15 鉄血騎兵
◆
晴れ渡った青空が広がり、鳥達がさえずって。
山脈からの雪解け水が、サラサラと河を流れ行く。
水面は陽光を反射してキラキラと輝き、春の恵みを讃えていた。
野山の雪は、もう大部分が消えている。
さあ、戦争の季節だ。
心機一転、ウィリス達『鉄血騎兵』は砦の側で陣を敷く。
いよいよ、今年の仕事が始まりを迎える……はずだった。
「こりゃ、派手にやられたなぁ」
額に手を翳し、ウィリスが呟く。
彼の視線の先では焼け焦げた砦の門が、だらしなく口を開けていた。
「たった百騎にやられたそうだ」
ローザリアが呆れたように言う。
彼女の頬は膨らみが多少取れて、微量だが大人の雰囲気を醸し出していた。
その肉が胸へ移動したのだろうか。
以前よりは僅かばかり、ロザーリアの胸も自己主張をするようになっている。
急速に大人の階段を上るローザリアの姿は、ウィリスに戸惑いを覚えさせた。
例えば今も……。
絶世級の美女になりつつあるローザリアに上目遣いでジッと見られ、ウィリスは目のやり場に困っていた。
ウィリスとて男だ。と言ってイゾルデの気持ちにはまるで気付かなかったが――ローザリアの視線からは、ある種の感情を感じ取っていた。
「雪解け前だと、皆が油断していたからな……」
ウィリスは顎に指を当て、一人ごちる。あえてローザリアと視線を絡めない。
余計な感情を排除し、自身の思考に沈む為だ。
ローザリアは不満そうに、頬を膨らませる。
「敵は、戦さに馴れているようだ」
ウィリスはまた、呟いた。
自分が敵の指揮官でも、同じことをしただろう。
春の訪れを待てば、再び両軍の睨み合いだ。
それなら、その前に奇襲の一つも仕掛け、敵の士気を挫く。
実に正しい選択だ。
しかしそれは雪山を踏破し奇襲を仕掛け、風のように去って行く部隊があればこそ。
つまり敵には、虎の子の部隊があると見て間違いないだろう。
だが敵は、本当に山を往復したのだろうか? 嫌な予感がする。
もし山の中に敵の拠点があるとすれば――。
そこまで考え、ウィリスは頭を振った。
まさか雪の中、拠点を築ける訳が無い。
築くとすれば、それは雪の中に道を造り、資材を山中に運ぶ必要がある。
そこまでのことをするなら、冬の間も一万に近い人間が必要だろう。
もしもやるなら、何か意図がある。それは何か?
山中に砦があれば、自ずと国境線の警備は手厚くなるだろう。
ウルド軍は否応無く、この地に釘付けとなる。
だが、何の為に? どうせ戦争は始まるのだ。
「どうも情報が少ないな、分からん。いや――俺にイラペトラさまのような軍才が無いだけか……」
ウィリスは呟き、ポリポリと頭を掻いた。
ともあれ『鉄血騎兵』はうらぶれた砦の側に陣を構え、幹部達を集めて会議を開くこととなった。
幹部とは団長であるローザリアを中心として、アリシア、グラハム、サリフの三隊長にウィリス、それからサラとシェリルの七人だ。
アリシア、グラハム、サリフの三名がそれぞれ二十名ずつの兵を率いる隊長。
ウィリスが四人の不死隊を率いる、突撃隊長である。
残りは本隊としてローザリアの部隊に組み込まれていた。
もちろんローザリアの部隊は本営として、戦闘以外の機能も担っている。例えばサラが装備や補給を管理し、アリシアが敵の魔術を監視する、などなど。
「良い雰囲気とは言えないねぇ。砦の惨状、見ただろ? あれをたった百の兵でやったってんだから、今度の敵はかなりヤバいぜ」
褐色肌の戦士、サリフが軽い口調で言う。
「ああ、死んじゃあ、どうにもならねぇからな。団長――ここは退いた方がいいんじゃないか」
斧使いのグラハムも、サリフに同意していた。
