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2 追放

 ◆


 黒衣黒甲を奪われたウィリス・ミラーは牢の隅にある寝台に座り、頭を抱えて踞っている。

 不死兵アタナトイ不死兵アタナトイである理由は、黒い装備があればこそ——。


 死を恐れぬ勇猛果敢な戦さぶりで、他国を恐れさせた不死兵アタナトイ。彼等が漆黒の装備を身に纏う理由わけは、相応のモノがある。

 それは、『黒い装備を身に着けなければ、恐怖心を克服出来ない』のだ。云うなれば、魔導師達が課した制御装置である。

 もちろん個体差はあり、元が勇猛な者ならば、あまり効果はない。しかしウィリス・ミラーの場合、そうではなかった。


「……うぅ……俺……」


 ここは皇宮の地下牢で、今まで脱獄した者は皆無である。

 しかし、もしもウィリスを黒衣黒甲のまま閉じ込めたなら、「脱出されてしまうかもしれない」と考えたゲートリンゲンが、麻の上衣と七分丈のズボンを渡し、彼を裸で牢へ放り込んだのだ。

 

 牢番はむしろウィリスに同情的であったから、裸の彼を気の毒に見つめた。

 しかもその際、彼の身体にある無数の傷を見て、首を左右に振っている。「これが、長年帝国に貢献した男の末路」だと思えば、国に愛想も尽きると云うものだ。

 傷は腕、腹、背中と、何処を見てもあった。特に胸の傷が酷く、拳大の抉れた跡が残っている。


 もっとも、どれも戦場で付いた傷ではない。

 全ては人体実験をされていた頃、魔導師達に付けられたものだ。

 特に胸の傷は、彼の身体に魔石が埋め込まれている証拠でもあった。


 ともあれ、黒衣黒甲を奪われた帝国最強の男は、こうして気の弱い大男に変貌を遂げた次第である。


「はぁ〜……処刑かぁ……まぁ……当然だけど……ミシェル……幸せにしてあげられなくて、ごめん……」


 ボソボソと響く独り言に紛れるのは、“ジジ”という、松明に水滴が落ちた音だ。

 壁には等間隔で松明が掲げられ、仄かな明るさを牢内に齎している。

 ウィリスに敬意を払う牢番は、なるべく牢を見ないようにしていた。だから彼は一人、誰にも邪魔をされず、ひっそりと最後の瞬間を待っているのだ。

 

 ウィリスは壁の染みの中に、血で書かれた文字を見つけた。「地獄に堕ちろ」「呪ってやる」など、縁起でもない呪詛の言葉が書き連ねてある。

 おそらく前に入居していた人が書いたのであろうが、見ても気が滅入るばかりだった。


 大体において皇宮の牢など、権力闘争に敗れた皇族や高官が入ると相場が決まっている。そりゃあ、恨みつらみを書くだろう。

 だが、大半は自業自得だ。牢に入らなければ、逆に彼等は牢へ入れる側に回っていただろう。ただ自分に敵対したと云うだけの者を。

 ——ウィリスは首を左右に振った。


「俺は……誰と敵対したんだ……?」


 考えても、詮無いことであった。

 元奴隷であるウィリスの敵は、先帝が廃止した奴隷制を再び復活させた、帝国の現体制と言っても過言ではない。

 それに——ウィリスは自分が殺されても当然だ、と考えていた。


「——少なくとも、俺は負けた。五万の兵を無駄死にさせて……それなのに自分だけが生きていても、意味なんか無いさ……」


 もしも今、彼が黒衣黒甲を身に着けていれば、別の考え方もしただろう。


 そもそも負けたと言っても、イゾルデが率いる右翼軍を失い、乏しい物資をやりくりしつつ、七万の兵で十五万の大軍と戦ったのだ。

 ましてや戦死者の殆どは撤退戦の最中、物資の不足による餓死である。加えて言うなら、それでも残り二万の兵を整然と帰還せしめたウィリスは、類稀なる統率力を持っているのだ。

 

 むろん、これらの現実を直視出来る者も、少ないながら帝国にはいた。

 例えば彼に好意的である牢番を通して、そういった者に実情を訴えることも出来るだろう。 

 当然、ゲートリンゲン元帥にも敵はいるのだ。反皇帝派も、少数ながら存在する。

 従って薄氷の上を歩くようではあるが、起死回生の手段が絶無ではないのだ。

 

 けれど今の彼は、気のいいウドの大木に過ぎない。黒衣黒甲が無ければ、ウィリスには薄氷の上を歩く勇気など、湧いてくる訳が無いのだ。

 

