22 突撃隊
◆
ネイとエンツォは寝室に入ると、軽く葡萄酒を煽る。
窓辺から入る月明かりが、酒の味を芳醇なものへと変えた。
「ネイ……彼女を男爵にする、というのは――なかなか勇気がいる決断だっただろう?」
大きな天蓋付きの寝台に腰掛け、隣に座るネイの髪を撫でながらエンツォが言う。
「そうね、少なくともトラキスタンのリュドミール陛下は、よく思わないでしょうね。でも――それでウィリス・ミラーが味方になるのなら、安いものだとは思わない?」
白い薄衣一枚で、ネイがコロコロと笑った。
それは十代の頃から変わらない、猫の様に目を細める笑い方。
彼女の潤んだマリンブルーの瞳が、エンツォにとってはたまらなく愛おしい。
だからこそエンツォは肩を竦めながら、心配そうに言う。
「……にしても、だよ。よりにもよって『ドレストス』だ」
「そうね――リュミドール陛下とシグムントどのは、随分と仲が悪かったものね」
「ああ。その家名を名乗る者に爵位を与えて、皇帝陛下が臍を曲げるんじゃないかな? ましてや君が後見役などと……」
「あら、いいじゃない。仲が悪かったにしても、味方だったのよ?」
「どうかな? 数ヶ月も援軍を寄越さない男が、シグムントどのの味方だったとは思えないね」
「エンツォ……あなた、やっぱりリュミドール陛下が、ドレストスを見捨てたと思っているのね?」
「ああ、そうだよ」
「でもそれって、翻ってみれば今、私達が直面している問題でしょう?」
ネイが銀杯の淵を爪で弾き、“キン”という音が鳴る。
「なるほど……だからこそ、リュミドール陛下のいつ来るか分からない大軍よりも、ウィリス・ミラーを買ったと、そう言う事かい?」
「うふふっ――正解」
「はは……私の女神は、どうやら随分と知恵が回るようだね」
空になった杯を小卓へ置き、エンツォがネイにキスをした。
「――だけどリュミドール陛下のお考えが、ちょっと分からないのよね」
ネイはキスに軽く応えながらも、それ以上はエンツォに踏み込ませなかった。
まだ、会話を優先させたいのだ。
「どういうことだい?」
「だって、考えてもみて、エンツォ。私達を見捨てるつもりなら、一万の軍さえ送る必要が無いのよ」
「建前、じゃないかな」
「建前?」
「ああ、軍は送る。しかし結果として間に合わず、ウルド軍は壊滅。それでノイタールが陥落したとなれば――リュミドール陛下は西側の盟主として、一応の面目は保てるだろう?」
肩を竦め、エンツォは寝台に身を沈める。それから、もう一言。
「ま、悲観的に考えれば――という話さ。だとすれば、確かにウィリス・ミラーは私達にとって、不可欠な存在になるね」
ネイにその気が無いのなら眠った方がいいだろう、明日も早いのだから。
そう思ってエンツォは、瞼を閉じる。
「それは、ちょっと辛いわね。せめて一万でも、今は欲しいわ。って――エンツォ、あなた、寝ないでよッ!」
言いながら、ネイがエンツォに抱きついた。
「なんだい?」
「それに私ね、あの子が気に入ったのよ。本当に」
「ああ、ローザリアのことかい? 確かに真っ直ぐで良い子だ。彼女が成長したら、ウチのリーネを導いて貰いたいね」
「でしょう」
エンツォとネイは抱き合い、笑い合った。
「だけどその前に、エンツォ。リーネには、弟が必要だと思わないかしら?」
「私は、妹でも構わないよ」
「私は、このウルドをもっともっと、強くしたいのよ。だから、男の子がいいの」
「――流石は、“烈火の魔女”だね。仰せに従いますとも」
「あら、あら? 今日は妙に素直なのですね? 私の魔術師どのは――」
二人の夜は、こうして更けて行く。
――――
ウルド公ネイとエンツォが火急の報を受け取ったのは、未明のことであった。
二人が家族を増やすべく行った儀式の火照りが、未だ覚めやらぬ頃である。
「――何事かな?」
物音に反応して、先に目を覚ましたのはエンツォだった。
