く」


 イゾルデの言葉は、容赦が無い。


 二日後、ノイタールに対する陣営の構築を終えたリュッセドルフが、ミシェルの下へ報告に訪れた。

 リュッセドルフは天幕の中、椅子に座るミシェルに平伏し、横に立つイゾルデを見上げた。

「なぜ貴様がここに居る?」と、問いたそうな瞳である。

 

「状況は、どうなっている?」


 イゾルデが口を開いた。

 総司令官はミシェルだが、実戦指揮はリュッセドルフに委ねられている。

 一方でイゾルデがミシェルを補佐しているから、このように歪な状況となるのだ。

 そのリュッセドルフが、煩わしそうにイゾルデを見上げる。


「貴様なら、見れば分かるであろうが」


 リュッセドルフが吐き捨てた。

 

「状況は? と聞いているのよ」


 今度はミシェルが言う。

 彼女は相変わらず黒いドレスを身に着け、黄金色の鎧を身に纏っていた。

 それは誰をも魅了する美しさを誇り、凛とした気高さを感じさせるものだ。


 このミシェルがウィリスを思って連日、死ぬ程の涙を流している。

 そんなことを、一体誰が想像するだろうか。

 当のウィリスはローザリアの軍中に居て、北東からこの陣営に迫っているらしい。

 イゾルデはローザリア軍に、「早く来い」と願う毎日だった。


 リュッセドルフはミシェルに対し、仕方なく低頭する。

 彼の薄くなった頭頂部が覗き、イゾルデの頬が緩む。

 ミシェルはつまらなそうに目を逸らし、彼の報告を耳にした。

 

「魔術師団の配置は、既に完了しております。なに、地形を利用しますれば、一月も立たずにノイタールは水の都となりましょう」

「では……降伏せよと、使者を送りましょうか?」

「まだ、些か早うございますな」

「本当に、あの街を水浸しにするのですか?」


 眉根を寄せて、ミシェルが問う。


「さあ――本当にそうなるかは、まだ分かりませぬ。敵とて、それが嫌であれば、早々に降伏も致しましょうからな」


 リュッセドルフは、自信満々であった。

 彼は南方から迫ったミリタリアとの連合軍を西に置き、トラキスタンへの備えとした。

 そして十人の上級魔術師団に命じ、辺りの地形を変化させて行く。

 

 もともとノイタールは河に囲まれた地だ。

 これを防御の要としている以上、兵をもって攻めることは得策ではない。

 そう判断したリュッセドルフは河の周りを隆起させ、ノイタールを囲む岩山を作る事とした。

 それから水を氾濫させて、公都を水没させる策である。


 実に壮大な計画で、もしも成功すれば彼の名は戦史に残るだろう。

 もともとが、ゲートリンゲンの知恵袋と言われる男だ。策には自信がある。

 リュッセドルフは最終的に胸を張り、ミシェルに報告を終えた。

 そして最後に、こう付け加える。


「なに、ミラーの馬鹿をムスラーに負けさせるよりは、簡単にござる。ああ……そのミラー、今は辺境の一君主、その配下に成り下がったとか……ふははは! たしか殿下は、その首をご所望でしたな!

 それも早晩、必ずや獲ると、お約束致しましょうぞ!」


 ミシェルが椅子から立ち上がり、眉を吊り上げる。

 が――イゾルデが彼女の腕を掴んで座らせた。


「言葉を慎め、リュッセドルフ。ウィリス・ミラーの首を獲るのは、殿下であるぞ」

「さよう、さよう。そうでござったな」


 リュセドルフは礼をして、天幕を後にする。

 その顔には、不快感がありありとにじみ出ていた。


「忌々しいイゾルデめ! 以前、ワシがせっかく誘ってやったものを、断りおってからにッ! ワシが筆頭将軍となった暁には、絶対にヒィヒィ言わせてやるからな!」

日刊総合ランキング38位に後退! 残念です!

でも、ここで踏みとどまらせて頂き、ありがとうございます! 


面白いと感じたら、評価、ブクマ、感想、宜しくお願い致します。

作者のやる気が上がります!

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