「ちょっと待って下さい。ここで契約を破棄したら、私達みんな飢えますよ? 今の『鉄血騎兵』には、お金が全然無いんですからねッ! 正規軍では補給を止められクビになり、流れ着いた先の傭兵団で給料未払いなんて、冗談じゃありませんよッ!」
ローザリアの背後に立ち、鬼の形相をしているのはサラ・クインシーだ。駄エルフの戯言とは言えない。彼女の言葉は、ウィリスの耳に痛かった。
「お金の問題じゃ、無いと思いますよ。サラ」
シェリルは、おっとりと微笑んでいる。
彼女の髪はサラよりも白に近い金色で、瞳は濃い青色だった。
その色彩はミシェルに近く、ウィリスは彼女を見ると何となくドキリとする。
しかし目が細い為、美しさではミシェルに遠く及ばなかった。
そんな彼女は森人として容姿が劣っていることを気にやみ、森を飛び出したという。
サラと仲が良いのも、このような理由からだった。
といっても――普通の人間基準で考えるなら、シェリルも十分に美しい。むしろミシェルの美貌がおかしいのである。
「うむ、確かに金の問題ではない。だが、だからと言って私は退かぬぞ。逆に考えてみよ。敵が強敵であるならば、それこそ我ら『鉄血騎兵』の力を示す、良い機会ではないかッ!」
天幕の中で、ローザリアが拳を握っている。
ウィリスは黒い鎧を着て、隅の方で彼女を見守っていた。彼女の言葉で、ふとイラペトラを思い出す。
彼も逆境に光を見出すことが、とても上手かった。
そうでなければ皇位など、とても得られなかっただろう。
あれは、まさに逆境からの始まりだった。
もっとも彼は全てを手に入れた後、そう長くは生きなかったが――。
「ウィル、何か意見はあるか?」
溌剌としたローザリアの目が、ウィリスに注がれた。
まるで新緑の様な彼女の瞳は、絶望の灰に塗れたウィリスにとって、眩し過ぎる。
肩を竦め、ウィリスは答えた。
「無い。退くも進むも、全て団長に任せる。それにどうせ、何か考えがあるのだろう?」
「ああ、むろんだとも!」
ローザリアは多少膨れた胸をドンと叩き、大きく頷いていた。
◆◆
翌日、砦の守将に招かれ、ローザリアは朝から軍議に参加していた。
夕刻になって皆の待つ天幕へ戻るなり、荒れ狂い、喚き、「フーフー!」と荒い息をしている。
外で部下から花束を手渡されたことも、彼女の機嫌の角度を変える要因となったのだろう。
ウィリスに花束を投げつけ、ダンダンと足を地面に打ち付けている。
「あんの髑髏ジジイッ!」
「どうした、団長?」
アリシアが苦笑しながら、そんなローザリアに声を掛ける。
ウィリスは散らばった花を拾い集め、サラに手渡した。
「これ、花瓶にでも入れておいてくれるか? 可哀想だろう」
「はい」
サラは頷き、さらに不機嫌になったローザリアを見つめている。
ローザリアは細眉を限界までつり上げ、怒鳴り散らした。
「どうもこうも、あるかッ! 私の策を『血煙旅団』に奪われたのだッ!」
長机を“ダン”と叩き、ローザリアは頬を膨らませた。そしてウィリスを見る。
「その花は、新しく入ったヤツが寄越したッ。私のことを好きだとかぬかしてッ! そんな場合かッ! たるんでるッ! だいたい私はだなぁっ……ああもうっ! そんなもの、捨ててしまえッ!」
ローザリアは髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き回し、沢山のアホ毛を作っていた。
「花に罪はないだろう。落ち着け、ローズ」
ウィリスがローザリアを愛称で呼んだ。
意図しなかったことだがローザリアを落ち着かせるには、十分な効果を発揮したようだ。
それでローザリアが動きを止めて、ゆっくりとウィリスの顔を見上げる。
「ん?」
ウィリスは首を傾げていた。
だが、今日がローザリアの記念日となる。
(一歩、前進したぞ!)