上半身だけを起こし、寝台の下で跪く部下に声を掛ける。
「カラード軍が、大挙して侵攻中とのこと。その数、およそ一万です」
「それは、困ったね……」
後ろでネイが目を覚まし、眠そうに目を擦っていた。
彼女は掛け布で半身を覆い、兵士を見据えている。
「ドレストス男爵に伝えなさい。あなたの領地が危ない、と」
「ぎ、御意。ですがドレストスどのの下にも、現地から使者が到着しております」
「あら。流石に傭兵団のまとめ役というだけのことは、あるわね」
夜も明けきらぬうちから、エンツォとネイは起き出し、防戦の準備に奔走する。
まだ暫く彼等の、ゆっくり眠れる日々は戻りそうも無かった。
◆◆
急ぎ報告に来た団員をウルド公に託し、ウィリスとローザリアは一路、クレイモアへと向かった。
一万の軍が山中を進軍してくるなら、一週間は掛かるはずだ。
ならば敵の到達までに、多少の時間的有余はある。
馬を飛ばしながら、ローザリアはウィリスに話しかけた。
「ウィルは確か、カラードの敵将と会ったことがあると言っていたな!?」
「ああ。昔、カラードの公都を落としたとき、先陣を切ったのは俺だからな」
「今のカラード公ディエゴとは、どのような男だ!?」
「父の命と引き換えに国を売った、狡猾な男だ。それに正確に言えば、ヤツは侯爵であって公ではない。グラニアの爵位は、それほど安くないからな。しかし――」
「しかし?」
「知恵は回る。ヤツはグラニアに降った後、フィヨルド、ルイード、ウルドの三公国のそれぞれと戦い、一度も敗れていない」
「……となると、今回は貴様の不在をついてきた――と見るべきだろうな」
「俺にそこまでの価値など――」
「あるッ! 貴様の価値は、一国に冠絶するッ! 気付け、愚か者めッ!」
――――
ウィリスとローザリアがクレイモア砦に到着したのは、二日後の夕刻であった。
通常は六日掛かる道程を、彼等はたった二日で踏破したことになる。驚異的な速度だ。
しかしそれでも、状況は間一髪といったところ。
クレイモア砦に入ったローザリアは、ウルド公爵に貰った叙勲章を見せて、さっそく全軍を指揮下においた。守将であるモートンは驚いた素振りも見せず、彼女を主君と認めている。
「して、ドレストス男爵。如何いたします?」
敵は既に見える範囲にいた。
砦の望楼からは、敵の煮炊きの煙が立ち上る様が見える。まるで雲が出来そうな程だ。
モートンは夕闇の迫る空に立ち上った煙を見て、「ざっと一万です」と言う。
「聞いていた通りだ。策は道中で考えた」
ローザリアが口角をつり上げ、ニヤリと笑った。
既に周囲には、傭兵団の幹部達も揃っている。
望楼で立ったままだが、臨時の軍議を行うことにした。
といっても、この期に及んでの選択肢は三しかない。
戦うか、退くか、降伏するか――。
単純だ。軍議が紛糾する訳も無い。
また、ローザリアは紛糾させるつもりもなかった。
だが問題は、騎士と傭兵の価値観の相違。
傭兵は命と金を、最も大切にする。負けるくらいなら降伏するし、あっさりと逃げ出しもした。
だが騎士は命令が無ければ、退くことも降伏することも叶わない。
ここが適切な要塞であれば、四千対一万。勝機もあろう。
しかし、この砦に四千人は収容出来ず、完璧な拠点とはなり得ない。
加えて四千といっても、混成部隊だ。
統率のとれた行動など、望むべくもない。
皆、ローザリアが口を開くのを待っていた。
徐々に、不安が高まって行く。
いつものローザリアなら、「戦う」と言い出すだろう、と。
しかし彼女は、今回に限り無茶を言わなかった。
「正規兵、傭兵団ともども、レギナ・レナまで退く――ただし」
皆が、ホッと息を吐いた。だが「ただし」とは何であろう。
傭兵達の中で、不安が募る。
命を助ける代わりに、報奨金は出さない――とでも言われそうで恐かった。
三百人程度の傭兵を率いる団長が、皆を代表してローザリアに問う。
