2 追放
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黒衣黒甲を奪われたウィリス・ミラーは牢の隅にある寝台に座り、頭を抱えて踞っている。
不死兵が不死兵である理由は、黒い装備があればこそ——。
死を恐れぬ勇猛果敢な戦さぶりで、他国を恐れさせた不死兵。彼等が漆黒の装備を身に纏う理由は、相応のモノがある。
それは、『黒い装備を身に着けなければ、恐怖心を克服出来ない』のだ。云うなれば、魔導師達が課した制御装置である。
もちろん個体差はあり、元が勇猛な者ならば、あまり効果はない。しかしウィリス・ミラーの場合、そうではなかった。
「……うぅ……俺……」
ここは皇宮の地下牢で、今まで脱獄した者は皆無である。
しかし、もしもウィリスを黒衣黒甲のまま閉じ込めたなら、「脱出されてしまうかもしれない」と考えたゲートリンゲンが、麻の上衣と七分丈のズボンを渡し、彼を裸で牢へ放り込んだのだ。
牢番はむしろウィリスに同情的であったから、裸の彼を気の毒に見つめた。
しかもその際、彼の身体にある無数の傷を見て、首を左右に振っている。「これが、長年帝国に貢献した男の末路」だと思えば、国に愛想も尽きると云うものだ。
傷は腕、腹、背中と、何処を見てもあった。特に胸の傷が酷く、拳大の抉れた跡が残っている。
もっとも、どれも戦場で付いた傷ではない。
全ては人体実験をされていた頃、魔導師達に付けられたものだ。
特に胸の傷は、彼の身体に魔石が埋め込まれている証拠でもあった。
ともあれ、黒衣黒甲を奪われた帝国最強の男は、こうして気の弱い大男に変貌を遂げた次第である。
「はぁ〜……処刑かぁ……まぁ……当然だけど……ミシェル……幸せにしてあげられなくて、ごめん……」
ボソボソと響く独り言に紛れるのは、“ジジ”という、松明に水滴が落ちた音だ。
壁には等間隔で松明が掲げられ、仄かな明るさを牢内に齎している。
ウィリスに敬意を払う牢番は、なるべく牢を見ないようにしていた。だから彼は一人、誰にも邪魔をされず、ひっそりと最後の瞬間を待っているのだ。
ウィリスは壁の染みの中に、血で書かれた文字を見つけた。「地獄に堕ちろ」「呪ってやる」など、縁起でもない呪詛の言葉が書き連ねてある。
おそらく前に入居していた人が書いたのであろうが、見ても気が滅入るばかりだった。
大体において皇宮の牢など、権力闘争に敗れた皇族や高官が入ると相場が決まっている。そりゃあ、恨みつらみを書くだろう。
だが、大半は自業自得だ。牢に入らなければ、逆に彼等は牢へ入れる側に回っていただろう。ただ自分に敵対したと云うだけの者を。
——ウィリスは首を左右に振った。
「俺は……誰と敵対したんだ……?」
考えても、詮無いことであった。
元奴隷であるウィリスの敵は、先帝が廃止した奴隷制を再び復活させた、帝国の現体制と言っても過言ではない。
それに——ウィリスは自分が殺されても当然だ、と考えていた。
「——少なくとも、俺は負けた。五万の兵を無駄死にさせて……それなのに自分だけが生きていても、意味なんか無いさ……」
もしも今、彼が黒衣黒甲を身に着けていれば、別の考え方もしただろう。
そもそも負けたと言っても、イゾルデが率いる右翼軍を失い、乏しい物資をやりくりしつつ、七万の兵で十五万の大軍と戦ったのだ。
ましてや戦死者の殆どは撤退戦の最中、物資の不足による餓死である。加えて言うなら、それでも残り二万の兵を整然と帰還せしめたウィリスは、類稀なる統率力を持っているのだ。
むろん、これらの現実を直視出来る者も、少ないながら帝国にはいた。
例えば彼に好意的である牢番を通して、そういった者に実情を訴えることも出来るだろう。
当然、ゲートリンゲン元帥にも敵はいるのだ。反皇帝派も、少数ながら存在する。
従って薄氷の上を歩くようではあるが、起死回生の手段が絶無ではないのだ。
けれど今の彼は、気のいいウドの大木に過ぎない。黒衣黒甲が無ければ、ウィリスには薄氷の上を歩く勇気など、湧いてくる訳が無いのだ。
