1 投獄
◆
「よくも、生きて帰ってこれたものだな、ミラー将軍」
「全ては、帝国の為なれば……」
「ふん――ものは言いようよな。だが、卿の罪は明らかである。弁明の余地など無いぞ」
帝国歴二六三年初秋。
栄えあるグラニア帝国の将軍ウィリス・ミラーは泥に塗れた漆黒の鎧を纏い、皇帝ブラスハルトに平身低頭していた。
その様はまるで熊が冬眠の準備でもしているようで、哀愁を誘う。将軍位を示す紫のマントが、力なく深紅の絨毯に項垂れていた。
身の丈は二メートル強。男子の平均身長が一七〇センチ弱のグラニア帝国にあって、目を見張る程の巨躯である。加えて顔に斜めに走る向こう傷が、本来は優男と呼ぶべき彼の風貌を凶悪なものにしていた。
黒髪黒目で漆黒の鎧を身に纏い、紫のマントを翻して戦場で槍を振うウィリス・ミラーの名は、敵国にとって恐怖の象徴以外、何物でもない。しかし――
「――が、ミラー将軍。何か言いたい事はあるか?」
「なれば、一つだけ――」
玉座から響く声は冷たく、真冬の霜を思わせた。廷臣達の瞼が、一斉に伏せられる。皇帝の冷ややかな怒気が、己に波及することを恐れたのだ。
しかし、この話が理不尽なものであることは、誰の目にも明らか。法を厳正たらしめるならば、裁かれるべきは別の者である。
――だとしても、今のウィリス・ミラーに同情する者はいない。何故なら彼が、不死兵出身であり、本来裁かれるべき者こそ、帝国の貴人だからだ。
不死兵とは二代前の皇帝が創設した精鋭で、魔法によって人体を改造された元奴隷である。
彼等は皆、最も過酷な戦場に投入された。
例えば、万の敵に対して数百で守らねばならない砦。撤退戦においては、囮――或は敵主力の突撃を支える盾として。
従って、どれほど強力な改造を施されても死傷率は帝国軍随一であり、一度入隊すれば、二度と生きては出られないと言われた程の部隊である。
結果、その余りに非人道的な扱いから先代皇帝が隊を廃止した。
それとて時既に遅く、最前線に送られていた中で生き残ったのは、彼を含めて僅か三名である。
つまり不死兵は決して死なない兵ではなく――死んでも構わない兵の蔑称でもあったのだ。
そんな男が先帝から伯爵位を賜り、あまつさえ絶世の美女と名高い皇妹と婚約をしていた。
ならば、この場に参列する廷臣達は嫉妬をしても、決して彼に同情などしない道理だ。
ましてや彼の大きな後ろ盾であった先帝イラペトラは、去年の今頃――崩御している。
「陛下の御名に泥を塗りましたること、まことに申し開きようもなく……おめおめと生きて戻りましたるは、帝国の為、偏に兵を帰還させようと考えてのことにございます」
「勘違いするな、ミラー将軍。貴様が泥を塗ったのは余ではなく、我が兄である先帝だ」
「……はっ」
「大恩ある兄より余が受け継ぎし兵を損ね、貴様はおめおめと敗れ、戻ってきた。そこにどのような理由があろうとも、貴様は兄の名を汚したのだ。——この責任、どう取るつもりか?」
「いかようにも……」
黄金の玉座に座り、深紅の絨毯に平伏する男を見つめる皇帝の瞳に慈悲は無い。
彼はウィリス・ミラーに東方遠征軍を託し、半年ほど前に送り出した。それは帝国の東側で国境を接するゴード王国、その先にあるムスラー公国の二国を攻略させる為であり、いたずらに兵を損ねる為ではない。
にも拘らずウィリスは失敗し、出征時に十万を数えた兵の半数を失い、戻って来たのだ。断じて許せる事では無かった――という筋書きである。
白い手袋を嵌めた皇帝の手が、自身の薄い唇を隠す。それは誰にも、暗い愉悦を含んだ微笑を見せぬ為だ。
「ふん……殊勝よな……では、己が死も厭わぬと申すか?」
「御意」
ウィリスは更に深く頭を下げ、皇帝の裁可を待つ。
しかし言い訳ならば、山ほどあった。そもそも彼はゴード王国を攻略し、ムスラー公国に攻め入る直前だったのだ。
当時、足場を固める為にも彼は、本国へ補給を願い出た。それは征服直後のゴードで食料を徴収すれば、民衆からの不満が吹き上がること、火を見るより明かであったからだ。
しかし、必要な物資はまったく届かなかった。
補給は軍政を司る、ロウ・サム・ゲートリンゲン元帥の管轄だ。