「ただし、なんだ?」
「ただし、糧食を全て持って行く。さあ、急げッ! 急げッ! 尻尾を巻いて、逃げるのだッ!」
拳を振り上げ、楽しそうにローザリアが言った。
皆が唖然としている。状況に追いつけない。
そして、不安げに顔を見合わせていた。
「逃げて、どうするんだ!?」
「おい、俺達の報奨金は?」
「まさか糧食が報賞ってんじゃ、ねぇだろうなッ!」
ローザリアが拳を振り上げたまま、キョトンとしている。
これで全て、伝わると思ったのだ。
だが、駄目だった。
優れた才能というのは、時として常人には理解されがたい。
ましてや傭兵達にとって大切なものは、金と命だ。
負け戦となれば、両方を失いかねない。
ウィリスがここで、説明不足な彼女に代わり、口を開いた。
ここで傭兵達に手を引かれては、本当に負けてしまう。彼も必死である。
「この砦に四千もの兵は入らない。しかしレギナ・レナなら城壁も高く、容易くは落ちないだろう」
「じゃあ、本当に戦わずに逃げちまうのか?」
「いや、ウルド公は隣国ルイードに、援軍を要請しておられる。その到着まで持ち堪える為にも、レギナ・レナまで退く方が得策なのだ」
ウィリスの言葉に、ローザリアが頷いていた。
ウィリスは不安顔の皆の背中を叩いて回り、士気を鼓舞している。
「負けやしない、勝つ為だッ!」
もっとも、ウィリスとローザリアの二人は、援軍など期待していなかった。
けれど、そのことを伝えれば、皆の士気が下がる。特に傭兵の士気だ。
彼等は負け戦さともなれば、平然と敵に寝返る。そうさせない為の策だった。
鉄血騎兵は去らないとしても、残りの二千六百余りの兵が去れば、戦線を維持するのは難しい。
その為にも、二人はレギナ・レナまで戦線を後退させることにしたのだ。
「本当だな?じゃあ、俺達は負けないんだな?」
「当然だ。勝つ為に退く――さあ、急げッ! ただし、気取られるなよッ!」
ウィリスの力強い声に、皆が勇気を取り戻した。
あのウィリス・ミラーが言う事なのだから、と。
――――
ローザリア達は夜になるのを待って、撤退を開始した。
傭兵達は手慣れたもので、蜘蛛の子を散らすように大半が消え失せている。
場合によってはレギナ・レナに着いても、姿を見せない者もいるだろう。
それも、多少は織り込み済みだ。
「篝火は盛大に焚け! 最後まで残る者は、騒ぎまくれよッ! 酒も、あるだけ飲んでいい! ただし、必ず生きて、また会おうッ!」
そう言って、ローザリアはウィリスの顔を見上げた。
ここに最後まで残るのは、誰あろう、ウィリス・ミラーだからである。
数時間前、ローザリアはウィリスに申し訳なさそうに言った。
「ウィル。敵は確かに全軍だ。となれば、ここはやはり勝利を確実にする為にも、カラードの公都を攻めよう。だが、その――」
「公都ラエンカを……どの程度の兵数で、何を目的にする?」
ウィリスは顎に指を当て、かつて攻めた都に思いを馳せる。
街全体を壁で囲った、平地にある城塞都市だ。
人口は二万とノイタールよりも少ないのは、壁の中の面積によるところが大きい。
といっても周辺の村々を合わせれば、人口も五万には達するだろう。
攻め易いかと言われれば、否。
全方位に万全の防備がある。
しかしそれも、扱う者がいてこその防備。
全軍がここに集結している今ならば、たとえ千でも陥落させることが出来るだろう。
もっとも今のローザリア軍には、その千を捻出することも出来ないのだが……。
だから目的は、自ずと限られる。
ローザリアは真っ直ぐにウィリスを見上げ、懇願した。
「敵の物資を焼き、補給を困難にさせるのが目的だ。可能なら鉄血騎兵だけで、やりたい。いや――やらねばならん。ここで勝たねば、傭兵連合が瓦解するだろう。そうなっては勝負にもならん」
「なるほどな」
「だが、私はレギナ・レナで防戦の指揮を執るつもりだ。だからウィル、やってくれんか?」