“コツコツ”“カツカツ”
足音が聞こえる。二つの足音だ。一方が妙に軽い音だったので、ウィリスは興味を覚えた。少しだけ、頭を持ち上げる。
揺れる篝火の炎を背に、女が格子の前に立った。影が揺らめき、ウィリスの鼻を撫でる。
彼女の軽くウェーブの掛かった黄金色の髪から、牢に似つかわしく無い薔薇の香りが漂った。蒼い瞳は愉悦を含んでいるが——逆光の為、ウィリスには見えない。
濃紺のドレスを身に着けた女は、腰に手を当て、自らの曲線を強調するようなポーズをとっていた。それは自身の美貌をまったく疑わない、大人の女のそれである。
彼女こそ、ウィリス・ミラーの最も——いや、今となっては唯一愛する人だった。
ミシェル・ララフィ・サーリスヴォルト。先帝にとっても皇帝にとっても妹である人物——そしてウィリス・ミラーの婚約者だ。
ウィリスは立ち上がり、ゆっくりと歩いて格子の前に立つ。
「ミシェル……ごめん」
「なぜ、謝るのかしら?」
「だって、結婚の約束……果たせなくて」
「……」
ウィリスは愛しいミシェルを見て、酷く落ち込んだ。彼女は何も言わない。代わりに、自分の目に涙が溜まってゆく。
ミシェルは腕を組み、上下にゆっくりと顔を動かし、ウィリスの恰好を笑う。
「くっ、くくっ……無様ね——いいえ、相応しいと言えばいいのかしら?」
冷ややかな声だ。ウィリスは思わず、身震いした。
「な……どういう意味?」
「どうもこうも……くくっ……あははっ」
彼は戸惑い、格子に手を掛ける。そして彼女の名を呼んだ。
「ミシェル? ミシェル……どうしたんだ?」
遅れて、男が現れた。彼はプラチナブロンドの長髪を背中で束ね、濃緑色の衣服を着ている。その肩には元帥であることを示す、深紅のマントを羽織っていた。
このいかにも貴公子然とした姿は——ロウ・サム・ゲートリンゲン元帥である。
彼は今年三十歳になるというが、見た目はウィリスよりも確実に若かった。
「それは、私から説明させて貰おう——ウィリス・ミラー元将軍」
ゲートリンゲンはミシェルの肩を抱き、端整な鼻を掻きながら言う。
彼は妙に赤い唇を歪めながら、表情に相反する申し訳なさそうな口調で説明を始めた。
「すまないがミシェル殿下は、私の婚約者ということに内定したのだ。それで過去の婚約者である君にも一応、報告をしたいとね……いや、私は止めたのだよ? いくらなんでも、これ以上の絶望を君に与えるなんて、そんな人にあるまじき……くは、くは、くはははっ……っと、失礼——ともかく、そういうことだ」
ゲートリンゲンがミシェルの顔に、唇を近づける。
ミシェルも、ゲートリンゲンのキスを笑顔で受け入れた。それどころか彼に向き合い、自らも唇を寄せる。
二人はウィリスの前で、濃厚なキスを繰り返した。
「や、やめろ……なんで……なんでだ!」
ウィリスの言葉で、ようやく二人の唇が離れてゆく。その間に、キラリとした粘液が糸を引いていた。
「妙な誤解を、されたくないからね……」
ゲートリンゲンは勝ち誇った笑みを浮かべ、ミシェルの腰を抱いている。
「誤解……何の誤解を……」
ウィリスは両膝を床に落とし、嗚咽を漏らしていた。
ポタポタと、床が涙で濡れてゆく。
「ミシェルの心が——永遠に君のものだという誤解さ」
「……これから死ぬ俺に……僅かの希望も残さないと……そういうことか……?」
ウィリスの問いに答えたのは、再び目の前で交わされる二人の口づけだった。
どれほどの時間が過ぎただろう。ウィリスは、呆然としている。
蔑むような四つの視線が、頭上に注がれていた。
「……やく……早く……殺してくれ……もう……生きていたくない……」
頬を伝う涙も構わず、ウィリスは呟いた。
彼の耳には、去って行く二つの足音が響く。“カツカツ、コツコツ”と。
三日後——ウィリス・ミラーに対する沙汰が下される。「財産没収の上、国外追放」だった。
死という最後の希望すら、彼には叶えられなかったのである。
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