19 ドゥ・イーター
◆
山中は初夏の草花が咲き乱れ、蒸し暑ささえ感じさせる。
砦が煙に包まれてから、はや三時間弱。太陽は中天に達していた。
ウィリスは今、突撃隊を率い、山腹の砦に程近い茂みに身を伏せている。
側で馬が、頭を振っていた。轡に付けた布が煩わしいのだろう。
けれど、これが無ければ馬の嗎で、敵に気取られる恐れがあった。
ローザリアの策は、周到だ。
行軍中、夜襲でも良いのではないかとウィリスはローザリアに提案している。
しかし彼女は、あっさりと却下した。
理由は、同士討ちをしない為である。
彼女は真顔で、「誰一人死なせぬ」と言っていた。
当初ウィリスは釈然としなかったが、今、伏せている辺りを見れば、なるほどと思わざるを得ない。
これだけ草木の茂みが深ければ、昼間でも十分に身を隠せるのだから。
彼女は十分に、地形を調査していたのである。
「俺はローザリアの剣……か」
ウィリスは呟き、己の剣に手を添えた。自然と笑みが漏れる。
イラペトラ帝に仕えていたころは、彼以外の主君など有り得なかった。
なのに彼は早々と死に、自らは生きている。
ウィリスは、それ事態が苦しかったのかもしれない。
病に倒れたイラペトラと、代われるものなら代わりたいと願った。
けれど願いは虚しく、ウィリスは持ち主を亡くした剣となったのだ。
その後のことは――今思えば、著しく精彩を欠いていた。
自らの拠り所を、ミシェルだけに求めていたからだろう。
せめてウィリスは彼女の盾たらんとしたが、そこに隙が生じていたに違いない。
刃の欠けた剣など、誰が恐れるものか……。
ウィリスにとっては、誰かの剣である事も重要だったのだ。
剣には、それを使い、研ぐ、持ち主が必要不可欠なのである。
迷走していたウィリスの心は、剣たる自分の持ち主を得て、ようやく定まった。
新たなる剣の主も、イラペトラに勝るとも劣らない軍略家だ。
ウィリスの心が喜びにうち震えるのも、それは当然のことであった。
それにしても、暑い――。
背の高い草や木々は、兵や馬を隠すには役立った。
その代わり風も遮るので、太陽の角度と共に、蒸し暑さが増して行く。
ウィリスは喉の乾きを覚え、水筒に口をつける。水も、温くなっていた。
その時だ――。
“ドドドドドドドドド”
馬蹄の轟きが聞こえた。ウィリスは目を凝らす。
どうやら二番、三番隊を追い、みごと防壁隊に蹴散らされた敵の騎馬隊が戻ってきたらしい。
ウィリスは眼前を走る騎兵に目をやりつつ、タイミングを計った。
周囲にいる彼の部下達も、緊張した面持ちで命令を待っている。
現在、元将軍であるウィリス・ミラーの部下は五十名ほど。
グラニア帝国軍であれば、士卒長が率いる程度の数だ。
だからウィリスは、士卒長であった「あの頃」を思い出していた。
敵と戦い、打ち破り、生き残るだけの日々に、ただ絶望していた頃のことを……。
生きることなど、何の価値もない。死ぬ為に作られた兵士“不死兵”。
死ぬことだけが解放で、生き残ればまた、次の戦場が待っている。
生きることを放棄しているのに、死ぬことも出来ない兵士だった自分。
その絶望を変えてくれたのが、イラペトラとミシェルだった。
彼等の為に生きることが、ウィリスの希望になったのだ。
けれどイラペトラは死に、ミシェルを失った。
だからウィリスの絶望は、最初よりも深かったのだ。
そこに、ローザリア・ドレストスが現れた。
彼女は全てを手に入れんと欲し、ウィリスの人生もまた、取り戻してくれたのだ。
まして、ミシェルのことまでも……。
――――
味方の二番、三番隊の騎兵が、敵を追う姿を見た。
被害を出さない為、申し訳程度の追撃と最初から決めている。
だが幸い、敵がそのことに気付くことはなかったらしい。
サリフとアリシアの演技力は、なかなかのものだった。
彼等の戦い方も、堂に入ったものだとウィリスは思う。
少なくとも帝国軍の百人長程度ならば、しっかりと務まりそうだ。
砦の門が開く。
「急げッ! 敵が来るぞッ!」
「煙は!?」
「収まっている!」
「あれは我らを誘き寄せる罠だったッ!」
カラード軍の怒号が飛び交っている。
「だが、全滅は免れた! 使者を出せッ! 援軍を呼べッ!」
緊張の中、僅かの弛緩。