もちろんウィリスは幾度も補給を申請したし、元帥に対して嘆願書すら書いている。
これは書類を手配した副官のサラ・クインシーも、記憶していることだった。
だが――帝都に戻ると、彼が補給を申請した記録は一切無い。そのことについての審議を行おうにも、サラ・クインシーは既に部隊を外され、西部戦線へと転属が為されていた。
それだけではない。
こちらの物資が不足していることを知ったムスラー公国は、一大反抗作戦を試みた。
その大軍が迫る最中、南方の要塞を守るべき右翼の将、イゾルデ・ブルームが突然、転進した。
結果としてウィリスは東と南から挟み込まれ、敗北を喫したのだ。
イゾルデのことは十年来の友だと思っていたのに、何と云う仕打ちか……。
咎めるならば、そちらが先だろうとウィリスは思う。
イゾルデは軍令違反と敵前逃亡を行っているのだ。
しかし当のイゾルデは、何食わぬ顔でゲートリンゲン元帥の隣に立っていた。
とはいえ、勅命を果たせなかったことは事実。ウィリスはここまでだ、と覚悟を決めている。
ただ、心残りが無いといえば嘘だった。
ウィリスは遠征が終わったら、皇妹、ミシェル・ララフィ・サーリスヴォルトと結婚することが決まっていたのだ。
もちろんこれは、決して政略的なものではない。
もともと奴隷だったウィリスにとって、皇族など別世界の存在だった。しかし不死隊に入り、皇室警護の任に就くうち、気付けばミシェルとの仲が進展していたのだ。
出会った当初、ウィリスは十五歳、ミシェルは八歳であった。
最初はウィリスを熊に見立て、背に乗り喜ぶミシェルに手を焼いたものだ。
けれどある時、乱心した貴族がミシェルを攫おうと宮殿に押し入った。
これを素手で撃退し、以来、ウィリスはミシェルにとって第一の騎士となったのである。
同時に先帝イラペトラはウィリスの剣技を高く評価し、幾度となく稽古を共にした。
そして共に戦場に出る事、十年――一度も敵に敗れることの無かった皇帝は、二十六歳の若さにして病に倒れたのである。
ウィリスにとって先帝イラペトラと皇妹ミシェルこそ、心の支えであり家族であった。
決して帝国の為に尽くしたのでは無く、彼等の為にこそウィリスは命を燃やしたのだと思う。
そうで無ければ元奴隷の身で帝国を憎まぬことなど、決して出来なかっただろう。
むろん、そうは言っても元奴隷と皇族の結婚だ、話が簡単に進むはずも無かった。
何とか話が纏まったのは、先代皇帝イラペトラがウィリスの功績を大いに認め、伯爵位を与えた事による。
事実ウィリスはイラペトラの右腕であったし、戦争の天才と呼ばれたイラペトラ帝にとって、攻撃の要とも言える武将であった。
それがゆえに皇帝イラペトラはウィリスをウィルと呼び、友人として遇していたのだ。だからミシェルが二十歳になる年をもって、強引に二人を結婚させると決めたのである。
しかしその影で、皇弟ブラスハルトは臍を噛む思いであった。
元々は、彼こそ先々帝正室の子である。妾腹の子であるイラペトラが皇位を継いだ事も我慢がならなかったし、何より皇室に奴隷の血が混ざることなど、耐えられなかったのだ。
だからイラペトラが死んだ事を幸いとして、皇帝となった今、ウィリスとミシェルの結婚を引き裂こうと策を弄したのである。
「妹との婚約は、無かった事となろう……」
僅かに目を伏せた皇帝が、立ち上がる。豪奢な黄金の髪が揺れ、肩にかかる毛皮の上を流れた。
退出してゆく皇帝の口元には、もはや隠すまでもない笑みが溢れている。
「連れて行け。沙汰は追って伝える」
背を向けて退出する皇帝に代わり、ゲートリンゲン元帥が口を開いた。彼は今でこそ皇帝の懐刀と云われているが、その実、凡将である。
だが選帝侯家の当主たる高貴な出自と、貴公子然とした風貌が皇帝の好みに合うのだろう。現在では軍政を司る、帝国軍の第二位階を占める存在となっていた。
その彼にウィリスは、目で訴える。「なぜ俺に補給を寄越さなかったのか」と。
——むろん、答えなど返ってくるはずも無いのだが。
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