10 嵐の前
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あれから四ヶ月が過ぎ、春となった。
グラニア帝国風に言うならば、帝国歴二六四年の春だ。
一方グラニアの西に位置する大国、トラキスタン風に言えば、皇暦二六四年の春となる。
トラキスタンは現皇帝から数えてちょうど十代、建国から一〇六年の比較的若い国だ。にも関わらず歴史を示す年数が同じ理由は、ただ一つ。両帝国は、もともとが一つの帝国だったのだ。
かつてはグラニア帝国が、この広大なリンデルゲン大陸西方の全てを統治していた。それが今から百二十年程前、東西に分裂したのである。
ウィリス・ミラーは今、そのトラキスタンの勢力圏内に居た。
ここは、ウルド公国。かつて一つであった大帝国の、ほぼ中央に位置している。
また、四つの公国が集まるこの地域は、数年前まで四公領と呼ばれていた。
しかし現在は北東の一国をグラニアに奪われ、三公領へと格下げの憂き目に遭っている。
ウルド公国の周辺は、敵と味方が入り乱れていた。
北西の姉妹国家、ルイード公国。西の宗主国トラキスタン。
まず、この二つが味方だ。
敵は、グラニアの属国となった北東の旧カラード公国。東のグラニア帝国。グラニアを宗主国と仰ぐ、南のミリタニア王国だ。
もっとも、東のグラニアはトラキスタンと盟約を結んでいる為、今のところは冷戦状態である。
一方で常に小競り合いの続いているのが、北東と南。
小競り合いと言っても北東側、ウルドと旧カラードの戦さは徐々に激しさを増していた。
去年の終わり、ついに両軍とも主力を繰り出し、対峙したのだ。
その数は、六〇〇〇人対八〇〇〇人であった。
両国の間は山々が隔てているが、逆に、だからこそ国境が曖昧である。
かつて姉妹国であった関係上、明確な国境線を引いていないことが災いしていた。
また、あえてグラニア帝国が紛争の種を残す為に、国境線を曖昧にして戦後処理を終えた、という経緯もあろう。
結果、互いの主張は噛み合ず、ついには軍を動員したという顛末だ。
むろんウルドの背後にはトラキスタンがおり、カラードの背後にはグラニアが付いている。当然これを代理戦争と見る向きはあった。
ともあれ雪解けを迎えれば戦争が始まると見て、まず間違い無いだろう。
特に去年の対峙において数で劣ったウルド公国側が、常にも増して傭兵を募集しているのだから。
――と、このような情勢だ。
ローザリア達と行動を共にするウィリス・ミラーが、この地にいるのは自然な流れなのである。
◆◆
「間もなく雪も溶けよう。さすれば戦さが始まるぞ! ゆえに皆、今日は大いに飲め!」
酒場でヨロヨロと立ち上がり、拳を振り上げて演説をぶったのは、若干十七歳――『鉄血騎兵』の団長であるローザリア・ドレストスだ。
この冬に一つだけ歳を重ね酒を覚えたローザリアだが、大して強く無いくせに、「団長! 団長!」と煽てられて飲むから、酒場に来ると彼女は大体フラフラになる。
最初の頃はウィリスも、「子供が酒など飲むな」と止めていた。しかし「十五はとっくに過ぎた! 私は立派な成人だ!」と言われると、どうしようも無いのだ。
そんな彼女はこの数ヶ月で、『鉄血騎兵』の団員を百名にまで増やしていた。
行軍途中もスカウト、街に入ればスカウト、盗賊を退治してはスカウト、敗残兵を見てはスカウトと、こんなことを繰り返している。お陰で今や『鉄血騎兵』も中堅傭兵団だ。
この話をするとローザリアは、こう言って締めくくる。
「それもこれも、貴様のお陰だ、ウィル! 貴様が居ると知れば、誰でも強い兵団だと思うからなッ! まあ、実際強いのだがッ!」
実のところローザリアが言う程、ウィリスのお陰と言う訳ではない。
