11 森人
◆
サラ・クインシーは暫くの間ウィリスを見つめ、その瞳に不審の色を残したまま口を開く。
「……調整、必要かも知れませんね」
「俺に問題は無い」
「殻門、解放しましたよね?」
言葉に詰まるウィリス。
不死兵の中でもウィリスは特に、『試作』だ。研究者達の間では、『殻門搭載型』と呼ばれていた。この型の運用はウィリスだけであったから、実用のデータも少ない。
ゆえに不測の事態が起こる可能性は常時あって、保守点検は本来欠かせないのである。
にも拘らず、ウィリスは数ヶ月間も点検をしていない。
一応の実用例から云えば問題無いが、それでも確認しておくに越した事は無いはずだ。
「真面目な話か?」
「私はいつだって真面目です」
「……一度、第二まで解放した」
「やっぱり。ブルーム将軍から聞きましたよ、異常な強さだったって」
細めたサラの目が、研究者の眼差しとなる。
ウィリスはローザリアを抱えたまま、空いている手で頭を掻いた。
ローザリアはウィリスの服にしがみつき、「ふにゅぅうう」と奇妙な声を出している。
サラの目が、冷たく光った。
「それで、ロリコンという特殊性癖が芽生えて……」
「だから、違う。俺はミシェル一筋だ」
ローザリアの肩が、ピクリと動く。そして再び、「ふにゅぅううう」
「あの方のことは、もう忘れた方がよろしい。いつまで想っていたところで、誰も幸せになりませんよ。何なら記憶の改竄、致しましょうか?」
「お、おい。出来ないだろう、そんなこと――」
「ふっふっふっふ。そう、お思いで?」
「おい、サラ、まさか――」
「なーんて、まだ出来ませんよ。ただし、研究段階でしたけど」
もともと帝国の魔導研究機関に所属していたサラは、不死隊が廃止になったことから、その職を失った。
といっても不死兵の研究開発に携わった全員が、失職したという訳ではない。実際に職を失ったのは、彼女だけであった。
これは単に森人だから、差別である――というのがサラ本人の見解だ。
ここで大体の森人であれば、「愚かな人族ども!」とでも言って攻撃魔法の一つもぶっ放し、街を破壊してから森へ帰るだろう。
ところがサラ・クインシーは善かれ悪しかれ、都会派の森人であった。
本人曰く――「街の森人」とのこと。研究所では「バカ・エルフ」と呼ばれていた。
ともあれ彼女は木造の家より石の家を好み、木の実よりもパンを好む、変わった森人なのだ。
ゆえに身内である森人よりも、人との相性が良いのだろう。だから彼女は森へ帰らなかった。
いや――そう言えば聞こえが良い。実際のところ彼女は森人でありながら、弓も攻撃性魔法も扱えないのだ。言ってしまえば森人界の面汚しである。二度と森へは立ち入るな、と言われて人里に降りていた。
そう、彼女は森でも「バカ・エルフ」だったのである。
そんな訳で、どうしても森へ帰れないサラ・クインシーは、旧知の間柄であったウィリス・ミラーを頼ることにした。
ウィリスとしても、魔導研究所の連中に自分の身体を預け続けるのは嫌だった。信用出来る連中ではない、と感じていたからだ。
一方サラは少しズレたところがあるものの、実直な人柄だと思っていた。だから願いを聞き入れ、皇帝イラペトラに相談したのである。
イラペトラとしては、何とも言えない問題であった。
何しろ不死隊の廃止は、皇帝の一声で決まったようなもの。今回の一件は、それによって派生した事案である。裏を返せば、彼女の職を奪ったのは皇帝である自分自身だ。
だいたい、仕事が無ければ予算も生まれぬ。不要と見さされた人員が解雇されるのは、当然のこと。そして職務における人員採否の判断は、現場責任者にある。
皇帝と云えども、みだりに口出しは出来ない。そのようなことをすれば不満を持たれ、組織が歪む原因となるからだ。
とはいえ、サラ・クインシーは森人だという。
滅多に人と協調しない彼等は、だいたいが強大な魔力を持った魔導師だ。