罠がこれで終ったと、敵は油断している。
騎兵達も後一歩で助かると、握る手綱を少しだけ緩めた。
「突撃隊、騎乗ッ! 出るぞッ!」
ウィリスの号令とともに突撃兵五十名が一斉に騎乗し、敵に襲い掛かる。
絶妙のタイミングだ。
皆、砦の門に殺到した。
別の場所で見ていたローザリアも、快哉を叫んでいる。
「ウィルッ! 流石だッ! やはり我らは以心伝心ッ! 心が繋がっておるッ!」
戻る騎兵は狼狽え、砦を守る歩兵は門を閉めるべきかと、左右往生していた。
結論から言えば、門は閉めるべきだったのだ。
だが――敵味方の入り乱れた状態で、門を守る兵達には判断が出来ない。
歩兵が指揮官に訪ねようとした時――。
馬に跨がる巨躯の男が、槍を振るって指揮官の身体を貫いた。
鎧ごと身体を貫かれた指揮官を見て、歩兵達は戦意を喪失する。
相手は、ウィリス・ミラーだった。
ウィリスは門を守る指揮官を貫くと、槍に掛けて掲げ、振りかぶって敵兵へ投げつける。
一瞬にして、敵兵が凍り付いた。
「化け物がいる――」
戦場に蔓延した敗色の空気は、そうそう晴れるものではない。
突撃隊の士気は上がり、敵の士気は消沈する。
戦場にウィリスが存在するだけで、このような効果があった。
【コロセ、コロセ、コロセ】
ウィリスの中で、魔石が叫ぶ。血と泥濘の匂いが、彼を高揚させた。
視線に入る敵を次々と貫き、斬り裂き、破砕する。
ウィリスの馬は止まらず、砦の中程にまで到達した。
既に後方では、ローザリアの本隊も突入を果たしている。
――――
「行くぞッ!」
ローザリアも抜剣し、本隊を率いて砦に入った。
もはや門は、開かれたままだ。
彼女は徒歩で、砦の中を進んで行く。
ローザリアの剣技が冴え渡る。
彼女が白刃を振るうたび、敵は鮮血を吹き上げ倒れ伏す。
走り、斬り、飛ぶ。そして彼女は、叫んでいた。
「降伏したき者は武器を捨てよッ! 我らは鉄血騎兵ッ! 金にならぬ戦さはせぬッ! 身代金を払うなら、貴様等の命は保証するッ! 払えぬ者は、私の部下になれッ! 強ければ、稼がせてやるぞッ!」
それから左右を確認し、ローザリアは味方の損害を確かめる。
「サラッ!」
「ここにいます」
ローザリアの側で、無駄に重武装の森人が弓を振るう。
それは敵を殴るものではなく、矢を番えて射るものだと、側にいるシェリルは思っていた。
「損害は?」
「死傷者はいません」
サラは攻撃性魔術など、派手な魔術を一切仕えないが、世間一般で微妙と云われる魔術なら、いくつか使えた。
今日も“識別標識”という魔術で『鉄血騎兵』全員を把握し、その生存確認に利用している。
これは最大千人まで識別出来るので、まだまだ役に立つだろう。
さらに人員が増えたなら、魔術師団を編成するのも良いとローザリアは考えていた。
シェリルは森人らしく、様々な魔法を駆使して戦っている。
「絡めとれッ!」
大地に芽吹いた植物を巨大化させて、敵の足を絡めとる。
そこへ味方の兵士が襲い掛かり、トドメを刺していた。
若い兵士が親指を立てて、シェリルに片目を瞑る。
レントンだった。
シェリルは微笑を浮かべて、彼に肉体強化の魔法を施している。
「風と大地の加護があらんことを……」
彼女は誰にでも優しいから、慇懃無礼なサラよりも人気があった。
ローザリアは敵の返り血を浴びながら、先を行くウィリスの後ろ姿を見る。
馬上で、同じく黒衣黒甲の男と対峙しているようだ。
おそらくアレが、ヴァレリーを討ち取ったという相手だろう。
立ち上る殺伐としたオーラが、ローザリアの胸を締め付けた。
しかし――ここはウィリスを信じるしかない。
「門を確保せよッ!」
ローザリアの命令は、忠実に守られた。
砦の門は確保され、開かれたままとなる。
サリフとアリシアも砦へ突入し、戦さの形勢は完全に決まった。
――――
「降伏するか?」
眼光に凶暴さを滲ませて、ウィリスが眼前の男を睨む。
目の前の男も黒衣黒甲だ。
しかし兜の面頬を降ろしている為、ウィリスには相手の表情が分からない。
一方のウィリスは、兜を被らない黒衣黒甲である。
「ウィリス・ミラー。一度、殺り合ってみたいと思っていた」
馬上の男が、胸元に手を翳す。
「殻門、完全解放――」
ウィリスは微動だにしない。だが刹那、敵の槍が迫る。