むしろ団にウィリス・ミラーがいることを、毛嫌いする者も存在するのだ。
何しろグラニアを相手にしようと云う兵士達だ、一度は彼に蹴散らされたことがある者も多い。
それでも順調に団員が増えるのは、むしろローザリアの力の方が大きかった。
ローザリアはぺったんこの胸などに幼さを残しているものの、戦士としては一流で、女性としても美しい。
しがらみの無い傭兵や侠気のある盗賊達が味方をするのも、彼女の美しさが目当てと言えなくも無かった。要するに男達は大体、彼女にいい所を見せて惚れさせたいのだ。
ただ問題は、本人がその点に気付いていないこと。
だから彼女は所構わず眠ったり、服を脱ごうとしたりする。
何より悪いのは友達感覚で同世代の傭兵と、寝食を共にすることだろう。
まだ団員が少ないうちは構わないが、さらに兵団を大きくしたいなら、団長としての節度を教えねばなるまい――と、ウィリスは考えていた。何より、彼女自身の身が心配である。
それだけではなく、ウィリスとしては他にも心配事があった。
団が大きくなれば入る金も多くなるが、出て行く金もまた増える。
そしてこの四ヶ月、ほぼ移動に費やしていたので団は大きな仕事を受けていない。
確かに「雪解け後に始まる戦争の契約」は、ある。
だが手付金など微々たるものだ。戦さが一段落するか、終るまで報奨金は出ない。
だからといってローザリアが敵国の村を略奪するかと言えば、そんなことはしないだろう。
「まあ……いざとなれば、ウルドの大臣にでも掛け合ってみるか……」
溜め息と共に麦酒を煽りながら、皆と一緒に歌を歌うローザリアをウィリスは眺めた。
蛹から蝶へと脱皮を果たす直前のようなローザリアを見守ることは、近頃のウィリスにとって一つの癒し。まるで娘を見守る父親のような心境である。
思えば彼も絶望の淵から、僅かだが這い上がることが出来たのかも知れない。
ちなみにローザリアの剣になることを拒んだウィリス・ミラーは、しかし傭兵団『鉄血騎兵』に就職することなら承諾した。
というより――あのあと結局ローザリアは、ウィリスを泣き落としたのである。
「ファッ!? だって私に命をくれると言ったではないか!?」
「あなたの力で状況を打開出来れば、という話でしたね」
「で、でで……できたのでは……ないかな」
「気絶することで状況を打開した、とでも言うのなら」
「う……何という慈悲の無い言葉か……」
しばし盛大に肩を落としたローザリアは、その後、涙を溜めてこう言った。
「でもでも! 貴様は今後、衣食住に困るであろう! だから、私が面倒を見てやると言っているのだッ!」
「そんなものは、自分で何とかします」
「な、ならば、めいっぱい給料を払う。我が団に入れ! 全報酬の三分の一でどうだ?」
「いりません」
「ええい、ならば半分でどうだッ!」
「そんなことをするなら、皆にもっと金を払って下さい」
「そんなに、私が嫌なのか? どうしたら、共に来てくれるのだ?」
「別に……どうしたら、ということも……」
「真なる悪は別におると、さっき貴様も申したではないかぁ〜〜心が繋がったと思ったのに……ぐすんっ。共に帝国を倒そうぅぅ〜〜すんっ、すんっ」
「ああ、ええ、まあ……そうですね……とりあえず、泣かないで貰えます? さっき盛大に泣いてた人もいますし……なんか、そんなに泣かれると俺が悪い事をしているみたいで、嫌なんですけども」
「……じゃあ、鉄血騎兵に入れ。そうしたら、泣き止むことを考えてもよい」
しゃがみ込み、両手を顔に当てて泣くローザリアの姿が余りにも哀れに見えて、ウィリスはとうとう折れたのだ。
「――まあ、当面の間なら」
こうして彼は、普通の賃金で『鉄血騎兵』に入団したのである。
そしてそれから、四ヶ月が過ぎた――。