「鉄血騎兵の四百で、か?」
「ああ。お前は私の、唯一の騎士だ。お前しかいない」
「断る」
ウィリスは頬を指で掻き、目を逸らした。
「なっ! わ、私だって、貴様と離れたくなど……ないッ!」
最大限に都合良くウィリスの言葉を解釈したローザリアが、頬を真っ赤に染めている。
「いや。そういう意味ではなく――四百もいらん。俺の突撃隊、五十で十分だ」
「なっ……! 無茶を言うなッ!」
突っかかってくるローザリアの頭を片手で抑え、ウィリスが笑った。
「物資を焼くなら、忍び込む方が良い。なら、数が少ない方が好都合だ」
「……でも危険だし心配だッ!」
「それを言うなら、レギナ・レナの指揮を執るローザ、お前の方が俺は心配だ。せめて、子飼の鉄血騎兵を残してやりたい」
「そんな……私のことなど、心配せずとも良いのに……」
ローザリアは輝く星空の下、瞼を閉じて唇を突き出した。
二人はちょうど天幕の外、他人からは見えない位置に立っている。
暫しの別れ――これにはきっと、キスが必要だ。ローザリアは、今日も頑張っていた。
しかしウィリスはローザリアの頭に手を乗せ、「タコの真似か? 美人が台無しだぞ」と言っている。
「子供扱いするなッ!」
「冗談だ」
苦笑したウィリスは、次に片膝を付く。
「我は男爵閣下の忠実なる剣なれば、こたびの任、是非にもご下命を賜りたく存ずる」
ウィリスの表情は、将軍時代のそれと同じであった。
ローザリアはハッとして頷き、手をウィリスの頭上に翳し、命令を下す。
「騎士ウィリス・ミラーに、私、ローザリア・ドレストスが命ずる。カラードの公都ラエンカへ赴き、物資を破壊せしめて敵軍の戦意を挫けッ! もって戦さの早期決着を図るッ!」
「御意ッ!」
このとき、ローザリアは初めて君主としての命令を下した。
以後、幾人もの騎士や武将に命令を下すこととなる彼女だが――初めてウィリスに下した命令は、生涯、忘れることが無かったという。
――――
ローザリア達が砦を去った後、ウィリスは朝方まで部下達に騒がせた。
味方の姿が見えなくなると、自らも突撃隊を率いて砦を出る。
夜が明ける前に、山へと急がなければならない。
ウィリスは山に入ると、ようやく部隊の目的を皆に告げた。
「ラエンカに入り、物資を焼くぞ。これから俺達は、盗賊だ」
五十名の突撃隊は、これからの任務を聞いて高揚する。
盗賊と言っても、勝利の要と言える役割だ。
突撃隊に相応しい仕事だと言える。
勝って帰れば、まさに英雄であった。
「「おおーっ!」」
だが、そこに何故か、ウィリスに文句を言う人物がいる。
「し、信じられないッ! そりゃ私、副官でしたよッ!? でもね、これは拉致です、監禁ですッ! おかしいでしょう、こんなのッ! どうして布で、ぐるぐる巻きにされてるんですか、私ッ! そりゃ騒ぎましたよッ! だってお酒、好きですもんッ! でも、寝てる間にこりゃあ無いでしょうッ! ねえ、閣下! 聞いてますかッ! ほっとくと私、失禁しますからねッ! 昨日、飲み過ぎたんですからッ! さあ、はやく解いて下さいッ!」
それはウィリスの小脇に抱えられたポンコツ森人の、サラ・クインシーであった。
「サラ、起きたか。縛って悪かった。お前の力が今回は、どうしても必要なんだ」
「えっ? それって……閣下には、やはり私が必要なんですね? いいえ、みなまで言わずとも結構です。このサラ・クインシー。閣下の愛に、今こそ応える時ですわッ! ……で、何をやれば?」
ウィリスの脇で頭と足を上下に揺らす森の民は、今日も元気にポンコツである。
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目標の50位まで、もうちょっとです!(ひぃひぃ言ってます……
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