ローザリアは胸元に手をあて、小さく頷いていた。
「はい……落ち着きます」
ともあれローザリアの機嫌は直り、幹部達は事情を聞き易くなったようだ。
なんでもローザリアが提案したのは、「敵と同じ事をせよ」――ということだったらしい。
つまりこちらも山道を通り、背後に出て敵陣を襲え、という話である。
「尤もである」と守将が頷いたまでは良かったが、では誰が敵陣へ攻め入るか、という段になった際に問題が起きた。
当然ローザリアは、『鉄血騎兵』こそ、その任に相応しいと言ったのだ。
「敵も百で来たのなら、こちらも百を当てれば良いッ!」
ローザリアは言ったが、守将は「万全を期す」と言って取り合わなかったらしい。
結果として、団員一千名を誇る『血煙旅団』が敵陣へ奇襲することになったそうだ。
そしてローザリアが「髑髏ジジイ」と侮蔑を込めて呼ぶのは、『血煙旅団』の団長である。
彼は髑髏を模した兜を、軍議の最中も外さなかったのだとか。
それでローザリアは剣で勝敗を決し、勝った方が任務に就いてはどうか、とも提案したらしい。
当然のごとく鼻で笑われ、軽くあしらわれたという。
「相手は血煙のヴァレリーだろう。ローザリアでは勝てないよ」
ウィリスの呼び方が再び戻ってしまい、ローザリアは悲しかった。
「それに、今回は心配なこともある。彼等が仕事を買って出たなら、任せてもいいだろう」
「ウィルは、山中に砦がある可能性を考えているのだろう?」
ローザリアが指摘する。
ウィリスは頷き、目を見張った。
十七歳にして、これだ。やはり彼女の軍事的才能は、自分より遥かに勝っているとウィリスは思う。
ローザリアは地図を取り出し、その上にいくつか石を置く。
「あるとすれば、ここか、ここか、ここだ。当然これらの地点を確認してから、あちら側へ向かうつもりだったぞ」
ウィリスは頷き、素直に「流石だ」と褒めた。
ローザリアは嬉しそうに頷き、地図を再び丸めて隅に置く。
「よう! 『鉄血騎兵』の幹部連中はここに居るって聞いたんだが?」
そんな所に、陽気な赤毛の男が乗り込んで来た。天幕の入り口を捲り、勝手に中へ入ってくる。
彼はローザリアを見つけると、「いたいた」と言って歩み寄り、彼女の肩へ手を添えた。
ローザリアは素早く手を払いのけ、頬をヒクつかせて「何の用だ?」と言う。
「そう邪険にすんなよ。俺達が仕事を奪っちまったみてぇだから、団長が酒でも持ってけってさ。外に運んであるぜ」
「いらん」
ローザリアは、にべもなく断る。
「そう言うなよ、俺だって仕事なんだ。にしても、団長がなんで、こんなチンケな傭兵団に気を使うのか――」
「チンケで悪かったな」
「なあ、あんた美人だなぁ。俺達んとこに来ねぇか? もちろん団まるごと面倒みるぜ?」
「黙れ、興味が無い」
「ちぇっ……まあいいや、酒はこっちだ。とっとと受け取ってくれや」
言われて幹部達は外へ出た。
すると、確かに荷車が運ばれていた。荷台には、五つの樽が乗っている。
樽の中身は麦酒だという。
「ちょっと手伝ってくれよ、こいつぁ重たくてな、一人じゃ無理なんだ」
赤毛の男は言うと、荷車を引いていた男二人と共に、樽を降ろし始めた。
「ほぉ……一人じゃ無理ねぇ」
のっそりと腕まくりをしたのは、グラハムだ。頭頂部にだけある金髪が、風で揺れていた。
彼は荷車の前にいくと「フン」と一声、一人で樽を持ち上げる。
「血煙旅団ってなぁ、随分とひ弱なんだな?」
ウィリスも、「よっ」と軽く一声。
片手で一樽ずつ持ち、地面に降ろす。
「一人じゃ、何だって?」
グラハムがニヤリと笑って、赤毛の男の肩を叩く。
「運んでくれて、ありがとうな。団長さんにヨロシク! それから、ウチの団長を口説きたきゃ、まずは俺等に話を通しなよ」