そのような人材を、みすみす手放すのは国家の損失となる。
対応に苦慮した末、皇帝は自身が揺るがぬ権限を持つ軍に、サラ・クインシーを移籍させてはどうか、とウィリスに提案した。
ウィリスも「それは良い」と、二つ返事で頷き、サラを副官として迎え入れたのである。
もちろん当時イラペトラは森人としてのサラに、戦力としての期待もしたのだろう。
しかし、その期待は凄まじい勢いで裏切られた。
「何と云うポンコツ……所長でなくとも解雇するぞ、あんなもの」
イラペトラは頭を抱え、こう言ったという。
ウィリスは頭を掻いて、誤摩化したそうだ。
「まあ、ミシェル殿下より料理は上手ですよ」
「ミシェルの料理が壊滅的なのだッ!」
しかしウィリスも、誤摩化しきれなかったという……。
だがウィリスは、後に知ることとなる。
ポンコツ森人サラ・クインシーに、類稀なる事務処理能力が秘められていたことを。
――――
という訳でサラ・クインシーはウィリスにとり、副官であると同時に不死兵としての自分を管理、調整する存在でもあった。すなわち、居てくれないと困る存在だ。
ウィリスとしても、魔石のメンテナンスはそろそろ必要だと思っていたところ。
時期的に、そういった事柄も含めて、サラは自分を捜してくれていたのかも知れない――とウィリスは考えた。
「サラ……わざわざ探してくれていたのか?」
サラは口元を手で押さえ、再び大粒の涙を零す。そして頷いた。
「そ、そうですよ。たった一人で追放されて、ブルーム将軍にも狙われて……私がいないと、自分で調整なんて出来ないのに……もう、心配で心配で……!」
「それは、すまなかったな。安定しているから、大丈夫だろうと思っていた」
ウィリスは照れ笑いを浮かべ、頭を下げる。
どうにもバツが悪いので、話を少し変えることにした。
「ああ、そうだ。それはそうと、ハンスとリリーのことは、知らないか?」
ウィリスの他にも旧不死隊の生き残りが、あと二名いた。
彼等は部隊廃止後に退役し、伯爵となったミラーに仕えることとなったのだ。
その二人の調整をしていたのも、やはりサラ・クインシーだった。
サラは眉を顰め、周囲を見回している。
「よろしければ、場所を変えませんか?」
サラの提案に、ウィリスは無言で頷いた。
◆◆
ウィリスはサラを宿の自室へと招いた。ローザリアともう一人の森人――シェリルも一緒だ。
ウィリスの部屋は酒場の三階部分にあって、ローザリアの部屋は隣だった。
本来であればローザリアはそちらに運んで、アリシアにでも診てもらうべきなのだが、彼女が見当たらないので仕方がない。
ウィリスは部下の不死兵に、
「アリシアを見つけたら、俺の部屋へ来てもらってくれ」
と伝えて、部屋に戻った。
お陰でウィリスの黒衣にはローザリアの涎がべっとりと付き、濡れたままである。
シェリルはローザリアに悪い事をしたと言って、寝台で眠る彼女を看病していた。
ウィリスは酔っ払いに手厚い看護など不要だと思うが、放置するのも心配なので何も言わない。
それにしても――とウィリスは思う。
(涎は零す、醜態を晒す、こんなところでも眠る……まったく、いつか大変な目に遭うぞ。今は相手が俺だからいいようなものの――)
だが、ウィリスは知らなかった。
ローザリアがウィリス以外の人の前では、醜態など決して見せないということを。
実際、ウィリスが側にいない時の彼女は酒を一切口にしないし、誰かに涎を付けるようなこともしない。
どこでも寝てしまうといっても、それは側にウィリスがいる時だけだ。それ以外で彼女が眠る時は、必ず剣を抱え、他人から離れ座って眠る。
ウィリスは杯に水を注ぎ、サラの前に差し出した。
二人は小卓を挟み、向かい合って座る。
「西部戦線へ飛ばされた、と聞いていた」
ウィリスが口を開くと、サラが顔を強ばらせた。
西部戦線とは、ミリタリアの内紛である。
