13 終わりの始まり
◆
年が明けてすぐ、イゾルデ・ブルームはサラ・クインシーと会った。といってそれまでの彼女が、ただボンヤリと過ごしていた訳では無い。邸で蟄居しながらも、様々な事柄を同時に進めている。
まず、イゾルデは両親の亡命先を手配した。後顧の憂いを無くしてから、『鉄血騎兵』に合流したい。その為にも、これは必要な処置だった。
老いた両親の為に侍従と侍女を用意し、なおかつ養うだけの蓄えはある。たとえ自身に何かがあっても、彼等に迷惑をかけるつもりはないのだ。
次に軍団兵のリストアップをした。
『鉄血騎兵』に入る為には、手みやげくらいは必要だろう。だから彼女は百人程度の子飼の部下を、連れて行くつもりであった。
もちろん中にはジョセフ・アーサーも入っている。馬鹿だが強い。彼に勝てる者は、数える程しかいないのだから。
イゾルデ・ブルームは今回の一件で、ほとほとグラニア帝国に愛想が尽きた。
いや、最初から尽きていたのだ。
それでも自らに嘘を吐き、従っていたのはウィリス・ミラーという重しがあったから。
全ては、彼を死なせない為にしたことだ。しかし、それが彼を苦しめた。
こんなことならいっそ彼と二人で兵を挙げ、国に反旗でも翻せばよかったか。
少なくともゴードを獲った段階でなら、それなりの勝機はあっただろう。
「私が女王でヤツが副王――いや、逆でもいい。奴隷上がりの王と、平民上がりの副王というのも面白い」
そんな妄想を膨らませて、イゾルデは苦笑した。
「王」と「王妃」で良いはずだ。
だけど自分は何故、そう考えられないのだろう。
十年来、秘め続けた想いを先日、伝えたにも関わらず――。
イゾルデは冬の重苦しい空を窓から眺め、それから後ろにいる父母を見た。
準備は整った、あとは彼等に亡命して貰うだけである。
が――イゾルデの両親は、彼女の思惑とは無関係に呑気だった。
「はぁ〜お前ももう二十九になるのよ……孫の顔が見たいわ〜」
「うぐっ」
「もう諦めた方が良いのかしらぁ〜」
「うぐぐっ」
安楽椅子に座り、ユラユラと揺れながら母が目を細めている。
イゾルデの端整な顔が歪み、思わず窓に手を付いた。
今日の帝都は珍しく雪景色。曇り硝子に手の跡が付き、その先の庭が僅かに姿を覗かせる。
「これこれ、そんなことを言ってはいかんぞ、母さん。イゾルデの見た目は、まだ二十代前半のピチピチだ」
父は暖炉の側で、大型犬を撫でながら言った。イゾルデの頬がヒクヒクと動く。
「わん!」
大型犬――名を「ウィル」と云う、は「そうだ!」と云わんばかりに吠える。
イゾルデはニッコリ笑ってウィルに声を掛けた。
「ウィルは、私を好いてくれるのだな?」
「わんっ!」
「そうか、そんなに私が好きか」
「わんっ!」
満足気に頷くイゾルデの、これがストレス発散方法である。
しかしそんなイゾルデを、母は鋭い眼光で睨んだ。
「あんたまさか、犬が好きなんて云うんじゃないだろうね?」
「わはは、まさか、母さん。ウチのイゾルデに限って」
イゾルデはウィルにお菓子をあげながら、頭を撫でている。
ウィルは尻尾をブンブンと振って、上機嫌だ。
ちなみに犬種は、ゴールデンレトリバーである。
「そう? だったらねぇ、イゾルデ。好きな人くらいは、いないのかい?」
イゾルデはこめかみに指を当て、「はぁ〜」と溜め息を吐く。
両親と安穏な会話を続けるのは好ましいが、だからといってこれ以上本題から逸れてもらっても困る。
意を決してイゾルデは言った。
「好きな人? いるわ。だから私、将軍職を辞するつもりよ」
両親の顔がパッと明るく輝き、うんうんと頷く。
「それは、結婚ということかね? まさかあの――ジョセフ君かね?」
「それは、無い」
「では、誰だね」
「結婚じゃないのよ、父さん」
「なに、まさか妊娠……父親は誰だッ!?」
父の表情が、目まぐるしく変わる。疑惑から安堵、安堵から激怒――全て彼の思い込みからだ。
イゾルデは首を左右に振って、申し訳なさそうに答えた。
「いいえ、傭兵になろうと思うの。その……好きな人が傭兵だから。それでね、だから父さんと母さんには、ムスラー公国に亡命して貰いたいのよ」