◆◆◆
ここはウルド公国で、もっとも旧カラード公国に近い街、レギナ・レナ。
今、この街は雇われた傭兵達で溢れている。彼等は皆、雪が溶ければ砦へ入り、正規兵と共に次の冬まで作戦に当たるのだ。
そのような状況だから、街一番の酒場である“金羊亭”は連日、賑わっていた。
昨年の劣勢から、ウルド公国も本気らしい。今年は西方最大の傭兵団と呼び声も高い、『血煙旅団』も参加している。
もっとも彼等は血の気も多く、団員達がそこかしこで問題を起こしているらしい。
ローザリアも皆に気をつけるよう、いつも呼びかけている。
そのローザリアは仲間の傭兵達につまらない演説をした後、覚束ない足取りで、酒場のカウンターへ向かった。いつも通りのスカウトだ。今日は、耳の長い女に声を掛けている。
きっと仲間内に、魔術に特化した者がいない事を気にしてのことだろう。
耳が長いとなれば、だいたいは森人か半森人だ。彼等は殆どの場合において、高い魔術適性を持っている。
だが――彼等はあまり人と群れることをしない。
何らかの事情で傭兵をやるとしても、団に入らず一人でいることが大半だ。
まさにローザリアがスカウトするのに、うってつけの人材と言える。
ウィリスはそんなローザリアを心配そうに眺め、「ふぅ」と溜め息を吐いた。
席を共にする四人の男がそんなウィリスを見て、苦笑している。
「心配性ですねぇ、将軍」
「将軍はやめろ……」
「しかし……将軍は将軍ですから」
ウィリスを囲む四人の男達は、皆、全身傷だらけ。それを彼と同じく、黒い衣服で隠していた。
実のところ彼等は四ヶ月前、鉄血騎兵と戦った不死兵である。
彼等はイゾルデがウィリスに負けた後、降伏を申し出たのだ。
というより、イゾルデも「軍など辞める!」と息巻いていた。
だが彼女は帝都に両親もいるし、いきなり帝国を裏切れば、率いる軍団の部下達が困るだろうことを考え、戻る事にした。
帝都に戻るならば、真実を知る不死隊を生かしておくことは、イゾルデにとって危険が伴う。だから不死兵達はこのとき、死を覚悟した。
しかしイゾルデは寂しそうに笑って、彼等に、こう言ったのだ。
「お前達は、勝手にしろ」と。
それはつまり、告発したければ、してもいい――という意味でもある。
だが彼等は奴隷だ。将軍の背信行為を告発したところで、何が貰える訳でもない。
むしろ帝都に戻れば、身体を切り刻まれる実験の日々に逆戻りである。ならばと彼等は意を決し、言ったのだ。
「……可能ならば、ミラー将軍の下で働かせて頂きたい」と。
イゾルデは苦笑し、「ゲートリンゲンには、全滅したと伝えよう」と約束してくれた。
だがウィリスはやっと傭兵になったばかりで、容易く首を縦に振ることは出来ない。ましてや彼等の仲間を一人、殺している。
だからといって不死隊の苦悩は痛いほど分かるから、困ってしまった。
そこでローザリアがまたも、薄べったい胸を反らしたのである。
「ふっふっふ――ウィリス・ミラー将軍。お困りのようだな」
確かに困っていると頭を掻いて、ウィリスは眉を顰めた。するとローザリアは、こんな提案をしたのだ。
「ウィル、貴様を我が『鉄血騎兵』の分隊長に任ずる。そこな四名を配属し、もって槍働きをせよ。どうだ?」
ウィリスは不死隊にいくつかのことを確認し、有り難くローザリアの提案に従うことにした。
不死隊達は仲間が殺されたことに関しても、仕方が無いと受け入れている。
もともと命を狙ったのはこちらだし、殺される覚悟はあったとのこと。
イゾルデには、耳に痛い言葉であった。
そこまで話が進むと、腹部を抑えたジョセフが「イテテ……」と起き上がる。
「すまなかった、お前達」
イゾルデが不死兵達に謝罪すると、ジョセフも同じく頭を下げていた。