グラニア軍はこれに介入して二〇〇〇〇の兵を送っているのだが、反乱軍にトラキスタンの援助があるため、なかなか決着が付かない。こちらもまた、代理戦争の様相を呈しているのだ。
だがサラは、どのような名目で働いたのであろう。
サラの階級は連隊長相当なので、ニ、三〇〇〇名程度の指揮権を有している。
しかし、と、ウィリスは首を捻った。
そもそもイラペトラ帝に頼んでサラを副官にしてもらったのは自分で、それも兵を指揮させる為ではない。
なのでウィリスは後方勤務的な事務処理と、軍医の仕事しかサラに与えたことが無かった。
その彼女が西部戦線に行ったとして、いったい何が出来たのだろうか……。
「三日でクビになりました……ぐすんっ」
鼻水を啜る紫眼の森人に、ウィリスは掛ける言葉もなかった。
ただ正直、「なるだろうな」とは思う。
あの偉大にして寛大なるイラペトラ帝にさえ、「あのポンコツ」と言わしめた女だ。無理も無い。
だが、それもこれも、誰もが彼女の真価を知らぬからだ――とウィリスは思う。
現に彼女は帝国軍の誰もが辿り着かないウィリスの居場所に、ただ一人で辿り着いている。
馬鹿には決して出来ない芸当だし、行動力が無ければ、もっと無理だ。
ウィリスは腕組みをして、サラが泣き止むのを待った。
「そうか。それで、その後どうしたんだ?」
「仕事が無くなって、その後、私、帝都に戻ったんです。一応、貯金はありましたから。ほら、閣下といると、ほとんど戦場じゃないですか。それでお金、全然使わなかったんで……だけど、やることが無いので一日中、ずーっと花を眺めて過ごしていました」
「そうか……」
これは、病んだな……とウィリスは思った。
そして花を眺めているうち、きっと会話が出来るようになったりするのだ。
サラは基本的に、思い込みが激しい。脳内で思考が暴走し、やがては妄想となって開花するのだ。
「そうしたら、花が言ったんです」
ほらな……と思った。ウィリスは額に手を当て、頭を左右に振る。
「ミラー将軍を捜せ――と」
花はそんなこと、絶対に言わない――とウィリスは思う。
仮に言われていたら、敵に悪鬼と恐れられた自分の沽券に関わる。
少なくとも「俺は花の精じゃない!」とウィリスは思った。きっとここは、激怒して良い所だだろう。
しかしウィリスは曖昧に頷き、お茶を濁している。彼は基本的に優しいのだ。
「ほら、私って森人じゃないですか。ようやく妖精が、力を貸してくれたんだなって――少し嬉しかったんですよ」
ウィリスは、あんぐりと口を開けた。失念していた。確かにサラは森人だ。妖精と会話が出来ても、実は当たり前だったのである。
「病んだ訳では、なかったのか……?」
「は?」
サラが「何言ってるの、この人?」的な目でウィリスを見つめ、会話を進める。
「それで私、年が明けてからブルーム将軍の邸を訪ねたんです。まだ謹慎しているって聞きましたし、会えるかと思いまして」
「そういえば、言っていたな。俺のことをヤツに聞いたと。にしても、思い切ったことをする」
言いつつ、ウィリスは感心していた。
イゾルデ・ブルームはサラにとっても、自分たちを裏切り苦しめた、憎い将軍のはず。
にも拘らず目的の為、会いに行くという選択は、なかなか出来るものではない。
「そりゃ、嫌でしたよ? 顔も見たくないくらい嫌いでしたし……でも、会って話を聞いたら……悪いのは閣下だったんだなって――」
ウィリスは、飲んでいた水を噴き出し、思いっきりサラの顔に掛けた。
「な、何をするんですかッ!」
「いや待て! 話の流れが分からなくなった! どうして俺が悪くなるんだ!?」
「だって、先にブルーム将軍と婚約していたのでしょう!? それなのに破棄してミシェル殿下と婚約なんかするからッ!? 婚約破棄、最低ですッ! 天罰覿面ッ!」
ふんすっ、と胸を反らし、眉を吊り上げてサラがウィリスを睨む。そしてサラは言い募った。
「乙女心を踏みにじったのですから、閣下はもう、ミシェル殿下をお忘れなさい。因果応報です。これに懲りたら、ブルーム将軍と結婚するのです。記憶の改竄、頑張りますッ!」