 “コツコツ”“カツカツ”


 足音が聞こえる。二つの足音だ。一方が妙に軽い音だったので、ウィリスは興味を覚えた。少しだけ、頭を持ち上げる。

 

 揺れる篝火の炎を背に、女が格子の前に立った。影が揺らめき、ウィリスの鼻を撫でる。

 彼女の軽くウェーブの掛かった黄金色の髪から、牢に似つかわしく無い薔薇の香りが漂った。蒼い瞳は愉悦を含んでいるが——逆光の為、ウィリスには見えない。

 濃紺のドレスを身に着けた女は、腰に手を当て、自らの曲線を強調するようなポーズをとっていた。それは自身の美貌をまったく疑わない、大人の女のそれである。


 彼女こそ、ウィリス・ミラーの最も——いや、今となっては唯一愛する人だった。

 ミシェル・ララフィ・サーリスヴォルト。先帝にとっても皇帝にとっても妹である人物——そしてウィリス・ミラーの婚約者だ。


 ウィリスは立ち上がり、ゆっくりと歩いて格子の前に立つ。


「ミシェル……ごめん」

「なぜ、謝るのかしら?」

「だって、結婚の約束……果たせなくて」

「……」


 ウィリスは愛しいミシェルを見て、酷く落ち込んだ。彼女は何も言わない。代わりに、自分の目に涙が溜まってゆく。

 ミシェルは腕を組み、上下にゆっくりと顔を動かし、ウィリスの恰好を笑う。


「くっ、くくっ……無様ね——いいえ、相応しいと言えばいいのかしら?」


 冷ややかな声だ。ウィリスは思わず、身震いした。


「な……どういう意味?」

「どうもこうも……くくっ……あははっ」


 彼は戸惑い、格子に手を掛ける。そして彼女の名を呼んだ。


「ミシェル? ミシェル……どうしたんだ?」


 遅れて、男が現れた。彼はプラチナブロンドの長髪を背中で束ね、濃緑色の衣服を着ている。その肩には元帥であることを示す、深紅のマントを羽織っていた。

 このいかにも貴公子然とした姿は——ロウ・サム・ゲートリンゲン元帥である。

 彼は今年三十歳になるというが、見た目はウィリスよりも確実に若かった。


「それは、私から説明させて貰おう——ウィリス・ミラー元将軍」


 ゲートリンゲンはミシェルの肩を抱き、端整な鼻を掻きながら言う。

 彼は妙に赤い唇を歪めながら、表情に相反する申し訳なさそうな口調で説明を始めた。


「すまないがミシェル殿下は、私の婚約者ということに内定したのだ。それで過去の婚約者である君にも一応、報告をしたいとね……いや、私は止めたのだよ? いくらなんでも、これ以上の絶望を君に与えるなんて、そんな人にあるまじき……くは、くは、くはははっ……っと、失礼——ともかく、そういうことだ」

 

 ゲートリンゲンがミシェルの顔に、唇を近づける。

 ミシェルも、ゲートリンゲンのキスを笑顔で受け入れた。それどころか彼に向き合い、自らも唇を寄せる。

 二人はウィリスの前で、濃厚なキスを繰り返した。


「や、やめろ……なんで……なんでだ!」


 ウィリスの言葉で、ようやく二人の唇が離れてゆく。その間に、キラリとした粘液が糸を引いていた。


「妙な誤解を、されたくないからね……」


 ゲートリンゲンは勝ち誇った笑みを浮かべ、ミシェルの腰を抱いている。


「誤解……何の誤解を……」


 ウィリスは両膝を床に落とし、嗚咽を漏らしていた。

 ポタポタと、床が涙で濡れてゆく。


「ミシェルの心が——永遠に君のものだという誤解さ」

「……これから死ぬ俺に……僅かの希望も残さないと……そういうことか……?」


 ウィリスの問いに答えたのは、再び目の前で交わされる二人の口づけだった。


 どれほどの時間が過ぎただろう。ウィリスは、呆然としている。

 蔑むような四つの視線が、頭上に注がれていた。

 

「……やく……早く……殺してくれ……もう……生きていたくない……」


 頬を伝う涙も構わず、ウィリスは呟いた。

 彼の耳には、去って行く二つの足音が響く。“カツカツ、コツコツ”と。


 三日後——ウィリス・ミラーに対する沙汰が下される。「財産没収の上、国外追放」だった。

 死という最後の希望すら、彼には叶えられなかったのである。

お読み頂き、ありがとうございます。

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