イゾルデのお陰で爵位を賜ったブルーム夫妻にとって、この発言は驚天動地だった。
将軍職を辞するのは、いい。結婚しないのも、まあ娘の勝手だ。
しかし――何故ここで亡命なのか? 一体この子は、何を企んでいる? と二人は考えた。
イゾルデの言葉は、さらに続く。
「今や帝都の内外は酷い有様よ。土地を奪われた貴族達が権利書を盾に、武功を立てて土地を得た平民達を、追い出して回っているの。元奴隷達はもっと酷いわ。貴族達は自由と職を手に入れた彼等を捕まえて、鎖に繋ぎ拷問しているんだもの。ううん――拷問といえば、まだマシね。痛めつけて楽しんでいるだけだもの」
「復古令のせいだね?」
父は目を伏せて言った。
「そうよ」
「じゃあ、私達も平民に戻されるのかしら?」
母がオロオロとして、顔を両手で覆う。
「まあ、それはいいじゃないか、母さん。もともと、この邸だってこの子が頑張って手に入れたもの。私達には、過ぎたものなのだし」
「大丈夫よ、父さん、母さん。亡命してもらっても、不自由させるつもりはないわ。ただ――帝国はもう、終わりだってこと」
イゾルデの瞳に、父は刃を見た。
彼女の異名は、父も知っている。「氷刃」と娘が戦場で呼ばれているなど、信じがたかった。
しかし今の彼女を見れば、それも納得できるのだ。
「イゾルデ。お前は自分が何をしようとしているのか、分かっているんだね?」
「当然よ」
「二度と――会えないかもしれないね」
「そうね……ごめんなさい、父さん」
「好きな男の名を、聞いていいかね?」
父は諦めたように言う。
「ウィル――」
「やっぱり犬!?」
母が素っ頓狂な声をあげた。
「――ウィリス・ミラー」
父は笑い、頬を赤らめた娘を見つめる。
犬に「ウィル」と名付けたのは、イゾルデだ。
それはもう、子犬の頃から可愛がっていた。
なるほど――と納得できれば、父も覚悟を決めるしかない。
「わかった、お前の好きに生きなさい。わしらのことは、心配しないでいいよ」
母も頷き、涙を拭う。
「何でよりにもよって、アンタ――傭兵なんか、好きになっちゃたのかしらねぇ。いい人だって、沢山いたのに」
イゾルデは、苦笑するほか無かった。
◆◆
イゾルデに言い寄ってくる男は、ごまんといた。いや――今でもいる。
最初は軍学校を卒業して十五のとき、直属の百人長に結婚してくれとせがまれた。
悪い気はしなかった。彼は新進気鋭の百人長であったし、そこそこに整った顔をしていたからだ。
しかしただ頷いては、面白く無い。だからイゾルデは試すように言ったのだ。
「私を十人長にしてくれたら、考えます」
百人長はイゾルデをあっさりと十人長に推挙した。
文武に秀でたイゾルデは、すぐに十人長に抜擢される。
礼を言いに百人長の下へ行くと、直前の戦いで戦死したと知らされた。
一晩泣いたイゾルデは、その後、彼のことをケロリと忘れている。
次にイゾルデを口説いたのは、とある千人長であった。
妻になって欲しいと言ってきたので、百人長にしてくれたら妻になると答えた。
「功績も無いのに、それは無理だ」
千人長の言い分は、至極もっともであった。
だからイゾルデは小さな砦を十人で落とし、「これでどうか?」と交渉をする。
その後、彼女は百人長になった。しかし、それで妻になる謂れなど無い。これは実力で掴んだものだ。
その頃、巨躯の男と出会っている。
同じく百人長だったが、あちらは奴隷部隊の不死隊。こちらは平民部隊の重装歩兵だ。本来ならば、あまり接点などない。しかし――。
「奴隷のクセに装備がいいな?」
こう言って、イゾルデはからかった。多分これが、最初の会話だろう。
男の答えは、ただの一言。
「……ああ」
しかしそれ以降、イゾルデと男は練兵場でよく会うようになった。
幾度か稽古を繰り返すうち、二人は何となく仲良くなってゆく。
男はウィリスと名乗った、「ただのウィリス」だ、と。
イゾルデは心の中で、幾度その名を繰り返しただろう。
気がつけば、いつも彼のことを想うようになっていたのだ。
そんなある日、イゾルデは街に出かけた。