「違う! 騙されてる! お前は完全に騙されているぞ!」
「何を言いますかッ! ブルーム将軍は剣も魔法も兵法も一流ですッ! きっと良いお嫁さんになりますッ!」
「サラ、お前のお嫁さん像はどうなっているッ!? それは将軍の条件だぞッ!」
「問答無用ッ! 身体を開けろッ! 記憶をいじるッ!」
「待てッ! 俺の話を聞けッ!」
…………
「ふむふむ……あっ、なるほどですね。確かに剣を交換しても、婚約の証にはなりませんね。うむ、うむ」
「そういうことだ。もう、騙されるなよ」
「分かりました。私も少し迂闊でした」
ウィリスは無駄な誤解を解き、ポンコツ森人がこの場所へ到達した理由を聞き出した。
要するにイゾルデはウィリスの居場所を、理論的に予測していたのだ。
しかしそれをイゾルデは、サラにきちんと説明しなかった。
その理由も、ウィリスには理解できる。
「花に導かれてミラー将軍を捜す」などと言う馬鹿に対して、誰が真面目に答えるものか。
だからイゾルデは、
「私とウィリスの心は、運命の糸で結ばれている。だから何処に居ようとも、互いの居場所が分かるのだ。どれ、今、教えて進ぜよう。おお、ウィリス――ウィリス……分かったぞ、サラ・クインシー――今、ヤツはここにおる」
などと言って、混ぜっ返してみせたのだ。さらに、あること無いことも付け加えて。
そして、実際にイゾルデの言う通りの場所にウィリスがいた。
だからポンコツ森人はイゾルデの嘘を、完全に信じ込んだという次第である。
それからもサラの話は続き、いよいよウィリスの住んでいた邸の件に及ぶ。
「残念ながら閣下が投獄された翌日、原因不明の火災が起きたそうです。むろん――不明というのは建前でしょう」
ウィリスは奥歯をギリッと噛み、共に暮らした二人の顔を脳裏に浮かべた。
それはかつて戦場も共にした、元不死兵の仲間である。
イラペトラ帝が崩御し、返すべき恩義も消え失せたと、彼等はさっさと退役した。
けれど行き場の無かった彼等を、ウィリスが受け入れたのだ。
ハンス・チャーチルは家令として。
リリー・パペットは侍女として。
騎士の称号を得ていた彼等さえ、元奴隷を雇う場所はなかった。
それもこれも、ブラスハルトの復古令によるものだ。
元奴隷は奴隷に、元貴族は貴族へ戻せと、皇帝は声高に叫んでいた。
それ故の処置である。
だからサラの話を聞くと、ウィリスは身を乗り出した。
「二人は、無事だったのか?」
ウィリスとて、彼等の強さは知っている。生半可なことでは、殺されても死なないだろう。
しかし、それはゲートリンゲンとて知っていること。火災が襲撃ならば、それが手ぬるいということは無いはずだ。
サラは長い睫毛を揺らし、言いにくそうにしている。
酒場でも、ウィリスがその話題を振ったとき、場所を変えようと提案していた。
つまりこれは、彼女にとって答えにくい質問なのだろう。
「死体は見つかっていない、とブルーム将軍は言っておりましたが……」
「なら、生きてはいるな……」
ウィリスは、ホッと息をつく。
「分かりません、隠蔽されてるだけかもしれませんし……」
「そうだな。たしかに俺の邸から死人が出たとして、公にはせぬか」
「はい……むしろ、閣下の方に連絡は?」
「何もない。居場所を知らなければ、連絡の入れようもなかろう」
「……ですね」
ウィリスは顎に指を当て、少しだけ考え込む。
復活した不死隊、そして見つからない旧不死隊の死体――。
二人の為に「生きていてくれ」と願うものの、望まぬ再会ならばしたくない。
再び膨れ上がる罪悪感と憎悪に、ウィリスの血が黒く染まる。
けれど同時にウィリスの背筋には、冷たいものが走った。
どうにも、嫌な予感がするのだ。
エルフはポンコツでした!
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