ウィリスの側にいた不死兵が、左右から二本の槍を突き出し、敵の攻撃を弾く。
“ギィィィン”
「どけ、出来損ないども……」
二人の部下が、同時に弾き飛ばされる。
「ドゥ・イーターだな?」
別の二人が左右からはさみ、槍を突き付けて問う。
「……お前等、なんだ? その男を殺しに行って、飼いならされたのか?」
相手の声が、震えていた。苦しそうな声だ。
鎧の隙間から、シュウシュウと不穏な音が聞こえる。
それだけではなく、湯気のようなものも漏れていた。
ウィリスには、それが何であるか理解できる。
ああなるから、殻門の完全解放などしないのだ。
恐らく今、あの男の肌は焼けただれているだろう。
いわゆる「狂化」だ。
「下がっていろ。“通常兵”は邪魔だ」
二人は頷き、ドゥ・イーターから離れた。
ウィリスは槍を頭上で一振り、そして構える。
「ウオオオオオォォォアアアアアアッ!」
ウィリスは吠え、馬腹を蹴った。
頭上から槍を振り下す。それは敵の頭蓋を砕くに十分な一撃だ。
しかしドゥ・イーターが槍を翳し、受け止める。
大地が拉げ、馬の足が折れた。が――本人は平然としている。
馬を捨て、ドゥ・イーターが駆けた。
馬よりも早い。
ウィリスは咄嗟に飛び、空中で身体を一回転させた。
鞍上で槍先が空を切り、“ボンッ”という音が弾ける。
「舐めて……いるのか? 殻門……開放をしろ」
「貴様がヴァレリーよりも強ければ、解放してやる」
互いに、槍を捨てた。
剣が鞘を走り、閃光となってぶつかる。
激しい剣のぶつかり合いは、無数の火花を生み出した。
やがて周囲に人が集まり、激しい一騎打ちに皆が息を飲む。
三十合、四十合と撃ち合ううち、ドゥ・イーターの息が上がってきた。
「やはり貴様は血煙のヴァレリー……その全盛期に遠く及ばん」
ウィリスの言葉に、ドゥ・イーターは答えない。
ただ、砕かれた兜の隙間から、恨めしそうな目を覗かせるだけだ。
その瞳は、割られた額から零れる血で、赤く滲んでいる。
「なぜ、力を使わない……」
「ヴァレリーの弔いだからな。人として、貴様に勝たねば意味がない」
「グヌォォォオオオオオオオ!」
ドゥ・イーターは吠え、ウィリスに飛び掛かる。
夕闇に染まる砦の中、中空で胸を貫かれたドゥ・イーターの姿。
ウィリスは半身で彼の攻撃をかわし、突き出した剣で、その心臓を貫いた。
ドゥ・イーターは最後まで、所属も名前も名乗らなかった。
その名は、ウィリスの部下が口にしただけである。
赤黒く爛れたドゥ・イーターの顔からは、不死兵の悲哀が伝わってきた。
ウィリスは試作。おそらくドゥ・イーターは、彼を下敷きにして作られた者だろう。
不利な戦場に送られ、降伏も出来ず、彼は使い捨てにされた。
不死兵の、お決まりの末路である。
ウィリスは彼の死体を地面に降ろすと、皆を振り返った。
既に砦は制圧されて、残る敵はドゥ・イーターだけだったらしい。
レントンが、ウィリスの側に駆け寄ってきた。
「ありがとう、ありがとうございますッ! これで団長も報われるッ!」
ウィリスは剣を大地に突き刺して、レントンの頭を撫でる。
「ヴァレリーは、この男と堂々と戦ったのだろう? やはり、強かったのだな……お前の親父は、偉大な男だった」
レントンは涙で顔をグシャグシャにしながら、ウィリスの言葉に頷いていた。
――――
その頃、ウルドの南に位置するミリタリアにおける反乱が、一先ずは鎮圧された。
これにより、同地に駐屯していたグラニア軍が北上――ウルドとの国境線に軍を展開させる。
その数、凡そ二万。
ウルド公ネイは、この知らせを受け方針を変更。公都防衛のため、クレイモア砦への派兵を中止した。
つまりウィリス達は現有戦力をもって、カラード軍の総力と戦う羽目に陥った訳だ。
一万対四千五百――兵力差は実に二倍。
しかも、ローザリアが完全な指揮権を有していない状態だ。
『鉄血騎兵』は勝利の美酒に酔いしれる間もなく、次の行動に移らねばならない。
稀代の用兵家ローザリア・ドレストス。
彼女は歴史の表舞台に登場するや、いきなりの苦難に見舞われるのであった。
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