26 ミシェルの足音
◆
「ウォォォォォオオオオオオオオオオオオッ!」
ウィリスの巨躯は敵を威圧、制圧する為の、およそ全てを持っている。
夏の夜の大気を振るわせる、それは凄まじい彼の咆哮だった。
槍を構え、ウィリスは猛然と敵陣へ突入する。
彼が見据えるカラード軍本陣に、防戦の準備は乏しい。
先日の奇襲にも関わらず、まだ大軍だと胡座をかいているせいだろう。
ましてや彼等は明日、撤退を開始する。
その準備の為、既に辺りは生活感も消え失せていた。
だが敵の最深――即ちディエゴ侯爵のいる本営は、それなりの厳戒態勢だ。
確かに現カラード侯ディエゴは、戦上手で知られる陣立てをしていた。
すくなくとも自分が討ち取られることは、まず無いという布陣だ。
むろんウィリスにしても、五十騎あまりで敵の総大将を討とうとは考えていない。
彼はただ一万の中を五十騎で駆け抜け、誰も死なせないことだけを考えていた。
だからウィリスは槍を篝火に引っ掻け、倒し、投げ、辺りの天幕に火を付ける。
そのまま馬で駆け、歩哨を蹴倒し、次の陣に迫って行くのだ。
ウィリスの後に続く兵は、彼の残した残骸を、ただ越えて行くだけでよかった。
それでも、一万の中に突撃する兵達の緊張は、並大抵のことではない。
恐らくこの中で平然としていのは、ウィリスと不死兵の四名だけであろう。
レントンなど、ずっと奥歯をガチガチと震わせていた。
サキュバスは皆と同じ速度で飛びながら、レントンに飛来した矢を落とす。
何というか――魔界に帰るだけの魔力は齎さなかったが、少しだけ知能が向上したのは事実。
それだけのモノを貰っているから、この場で死なれるのも、何となく嫌だった。
「あっあっあっあっ……ひぃぃぃぃぃぃっ!」
情けない悲鳴を上げているのは、サラ・クインシーである。
彼女は森人として、あるべき勇気や矜持を母の胎内に置き忘れていた。
ついでに言えば魔力や武芸一般の才能は、生まれる前に神様へ返却済みだ。
そんなサラに出来ることと言えば、馬にしがみついて、全てをやり過ごすことのみ。
あとは今までの経験上、もっとも安全な場所にいることが大切だ。
即ち――ウィリスの側である。
とはいえ、グラニア帝国においてウィリスは、万軍を率いる将であった。
だから例えウィリスが突撃しても、サラ自身は本営に居た事がほとんどである。
「ああ、今日も将軍は突撃か……」
と思いながら、彼の勝利を待っていただけだ。
だから、こんなことは副官になって、始めの頃しか経験していない。
そしてふと、サラは思い出した。泣けばいいのだ。
ウィリスは、女性の涙に滅法弱い。だからサラは、泣き始めた。
嘘泣きでもいい――気付いてさえくれれば。
「ひゃん、ひゃん……ふええええん、びええええええええん!」
サラ・クインシー、空前絶後、迫真の演技である。
というか途中から本当に恐くなって、心から泣いていた。
「サラッ!」
呼ばれてサラは、すぐ前に出る。
「はいっ!」
そう。サラにとって一番安全な場所は、ウィリス・ミラーの腕の中。
ウィリスにとってもサラは、自身を調整をしてくれる有り難い存在。
だから、彼も彼女を必ず守るのだ。
サラは飛び、ウィリスの馬に跨がった。
大きな彼の胸が、サラの背中を支えてくれる。
たとえサラが一人乗っても、ウィリスの武勇は些かも衰えないのだ。
やがて二つ目の陣を抜けるころ、レギナ・レナの城門が大きく開いた。
先頭に、銀の兜を被った小柄な少女の姿が見える。
ウィリスはサラに声を掛けた。
「もう少しだ」
サラはウィリスの胸に頭を凭れさせ、小さく頷いた。
本当はこんな戦場だけでなく、いつでも、こうしてくれればいいのにな――と思いながら。
◆◆
ローザリアは敵陣から火の手が上がる様を見て、全軍を出撃させた。
勝負どころで出し惜しみをしない事も、名将の条件である。
その意味において彼女は、十分に条件を満たしていたのだ。
「敵の第一陣は後方をウィリスに衝かれ、混乱しているッ! この機を逃さず、敵を破砕せよッ!」
剣を高々と掲げ、ローザリアが前進を命じた。
彼女は自ら騎馬兵を率い、敵右翼に旋回。側面から敵陣を掻き回す。
その間に左翼へ回ったクレイモア守将モートンも、同じく敵陣を乱して回る。
ローザリアはモートンを、優柔不断な将と断じていた。
しかし、それは彼の本質ではない。
あくまでもクレイモアの守将として行動した結果が、煮え切らなさを生んだ。
戦場を駆ける一武将として行動出来るなら、彼は十分に勇気を示せる男なのであった。
二つの騎馬隊は左右に抜けながら、再びレギナ・レナの前へと戻る。