「閣下が人に頭を下げるなど、滅多に見られるものではないぞ……家宝にしろよ」と、ジョセフが片目を瞑る。
ジョセフは自らも魔法が使えるようで、自力で回復をしたらしい。
もっとも戦場で自分に回復魔法を掛けたのは、生まれて初めてだと言っていた。
――――
そんなことを思い出しつつ、ボンヤリと麦酒を飲んでいたウィリスだが、再びローザリアに視線を戻すと、どういうことか喧嘩が始まっていた。思わず「ブッ」と口に含んだ麦酒を吹き出してしまう。
「貴様ぁ! 今は私がこの者と話していたんらろッ!」
ローザリアのろれつが怪しい。完全に酔っている。
「放せ、無礼者。私はこの者と、約束をしていたのだ。これは待ち合わせだ、分かるか? この――酔っ払い」
「だ〜らって、もうちょっろ待ってもいいらろがぁ!」
どうやら、お目当ての森人に連れがいたらしい。後から来たようだ。
連れの方はローブのフードを目深に被っている。胸の部分が膨らんでいるから、どうやら女らしい。
それに今は、三人とも立っていた。その身長が、だいたい同じ位だ。
ちなみにローザリアは「私は酔っていない」と豪語し、フラフラと前後に揺れている。非常に情けない。
「すみません、ローザリアさま。用事が済みましたら、あとでまたお話を伺いますから」
ローザリアの絡んでいた森人が、丁重に申し出た。彼女は、どうやら人格者のようだ。
「いい、シェリル。こんな酔っ払いは、放っておけ」
ローブの女が吐き捨てる。
ウィリスも賛成だ。酔っ払いは放っておけばいい。
しかし酒により人格の破綻したローザリアは、尚も酔っていないと言いはっている。
「られがぁ、酔っぱらいかぁ〜。酔ってなど、いぬぁ〜い!」
ウィリスは顔を掌で覆い、立ち上がった。
もう、これ以上放置できない。あれは、間違いなく吐く。今日、今すぐにも、だ。
それは王女うんぬんではなく、少女の尊厳にも関わるだろう。
その時だった――。
「放せ」
ローブを着た人物が、ローザリアの手をピシャリと弾く。
いつの間にか、ローザリアが彼女の腕を掴んでいたらしい。
ローザリアは手を離すと同時に前へよろけ、ローブの女のフードに触れた。
「なんらぁ? 貴様も森人ゥ〜……」
なんとそのまま目を瞑り、倒れ行くローザリア。
寸でのところで、彼女を何とかウィリスが抱きとめる。
と――女のフードがハラリと落ちて、頭と顔が露になった。
黄金色の髪と長い耳――僅かに吊り上がった目は切れ長で、瞳の色は紫だ。
そして、人間では有り得ない程の白い肌。確かに、こちらも森人である。
その姿を見て、ウィリスは驚いた。目を丸くしている。
だがそれは、彼女が美しかったからではない。彼女を知っていたからだ。
「サラ?」
ローザリアの手を払った森人が、振り返って大きく目を見開いた。横に伸びた長い耳が、上下に揺れている。
彼女は口元に手を当て、紫色の瞳に大粒の涙を貯めていた。
「閣下ッ……ようやく、ようやくお会い出来ましたッ……!」
彼女の名は、サラ・クインシー。
ウィリス・ミラーが敗れ、帝都に戻る直前まで、彼の副官を務めていた女性である。
そのサラが、涙を拭って目を細めた。そしてウィリスに抱えられ、安心しきった顔で寝息を立てるローザリアの頬を、プニプニと押す。
「ムリ……だ……ウィル。これ以上……入らぬ……きさま……の……大き過ぎる……」
しばし黙考。サラ・クインシーはウィリスとローザリアを交互に見て、眉間に指を当てる。
「閣下、ロリコンになりました?」
「断じて、違う」
幸せそうに眠るローザリアは今、ウィリスとどちらが多く“肉”を食べられるか、競争する夢を見ているのだった。
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