すると黒塗りの大きな馬車から、少女に手を惹かれてウィリスが降りてくる。
不思議な光景だった。
馬車の周りには、ズラリと並んだ漆黒の鎧。恐らくは全員が少女を護っているのだろう。
その中でウィリスだけが唯一、少女にとって特別な存在に見えた。
「ウィル! わたしをもちなさい!」
少女が威丈高に言う。すると彼は少女を肩の上に乗せた。
「高すぎるわ! これじゃ、お店に入れないじゃない!」
少女はウィリスの頭をポカポカと叩き、抱き抱えろと喚き立てる。
ウィリスは「すみません、ミシェル」と言いながら、彼女を胸元で抱えた。それはとても、とても大事そうに。
「もっとたかく!」
なおも位置が不満だったのか、少女はウィリスの胸をバシバシと叩く。
そして丁度良い高さになったとき、少女は満足げに頷いて、ウィリスの頬にキスをした。
「うむ、ほうびだ。おまえだけだぞ」
「い、いけません、姫ッ!」
執事と思しき中年の男が、オロオロと周りをうろついている。
そのとき、イゾルデの中で何かが弾けた。
年端もいかない少女に、心底から嫉妬した瞬間である。
気付けばイゾルデは叫んでいた。
「ウィリス! 何をしているのだ! 今日は私に会いに来てくれないのか!? 昨日、あれほど激しく――あったというのにッ!」
ウィリスの腕に抱えられた少女が、烈火の如き激しさでイゾルデを睨んだ。そしてウィリスの耳を引っ張る。
「ウィル。あの女は、なに? 何なのッ!?」
少女でありながら、冷徹な眼差し。そして少女はウィリスの耳元で叫ぶ。
「わたし、うわきは絶対、絶対、ゆるさないのよ。そんなことをしたら、あなたを殺して、わたしも死ぬわッ!」
イゾルデはゾクリとした。
あの少女は、これが浮気だと思えば本当にやるだろう。
そう、確信できた。
「私はミシェルの盾で、イラペトラの剣です。浮気がどういうものか知りませんが、ただ――それだけの男です」
「兄さまのことは、どうでもいいの。ウィルは、わたしだけのウィルなのッ!」
「はは……」
そしてウィリスもまた、少女のことを命より大切に想っていることを、このときイゾルデは知った。
だからこそ、ずっと彼に本心を打ち明けることが出来なかったのだ。
打ち明ければウィリスを困らせるだけだし、ミシェル殿下が何をするか分からなかったから……。
――――
次にイゾルデを口説いたのは、とある将軍だ。
彼女は当然のごとく千人長の地位を望み、それは叶えられた。
しかし将軍は、流れ矢に当たって死んだという。五十代の、好色な将軍であった。
「好色であるのは個人の自由だが、不正はいかん。物資横領の罪を部下になすり付けるなど、言語道断だ。証拠を隠滅したからといって、油断するなよ? 矢は、後ろからも飛んでくるものだぞ、将軍。ふははッ」
イゾルデは将軍の死体を蹴り上げ、笑っていた。
すでに彼女は、恋を捨てていたのである。
次に彼女を口説いたのは、皇帝となったイラペトラだ。
彼女の軍才を認めた彼は、その功績をもって将軍とした。
それどころか、さらに子爵位まで与えている。
その後で、イラペトラは言った。
「余の……妃にならんか?」
「なぜ、私を?」
「そなたは清濁を併せ持つ女。軍事、外交、政治――そのどれをとっても余に変わりうる。もしも余に何ごとかあれば、そなたが国を導けると思ってな」
イゾルデは悩み、やがて首を左右に振る。
「それは、宰相の仕事でございましょう?」
「ふむ――」
「宰相であれば、喜んでお引き受け致します。私の忠誠は、陛下のものでござりますれば」
イラペトラは天を仰ぎ、それから大きな溜め息を吐く。
「女性としての、そなたも欲しいのだがな」
「女であることは、将となった時に捨てました」
イラペトラは寂しそうに笑い、イゾルデに背を向ける。
「余の申し出を断るのならば、せめて本音を語って欲しいものだが?」
イゾルデは、微笑とも苦笑とも判断の付かない笑みを浮かべ、重い口を開く。
「好きな人がいます……たとえ報われなくとも、私は生涯、彼を忘れることが出来ないでしょう」
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