その間にウィリスが敵後方から中央突破を果たし、レギナ・レナの門前で三者は合流した。
ローザリアはウィリスがサラを腕に抱えている様を見て、少しだけ不機嫌になる。
しかし時と場合を考え、彼女を門内へ入れるよう指示を出し、再び敵を見据えていた。
敵の第一陣は燃え盛る陣営の中、徐々に隊列を組み始めている。
しかし――第一陣とレギナ・レナ守備軍だけの勝負となれば、数の上で四千対三千。
ローザリアは既に配置を終えた弓隊を前に出し、号令を下す。
「放てッ!」
星明かりの下、無数の矢が敵陣を覆った。
前方で悲鳴が上がり、篝火がバタバタと倒れて行く。
夜襲に備えていなかった訳では無い。が、まさか後方からも敵が現れるとは思わなかった。
誤算による狼狽は兵の士気を低下させ、燃え盛る炎が恐怖心を増大させる。
もはやカラード軍の第一陣が、レギナ・レナの軍勢に抗し得るはずが無かった。
「歩兵隊、攻撃開始ッ!」
ローザリアが、新たな命令を下す。
第二戦列までが槍を装備し、第三、第四が剣を装備した歩兵隊が前進を開始した。
これはローザリアが考え、運用を始めた歩兵隊である。
前列が敵とぶつかり、より接近、或は混戦となった時、後列の部隊が活きる。
むろん槍隊も剣を装備しているが、それを抜く時は槍を捨てることとなろう。
槍を全ての兵に配備出来ないがゆえの、ローザリア、苦肉の策であった。
だが、敵も黙って見ている訳では無い。
隙間のある両翼から、立て直しを終えた第二、第三陣の騎馬兵が迫ってくる。
ローザリアは休む間もなく、自らは右翼に当たると宣言をした。
左翼はモートンに任せると命令を下し、ハンスとリリーの二人を彼の部隊へと加えている。
当然、ローザリアはウィリスを連れて行くつもりであった。
――――
敵右翼の騎兵を、ウィリスは瞬く間に蹴散らした。
「ウォォォォォォォオオオオオオオオオッ!」
野獣の如き咆哮と共に振るうウィリスの槍は、一振りで人と馬を無数に弾き飛ばす。
お陰で彼の後方を走るローザリアは、誰とも剣を交わす事が無い。
ちょっと、もう、何だかなぁ……とすら思い始めていた。
そんな時、ローザリアは第一陣で防戦の指揮を執る、土色の鎧を着た男を見つけた。
敵増援の騎兵も逃げ散っているし、ローザリアはあの男に恨みもあるのだ。
馬首を翻し、ローザリアは敵側面の中央突破を意図する。
第一陣の主将を討ち取ることに決め、ローザリアはウィリスを見た。
「ウィルッ!」
「おうッ!」
ローザリアの一言で、ウィリスは彼女の意図を察する。
「むふっ。やはり我らは以心伝心!」
嬉しそうに頬を赤らめ、ローザリアが敵へと突っ込んで行く。
「ローザリア、あまり前に出るな! 大将であるお前が討たれれば、いくら勝っていても負けるのだぞッ!」
先頭を走り始めたローザリアに、ウィリスが苦言を呈する。
しかしローザリアには、理由があった。退く訳にはいかない。
戦いの初日、自分をディエゴの後宮に入れると言い放った、第一陣の将を討ち取りたいのだ。
が――その話を聞いたウィリスが、鬼の形相となる。
「あいつが?」
「う、うむ」
ウィリスが槍を向けた先では、土色の鎧を身に着けた大柄な武将が、怒声を張り上げ、剣を振りかざしてた。
「怯むなッ! 第三隊、押し戻せッ! 弓兵! 構わん! 味方ごとでいいッ! 射よッ! 騎馬兵、増援はまだかッ!」
ローザリアは瞳に怒気を宿したウィリスを見て、少しだけ嬉しくなる。
だが、すぐに面頬を下ろして馬腹を蹴ったウィリスを、止める術は無かった。
「あっ! 待てッ! ヤツは私が討ち取りたいのだッ!」
――――
土色の鎧を着た敵将は、ウィリスの姿を認めると、自らも槍を構える。
その勇気だけは立派だと、ウィリスは兜の内で薄く笑った。
「一応、名を聞いておこうか」
敵将の前で馬の足を止め、ウィリスが一言。
弓兵が一斉に彼を狙う。
が――無数に迫る矢を、槍の一振りで打ち払う。
「俺はガスパーレッ! カラード公にお仕え致す、武人であるッ!」
怯まず、敵将が言った。
年は三十代半ば、といったところか。
大柄で、恰幅も良い。
手に持った槍の太さはウィリスのものと変わらず、重そうだ。
「貴様こそ、名乗れッ」
ガスパーレは面頬を下ろしながら、喚いた。
ウィリスは、よく動く口髭だ、と思いながらも一応は名乗る。
「ウィリス・ミラー……我が主を侮辱した貴様が、この世で生きる場所は無い」
ガスパーレが馬腹を蹴り、ウィリスに迫った。
もはや、問答無用という事であろう。
ウィリスは避けない。
彼はただ、槍を前にと突き出した。
「うおぉぉっ!」
ガスパーレの槍が、繰り出された。