グラハムは言った。最後の方は小声でありながらも、ドスが効いている。
赤毛の男も長身であったが、グラハムよりは背が低い。
そのグラハムよりも、ウィリスは二周りほど大きいのだ。
彼等に挟まれた血煙旅団の三人は、あんぐりと口を開けていた。
そのウィリスが彼等の背中をバシッ、バシッと叩き、ニヤリと笑う。
顔に大きな向こう傷を作った、強面の彼だ。笑顔を作った所で、威圧感しか出て来ない。
赤毛の男はそそくさと立ち去り、辺りには笑い声が沸き上がる。
「まあ、多少は溜飲も下がったか」
サリフが曲刀を陽光に煌めかせ、「くっく」と笑う。
場合によっては赤毛の男を、殺してしまうつもりだったらしい。
「くっくっく。デカブツ、分かってきたじゃねぇか!」
ウィリスの胸甲をゴンと叩いて、グラハムが笑う。
頷いたウィリスは、ローザリアをチラリと見た。
ローザリアは頬を赤らめ、プイと顔を背ける。その横顔は、とても嬉しそうであった。
――――
敵陣を攻めようとした『血煙旅団』は、敗北した。
念を入れて三百で攻めたそうだが、ことごとく返り討ちにあったという。
その知らせが入ったのは、二十日後のことだ。
どうやら山の中腹には砦が築かれており、これに阻まれたとのことであった。
砦には漆黒の装備を身に纏う兵がいて、彼等が特に強いという。
西側最強の傭兵と云われた、髑髏ジジイこと血煙のヴァレリーも討ち取られている。
一騎打ちで負けたそうだ。
ヴァレリーを討ち取った相手は長身の戦士で、二百合近く打ち合う死闘だったという。
ウィリスは血煙のヴァレリーと、戦ったことがある。
じつのところ、引き分けだった。
むろん殻門の解放はしていないし、戦さの指揮を執っていたから、彼が逃げたあとを追ってもいない。
長く戦えば、勝っただろうとも思う。
だが、それでも彼の強さは、大陸最強の一角を占めていたはずだ。
少なくともヴァレリーを倒せる者は、この大陸に数える程しかいないだろう。
翌日、赤毛の男が再び訪れた。
今度は酒ではなく、黄金を携えて。
彼は泥と血に塗れた顔を地面に擦り付け、以前の陽気さを捨ててローザリアに縋り付いたのだ。
「頼む! 仲間の仇を討ってくれ! ここには――あの最強の将軍って言われたウィリス・ミラーがいるんだろ!? 頼むよッ! お願いだッ!」
そしてウィリスにも頭を下げ、涙を零していた。
「あんなのに勝てるのは、ウィリス・ミラー、あんただけだ! 頼むよ、団長の仇を討ってくれ! 世話になったんだよッ! だけど俺じゃ、どうやっても勝てねぇんだよッ! 金はある! 力も貸す! だから頼むッ! お願いだッ!」
以前がどうあれ、仲間の死を嘆き復讐を誓う彼の姿を笑う者は、誰もいない。
当然、ローザリアもだ。
「貴様、砦の状況は分かるか? 詳しく話せ。仇は私がとってやろう。むろん――しかるべく筋を通さねばならんから、暫く時間は貰うがな……確かにその依頼、この『鉄血騎兵』が承ったぞ」
ローザリアの瞳に覇気が宿る。
「ウィルッ! 貴様はヴァレリーより強いかッ!」
「愚問だ」
「ウィルッ! 貴様はヴァレリーを倒した者を倒せるかッ!」
「俺は団長が命じるままに、敵を倒す」
ウィリス・ミラーの瞳が黒く輝く。
不死兵の魂が、敵を殺せと囁いていた。
後に大陸を席巻する覇者、ローザリア・ドレストス。
史上最強の将軍と云われる、ウィリス・ミラー。
歴史に燦然と輝く二人の名が、揃って表舞台に登場するのは、このウルド戦役からである。
さあ、戦争をはじめよう! という回でした!
ありがとうございます! 今日も総合日刊ランキング入りしています!
面白いと感じたら、評価、ブクマ、感想、宜しくお願い致します。
作者のやる気が上がります!
ポテチがあると、もっとやる気が上がります! お気軽に是非!