鋭い突きが、ウィリスの面頬を弾き飛ばす。
だが、ウィリスは微動だにしなかった。
「獲ったあぁぁぁっ!」
ガスパーレの驚喜が、虚しく夜空に木霊する。
「ほう?」
「あ……れ?」
ガスパーレは、足をジタバタと動かした。
そこには、あるべき鐙が無い。
自身の槍は、ウィリスの頬を翳めている。
が――自身はどうやら中空に浮いているようだ。
視線を下方へと下げる。
腹部へ深々と刺さった槍が、物悲しそうに血を零していた。
朱に染まった槍は、ウィリスの腕へと繋がっている。
ただの一合も、彼等は打ち合うことが無かった。
「ウ、ウ、ウワァァァァァァァアアアアッ!」
ウィリスは悲鳴を上げるガスパーレを中空へ放ると、槍を水平に薙いだ。
月の光を反射した刃が、銀の弧を描く。
ガスパーレの身体が落ち様、ウィリスは彼の首を刎ねた。
噴水のように血を吹き上げて、頭部を失った胴体が大地に崩れ落ちる。
「敵将、ガスパーレを討ち取ったぁぁぁぁあああああッ!」
叫んだのは、レントンである。
戦場で男達を魅惑して回ったサキュバスが、ガスパーレの首を抱えて飛んでいた。
ガスパーレも、それなりに勇猛で鳴らした男。
敵の兵士達が慄き、四散する。
「勝鬨を上げよッ!」
ローザリアがウィリスに駒を並べ、微笑んでから言った。
「むろん、勲功第一はお前だぞッ」
――――
翌日、カラード軍は這々の体で帰途につく。
追撃しようという意見も出たが、ローザリアはそれを退けた。
「あまり勝ち過ぎては、恨まれもしよう。かの地はやがて、手に入れる。兵や民の恨みは、極力買いたく無いものだ」
そう言うローザリアは敵味方問わず、負傷兵を治療していた。
こういった措置に感動した敵兵の中には、ローザリアに帰順を申し出る者も多い。
結果ドレストス領軍は、正規兵を二百名増員した。
また、今回ローザリアの下で戦った傭兵達は、皆が正規兵となる。
もともと彼等とて、根無し草でいたい訳でもなかったのだ。
それにローザリアの目的は、グラニア帝国の打倒である。
兵が増えて、多過ぎる――ということは絶対にないのだ。
だから彼女は、皆を大歓迎で迎えていた。
――――
傭兵達を正規軍に組み込んだローザリアの下へ、公都ノイタールから急報が齎される。
ミリタリア、グラニア連合軍が北進を開始、同時に東方からもグラニア軍二万が進撃中、とのこと。
ネイ公爵は既にレギナ・レナの状況を正確に把握しているらしい。
こちらに派遣されつつあったルイード軍は、直接ノイタールへ向かうとの事であった。
ただ、この知らせには、それ以上のことが書かれていない。
普通ならば援軍の一つも求めそうな所を、ネイ公爵はその点に触れていないのだ。
「ネイさまらしい……」
ローザリアは苦笑しながら、政庁の執務室でウィリスに言う。
「我らの役割は、カラードを抑えること。十分にそれは果たした、と考えておられるのだろう」
「で、あろうな」
「だが、どうあれ、我らは公都を救いに行くしかあるまい。イゾルデとの約束もあるしな……まぁ……不本意ではあるが」
「……手間を掛けて、申し訳ない。では、俺は出兵の準備を進めてこよう」
ウィリスは頷き、踵を返す。
ローザリアの表情に、怒気が見て取れたからだ。
といって、ウィリス個人としても複雑な思いである。
去年ミシェルと別れてから、ウィリスが彼女のことを考えなかった日など無かった。
確かに彼女と再び出会えることは、純粋に嬉しい。
けれど彼女がどうしてゲートリンゲンと、あんなことをしたのか。
そのことを考えれば考えるほど、胸は苦しくなる一方であった。
「ウィル――」
ローザリアが呼び止めた。
「私は貴様がどんな選択をしようとも、恨みはせぬよ」
「――ありがとう。そうだ……連れて行く兵は、三千でいいな?」
「ああ、それでいい。よろしく頼む」
ウィリスが去り、閉じられた扉を見つめながら、ローザリアが髪を掻きむしる。
彼女の聞きたい言葉を、きっとウィリスは言ってくれないだろう。
どうして彼を好きになったのかと――ローザリアは今更ながら、苦しんでいた。
2章 「ウルド戦役」完結です!
日刊総合ランキング36位になりました! ジャンル別ハイファンタジーは11位です!
皆様から評価、ブクマなど、頂いたお陰です! ありがとうございます! もう、感謝しかありません!
目標達成しました! 次は総合30位を目標にがんばります!(死にそう……
あと、タグは「最後にざまぁ」に変えました。ちょっとご批判が多かったので……
なのでよろしくお願いします!
面白いと感じたら、評価、ブクマ、感想、宜しくお願い致します。
作者のやる気が上がります!




